第四話 喋られるようになったので
「おはようございます。ご主人様」
ナイチンゲールよりも可憐な声で俺を目覚めさせたのは、俺の古着に包まれた少女だった。いきなり「ご主人様」と呼ばれるのは慣れないが、それでも驚いたのはたった一夜で喋られるまでに回復したことだ。
元Cランクの冒険者というだけあって素晴らしい生命力を持っている。
ちなみに俺が寝ているベッドと布団も、勇者パーティにいた頃の家具を『万能バッグ』にぶち込んで持ってきたものだ。一人で出し入れするのは疲れたけどね。
少女の部屋には、昨日貸してあげた古着同様、俺が去年から今年までに使っていた布団一式を貸している。使わなくなった理由は『気分』というだけであって特別な理由などない。しかし使えないほどボロボロになっているわけでもないので、こうしてとっといたのを再活用しているだけだ。
「あぁおはよう……もう喋られるんだね……」
「はい、ご主人様にお買い上げいただいただけでなく……声まで治してもらって……。私……もうダメかと……グスッ」
「朝から泣くなよ……。それに……お礼ならいらない。君は俺に買われようとしてアピールして、それに負けて俺が買った。声だって無ければ不便だから治したんだ。ただそれだけ」
「グスッ……本当にありがとうございます。何度感謝してもしきれません……。私、まだ自分の名前すらも教えておらず────」
「ま、君の話は飯でも食いながら聞こうかな」
「あ、す、すいませんご主人様。朝ごはんの用意はその、食材がありませんので作っていません……」
「そりゃそうだろ。まだ『冷凍保管庫』を置いてないから食材は『万能バッグ』の中に入りっぱなしだ。飯なら俺が用意するから君は寛いでていいよ」
「で、ですが、それでは私の立場が……」
「面倒臭いなぁ……」
そう口走った瞬間、首輪が重低音のブザー音を鳴らした。どうやらこれは首輪が爆発する寸前の警告音のようで、少し焦る。
そのブザー音を聞いた少女は青ざめる。あの奴隷商人が言っていたように、俺の意思に反することをしようとすると死んでしまうようだ。
こんな些細なことでもね……。
◇
俺は、何でも入り、何でも保存できる『万能バッグ』から食材を取り出しながら朝食を作った。万能バッグから物を取り出すのは簡単で、"取り出したい物"を具体的にイメージしながらバッグに手を突っ込むと自然とそれが手に握られるようになる。大きいものだとかなり大変だ。
当たり前だが空き家には食器や調理器具なども揃ってないので、それも勇者パーティで使っていた自前のを使う。
「ところで喋られるようになった君に聞きたいんだが、名前はなんて言うんだ?」
俺は細切れにしたベーコンと溶き卵を適当にフライパンで炒めながら、少女と会話を交わす。勿論、俺の情報はできる限り伏せながら一方的にね。
少女は堰切ったように次々と奴隷になった経緯を話し始めた。
名前は『ローリエ』といい、年齢は14歳。
その若さ&可愛さ&Cランクというトリプルコンボにより、自称ではあるが王都ではそれなりに名を馳せていた冒険者らしい。様々なパーティから引く手数多で、将来的には彼女が所属していたギルドのサブマスターくらいまでは出世できるんじゃいかとも噂されていたらしい。ちなみにこれも自称。
だがそれも、Dランクを代表するモンスターである『キマイラ』を討伐するクエストを失敗したことによって、地位も名誉も何もかもが地に落ちてしまった。
不思議なことにそのモンスターには定石が効かなかったという。おまけに野性味がまったく感じられず、まるで誰かが裏で操っているかのようにこちらの攻撃を巧みにいなし、的確にこちらのパーティの弱点を突いて潰してきたんだと。
そのモンスターから辛くも逃げおおせることはできたが、自分以外のパーティメンバーは殺され、自分はキマイラの呪いによって声は失われた。
しかもクエストを失敗したことにより、クエストの依頼主との間で違約金が発生したがそれを払えず、結果として奴隷の身分にまで落とされて、初めてこのフラッド町にて奴隷としてお披露目されたんだとか。
俺は勇者だったから詳しくないが、クエストに失敗しただけで金を払えというのもあるのかと、一つ勉強になった。ローリエもそれまで成功続きだったから知らなかったらしい。
「キマイラが野良キマイラとは思えない」と弁明しようにも声が失われてできず、また字の読み書きもパーティリーダーに任せっきりだったためなし崩し的に奴隷になってしまったんだとか。
ちなみにここで売られるまでの間、あのちょび髭奴隷商人に徹底的に最低限の礼儀作法を叩き込まれたらしい。俺を『ご主人様』と呼ぶのもそのためだ。
あの奴隷商人が読み書きを教えなかったのは簡単に予想がつく。そっちの方が奴隷をお買い上げいただく貴族様からすれば都合が良いからだろう。無駄な知恵や知識など、奴隷にはいらない。
「なるほどね。君も波瀾万丈な人生だったなぁと慰めるべきか、力量を見誤った自業自得と言うべきか」
「どうぞ自業自得と笑ってください。それでご主人様は……どうして私を助けてくれたのですか?」
「そりゃさっきも言ったけど……あの時の君が俺を見つめる瞳は生きることを諦めていなかったからだ。その姿を見て、俺には助けられるだけの金があるのに、ここで見て見ぬ振りをして若い芽を潰すのは良心が傷んだのさ。後味悪いなって。あとは、せっかく俺が自由を手に入れたのに、不自由な君を見て無性にイライラしたからかな。……もう二度とあんなことはしない。君が最初で最後だ」
「そう……ですか……」
少しがっかりしたような表情を見せたが、どうやら俺の言葉に納得したらしくそれ以上は追及してこなかった。ローリエは他にどんな回答を望んだのだろうか。
「さ、朝食ができた。パンとベーコンエッグに食後の紅茶だけだが、これを済ませたらフラッド町に行こう。ローリエ、君の服と日用品を買わなければならない」
ローリエは未だに下着代わりとして襤褸切れを纏い、その上に俺の古着を羽織っている。残念ながら、俺のバッグには女性が着られる服はないため彼女の服を買う必要があるのだ。こういうときフェンネルがいたら楽だろうとは思うが……いかん、もう勇者パーティとは手を切ったんだ。考えないようにしよう。
「そんな、私のために時間とお金を使うなんて……。私は襤褸切れのままでも……その、ご主人様の奴隷ですし……」
「……何か勘違いしているようだが、君を奴隷としてこき使うつもりは一切ないぞ」
「え……?」
「いや『奴隷として使わない』と一括りにしては語弊があるな。『世間一般的な奴隷の使い方はしない』という意味だ。ちょうど良いから今後の君の待遇について話そう。まず俺が君を買ったのは、さっきも言ったが良心が傷んだから。これが大きな理由だが、実は下心もあったんだ」
「下心……じゃ、じゃあまさか……! ポッ」
ローリエは頬を赤くして照れるように顔を手で覆った。
……明らかに変な勘違いをされている。
「君が想像しているように性処理としてでもないからな。昨日も聞いただろう。君が元Cランク冒険者かどうかが重要だって。おそらく君は、将来的にはA……上手くいけばSランクの冒険者になれるまでのポテンシャルを秘めている。……と、俺の勘が告げている」
かつて《斥候の勇者》として勇者パーティを下支えしていた頃の経験則に従えば、おそらくローリエは大成するだろう。
何を隠そう、実は勇者パーティも、困難な敵にぶつかった際に現地の冒険者の力を借りることが多々あった。
そんな時、ローリエのように幼い年齢で我々勇者に追いつく、もしくは肩を並べるほどの実力を持った少年冒険者に会ったことがある。そうしてその少年冒険者の力を借りながらモンスターを打ち取り、分け前を分配してバイバイしたのだが、その後聞いた噂によるとその少年冒険者には勇者の素質があったらしく、勇者候補として王都に迎え入れられ『遺物』の授与式までされたそうだ。
勇者候補は『遺物』の使い方を模索しながら、半年くらい王都で最低限の文字の書き取りやマナーや知識を叩き込まれて我々勇者パーティに迎え入れられる。結局その少年冒険者が入る前に勇者パーティを離れてしまったのだが……まぁ今となってはどうでもいい。
大事なのは、もしかするとローリエも化け物染みた実力があるのかもしれないということだ。
格下であるキマイラに負けた────という事実から目を逸らす必要があるけどね。
「まぁつまり青田買いだよ。君の実力を見込んで、フラッド町の冒険者になって高ランクまで行き、高収入を安定して得られるようになってもらう。そしてその稼いだ金は俺の懐に入ってくるって寸法さ。君を奴隷として買ったのはあの時見過ごせなかったからであって、そのあとは適当に放す予定だったんだけど、急に放したらローリエだって困るでしょ? だからとりあえずの将来設計の一つとして、そういう生き方をしばらくしてもらうね」
「なるほどそんな考え方が……」
「あぁそれと、薬代の50万ガルを稼いでくれたら自由になっていいよ。今、首輪の鍵を渡してあげてもいいけど……さすがにそこまで俺はお人よしじゃないからごめんね」
「ほ、本当ですか!? 奴隷からの解放……しかし私にはもう戦いたくても装備が……」
「ローリエはパーティ内で何の役割を担当していたんだ?」
「私は剣士でした」
「それなら重畳。装備があるぞ」
俺はバッグから一振りの剣を取り出した。青く、半透明に透き通るその刀身は美しく、鋭く研かれた切っ先は見る者の心まで切り裂いてしまいそうだ。
「それ……オリハルコンの……剣……」
「知ってたか。さすが元Cランク冒険者」
ローリエは目を丸くして驚く。
中堅とされていえるCランクの冒険者であっても、オリハルコン鉱石を見ただけで判別できるのは極稀だろう。オリハルコンはかなりレアリティが高い鉱石であり、万年上級鉱山のダンジョンに潜ったとして、一度でも実物をお目にかかれれば幸運であると言われているくらいだ。
ちなみにこれは退職金がてらかっぱらったのではなく、大枚をはたいて買ったれっきとした俺のコレクションである。
今更ではあるが俺には収集癖がある。
『解呪薬』のように現地で集めた素材を自ら煮詰めて作り上げたものから、王都のオークション会場で売られていたこの『オリハルコンソード』など、希少価値の高いものを収集したがるのだ。
フェンネルからは「悪癖」と揶揄されて勝手に財布の紐を絞められそうになったが、それでも止まらなかったのだから仕方がない。家・土地代、それからローリエを買った分を差し引いて550万ガルの貯蓄があるが、コレクションを全部売っぱらったらその数百倍は手元に転がり込んでくるだろう。
「私が見たこともない『解呪薬』と言い、ご主人様はそれをどこで手に入れたんですか……?」
「そうだな、初めて君に命令を下そう。"俺の過去は詮索するな"だ」
「……承りました」
「うん、聞き分けがよくて大変よろしい。後は『モリア銀』で作られたメイルもあったが……そこまで全身ガチガチに固めるとギルド職員とか冒険者に出所を怪しまれそうだな。オリハルコンソードは適当にボロい鞘に入れりゃ中身は誤魔化せるし、君がソロで活動すればバレることもあるまい」
「しかし、恥ずかしながら私は読み書きができないのでクエストの受領が……以前はリーダーに頼っていたもので……」
「あぁそれは大丈夫だ」
俺は『万能バッグ』から目新しい一冊の本を取り出した。俺が勇者候補生の頃に入る前に使っており、また後学のためにととっておいた『読み書き上達指南書』だ。
「今から一週間で基本的な読み書きはできるようになってもらうから」
「い、一週間で……ですか……?」
「みっちりやりゃあできる。二度目の命令だ。一週間で最低限の読み書きを覚えろ」
今日二回目、ローリエの顔が青ざめた。