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カナン・サガ3~帝都内乱~  作者: 藤田 暁己
第6章 シェイドローン
19/31

6-3



 狗民くみんという特殊な属性に頼ることを思いついたのは、イリヤだった。

 夜半やはん九曜は、無斎の手紙をエドゥワルド・フィロンに届け、シェイドローンに住まう狗民の中心的存在カミーユ・バチックへ宛てた紹介状を持ち帰っていた。


 バチックは、全国の業者から商品を買いつけ、帝都におろすという仲買人の仕事を行なっている。

 どんなに各国で手広く商売をやっている者でも、直接帝都で商売するということはありえない。通常は仲買人の手を経た後、帝都の業者に卸される。商品によっては何人もの仲買人を通過することもあった。

 彼らはいずれも、己れの目ひとつに武器に、何十年とかけて信頼をつちかってきた者たちだ。その仲買人たちが集うのが、シェイドローンである。

 中でも〝鉄の小人アイアン・リトルマン〟バチックは、三本の指に入ると言われる男だった。


 港に程近いアルファ通りに、仕事場を兼ねたバチックの屋敷はあった。

 紹介状をもったディーンたちは、彼に直接逢うことを許されたが、応対は決して友好的ではなかった。

 バチックは、ちょうど秘書らしき男に契約書の書き直しを命じているところで、それは書式から紙の質にまで話が及び、挨拶を交わすことができたのはたっぷり三十ミヌテ後のことである。


 肘掛椅子に座ったバチックは、呼び名の通り、侏儒こびととはいかないまでも、立たないでも分かるほど小さい男だった。

 葉巻の両端を小刀で切り落とし、火をつけると、バチックはようやく奇妙な三人連れ――九曜を入れると四人だが――に向き直った。


「どうも、お待たせいたしました。話は聞いております」


 微笑ともつかぬ表情で言う彼に、イリヤが厳しい視線を向ける。


「ならば我々が急いでいることも御存じのはずね」

「さよう。ですが、わたしも暇ではない」


 カミーユ・バチックは、葉巻を一口吸った。


「エドゥワルド・フィロンは存じております。しかし、彼との取り引きが絶えて二十年余り。商売もやめて、脱け殻同然の生活を送る彼の頼みを聞く義理は、わたしにはない。無駄な取り引きはしないのです」

「何ですって?」


 イリヤの柳眉が逆立つ。

 狗民の常で淡い色彩を纏った男は、机に肘をつき、穏やかに彼女を見返した。


「わたしは商売人です。商売になることしか興味がありません。確かに、今の帝都の状態は好ましいものじゃない。政局が不安定だからです。それを打開するのが、皇帝であろうと皇兄であろうと、大した違いはありません。我々は、それぞれにふさわしいやり方で商売を広げていくだけだ。まあ歴代の皇帝の中では、現皇帝はましな方だと思いますが、それもいつまで続くか知れたものじゃない」


 長々と紫煙を吐き出す。


「わたしがあなたがたを助ける商売上の理由はありません」


 そのとき、物も言わず、ディーンが彼に歩み寄った。

 両脇に控えていた二人の護衛が制止する間もなく、机越しにバチックの胸ぐらを右手で掴み上げる。


「じゃあ、俺が別の理由を見付けてやるよ」

「!」


 小さいが決して痩せてはいない男の体が、軽々と椅子から吊り上げられた。

 鈍い音を立て、机の陰にあった真鍮しんちゅうの握りのついた杖が、床に転がる。

 バチックの右足は、義足であった。小男はもがき、両手で懸命に振り払おうとしたが、死の右手からのがれるのは不可能だった。色白の顔が、見る見る真っ赤に膨れあがる。

 剣を抜き払う護衛を、イリヤとギガースが牽制した。


「いいか。俺たちは、あんたの事情を長々と聞きに来たんじゃない。主義も商売も関係ねぇ。協力するか、しないか、だ」


 ディーンは手を放し、唇が蒼褪めてきた男を椅子に戻した。バチックが激しく咳きこむ。


「この……礼儀を知らん若造め!」

「確かに俺たちは、何も持たないただの若造だ。ここでも、勿論帝都でもな。だけど、だからといって相手の流儀ルール遊戯ゲームをする気はない。こうでもしなけりゃ、あんたと対等に話ができないだろう?」

「対等、だと?」

「そうだ。なにも土下座してまで、あんたの御協力を仰ごうとは思っちゃいねぇ。確かに俺たちは、あんたの力を借りられるなら助かる。だが、あんたの危険リスクも大きい。だから――」


 ディーンは気軽に、近くの椅子を引き寄せて座った。


「取り引きといこうぜ」

「取り引き?」


 バチックは鼻を鳴らした。襟元を正して、


「何も持たないといったのは、君だぞ」

「そうだな」


 ディーンは邪気じゃきなく笑い、彼の机の灰皿を手に取った。


「いい灰皿だ。大理石か?」

「……リューン南部のカザランド地方の石だ。材質といい美しさといい、世界カナンいちだ」

「ああ、聞いたことがあるぜ。なんでも、卵くらいの大きさで二万アルム以上するらしいな。それが灰皿とは、きっとあんたの金蔵かねぐらには、金が使ってくれって泣きながら入ってるんだろうな。いや、すごい」


 灰皿を撫でながら、


「もうちょっと、こういう暮らしを続けたいよな?」

「どういう意味だ?」

「――あんたの命と引き替えって言うのはどうだ?」


 バチックは、しばし青年を見つめ、弾けるように笑いだした。


「何を言いだすかと思えば……! はっ。冗談もいい加減にしたまえ」


 ディーンはそれに、一抹いちまつ憫笑びんしょうを与えた。

 次の瞬間、爆発に似た音を立てて、彼の右手の中で大理石の灰皿が粉々に砕け散る。

 バチックの手から、葉巻が転がり落ちた。

 茫然と石の破片を浴びるバチックに、ディーンはにこやかに説明を加えた。


「あんたがどこまで事情を知ってるか知らないが、俺はちょっと右手が不自由でね。ある事件で妖魔の分身をもらっちまって以来、この有りさまだ。意識している間はいいが、興奮したりして制御し忘れると――こうなっちまうんだよな」


 芝居がかった手つきで、丁寧に、床に小石を払い落とす。


「俺は、さっき()()()()()()()()()。あんたも俺を助ける義務がある」

「……」

「狗民は、命の恩は命で返す。違うか?」


 濃紫の瞳が、瞬きもせずに男を見た。

 青年を凝視したまま、バチックは震える手で新しい葉巻を取り出し、両端を切る小刀ももどかしく、火をつけた。


 バチックは混乱していた。だが、彼は優秀な――おそらく統一世界カナンでも屈指の――商売人で、真贋しんがんを見抜く眼は確かだった。そして、決断の早さでも評判であった。

 バチックは、幾度か葉巻を吸ったのち、指で秘書を招いた。


「次に出航する天翔船は?」

「[明けの乙女]号です」

「……よし。マグワイア船長に乗員が三名増えると伝えろ」


 秘書に命じるバチックに、ディーンは無言で、背負い袋の仔猫を顎で示した。

 狗民の男は、苦く笑って、灰皿のない机に灰を落とした。


「おい――四名だ」

「かしこまりました」


   *


 円形となったバチックの屋敷の中心、深くえぐれた円錐形の地下に、天翔船の船着場はある。

 バチックの持ち船は、六十隻余り。とりわけ多い数ではないが、世界を航行する天翔船と違い、帝都とシェイドローンを行き来するのみの船舶数としては、やはりずば抜けていた。

 天翔船は、海を渡る帆船と酷似しているが、大きく異なるのはその動力である。天翔船を操るために必要な〝空力くうりき〟は、太陽光から集約され、浮力器・可動器に分散、蓄積される。


 航行を三十ミヌテ後に控えた[明けの乙女]号は、空力集積炉から燃料を積み終え、今まさに発動機エンジンを稼働させたところだった。

 胃の底に響く発動機エンジンの唸りを満足気に聞いていた船長のマグワイアは、一等航空士のもってきた報せに、髭面ひげづらを歪めた。


「何だと……? もう、荷は積み終わってしまっているんだぞ!!」


 コロブス諸島の海賊の血をひくという船長の激昂に、一等航空士が蒼白になる。


「天翔船は均衡バランスが命。虫ケラ一匹増えても航行は成りたたんと、いつも言っているだろうが! 今さらどこの間抜けがそんな戯言たわごとをぬかしやがるんだ?」

「――わたしだよ、マグワイア船長」


 カツン、と冷たい音がして、杖をついた義足の小男が現われた。彼の後ろには、見たこともない奇妙な取り合わせの若者たちが立っている。


「バチックさん。あんたらしくもない頼みだな。そいつらを乗せろって言うのか? この俺の天翔船ふねに」

「急なことで申し訳ないが、ちょっと事情があってね」

「断る」


 船長の答えは、明快だった。


「乗員も最低限だ。積み荷を減らして入れるにしても、天門ゲートの検閲を通過できっこないし、あんたの信用問題にも関わる。いくら雇い人のあんたの命令でも、これはきけないね」


 バチックが東国風の青年を振り返った。


「――と、いうことだ。さて、彼もわたしと同じように説得できるかね?」


 ディーンは何も言わず、肩をすくめて船長の前へ立った。外套マント頭巾フードをとり、


「勝手な頼みだとは分かっている。あんたやバチックの立場もな。だけど――俺たちを助けなければ、あんたたちはもっと厄介なことになるんだぜ?」

「何だと?」

「今、帝都では権力が二分されている。皇帝と兄の祭主とで、だ。自由商売フリービジネスを推す皇帝が立っている間はいいが、これが祭主になったらどうなる? あんたたちが帝都の商売から締め出されるのは目に見えている。狗民は、権力を持ちすぎているからな」

「……皇帝が我々を擁護ようごする保障などない」

「するさ。俺たちを助ければな。それに――」


 ディーンは、船長の盛り上がった肩をぽんと叩いて、


「第二皇子は半分狗民の血を引いている。いやでも味方するさ」

「……」


 驚くマグワイアを残して、天翔船の橋桁はしげたを上っていく。


「お……おいっ! ちょっと待て、こら。この天翔船は、重量制限一杯なんだ。おまえらを乗せる余裕なんかどこにもない!」


 東国の青年が、梯子はしごに手をかけて振り返った。


「なに言ってんだよ、おっさん。どこの世界に余裕も残さないで荷物を積む船があるんだよ。俺たちの体重は合わせてもせいぜい三百五十公斤グレーヴ。貨物一個分だ。それぐらいの余裕はとってあんだろ」

「く……」

「おやぁ? まさか、貨物一個分の荷物が増えたくらいで航行できないなんて、ベテラン航空士がそんなこと言うはずないよな? ひょっとしてこの天翔船、張りぼてか?」

「口に気を付けろ、小僧! てめえらくらい積んだところで、俺の船はびくともせん!」

「じゃあ、証拠を見せてもらおうか」

「望むところだ!」


 そう言ってしまってから、船長は口車くちぐるまに乗せられたことに気が付いたが、もう遅い。

 イリヤたちが澄ました顔で、ディーンに続いて乗船する。

 船長は悔しさに顔を唐辛子色とうがらしいろにすると、八つ当りとばかりに、野次馬の航空士たちを怒鳴りつけた。


「どうやら話はまとまったようだな、マグワイア船長。わたしからも頼むよ」

「ああ」


 船長は鼻息も荒く、制帽を被った。


「まったく、あんたは一体どこから、あんなとんでもない小僧を拾ってきたんだ?」

「拾ったんじゃない。自分から舞い込んできたのさ」


 バチックは、あざの残る首筋を撫でた。

 勝ち目のない戦い。だがあの若者は、そんな苦況をも幸運に変える力があると周りに信じさせてしまう何かを持っている。

 バチックは、久しぶりに損得を無視した賭けに乗る気になっていた。


「やれやれ。わたしも、とうとう頭がどうかしてしまったらしいな」

「へっ。今がまともかも分かんねぇぜ」

「そうかもしれんな」


 葉巻を取り出し、一本を船長に勧める。バチックに火を借り、船長も葉巻をくわえた。

 マグワイアは、肺の奥まで煙を吸い込んで、深々と吐き出す。


「――なあ、バチックさんよ。あいつらは、帝都で一戦交えようってのか?」

「そうらしいな」

「頭がおかしいぜ、まったく。まあ……」


 制帽をぐっと引き下げた。


「たまにゃあいいけどよ」

「――よい航海を」


 葉巻をもった手を挙げ、船長は[明けの乙女]号に乗り込んだ。

 機動性を重視した中型の天翔船は、見た目では判別できないが、違法すれすれの改造船である。大きさに似合わぬ発動機エンジンの轟音が、快調に高まっていく。


「バチック!」


 杖をついて立ち去る彼に、甲板から東国風の若者が呼びかけた。


「世話になったな!」

「礼は、皇子を連れ戻してから言いたまえ」


 バチックは皮肉な微笑を浮かべた。


「ところで君たちは――どうやって三人、いや失礼、四人で戦うのかね?」

「一応考えてあるさ。敵の敵は味方ってね」

「敵の敵は味方……?」


 バチックは、何のことを言っているのか分からなかったが、かすかに首を振って片手を挙げた。


「幸運を祈る」

「あんたにもな」


 ディーンは笑って応え、船室へ消えた。

 重く唸っていた発動機エンジンが回転数を高め、安定した響きを奏ではじめた。橋桁はしげたが上がり、梯子が船体に引き寄せられていく。


いかりを上げて、係留綱ロープを外せ!」


 天翔船を地上に繋ぎ止めていた綱が、次々と外れ、巨大な船体はじわじわと浮上をはじめた。

 いつも見る光景ながら、それはバチックに、空へと還る大鳥を想わせた。


「――出航!!」


 真っ白な翼を広げた鳥が、戒めを脱ぎ捨て、自由な空へ解き放たれる。


――森羅万象しんらばんしょうの精霊よ。大地の子らを護りたまえ。


 知らず、長い間忘れていた狗民の祈りの言葉が、バチックの唇から零れる。

 未知の高処たかみへと向かう彼らの未来が、行く先と同じ光に満ちていることを、彼は願わずにはいられなかった。




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