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カナン・サガ3~帝都内乱~  作者: 藤田 暁己
第5章 カルディアロスⅡ――真実
16/31

5-3

残酷描写注意。

 


 日も落ち、青い闇に包まれた九龍連山の裾野すそのに、細い月が輝いている。

 風が出ているのか、空の高処たかみで、薄雲が幻のように流れては消えていく。

 レイは、部屋の窓からそれを覗き、板戸を閉めた。

 立て付けが思わしくないのか、滑らない板戸にレイが苦心しているうち、文机ふづくえに置いてあった小さな絵が前のめりに倒れた。


「あ……」


 慌てて絵を拾い上げる。

 簡素といっていいほど装飾の少ないこの家で、絵画はこの肖像画と玄関の大きな一幅、それと床の間の水墨画だけであった。

 玄関の壁に掛けられた華やかな踊り子の絵は人目を惹いたが、部屋に他の物と一緒に置かれた小さな絵に、レイは今まで関心を持たなかった。


 木製の額縁に入れられたそれは、古いものではなく、優しげなカルディアロス人の男女が肩を並べている。夫婦なのか、と考えたレイは、それがリィナの両親だと思い至った。

 まだ若い。二人とも、レイと同じ年頃のように見える。男の方は肩先で黒髪を切り揃えているが、女の方は長く伸ばして頭頂で束ねていた。さすがに、リィナに似ている。

 レイは机に絵を戻し、縁台に出た。

 借りた夜着の上に室内着ガウンを羽織り、洗いたての髪ごと包む。

 風はない。それでも、早く流れ去る天上の雲に、レイは凍えそうな眼差しを注いだ。


「――そんなところに突っ立ってると、刺されるぞ」


 低い声で呼びかけ、ディーンが現われた。日中どこにいっていたかは分からないが、その時のまま黒い服を着た彼は、どこか大人びて見える。


「なんだ、ディーン。まだ起きていたのか」

「夢見が悪いって言ったろう。おまえこそ、なんで一人でいるんだよ。少し不用心すぎるぜ」


 無斎からか、昼間の襲撃を聞いたのだろう。ディーンは少し怒った口調で、レイの隣に立った。


「大丈夫、サリがいる」

「知ってる。あいつをここへ送ると、送った本人から聞いたからな」


 カルディアロス王家直属の隠密である影の者は、諜報活動を行なう耳目衆じもくしゅうと防衛・奇襲を主とする爪牙衆そうがしゅうから成るが、特にソロモンの属する爪牙衆は、王家の隠しがたなと名高い。

 タイレンが言った短剣とは、このことである。


「だけど、そんなことがばれたら、カルディアロスがおまえについたことになる。あくまでもあいつらは影。期待はするな」

「手厳しいな」

「それが現状だ」


 ディーンはにべもない。レイは他人事ひとごとのように笑って、室内着(ガウン)の襟を胸元に引き寄せた。

 イリヤは出掛けたまま、今夜はまだ帰っていなかった。

 空を見つめ、レイがぽつんと言った。


「リィナに――おまえを連れていくなと言われたよ」

「……あの馬鹿」

「心配なんだろう、おまえのことが」


 からかうでもなく言い、レイは彼を見る。


「部屋に置いてある絵は、リィナの両親か?」

「ああ」


 ディーンが柱に背をもたせかけた。


「あいつが生まれる前さ。確か、二人の結婚が決まって、何も祝いができないから近くの絵師に頼んで描いてもらったやつじゃないかな」

「そうか……」

「いつのまにか、ジュリアの歳を越えちまったな。不思議な感じだぜ」

「いくつで亡くなったんだ?」

「カイルが二十二。ジュリアは十八だ」


 おまえと同い年だな、とディーンは微笑わらって、


「リィナが生まれたその日に、二人ともっちまった」

「……」


 その理由がなぜか、レイには聞けなかった。聞けば、彼を傷つけてしまうような気がしたのだ。

 しずめの森の木々が、さやさやと音をたてて、揺れている。


「やさしそうな人たちだな。リィナによく似ていた」

「あれ以上似てくるのかと思うと、恐くなるよ」

「リィナは、おまえと血がつながっていないことを知らないのか?」

「うすうすは感じてるんじゃねぇか」


 ディーンは癖の強い髪をかきあげ、


「あいつが成人するまでにはきちんと伝えようとは思うけど、今さら改めて言うのも難しくてな」

「彼女はしっかりしているから、心配ないだろう」

「育てた人間がいいから」

「馬鹿」


 レイは笑った。


「まったく――おまえといると、自分がどうしてここにいるか忘れそうになる」

「なんだよ、急に」

「このままずっと、ここにいられたらいいのにな」


 レイは手を伸べ、闇夜に舞い落ちてきた枯葉を手のひらに受けとめた。

 上空を吹く風に乗って山麓から飛ばされてきた木の葉は、月光を浴びて、まるで牡丹雪ぼたんゆきのようだ。


「――帝都では、雪が降らないんだ」


 空を眺めたまま、レイは独り言のように言った。


「雷も嵐も、真の闇もない。昼も夜も構わず皓々こうこうと明かりが灯されて、毎日どこかでうたげが催される。本当に……夢の世界だよ。わたしは時々、そこに住む人たちが人間ではないのではないかと思うことがある。兄も……父も」


 銀色の髪が、風にほつれて巻き上がる。


「父が倒れたと聞いたとき、わたしは当然だと思った。あれだけ権力を手にしているのだから、恨みを買うのも当たり前。毒を盛られても仕方ないとね」


 レイの頬に、冷たい笑みが宿った。ディーンが今まで目にしたこともない、笑顔とはかけ離れた微笑だった。


「伯父のやりくちは嫌いだ。人間として卑劣だと思う。だが……父を哀れむ気持ちは、一欠片ひとかけらもなかったよ。むしろ、いい気味だとさえ思った」


 レイは何かを堪えるように、片手で口元を覆う。


「ディーン。わたしは、父が死ぬことに心から安堵したんだ。これでもう――これ以上、父を恨みながら生きずにすむと……」

「レイファス……」


 ディーンはレイを引き寄せて、肩を抱いた。レイは、かすれた、押し殺した声でなおも続ける。


「母を捨て、わたしを捨てておきながら、帝都へ招いて――彼は何も与えてはくれなかった。金や教育や権利や身分、わたしが欲しいのはそんなものじゃない。このまわしい姿をさらけ出して男として生きているのは、ただ……家族が欲しかったから。わたしの……わたしだけの家族が、欲しかったんだ」


 ずっと孤児として真珠の宮で育てられたレイに、家族がいると知らされたのは、十二才の時だった。

 いないと思っていた父が生きており、それが統一世界カナンの皇帝で、銀の兇児である娘を帝都へ受け入れたいと聞かされた時は、自分の幸運が信じられなかった。母と自分を置いて去った男への恨みは、微塵もなかった。精一杯、息子としてこの人に尽くそう、とレイは心に誓ったのだ。


 だが、帝都で待っていたのは、家族の温もりとは無縁の権威と格式の世界だった。妾腹であり、しかも正式な妾妃でもない外界の娘ランドリアンの子に、帝都での扱いは残酷の一語に尽きた。

 皇帝もまた、揉め事を恐れてか、レイを離宮へ隔離したきり、ろくに会おうとすらしない。

 正腹である兄はやさしかったが、レイの胸中はむなしかった。その虚しさが、父への不満となり憎しみとなるのは、当然の成り行きだった。


 レイは千切ちぎれるほど強く、ディーンの服を握り締めた。


「帝都での六年間、あの人は何も気付いてはくれなかった。どんなに努力しても、わたしはシェスには及ばない。影に隠れて息を潜めているだけ……父の名に傷がつかないように。わたしは、銀の兇児だから――」

「……」

「ここへ送られた訳を知ったとき、はっきりと分かったんだ。わたしがあの人にとってどれほどの意味もないと……。だって、そうだろう? ここで何ができる。伯父と戦える何が、ここにあるというんだ?! わたしは完全に蚊帳かやの外に放り出されただけだ!」

「それは違う」


 きっぱりと否定し、ディーンは、レイの顔を両手で包んだ。


「分かっているはずだ。親父さんはおまえを愛しているから、ここへ来させた」

「――」

「おまえを護るためだ。俺やじじい、おまえの祖父さんや祖母さんに、おまえを護ってもらうためだ。帝都では護りきれないから――銀の兇児であるおまえを、護ることができないからだ。愛しているからだよ。おまえだって、親父さんを愛しているんだろう?」

「……違う」

「いいや」


 ディーンは低く、もう一度強く否定した。


「もういい。もういいんだよ、レイファス。愛してるって言っていいんだよ」


 レイの瞳から一粒、涙がこぼれ落ちる。それをやさしく指先でぬぐい、


「自分に嘘をつくのは、もうやめるんだ。自分や母親を捨てた身勝手な人を、愛していてもいいんだよ。おまえの父親なんだから」

「でも……」

「銀の兇児だから、父親を愛しちゃいけないとでも? そんな馬鹿な話があるものか。おまえの髪が銀色なのも、女に産まれたことも、おまえのせいであるはずがない」

「……」

「親父さんが狙われたことだってそうだ。どうしようもなかったんだよ。親父さんだって、予想していたはずだ。おまえをここへ避難させる手筈てはずができていたんだから」

「だけど……」

「大丈夫。おまえは悪くない」


 力強い断言に、せきを切ったように、レイの双眸から涙が溢れ出した。


「ディーン。わたしは……わたしは――」


 ゆっくりと、ディーンが細い肩を抱き締める。


「あんなに――死んでしまえばいいって、あんなに願っていたのに……」


 レイは彼の腕に埋まりながら、必死に鳴咽おえつを殺した。


「どうして、こんな今になって父親らしいことなんか……!」

「こんな今しかできなかったのさ」


 親鳥が羽根で雛を包みこむように柔らかくレイの体を抱えたまま、ディーンが囁く。レイは意外なほど広いその胸にすがりついた。


「どうしよう、ディーン……どうしよう。あの人が死んでしまったら、わたしはどうすればいい……?」

「あの頑固親父が、そう簡単に死ぬもんか」

「本当に……?」

「本当だ。あの人は、金棒かなぼうで叩いたって死にゃしねぇよ」

「わたしはまだ、娘らしいことを何一つしていない……何も」

「大丈夫、これからできるさ」

「……うん」


 素直に頷き、レイは、押さえきれない涙をディーンの服に染み込ませた。

 いつからか、髪を撫でおろす彼の手が、心地よい。


「おまえは親父さんの言うとおりここへ来て、俺たちに会った。それからどうするかは、おまえの気持ち次第だ。俺は――おまえの心のままに動く」

「……リィナに恨まれるぞ」

「分かってくれるさ。あいつが、おまえの家族の危機を助けないはずがない」


 黙ったまま、レイはまた頷いた。頬を預けた胸や、肩を抱く腕から伝わるあたたかさに、たかぶった気持ちが沈まっていく。

 しばらくして、落ち着きを取り戻したレイは涙を拭い、顔を上げた。

 ディーンが、服のすそで濡れた頬をこすり、冗談めかす。


「――どうだ。柱より、ましだろう?」

「うん……多少は」

「なんだよ、多少って」


 ディーンが顔をしかめた。


「素直じゃない女だ」

「少なくとも、世間一般では男だからな」


 その台詞に、ディーンは思いきり渋面を作り、レイの頭に軽く拳骨げんこつをくれた。そのまま手を滑らせ、銀の髪を撫でおろし、頬を辿たどり、首元のぎょくの飾りを指に絡める。


「まあ――おまえがおまえじゃなかったら、惚れてなかっただろうからな」

「どういう意味だ?」

「口が悪くて暴力的で、素直じゃなくて、世間一般では男のはずのおまえじゃなきゃだめってことさ」

「……なんだか最悪だぞ、それ」

「だから困ってるんだ」


 レイは思わず、拳で彼の腹を軽く叩いた。


「ほら、暴力的」

「おまえに問題があるんだ」


 笑って言い返すレイの二発目を片手で受け止め、ディーンも笑う。


「やっと笑ったな」

「……」

「あんまり泣き顔は溜めこむもんじゃないぞ」


 もう一方の手で、レイの髪をくしゃ、とかきあげた。


「ひどい顔になっちまうからな」

「……うるさい」

「泣きたくなったら、いつでも俺の胸を貸してあげよう。格安かくやすで」

「格安?」


 レイが怪訝な顔になった。その体を再び引き寄せ、ディーンは、銀の前髪の先に唇を触れる。


「こういうこと」

「――馬鹿」


 レイは、顔に血が昇るのを感じた。三日月夜で、あまり辺りが明るくないのが幸いだった。

 ひたいが熱い。それは、直接唇で触れたときよりも、もっとずっと彼を近くに感じさせた。


「他にご質問は?」


 余裕を見せつける男に、無性に悔しさを覚え、レイは彼を睨みつけた。


「昼間からの疑問がひとつあるんだが……」

「なんだ?」

「セル坊って、誰のことだ?」


   *


 細い、切れるような三日月が闇夜に浮かんでいる。

 それだけを目印に、彼らはひた走っていた。

 街道で馬を変え、一昼夜走り続けてきた彼ら四名に、疲れの色が濃い。

 シュクからリーレンまでの十七公里ミールを一日で駆けて来られたのは、彼ら独特の連絡形態と、誇りとも言える堅固な連帯意識があってこそであった。


「もうじきだ、急ぐぞ!」


 先頭の男が、仲間を励ました。

 もうシールイ川も太やかな流れへと変わり、家並みも増え、道も整っている。

 川筋に沿う大通りではなく、抜け道となる路地へ入った彼らは、そこで異変を感じた。


「なんだ……?」


 馬の足が、急に途絶える。不審に思うが、頭に何かきりのようなものがかかり、身体が働かない。

 彼らは、転がるように馬から下りた。胸苦しさを覚えた先頭の男は、風よけのための半面マスクをとって気が付いた。


――これは……!


 甘い、恍惚となる薫りが充満している。

 いつからかはわからないが、これが何か作用しているに違いないと思った男は、腰の短刀を抜き、己れの太股を突き刺した。


「む……!」


 脳裏から、霧が晴れる。同様に眼を覚ました仲間たちは、短刀を手に、敵の気配に息を殺した。


「……愚かね。おとなしくそのまま眠れば、苦しまずにすんだでしょうに」


 艶やかな、女の声が響いた。


「誰だ! どこにいる!」

「ここよ」


 ゆっくりと振り向いた彼らは、瞬間、おのが眼を疑った。

 白い服を着た女が、夜空に浮かんでいる。月光を受けて輝く髪が宙を漂い、まるで光背オーラを戴いているようだ。

 夜目でも見える紅唇が、笑みこぼれた。

 男たちの背に、冷たいものがのぼる。


―――この女……人ではない!


 法術を使う一人が、呪言を唱えはじめた。

 瞬間。

 眼には見えぬ何かが女からはしり出て、法術師を強打した。

 いや、正確には何が起こったのかはわからない。気が付くと彼の頭は、割れた西瓜すいかのように内側から粉々に弾け飛んでいた。

 脳漿のうしょうを散らして崩れゆく仲間を、彼らは凝然ぎょうぜんと見つめた。

 ふと、女の姿が消えた。

 慌てて夜空を見回した一人は、仲間の声に、そちらを向いた。

 ――と。目の前に、女が立っている。

 その足元には、首のない仲間の死体が転がっていた。

 剣ひとつ帯びぬ女の手が、じっとりと濡れている。それが仲間の血だと気付いた彼は、怒りと恐怖に我を忘れた。


「うわあああっ!」


 無我夢中で斬りかかった男は、その動作を最後まで終わらせることができなかった。彼の眉間みけんを、鋭く尖った何かが串刺しにしたのだ。

 地面に倒れる死体を見向きもせず、女は、残る一人に向き直る。


「持っているものをお出しなさい」

「あ……ああ……っ」

「出しなさい」


 震える手で、男はふところから筒形の書状を掴み取った。女が、満足気に手を差しのべる。

 だが男は、書状を丸めると、口の中に押し込んで飲み下した。


「!」


 女の顔色が変わる。刹那、何かが唸りをあげて闇夜を切り裂き、男の口腔こうこうから路地の壁までを一突きに貫いた。


「……つまらぬ真似まねを」


 冷ややかに言い、女はそれを引き抜いた。息絶えた男の口に、無造作に手を入れ、書状を取り出す。

 しかし、丸め、血塗られた紙は、もはや原型を留めていなかった。

 舌打ちをして、女は書状を握り潰した。立ち去りかけ、彼らが生き返らぬことを確かめるように振り返ると、微風のごとく闇夜に消える。

 その後を、路地の陰から現われたひとつの人影が、追いかけていく。


 しばらくのち、魔法から解かれたように、馬たちが正気に返った。

 馬たちは、主人が背に乗っていないことを不思議に思ったのか、少し戸惑っていたが、やがて足音も高く走り去った。

 彼らの死体が発見されたのは、翌朝のことであった。


  *


 翌日、レイの元に、祖父母からの報せが来た。

 カルディアロスの北西端、旧狗国くこくにほど近い交易都市シュクに住む狗民くみん古老ころう――つまり彼らの長に協力を依頼したところ、こころよい承諾が返ってきたというのだ。


〝こうなれば、統一世界カナンの狗民全員が味方についたといっても過言ではありません。早速、帝都に関する情報を募ったところ、興味深いものがいくつかありました。

 祭主が多くの学者をアイテールに呼び集めていること、そして彼の管轄下である水晶宮に何か秘密の場所があるらしいということです。まだ詳しいことは届いていませんが、分かり次第報告するとのことです〟


 胸踊らせて祖母の手紙を読んでいたレイは、続く文面に、血の気を失った。


〝ひとつ、残念な報せがあります。古老からの手紙を携えた一行が、何者かに殺害されたのです。幸い、別便でも手紙を送ってくださったので、こうしてあなたにお知らせすることができますが、帝都の手が迫っていることは明らかです。

 こうなれば、わたくしたちとの接触も、できるかぎり避けた方がよいでしょう。あなたは、その家にいるかぎり安全なのですから。あなたの身が一番大事です。気を付けてください。あなたの身を誰よりも案じています。

 愛をこめて――マリエル・フィロン〟


 レイは、手紙を握り締め、唇を噛んだ。

 昨日やってきた刺客は総督府へ帰ったと、ソロモンから聞いている。そして今回。

 自分の身だけではない。自分をおびやかすために、祭主は周りの人間から傷つけていく。そのことが、レイには堪えられなかった。


――わたしは本当にここにいていいのか……?


「レイ様。大丈夫ですか?」


 気遣わしげな様子で、イリヤがレイを覗き込んだ。


「お顔の色が真っ青ですわ」

「……いや、大丈夫だよ」

「お手紙に何か……?」


 レイは手紙を机に置き、額に指先を押し当てた。


「古老の承諾は得られたよ。だが……使者が殺されたそうだ」

「では……」

「祭主の手のものだろうな。どこでどう気付かれたものか……」


 レイの顔に深い苦悩の陰を見、イリヤは黙った。無言で、手紙を封筒に納める。


「読んでも構わないよ。貴方なら安全だ」

「私は、あの祭主の娘ですのよ?」


 イリヤは寂しげに言い、手紙に息を吹きかけた。

 手の上で、法力の炎を纏った手紙が、瞬く間に燃えて灰になる。


「油断は禁物ですわ」

「……用心深いな」


 灰の一粒まで丁寧に燃やし尽くして、イリヤは手を払った。


「狗民のことが外へ洩れた以上、ここもいつ何時なんどき、狙われるか分かりません。もっと安全な場所へ身を隠されてはいかがです?」

「どこへ隠れても同じことだろう。どのみち彼の手からは逃れられない」

「まだ、祭主が陛下に毒を盛った証拠もないのです。万が一、共通の敵を相手にしているのであれば、戦うのは得策とは言えません。ここは、狗民の情報が入るまで避難なさったほうがよろしいのではありませんか……?」


 褐色の瞳に、深い心配の色があった。連日情報収集に出ているせいか、彼女の顔には、憔悴しょうすいの色が濃い。

 レイは、怒るでも苛立つでもなく、静かに微笑んだ。


「私はね……イリヤ。命を惜しいとは思わないんだ」

「レイ様……」

「どうせ産まれてすぐ殺されていた身。この世に未練みれんなどあろうはずがない。だけど……」


 レイが、泣き笑いの表情になる。


「だけどね、そんな私のために、誰かが苦しめられるのは許せないんだ。私ではなく……別の誰かが。それを簡単に行使してしまう祭主を、私は許してはおけないんだよ」


 深い蒼の双眸に、強い光が宿っていた。


「イリヤ、私は逃げないよ。最後まで、戦うつもりだ」

「レイ様……」


 イリヤは、かすかに涙ぐみ、レイの手を取った。

 その時、彼女は次の行動をもう、心に決めていた。


   *


 持参した着替えがなくなり、レイは仕方なく、リィナが用意してくれた着物にそでを通した。

 亡き父親のカイルの遺品だというそれは、手触りのよい綿で、ゆったりとした一枚布を細めの帯で結ぶというものだった。

 織りで模様を入れた白地のそれに紫紺の長い袖羽織そでばおりを合わせ、腰に輝破矢かぐはやを帯びて、レイは庭に出た。

 陽光の溢れる庭は、枯れた草木も金色に輝き、新しい季節を間近に感じさせた。

 伸びた垣根の辺りで、ディーンが蒼白の仔猫と話している。

 二人は何やら真剣に語り合い、やがて九曜が外へ消えた。


「どうした、ディーン」

「ああ、ちょっとな」


 ディーンは、らしくもなく言葉を濁した。

 レイは気付かぬふりをしていたが、今朝早く、まだ日も明けぬうちに誰かがこの家を訪れていたようである。何かよくない報せでもあったのかもしれない、とレイは思った。

 ディーンは、レイの思惑など知らぬように、彼女の羽織のえりを直して微笑んだ。


「なかなか似合うじゃないか」

「めずらしく褒めるんだな、セル坊」


 ディーンの顔色が変わる。


「……その呼び方は、やめろって言ってんだろ」

「なぜだ? かわいいじゃないか」


 言いながら、レイの眼は笑っている。

 幼少時から世話になっている[五色屋ごしきや]の女将が、彼を本名のセレスディーンからそう省略して呼んでいたと知ったレイは、昨夜からことあるごとにそう呼んでいる。

 理由はひとつ。彼が恥ずかしがるのがおもしろいからだ。


「そう呼ばれると、脱力すんだよな」

「どうして」

「なにが嬉しくて、二十歳はたちの男が、坊や呼ばわりされなきゃいけないんだよ。しかも、女将にならともかく、おまえにまで」

「……分かった」


 真面目顔でうなずくレイに、ディーンがやれやれと思ったのも束の間。


「呼ぶときは、必要なときだけにしよう」

「必要なとき?」

「おまえが報酬を言い出したとき」


 ディーンが、がっくりと肩を落とした。


「昨日は、あんなにかわいく泣いてたのに……」

「かわいくなくて悪かったな」


 レイが頬を膨らませる。


「連れのねーさんは、今日も外出か?」

「ああ」

「ふうん。毎日御苦労なことだな」


 とげを含んだ言い方に、レイは表情を引き締めた。


「何が言いたい?」

「彼女は、本当に信用できるのかってことさ」

「疑うのか?」

「少なくとも、夜中に他人の部屋に忍びこんで、おまえに近付かないよう警告するやつは、味方とは思えないね」


 レイは一瞬何を言っているのか分からなかったが、彼の真剣な眼差しに、それが自分の知らない事実であることに気が付いた。


「……彼女を中傷するのはやめてくれ」

「俺は、本当のことを言っているだけだ」

「ディーン。わたしは今は、誰も疑いたくないんだ」

「おまえの命が危険にさらされるぐらいなら、俺は相手が神でも疑うぜ」


 レイは、返す言葉もなかった。

 イリヤが、祭主の手によって連れてこられた娘であり、その出自しゅつじ只者ただものではないことも、彼女が今回の反乱に関わりを持っていることも、何かの思惑を持ってレイに従って来たことも、分かってはいた。

 だが同時に、レイに見せる優しさや心遣いが偽りだとは、どうしても思えなかった。


「ディーン。彼女はね……伯父の養女なんだ」

「だったら、なおさら――」

「だからこそ、信じたいんだ。矛盾しているのは分かっている。彼女は、わたしを裏切るのかもしれない。だけど、わたしは彼女を裏切りたくはないんだ」

「レイファス――」

「分かってくれ、ディーン。わたしは彼女が十七の時から知っている。その間、わたしに見せていた顔が全部偽りだったなんて、どうしても思えないんだ」

「……」

「今、彼女は苦しんでいる。わたしには分かるんだ。それがどんな結果を産もうと、わたしは彼女を信じる」


 蒼い瞳に、哀しみともいえる決意の色を見て取り、ディーンはため息をついた。


「頑固者」

「……すまない」


 ディーンは、レイの額を指で小突こづいた。


「馬鹿。本当にすまないと思ってるんなら、おまえ一人で帝都に乗り込もうなんて、絶対考えるんじゃねぇぞ」

「……」

「図星だろ?」


 レイは苦笑した。本当に図星だったのだ。

 ディーンは、レイの頬に手を添え、


「まったく、とんでもない奴だけど――俺は、おまえに剣を捧げた。おまえだけに、だ。たとえ誰が敵であろうと、俺はおまえを必ず助ける。このことだけは、忘れるな。いいか?」

「――分かった」


 レイは微笑んで、ディーンの手をとった。

 その時、ただならぬ気配が門の向こうから起こった。


「何だ……?」


 異常を感じた二人が外へ出ると、そこには、白地の六芒星ヘクサグラムの旗を掲げ、銀色に光る甲冑に身を固めた兵士が集まっていた。帝都正規軍――六芒聖軍ヘクサッドである。

 その数は少ないものの、法術師数名を含め、選りすぐりの戦士を集めたとみえる、ものものしい様相ようそうだった。

 レイの顔色が、さっと蒼褪める。

 ディーンは、レイを背後にかばい、よく通る声で一喝した。


「てめえら、何の用だ!」

「この家に滞在している者に用がある」 

「へっ。金魚のふんみたいにぞろぞろ引き連れて来やがって……! 残念だが、ここには帝都にしょっぴかれるほどの罪人はいねぇぜ」

「罪人などとは、とんでもない」


 貴族らしく、ぴんと顎髭あごひげを整えた中年の男が、外套マントをひるがえして馬から下りた。

 右手を胸に当て、帝都式の挨拶をする。


「カルディアロス総督、バスチアン・コルドバインです。お見知りおきを」


 どこか人を小馬鹿にした笑みに、ディーンは思い切り顔を歪ませた。


「てめえのつらなんざ、見知りたかねぇよ。さっさと用件を済ませな」

「私は、君と話しに来たのではない」


 総督は濃い眉を顰め、彼の後ろに立つ銀髪の若者に眼を向けた。


「私はその御方を迎えに参ったのだ」

「迎え、だと……?」

「そのとおり」


 総督は品よく首肯し、


「伯父上は、何らかの行き違いで誤解を招かれたむね、是非にもお晴らしになりたいと、申されてございます。このようなあばにおいでになる必要はございません。帝都にお戻り下さい」

「伯父の口からそのような殊勝な言葉が聞けようとは、驚きの至り。だが、私はここが気に入っている。残念だが、そのように伝えてくれ」

「それは出来かねますな」

「なぜ出来ぬと申される、総督?」

「陛下が急病の今、代理たる祭主猊下の命令こそが絶対です。従わねば、貴方を逗留とうりゅうさせていたこの家の者も罪に問わねばなりませぬぞ?」


 迎え、などという穏かなものではない。これは脅しである。

 レイの面上めんじょうが厳しさを増した。ディーンが乱暴な口調で反論する。


「おい、おっさん。なに寝惚ねぼけたこと言ってんだよ。親友を家に泊めて、何の罪になるってんだ?」


 総督はいやな笑いを浮かべた。さげすみとしかとれぬ、傲慢の笑いだ。


「君はどうやら存じておらぬ様だが――その方は、帝都に戻らねばならぬ責務がある。そうでございましょう、レイファシェール皇子殿下?」


 妙に芝居がかった口調で、高らかに告げる。

 その言葉の重さがもたらした沈黙は、だが、すぐにあっけなく打ち払われた。


「は……! あんた、なにか誤解してるんじゃねぇのか。ここにいるのは、俺の親友。それ以外の何者でもないぜ?」


 不敵に言い放ち、ディーンはレイに微笑みかける。それだけで、彼が自分の素性を察していたことが分かった。レイは頷き返した。


「――帰るがよい、総督。我々はおのれらに用はない」

「ほう。貴方が皇子であることを知ってかくまったのであれば、彼らも立派な反逆者ですぞ?」

「反逆とはおかしなことを。私は第二皇子にして陛下の忠実なる臣下。陛下に向けられたやいばに逆らって、何が反逆だというのだ。おのれらこそ、仕えるべき主人を誤った反逆者であろう」


 総督の顔から、偽りの笑みが消えた。


「では……いかにしても帰都されるおつもりはないと?」

「そうだ」


 きっぱりと言い切るレイに、総督は意味深長な目つきで、香油で固めた顎髭を撫でる。


「それでは――そのお答えをどう思うか、()()に聞いてみることと致しましょう」


 小気味よく、両手を叩く。


 兵士らの後ろから、両手足に重いかせをつけ、体中傷だらけとなったカルディアロス人の男女が、引きずるように前に連れ出されてきた。[五色屋]の女将ハナと、板前のパイワンである。

 レイとディーンの口から、声にならぬ呻きが洩れた。

 警杖で小突かれ、二人は、素足のまま地面に膝をついた。原型をとどめぬほどれあがった顔が、涙でぐずぐずになる。


「すまねぇよぉ、あんたのこと話しちまったよぉ」

「ごめんねぇ、レイ。店をめちゃめちゃにされて、腕を折るって脅されてさあ。腕折れちまったら食っていけないからさぁ……」

「――よいのだ。二人が悪いわけではない」


 レイはやさしく声をかけ、きつ、と総督をにらえた。


「この者たちは、ただの善良な民だ。開放しろ!」

「しかし、この店は帝都人アイテリアルに対する敬意を失し、反逆的意志が感じられるという申し立てもございましてな……」


 レイは、湧き上がる怒りに、顔から血の気が失せていくのを感じた。


「それは、もう充分むくいを受けているであろう!」

「さて……どうでしょうかな。何事も、貴方の判断ひとつです」


 甚振甚振る(いたぶ)るような総督の物言ものいに、レイは、ぎり、と唇を噛んだ。


「――よかろう。伯父の命に従おう」

「レイファス!」


 ディーンが止める。レイはそれを目顔めがおで制し、


「先に、二人を解放するのだ」

「こちらへ御出で下さい、殿下」

「総督……思い上がるのも、それぐらいにしたほうがよいぞ?」


 宇宙そら色の瞳が、きらりと光る。

 瞬間、ハナとパイワンに向けて見えぬ何かがはしった。が、それはすぐに、二人の周囲で青白い火花となってかき消える。


「!」

「貴方を捕らえるのに、何の準備もせずに来るとお思いですか? 金位きんいを二名揃えているのです」

「なるほどな……」


 レイが微笑んだ。見る者の血を凍らせるほどの、痛烈な怒りの微笑だった。

 途端、嵐のごとく力がレイの身体からほとばり出る。

 それは一瞬にして、術を張り巡らしていた法術師たちを失神させ、ハナとパイワンのいましめを解いた。

 間、髪を入れず、兵士たちが武器を構える。ディーンが抜刀した。――と。


「ならぬ!!」


 雷のごとく大音響が、彼らの脳髄を灼いた。

 銀の髪をひらめかせ、宇宙そら色の双眸を炯炯けいけいと輝かせた皇子は、決然と告げる。


「この場で血を流すことは、私が許さぬ!! 帝都の者よ、退くがよい。私は争いを収めるために、おまえたちと共に帝都へ向かおう。だが、二度とこの大地に足を踏み入るようなことがあれば、レイファシェール・エルピディス・トゥ・アイサリス・ティス・カナンの名をもって、おまえたちを地獄の果てまでも追い詰めるであろう。よいな!!」


 侵しがたいその威厳に、いつしか兵士たちは武器を収め、潮が引くようにひざまずいた。

 総督は、悪魔でも見たように、形のよい髭の先まで震わせて地面に座り込む。

 よろめきながら、ハナとパイワンが、二人の元に駆け寄った。


「すまない。私と関わりをもったばかりに……」

「あたしたちはいいのさ。だけど、レイ……」

「いいんだ」


 レイは首を振り、包むようにカルディアロス人たちを両腕に抱いた。ふわり、と満ちた柔らかな光が、たちどころに彼らの傷を癒す。


「二人とも辛いと思うが、この件はしばらく黙っていてほしい。皇子としてお願いする」

「皇子じゃなくても、約束するよ」

「……ありがとう」


 レイは、もう一度二人を軽く抱き締めると、黒髪の青年を振り向いた。輝破矢を剣帯ごと外し、手渡す。


「おまえが持っていてくれ」

「――必ず、助けにいく」


 レイは微笑んだ。


「分かっている」


 他に語るべきことはなかった。すべての想いを含んだ眼差しが、一瞬固く結ばれ、そして離れた。


 一度も振り返らぬまま、レイは、力強い足取りで六芒星ヘクサグラムの旗に向かって歩き出した。

 兵士たちが、皇子を取り囲み、用意の馬に乗り込ませる。

 レイを連れた六芒聖軍ヘクサッドの一行が、晩冬の陽射しの中を去っていく。

 気高い白銀の髪が消えてなくなるのを、いつまでもディーンは見つめていた。





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