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天翔船が帝都に到達するのに、それほど時間はかからなかった。
莫大な空力を必要とするのは数千公里の高度までで、そこから先は加速と共に上昇気流に乗り、一気に帝都の港へと辿り着く。
大きな二本の腕を伸ばしたように見える港には、無数の天翔船が集まっていた。
速度を落とし、[明けの乙女]号もその列に加わる。
遠目からは全体に輝いて見えた半球の浮遊都市も、その形がはっきりしてくると、異様さが際立った。
大きな岩山を切り出して創られた要塞に似ているようで、まったく違う。それはむしろ、都市そのものが別の生物になって、大地から空へ産み落とされたようであった。
神の御業と呼ぶには不自然な光景に苦い一瞥をくれ、ディーンは甲板を離れた。
船室には、間近に迫る戦いに神経を張りつめた女聖騎士と、妖魔狩人、妖魔の姿があった。
「アーエールに入れば、あとは城門ね」
「どうする気だ?」
「私がやるわ」
簡潔に、女聖騎士が応じた。疑いの色を見せる青年に苦笑する。
「帝都のことは貴方より詳しいのよ。大丈夫、任せてちょうだい」
「分かった」
「それより、忍び込んだ後のことだけど、二手に分かれることは問題ないわね?」
「ああ」
男たちが頷く。
彼らは、反乱に加え、魔術師により聖母が封じられたことで、アイテール内で相当の混乱が起きているものと推理した。
護りの要であった[象牙の塔]に魔術師が侵入したということは、すなわち、かなりの陰の能力がアイテールになだれ込んでいるということである。その騒ぎに乗じれば九曜が魔力を使うことも可能であるし、また帝都兵も彼らを妨げる余裕などないはずだ。
敵の敵――つまり、魔術師がもたらした混乱こそが、彼ら最大の援護となるのだ。
「おそらく西門から乗り込むことになると思うけど、一組はまっすぐ突き進んで中心へ……もう一組は、北西の空挺場へ向かうことになるわ。その分担だけど――」
語を切り、イリヤは一同を見渡した。
「レイ様の救出には、私と彼で向かうわ」
ギガースを指す。反対の声を上げようとするディーンを身振りで止め、イリヤは続けた。
「いいこと。我々には時間がないの。貴方は聖母に選ばれた――それがどんな理由であれ、貴方は聖母を助けに向かう義務があるのよ」
「だけど……!」
「いいえ、反論の余地はないわ。聖母を救うことができるならば、レイ様の助かる道もそれだけ拓けるのよ。私は……貴方に賭けているの」
狐のような褐色の瞳で、ひたと見つめる。
「可能性、という力しか持たない貴方に」
「……分かった」
静かな眼差しに圧されるように、ディーンは承諾した。
そこへ、[明けの乙女]号の船長がやってきた。
「着くぞ! お手並み拝見といこうか」
彼らの乗った天翔船は、まさに今しも帝都の天門をくぐろうとするところであった。
張り出した湾の両腕の先端には、日塔と月塔の二つの灯台が建ち、目印となっているが、この塔にはもうひとつの役割があった。
古代より港を護る二つの塔は、強力な法力を放ち、眼に見えぬ障壁を創り出して外界と帝都を分けているのだ。
それが、天門である。この眼に見えぬ最初の検閲によって、能力者の有無や、妖魔はもちろん魔術師などの外法者が、排除されるのだ。
マグワイア船長は、只者とは思えぬ取り合わせの彼らを眺めた。
「で――どうする気だ?」
「問題ないわ。このまま航行を続けてちょうだい」
命令することに慣れた口調で、朱金の髪の女が告げる。船長が不機嫌に鼻を鳴らした。
「あの天門をどう潜り抜ける。巻き添えを食うのはごめんだぞ」
「天門から放たれる法力は、一定ではないわ。まるで揺れる薄布のように、波があるの。その波の弱まったときであれば、私と九曜の能力で隠し通せるはず。問題は入る間際――障壁に触れる瞬間ね。入ってしまえば、たやすいものだわ」
説明というには断定的にそう言い、イリヤは妖魔狩人を振り向いた。
「船長と行って、航空士に舵の指示を頼むわ。障壁は視えるわね?」
「ああ」
「荷物は預かるわ。置いていって」
ギガースは素直に肩から魔剣を外し、外套でくるんでディーンに託した。訳が分からないマグワイア船長を促し、操舵室へ向かう。
「こいつはどうする?」
外套越しにも紅いゆらめきを発して不機嫌を主張する漆黒の魔剣に、ディーンが困惑の視線を向けた。イリヤが澄ました顔で答える。
「しばらく寝ておいてもらいましょう」
呪言を紡ぐと、魔剣の周囲に小さな光が明滅しはじめる。聖騎士が息を吹きかけると、それは星屑となって魔剣に降り注いだ。
すぐに魔剣は陽炎のゆらめきを失い、鞘からも離れない飾り刀と化す。
「寝ておいて……ねぇ。後で炎華に殺されそうだな」
「女のことは貴方に任せるわ」
イリヤの皮肉に、ディーンが厭な顔になった。そのとき。
「来るよ。天門だ」
九曜が囁いた。
すかさず、イリヤが胸の前で印を組む。低く早い呪言。ディーンには何のことかさっぱり分からないが、ふわり、と何かがが動く気配がした。
――流れている。
イルレイアは金色の微光を、九曜は青白い燐光を纏い、共に精神を高めて来るべきものに備えている。
気の剣術を会得するディーンは、二人の周囲だけ、その流れが変わってきているのを感じた。
まるで、自然に逆らい、二人が新たな気の流れを創り出しているようであった。
やがてそれは融け合い、天翔船全体を包む巨大な気の風となる。
操舵室では、天眼をもったギガースが、揺らめく天の帳を窓越しに視ていた。
航空士に速度を落とさせ、時が来るのを待つ。
突き放すごとく強まる波、差し招くゆるやかな波――。
能力者ではない乗組員に、じっとりと脂汗が滲む。船長がしびれを切らし、怒鳴った。
「おい、これ以上遅くすると、他の船が――」
「今だ、行け!!」
船長の銅鑼声をかき消す勢いで、ギガースは叫んだ。
航空士が舵をかたむけ、速度を上げていく。目に見えぬ障壁の波が、彼らを包み込んだ。
人ではない何かが、頬を撫で、衣服をすり抜けて流れ去っていく。
この世に誕生するに似た、不快で、息苦しい瞬間。そして――。
「帝都だ――」
新しい息吹が全身を満たし、見たこともない世界が目の前に広がっていた。
衣のように纏っていた白い雲たちは消え、色鮮やかな煉瓦造りの建物群が、まるで壁のようにぎっしりと隙間なく広がる。それは時折緑の木々や背の高い塔を挟みながら、奥へと階段状に積み重なっていた。
その果てには真っ白な城砦が聳え、頂には光輝く城――天枢城が、まさに太陽のごとく天にその存在を主張している。
[明けの乙女]号は、なめらかに減速すると、港の西寄りにある黄色い旗の傍に着岸した。
バチックと契約している港の停留場所である。
そこにはすでに、顔馴染みの金髪の監査官が、検閲のための目録を手に待ち構えていた。甲板に立つマグワイアに声を投げる。
「どうしたんだね、君らしくもない。あんな所でうろうろするなど、天翔船の調子でも悪いのかね?」
「あんたに会う前に身だしなみを整えてたのさ」
葉巻をくわえ、船長は陽気に言った。
「ちょっと右舷の調子がおかしくてな。まあ……大したことはなさそうだが」
「整備士を呼ぶか?」
「なに、この天翔船も俺と同じで、もう年だ。働きすぎだろうよ」
冗談めかし、
「それよりも、あんたに頼みがある」
「なんだね」
「ちょっと予定と荷が狂っちまってな……」
監査官は、品のよい顔を顰めた。
「マグワイア船長。帝都へは、定まったものしか荷を下ろすことはできんのだ。バチック氏から提出された月々の荷物の内容が私の手元に届き、それと照らし合わせて許可を出す。それが帝都の規則だ」
分厚い紙の束を、ばさり、と手のひらで叩く。
港へ降りてきた船長は、頭ひとつ低い監査官に、にやりと笑いかけた。
「そこを何とか頼むよ」
「だめだ! 君は何年この仕事をしているのだ」
「その何年の仕事の間に、緊急のことってのが、いくつかあっただろう?」
身に覚えのある監査官はぐっと詰まったが、手を振って、
「だめだ、だめだ! 今アイテールに戒厳令が布かれ、アーエール内もぴりぴりしている。君もこれから先も私とよい付き合いをしたいのであれば、余計なことはせずにいることだ」
「なあ、ロドルフよ」
船長は、ごつい手で監査官の痩せた肩を引き寄せた。
「俺もこんな頼みをするのは心苦しいよ。親友を苦しい立場に追いやるのは、決しておもしろいことじゃない。だけど、あんたにも報いがないわけじゃないぜ?」
「どういうことだ?」
「新しく加えて欲しい荷はな、ガラティヤ夫人の御所望なんだよ」
囁きで告げられた内容に、監査官の白い頬に、血の気がさした。
「なに……?」
「そうなんだよ。だからうちの旦那も困ってさ。一番のお得意様の頼みを無視するわけにもいかずに、かといってもう目録は送っちまった後だ。困り果てた旦那を見かねて、俺が荷を引き受けたってわけさ」
「……」
監査官は悩んだ。
ガラティヤ夫人とは、帝都で知らぬ者はいない指折りの大金持ちである。貴族ではない。アーエール随一と言われる、高級娼館の女主人であった。
――確かにバチックは、ガラティヤ夫人の懇意……。嘘ではないのかもしれぬ。
このコロブス諸島の海賊の末裔は、大法螺が得意だ。だが、万が一本当だった場合、彼の上司を――ついでに彼自身をも――常客とする夫人の逆鱗に触れるかもしれない。
それだけは、絶対に避けねばならなかった。
監査官は、厳しい顔を崩さぬまま告げた。
「よかろう。目録にこちらで書き加えておこう」
「助かった! さすが、あんたはその辺りの木っ端役人とは違うぜ」
滅多に聞けない船長の褒め言葉に、監査官はいささか気をよくした。
「だが、荷はこちらで開けて確かめさせてもらう」
「ああ、構わねえよ。できるならな」
船長の言葉に、監査官は不審な顔になる。
「できるなら、とはどういう意味だ?」
それには答えず、船長は乗組員に荷下ろしの合図を送った。
「おい、マグワイア船長!」
監査官が問い質問い質そう(ただ)そうとしたとき、答えは思わぬところからやってきた。
硝子などの割れ物を抱え、乗組員が下船をはじめる。一際大きな男が、肩に荷を担いで、梯子を下りてきた。と、その足元から青白い固まりが走り出る。
「な、何だ、今のは!?」
「しまった、逃げたぞっ!」
葉巻を投げ捨て、マグワイア船長が怒鳴った。
「馬鹿野郎! 檻の鍵はきっちり閉めとけって言っただろうが!」
「すいません……っ! 檻の中を片づけようとしたら、その隙に……」
世話係らしい女が涙声になった。船長の罵声が飛ぶ。
「このそこな底無しの馬鹿女が! さっさと捕まえてこい。港は広ぇんだぞ!」
「まあまあ、船長。そんなに怒鳴らなくとも」
女の美貌に心惹かれた監査官がなだめる。
「ところで、何だね、今のあれは?」
「例の荷さ」
短く、船長は吐き捨てた。乗組員が右往左往しながら、消えたそれを探している。
「荷……?」
監査官が聞き返したとき、甲板で誰かが叫んだ。
「いたぞ!」
一斉に、その場にいた全員の視線が、船の舳先に釘付けとなる。
それは、今まで目にしたことのないほどの美しい青白い毛皮を纏った、異国の仔猫だった。仔猫は長い毛を膨らませ、人々を威嚇している。
「マテ山の頂上に住む山猫だとよ。まったく、あの奥方もどこからこんな動物を見つけ出してくるもんかね」
「ほう……」
マテ山はセントゲア大陸の南、ハイラ高地にあり、屈指の標高を誇る霊山である。
忌々しげな船長とは逆に、監査官は、その仔猫の野生味やきらきらと輝きすら帯びる容姿にすっかり眼を奪われてしまった様子だ。
「なるほど……。しかし見事な猫だ」
「見てくれはな。中身はただもんじゃねえぞ」
皮肉な笑いを刷く船長の頬に、実感が滲む。それが聞こえたのかどうか、仔猫がちらり、とこちらを見た。
――なんという瞳……!
監査官は戦慄した。距離があるにも関わらず、虹色のその両の瞳に吸い込まれ、縛られる錯覚にすらとらわれる。
と、仔猫が跳躍した。
それは、見上げる人々を軽々と越え、地面に降りると見せかけるや、彼らの頭を踏み台にして真っすぐ船長らに向かった。
「ひいっ……!」
監査官が頭を抱える。だが仔猫は、大柄な船長までも軽々と飛び越えて行き過ぎた。
飛び越えざま、にやり、と不敵な笑みを浮かべる。そしてそのまま、林立する倉庫街に紛れていった。
「やっぱ、ただもんじゃねえぜ……」
マグワイアが独りごちる。その傍を、正体の分からぬ若い男女が追いかけて走り抜けた。
軽く片目をつむって去る東国風の青年を素知らぬ顔で見逃し、マグワイアは溜め息をついた。様々な想いが込められた、複雑な吐息であった。
「やれやれ――行っちまったか」
「なにを呑気な……。マグワイア、まだ探せば間に合うのではないのかね? 私も手伝おう」
ガラティヤ夫人の注文品と信じる監査官は、早くも諦めを見せる船長に、蒼褪める。
だが、船長はきっぱりと言った。
「いいや、捕まらないね」
「しかし……!」
「あんたも今の動きを見ただろう? 野生ってのは、一度逃げたら百人が束でかかろうと、絶対捕まらないもんさ」
「目録から削るか?」
「いや――」
マグワイア船長は首を振って、
「始末書一枚で済むことだ。ガラティヤ夫人には、俺から直接謝っておくよ。あんたには迷惑をかけねぇ」
「大丈夫なのか?」
心配そうに、監査官が船長を窺う。だが髭面の大男は、むしろ楽しそうにこう言うのだった。
「まあ……たまにはこういう時もあるもんさ。長い航海だ」
制帽を脱ぎ、何かに別れを告げるように、高々と放り投げる。
「あとは、万事うまくいくよう祈るだけよ」
*
港を抜け出した男女は、倉庫街へ向かいながら、声に出さずに会話する。
「なかなか芝居っ気のある親父だぜ」
「ちょっとやりすぎだわ」
女は、頭巾の下で白い顔をしかめた。
「そう頼んだのは自分だろう?」
「何もあそこまで乱暴な言葉遣いをしろとは言ってないわ」
「注文の多い女だ」
言い合いながら、先に到着していた褐色の巨漢と仔猫に合流する。
荷物を運び入れるふりをしてこちらへ身を潜めたギガースは、早くも身形を改め、魔剣を背負っている。
「よう、無事か?」
「ああ」
頷き、ギガースは大刀をディーンに渡す。
「荒炎は?」
「僕が解いた」
九曜が答える。
「炎華が、二度までも女に法力を使われるのは我慢ならないってさ」
「なるほど」
魔剣の精霊らしい意見に、ディーンは苦笑した。黒革の手袋に、研ぎ澄ませた棒手裏剣を仕込んで、腕に巻く。
軽く握り、右腕の調子を確かめる。彼の心に反応したのか、わずかに腕が青白い光を孕んだ。
その隣で、イルレイアが口中で何事か呟く。
「出でよ、不死鳥」
呟きが終わるや否や、額の聖騎士の光環が輝き、彼女の身体を包んだ。
白い輝きは拡散することなく、そのまま寄り凝ると、ひとつの形へと変貌を遂げる。鎧だ。
優美な曲線を描く純白の鎧兜は、彼女の身体をぴったりと覆い、ほのかに光を放った。裏地の赤も鮮やかな外套が、豊かに翻る。
背に二本の刀を斜交いに負い、聖騎士の姫は告げた。
「――では、参りましょう」




