6-1
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その日、これまで通り報告に訪れたイルレイアは、東の大神殿瑠璃の宮の宮長・紫峰から、即刻帰都の司令を伝えられた。
――なにかがおかしい……?
それは、予感という他なかっただろう。
いつもならばすぐに養父の命令に従うところだが、得体の知れぬ不安に突き動かされた彼女は咄嗟に、別の台詞を返していた。
「爪牙衆の動きが気になるの。数刻遅れるわ」
単身、無斎の隠宅に戻る。
戻ってきた瞬間、イリヤは異変を悟った。
いつもなら煮炊きの音が響き、カルディアロス人兄妹の賑やかな声や、帝都では考えられぬほど和んだ若き皇子の声が、屋外にも聞こえてくるはずである。
イリヤは馬から下り、身を潜めて、中の様子を窺った。
明かりも灯されていない。
だが、家が荒らされた様子はなく、イリヤは裏口の戸をそっと開けた。
と、戸が内側から勢いよく開け放たれ、イリヤは前へのめった。
何かが風を切る。
イリヤは己れから倒れ、転がりながら、短刀を抜いた。
「何者!」
「――何者、じゃねぇよ」
皮肉な声をかけたのは、この家に住まうカルディアロス人の若者だった。
「ディーン、貴方どういうつもり?!」
「それはこっちの台詞だ」
「何ですって?」
ディーンは、ゆっくりと間合いを計りながら、
「てめえは、いつから裏切ってやがったんだ?」
「……」
「最初からなんだろうな。あいつの優しさにつけこんで……そんなに、てめえの身がかわいいのかよ?」
「一体何のこと?」
「とぼけんなよ。死ぬ前に、化けの皮を剥がしてやるぜ、このアマ」
明らかな敵意を向けるディーンに、イリヤは慎重に後退した。
「分からないわ……。一体、何があったの?」
「しらを切る気か。てめえが、この家をあいつらに教えたんだろうが!」
ゆっくりと、イリヤの喉に冷たいものが下りてきた。
「どういうこと? レイ様は……レイ様の身に何があったの?」
「あんたの望みどおり、あいつは帝都に連れていかれたよ」
「……!」
イリヤは、やりきれぬ思いで唇を噛んだ。
「なんと……いうことを」
「一般人を盾に取られて、あいつはいさぎよく従ったよ。輝破矢も持たずに……たった一人でな!」
「腑甲斐ない。貴方はそれを黙って見ていたというの? あの方のために剣を捧げたなんて、やはりただの子供の遊びだったわけね」
イリヤの非難に、ディーンは眉を険しくした。
「あいつを売ったてめえに言われる筋合いはないね」
「売ってなどいないわ……!」
「じゃあ、もとからその気だったわけだ。ただ、正体を現わしていなかっただけか?」
「……」
イリヤは、無言で短刀を構えた。ディーンの左手が、大刀の鍔元にかかる。
撃って出るその瞬間、二人の間に大きな影が立ちはだかった。
「――二人ともよせ」
「ギガース……」
「妖魔狩人……?」
魔剣を使い、妖魔を狩りながら旅する原罪者は、静かな声音で言った。
「彼女は何も知らない。戦うのは時間の無駄だ」
ギガースが、指先に集めた能力を暗闇に投げた。かすかな煙の匂いと共に、燭台に明かりが灯される。
彼の足元には、仔猫の姿をした氷の妖魔がいた。
不利を悟り、イリヤは、息をついて太股に巻いた鞘に短刀を納めた。
「貴方がリューンで出会ったという妖魔狩人ね。なぜここにいるの?」
「あんたが狗民の使者を殺すところを目撃したからだよ」
ディーンから返された答えに、イリヤの顔から表情が消えた。
妖魔狩人である火人が、真実を見抜く天眼の持ち主であることは、周知の事実である。
「そう……。すべて、お見通しってわけね」
「すべてではない」
ディーンから巨人の愛称で呼ばれる巨漢が、朱金の髪の女に向き直った。褐色の肌に刻まれた刺青が、火影に浮かび上がる。
「俺は、旅の途中でディーンたちの異変に気が付いた。そこでこちらへ向かっている途中で、狗民の使者たちに奇襲を仕掛ける者を見付け、それがこの家に入っていくのを知って、ディーンに報せたというだけだ。その他に分かるのは――君が、レイが帝都に連れ去られたことを今まで知らなかったということだ」
「だけど、裏切ってたのは確かだろう?」
納得のいかないディーンの問いかけに、ギガースが黙った。
真実だと認めたかのような沈黙に、イリヤが唇を噛む。
「私が養父の側についていることは事実だわ。でも、レイ様には手を出さないという条件をいただいていたのよ」
「だけど、あいつは連れていかれた」
容赦ないディーンの言葉に、イリヤは眼を閉じた。
「……そうね。私が甘かったわ。ここでレイ様が帝都に眼を向けず暮らせば、養父は手出しをしないと思っていたのが愚かだった」
木の柱に背を預け、吐息とともに呟く。
「貴方の言うとおり、居場所を教えたのはこの私――。でも、決してそれは、レイ様を帝都へ連れ戻させるためじゃなかった」
「まだ言うのかよ、てめえ」
「疑うのも無理はないわ。だけど売ったのなら、ここへ帰ってくるなんて馬鹿なことをすると思う?」
「……」
「私はただ、貴方がたを痛め付けて、レイ様から引き離そうとしただけ。余計なことをさせないためにね」
「祭主に歯向かわせないように、か」
「そうよ。レイ様は、もともと帝都には馴染めない方。だから、貴方がたと出会って帝都への関心が薄れるなら、そのほうが都合がよかった。だけどこの数日間は、逆にレイ様に決意を与えてしまったわ。私は……事を急ぐ他はなかったの。でも、決してレイ様を売ったりはしない。レイ様を養父の元へ行かせるなんて……そんなことは絶対させないわ」
「――狙っていたのは、俺か?」
「皆殺しも辞さないよう命じたわ。妖魔に手がかかるようであれば、私も出るつもりだった」
無造作なイリヤの物言いに、怒りにディーンは蒼褪めた。
「てめえ、血の通った人間じゃねぇぞ」
「貴方がたと兵士数名の命で、あの方の未来が買えるなら安いものだわ」
「それであいつが喜ぶとでも思ってるのかよ?」
イリヤは答えなかった。力なくうつむき、
「もう……やめましょう。すべては終わったわ」
「終わった……?」
「祭主は、レイ様が銀の兇児であることを知らないのよ」
虚脱した女の顔を、ディーンは当惑して見つめた。
「あんた……」
「すぐに彼は知ることになるでしょうね。皇帝の最大の弱点と、私の裏切りを――」
己れを嘲るように、声もなく笑う。
「彼も私を欺いたのだから、結局は同じね。もっとも、今まで彼が私を信頼していたかどうかも疑問だけど」
「あんた……本当は何を望んでるんだ?」
「私――? 私は、少ない希望の中で、レイ様の生き残る道を探しているのよ」
「それがあいつの敵になることでもか?」
感情を失くした面が、人形のようにディーンを振り向いた。
「貴方に私の何が分かるというの? 私にはこうするしか手段がなかった。それに――」
イリヤは、再び宙に視線を向けた。
「この戦いで皇帝に勝ち目はないわ。たとえルークシェスト様が蜂起しても、養父には勝てない。彼は……聖母を封じたの」
「……」
「どういう意味だか分かる? 帝都を含め、統一世界は、聖母の法力によって護られていた。それがないのよ。今再び[大災厄]が起これば、世界が滅亡するわ。世界中を敵に回しても、聖母さえいれば勝てるのよ。彼女は、統一世界人すべての母なのですもの」
褐色の瞳に、やりきれない涙が滲む。
「我々は、母の護りなしには生きていけない。母がいなければ、妖魔から身を護ることも、災害を避けることも出来ない。孤児になってしまうのよ」
「逆を言えば、聖母を取り返せば勝てるってことだろう?」
「どうやって? 帝都に乗り込むのも至難の業なのよ。ましてや、あの魔術師と戦って、勝てるとでも思うの」
「やってみなきゃわかんねぇだろ」
イリヤがかすかに、泣き顔にも見える微笑を浮かべた。
「……お得意のいきあたりばったりね」
「それしか能がないんだ」
ようやくディーンは頬を緩めた。手を差し出し、
「停戦、といこうぜ」
「何故?」
「あいつを助けることに関しては、同じだと思うからだ。ただし……二度裏切れば、俺はあんたをその場で殺す」
「……いいわ」
頷き、イリヤはその手を取った。
*
「正直、おまえどう思う?」
ディーンは椅子にまたがり、机の上に座る仔猫に尋ねた。
彼らの前には、冷えた握り飯と煮魚が並んでいる。レイが連れ去られたのち、無斎と共に爪牙衆の屋敷へ身を寄せることになったリィナが、行く前に作っておいてくれたものだった。
九曜は、口の周りをぺろりと舐めて、
「僕は、常々正直なんだけどね」
「馬鹿、あげ足とるなよ」
あれからイリヤと話し合った結果、知れば知るほど、不利な情勢が明らかになった。
皇帝は病間から出られず、皇太子であるルークシェストは皇帝殺害の嫌疑をかけられ、投獄。皇帝の忠臣といわれるモルガン将軍も傷を負って投獄され、その他味方になりそうな貴族たちも、祭主を恐れ、動きを封じられている。
また、聖母を封じた魔術師は、祭主のみが接触しており、イリヤは姿すら見たことがないという。
「相当な使い手らしいけど、養父がどこで彼を知ったか、それすら分からないの。知っているのは、何年も生きているらしいということと……厭な笑い方をするということだけね」
一番頼りになりそうな宰相ノア・ライムスは、姿を晦ませたまま行方が知れない。
これが、ディーンたちには一番痛かった。
「まあ……魔術師がどの程度かにもよるけど、帝都に入り込めれば、いけると思うよ」
「だけど、聖母って統一世界一の法術師なんだろう? なんで封じられちまったんだろうな」
もっともなディーンの疑問に、九曜が教える。
「法術師、だからさ。神の名のもとに能力を行使するからね、制約が多いんだ」
「なるほど、反則技は使えないってことか」
「そういうこと。それに[大災厄]で法力の大部分を失ったっていうからね。それも関係すると思うよ」
「失った?」
ディーンは眉根を寄せた。
「能力って、増えたり減ったりするもんなのか?」
「ちょっと違うけど、そうだなあ……」
毛足の長い尾を振って、九曜が言葉を探した。
「河を想像してみて。聖母は、たくさん沢山の支流をもつ大きな河のようなものなんだ。水源が豊かだから、いろんなところに水を供給しても自分が枯れることはない。だけど、その元となる水源に異変が起きていたら……? 水量は、今までのようには多くはなくなる。それは、まだ支流を枯らすほどではない。でも河を塞ぐほどの大岩なら、本線を断ち切ることは出来る――」
「水源の異常は、一体なんなんだ?」
「それは本人にも分からないかもね」
九曜は苦笑した。
「それを解決できれば、魔術師も敵ではないかもしれない。だけど、能力は繊細なんだ。それを取り戻すのは、失った記憶が甦るのと同じくらい難しいかもしれないね」
過去の記憶をもたない妖魔の台詞に、ディーンは少し笑った。
確かに、世界を包み、護っていた聖母が[大災厄]で受けた衝撃は、常人の想像の及ぶところではない。剥出しの精神が、直接世界の危機に曝されたのだ。
「俺の手出しできる領分じゃねぇってことだな」
「そうだね」
あっさりと九曜は認めて、
「で、どうするの? 狗民に連絡をとる?」
「いいや。帝都に乗り込むのに、大人数だと目立つだろう」
「……そう言うと思った」
虹色の瞳が、冷ややかに彼を睨んだ。
「誰か内部で陽動してくれれば暴れやすいんだけど、この際文句も言ってられねえしな」
「そうだね」
祭主が、皇子レイファシェールが銀の兇児であるということを知れば、皇帝の最大の弱点を握ったことになる。
レイの身柄と、帝都の危機。この二つを同時に救わねばならないのだ。
「イリヤの話を聞いたかぎりでは、俺、祭主が焦って行動したように思えるんだ」
「どうして?」
「だって、政敵を殺した翌日に放火して皇帝を毒殺しようなんて無理ねぇか? もともと帝位を乗っ取る算段は立ててはいたけど、予想外の事情が起こって急がざるを得なくなった……そんな気がするんだよな」
「なるほどねえ」
「とすれば、祭主の側も混乱しているはず。だから、帝都に乗り込んで味方と協力して反旗を上げるよりも、むしろ直接首魁である祭主に当たったほうが、成功する確率が高いんじゃないかな」
「簡単に言うけど、そうはいかないよ?」
「だから悩んでるんだろ」
ディーンは腕組みをした。
「イリヤもいまいち信用できないし、帝都に関する情報が薄いんだよな」
「レイは何も言わなかったしね」
「口が堅いのも、問題だぜ」
ディーンの瞳に、暗い決意が漂った。
「これは、早く動いたほうの勝ちだ。イリヤが裏切ったことを悟られる前に――」
*
イリヤは、窓越しに暗闇を見つめた。
笑い声のない家は、暗く冷たく、まるで墓場のようだ。
イリヤは、自分がそれをまったく苦にしていないことに気付き、苦笑した。
両手で顔を覆う。
血の匂いが、髪の先までこびりついているようだ。死ぬ時の人々の怯えた顔、何故自分がこんな目に合うのか分からないといった驚愕の表情が、目の裏から消えない。
涙を流して命乞いをする者もいた。皆、それなりの権力を謳歌していた者だ。
だがイリヤは、彼らに憐憫を覚えることはなかった。
鉄のような甘い香りと、肉を断つ時の感覚が甦り、イリヤは自分で自分を抱き締めた。
殺戮を喜ぶもう一人の自分を、イリヤは押さえきれなかった。
――助けて……助けて、サイア……!
心の内で、生き別れた弟の名を呼ぶ。だが、彼が現われることはなかった。決別を選んだのは、彼女自身だったからだ。
代わりに、誰かが部屋に入ってきた。
妖魔狩人の巨漢である。
イリヤは、ゆっくりと彼を見上げた。
「私……貴方に会うことを一番恐れていたのに――すべてを見抜く、天眼に」
かすかに微笑む。
「おかしいわね。今、一番気持ちが楽だわ。多分、もう誰にも嘘をつかなくてよくなったからね」
「君は、いろいろなものを見てしまった。見なくていいものまでを……。それが、君を穢してしまったと考えるのはやめることだ」
「やさしいのね。私のこと、分かっているんでしょう?」
イリヤは挑むように、広げた両手を窓枠につく。
背後から差し込む星明かりが服をすり抜け、彼女の身体をあますところなく、くっきりと縁取った。
「彼らに言っていいのよ。私は、化け物だってね」
「俺には……君の傷だけが視える」
ギガースは、つい、と女から眼を逸らした。
「君は、翼をもがれた小鳥のようだ」
イリヤの白い顔から、表情が消えた。
不意にその姿が消える。気が付くと、鬼女の形相で彼の喉首を掴む何かがいた。
「これでも――小鳥かしら?」
「ぐ……っ」
ギガースが呻いた。手を伸ばし、それの頬に触れる。
「君は――美しい。とても……」
「……」
鬼の眼が揺らぎ、ゆっくりと人に戻る。
「ごめんなさい……貴方に罪はないのに……」
「罪がないのは、君も同じだ」
ギガースは、頬に触れた手を下ろし、逞しい腕に彼女の身体を抱き締めた。
「君は、風の中に戻るべきだ。光の中ではなく、本来いるべき場所に」
「戻れる……かしら……?」
「戻れる……戻ろう。俺は、君を助けるために来た」
低い囁きに、イリヤは固く眼を瞑った。
彼の身体からは、帝都の男たちとは全く違う、あたたかい匂いがした。
乾いた大地の暑い香りや疾走する風の音が、鮮やかに脳裏に甦る。
それは、忘れようとしていたなつかしい故郷の記憶だった。
* * *
ニオゲア大陸は、ムーア大陸に次いで小さな大陸であるが、南北に長く、場所によって極寒の地もあれば、灼熱の砂漠も存在する。
大きくは、赤道周辺のラ=シェバ砂漠を挟んで北をスプラ・ニオゲア。南をスブテール・ニオゲアと呼んで区別されていた。
風人たちの故郷は、スブテール・ニオゲアの西、広くは世界の果て、竜の嶺にも通じるといわれるフォス峡谷とされる。
正確な事実でないのは、彼らが定めによって定住を禁じられた原罪者であるからだ。
彼らは不死薬を手にし、身体から発散する邪香という香りで妖魔を魅了し、捕らえる。
邪香は、一種類の香りではない。個々人によって違うのは勿論、人の心を誘惑したり、鎮静効果や威嚇になったりと、その時々によって自在に変化を遂げるのだ。
フォス峡谷は、ラ=シェバ砂漠とほぼ同面積を誇り、落差は最大で三十公里といわれる風の吹き荒ぶ死の荒野だった。
そこは、彼らの生まれた地ではない。むしろその逆――彼らが終末を迎える、先祖たちの墓場であった。
イリヤは、流れ流れる風人たちの旅の最中で生まれた。母は若く、父もまた若かった。風人たちは、十名ほどの集団の中で一夫一婦制を守り、新たな世代はまた別の集団――旅団を築く。彼らは、歌を歌い、踊りを楽しみながら、妖魔を捕らえ続けた。まるで、そうでもしなければ、命が尽き果ててしまうかのように。
イリヤは、それらをすべて自然のことと思っていた。旅をし、妖魔を狩り、仲間たちの内だけで暮らすことは、彼女にとって空気のようなものだった。
だが、ある日。いつになく風が騒めいたと思ったそのとき、空から真っ赤に燃えたぎる火の玉が大地に降り注いだのだ。
[大災厄]である。
火の玉は三日三晩降り続き、止んだ時には、大人たちは死に絶えていた。
その時のことを、イリヤは正確に思い出すことが出来ない。
ただ、幼い弟を抱え、真っ黒に灼けた大地と大人たちの死骸を茫然と見ていた。まだ十一才だった。
風は絶え、七日たっても、まだ吹くことはなかった。
イリヤは土塊を食らい、昼も夜も荒野を彷徨った。そして、餓死寸前となったところで、ある人物と出会った。
それが、[大災厄]による被害を受けたエファイオス王国を見舞いに訪れた、祭主アレス・リキタスであった。
『――生きていたいか?』
彼の口から最初に発せられたのは、この一言だった。
イリヤは、汗と埃に塗れ、ふらつく身体を弟と懸命に支えあっていた。
『生きていたいなら、ついてくるがよい。来る気がなければ――勝手に死ね』
見たこともない蒼天の瞳には、一点の曇りもなかった。
こうなれば、もう一も二もない。
二人のみすぼらしい子供は、松明に惹かれる虫たちのように、鼈甲色の髪をした高貴な男に従った。
馬車に乗せられ、連れて来られたのは、荒野に建てられた難民用の宿営。
そこは、まさに楽園だった。空気は澄み、水も食物も豊かで、人々は皆美しい衣服を纏っている。
二人は手厚い看護を受け、空腹を満たし、安らかに眠った。
『――アレス・リキタス様。あの子供たちは、何者なのでございます?』
二人の子供たちが来て三日ほど経った頃。
不審に絶えぬといった表情で、側近のファーガス・ガルフシュタインが祭主に尋ねた。
『ときおり妖しげな香りがいたしましたり、宙を浮いているところを見たというものもおります。皆、訝しんでおりまするぞ?』
『ふ……』
祭主がゆったりと笑う。
『あやつらは、封魔師よ』
『なんと仰せられます?』
『おそらく、あやつらで最後であろう。大切にせねばならぬ』
ファーガスの禿頭に、血の色がのぼった。
『何をおっしゃられるのです。原罪者を生かしておいてよいとおっしゃるのですか!』
『神は、彼らを滅ぼすために原罪を負わせたのではない。償わせるために――その罪を与えたのだ』
穏やかに指摘し、祭主は葡萄酒の硝子杯を傾ける。
敬虔な言葉だが、それは信仰心があればこそだった。
彼の冷酷非情な性格をよく知る男は、蒼褪めた。
『なにを……お考えなのです?』
『そう怯えることはない、ファーガス。彼らは、あの不死の霊薬を手にするという……。それを少し、分けてもらおうというのだ』
驚きのあまりずれた丸縁の眼鏡を、ファーガスは慌てて掛けなおした。
『不死薬……ですと?』
『そうだ。その在処も、形すら封魔師しか知らぬ。それが手に入れば私は――病むことも老いることも、恐れることはなくなるのだ』
祭主は、赤い硝子杯を灯明に透かして微笑む。
『永遠の若さと命、おまえにも分けてやろうか?』
ファーガスが、いびつに笑った。
『私は……遠慮いたします』
祭主は、太った醜い男を一瞥し、ゆっくりと酒杯を干した。
『不老不死が得られれば……残るは帝位のみ。今度の災害で、皇帝め、さぞかし青くなっておろうな』
くつくつと笑い、祭主は命じた。
『あの子供らを、私の手から逃れられぬように、算段を計らねばならぬ。心得ておけ』
『……は』




