第十一話 いるものと、いらないもの
「ユウト、はいこれ」
俺はフェンネルから酒の入った杯をもらった。
フェンネルの背は俺よりかなり低く、逆に髪は長く伸びていて、勇者として戦い始めて間もない頃の彼女だった。
多分これは、勇者パーティに属して初めて魔族と戦い勝利した時の祝勝パーティの記憶だろう。懐かしい夢だ。
「今日は《ハイ・ウルフ族》との戦いだったけど何とか勝てたわね……」
「代わりに《槍の勇者》と《炎の勇者》が犠牲になったけどな」
俺は夢だと分かっているからフェンネル相手だろうと遠慮なしに冷たく言い放つ。
勇者パーティに入りたての頃の俺たちは青かった。だから突貫する《槍の勇者》を止めきれず、そして背後に回られたハイ・ウルフに《炎の勇者》が殺されるのを許してしまった。
これをきっかけに俺とフェンネルは慎重に慎重を重ねるようになったのだ。
「冷たいわね」
「無駄な犠牲ではなかったさ。あいつらが死んでから、俺たちは『命は一つだけ』という自覚が芽生えたんだから」
「俺たちって言っても、私とユウトだけだけどね」
フェンネルはいきなり、三か月前に別れたばかりの姿に成長していた。俺が過去とは反るような発言をしたからだろうか。
フェンネルの言う通り、慎重になったのは俺とフェンネルだけで他の奴らは今と変わらない態度だった。
「勇者としての鍛錬を真面目に積まなかったから死んだ」だの「魔族を侮っていたから死んだ」だの、言いたい放題だったな。
不謹慎とは言わない。それらは実際に事実だったから。死んだ二人は自身の力を過信したがために立ち位置を誤ったから死んだのだから。
だがその「死」に何も感じないというのは無頓着すぎないかと怒ろうと思ったが、それは思いとどまった。
多分、感覚が麻痺していたのだろう。
なんもない平民や貴族として平和を享受していたのに、いきなり勇者としての素質があるからと子供なのに親元から離れ、無理矢理勉強や訓練を積んで、それで勇者候補生を抜け出し晴れて外界に出られると思いきや魔族との戦争に駆り出されるのだ。
精神が歪んでも仕方がないのかもと同情する余地はある。
……まぁ俺とフェンネルがまともなので、元の人格がアレだったという可能性の方が高いのかもしれないが。
「ねぇ……ところでユウト────」
祝勝パーティの楽しい雰囲気はどこへやら、ふいに景色がすべて消え失せ真っ暗になる。
そしてフェンネルの瞳も黒に染まっていた。
「その女────誰……────?」
◇
「ううん……」
夢を見ていた俺は妙な圧迫感を腹の上に感じて意識が覚醒する。しかしまだまだ眠いので目は閉じたまま、腹の上を手で探り圧迫感の正体を探ることにした。
そうして手を伸ばした時、なにか柔らかいものが手に触れる。
「やん♡」
嫌な予感に駆られながら目ヤニで張り付いた目を開けると、あおむけで寝ていた俺の腹の上に寝間着姿のリコリスが乗っていた。そして俺の手は、どうやら彼女の腹肉をムニッと掴んでいたらしい。
「おはようマスター様☆ 積極的だね!」
「おはようって……まだ陽も出てないじゃないか……。なんだよリコリス……」
俺は手を引っ込めて、腹の上に乗ったリコリスを余ったスペースにずらしながら寝返りを打った。まさか寝込みを襲いに来たわけではあるまい。そういう危い思想をもっていれば首輪が反応して爆発するだろう。
「マスター様、私がどうして人間と戦うのが嫌いか知りたい?」
「うん……?」
俺は布団にくるまれながら、寝ぼけた頭をたたき起こしてその言葉の真意を探る。
それは昨日の話だったか。
珍しく彼女と二人きりになった時に、「冒険者としてモンスターと戦うのは平気なくせに人間と戦うのは嫌なのか」と聞いたことがある。
その時は適当に笑って誤魔化されたが、俺はそれを追究することもしなかった。「話してくれるなら話してもいいよ」というスタンスで聞いたからだ。別に話してくれなかったからと言って待遇を変えるつもりはない。
しかしどうやら、一晩深けた今になってその理由を教えてくれるらしい。
「まぁ教えてもらえるなら教えてほしいが……嫌なら話さなくてもいいんだぞ?」
「……ちょっと考えたんだけど、マスター様は私とエルダーが本気で嫌がることを押し付けたりしないじゃない? それに、奴隷である私達を蔑ろにしないし……色々と良くしてもらってるから教えてあげてもいいかなって思ったの☆」
そう言ってリコリスはパチリとウィンクした。
「マスター様、私ね」
そして意を決した彼女は語りだす。
窓から差し込む月の明かりに照らされた紅い瞳が妖艶に光る。
「私ね……────実は人間とヴァンパイアのハーフなの」
「だろうな」
「驚いたでしょ────え?」
「いや、そうじゃなかろうかとは薄々感じていたぞ。ヴァンパイア一族で由緒ある血統の家系に生まれた。それなのに人間を殺さないだけでそんな簡単に追放されるのはおかしな話だからな。それに本来ならヴァンパイア一族は、その紅い瞳に太陽の光が色濃く映るから日中は表に出ずらい。けどお前は日中に何の問題もなく行動できているだろう? だから怪しいなぁとは思っていたんだ」
俺は布団に包まったまま要点を掻い摘んで話す。伊達に勇者パーティに在籍していたわけじゃないんだぞこっちは。
魔王の手先である《魔王の軍勢》については、俺が勇者候補生の頃に徹底的に頭に叩き込まれている。
ヴァンパイアは、《魔王の軍勢》の中で特別な立ち位置にあり、なんと戦の手柄よりも血筋に重きを置いている一族だと聞き及んでいる。
血統を重視する一族が、たかだか「人間を殺せないから」というだけで追放されるのはおかしい。たったそれだけで純血を手放すはずがない。おそらく別の血が混ざっていたことが決定打となったのだろう。
それにそもそもの話、戦争相手である人間を殺せないというのが引っ掛かっていた。同族意識でも感じていない限り無理だ。
────現に俺は、人の形をした魔族を殺してきた。
以上を踏まえた上で「人間とヴァンパイアのハーフ」と考えるのが一番しっくりくる考えだったから、そうじゃないかと憶測していただけに過ぎないが、どうやら当たりだったらしい。
「そ、そこまで見破られてたんだー……そっかー……☆」
「あくまでも憶測だったがな。それでどうして話す気になってくれたんだ?」
「……マスター様が元勇者だってこっちが一方的に知ってるのはズルいから。ただそれだけよ」
珍しく『☆』を外しながら真面目に話すリコリスに、ちょっとドキリとした。
いつもそういう真面目な態度にしてればもっと俺からの待遇を良くしてあげようと思えるのに────。
「────ついさっきまでの俺はそう考えてたんだけどな」
「へ……?」
「リコリス、俺はあまり人の過去を詮索したくない。なぜなら俺自身が詮索されたくないからだ。けれど少し気にかかっていることがある。それはお前が普段お道化ている態度についてだ。それについて俺の憶測を語ってもいいか?」
「……マスター様は奴隷である私に許可を求めるんだ☆」
「散々お前の同胞を殺してきた元勇者の癖に生意気だとは思うだろうが、俺は話が通じる相手とはフェアでありたいと思っている。だから無理に俺の話を聞けとは言わない。答えたくないなら答えなくてもいい」
「フェアねぇ……。奴隷とマスター様の立場は元からフェアじゃないんだけど……ま、言うだけ言ってみなよ」
リコリスの纏う雰囲気が、真面目なものから冷淡なものに変わった。過去に踏み入るならそれ相応の覚悟をしろということだろう。
そして多分、これが彼女の本性なのだ。
けどその本性を抑えて、普段みたいなおどけた態度をとり続けた理由はただ一つ────。
「俺の結論はただ一つ────……寂しかったんだろうお前は」
「ッ……どうしてそう思うのかな?」
右腕を左手で擦りながらリコリスは真っ直ぐに俺の瞳を見つめて言った。
「ついさっきリコリス自身が言っただろう、『人間とヴァンパイアのハーフ』だって。それでピンと来た。……反応を見るにそれ以上は語る必要もないだろう」
「そう……ね……」
リコリスは俺の意図をくみ取ってくれたようだ。
彼女は『人間とヴァンパイアのハーフ』であり、追放されるまではヴァンパイアとして生きてきたに違いない。だが自分の体に半分血が流れている人間を殺すことができず、かと言っていつまでも真面目にヴァンパイア然と振舞うには矛盾が出てくる。
人間とヴァンパイアの板挟みにされ、自分の立場を葛藤していたことだろう。
────だから自分を偽ることにしたんだ。
"混血のリコリス"を捨てて、虚像である"まともな会話のキャッチボールができないちょっと抜けてるリコリス"を演じ続けてきた。
それが先ほどの彼女の態度で白黒はっきりついた。なので、わざわざそれを口にだして語る必要はあるまい。
真の自分を殺し続けて、お道化てバカなもう一人の自分を演じ続けるのは苦悩の日々だっただろう。
俺には想像もつかないほどの歳月を、嘘とまやかしで周囲を欺き、偽りながら生きてきたのだ。
本当なら声を大にして言いたかったに違いない。
────「本当の私は混血なのよ」と。
だが環境と境遇がそれを許さなかった。きっと周囲に打ち明けられる相手はいなかったのだろう。悲しいことにそれだけだ。
「……貴方からは、さしずめ本当の道化に見えていたでしょうね。面白かったかしら?」
「さあな……ただお前に一つ言っておくことがある」
「なぁに?」
だが、今は違う。
「過去を捨てろとは言わない。だがここでは背負う必要もない」
ここは血統が全てのヴァンパイア領でもなければ、《魔王の軍勢》を抹殺する勇者パーティの陣営でもない。
「ここでお前が奴隷である限り体裁を偽る必要はない」
スローライフを送りたいと願う、謎多き一般市民が主の、ただの民家だ。
「笑うのも泣くのも自由にしろ」
だから、今にも泣きだしそうなその悲しい目はやめてほしい。
「────それを咎める奴は俺が黙らせてやっからさ」
「……ッ!!」
リコリスは息を詰まらせ俯いたあと、寝っ転がっている俺の胸にぽすんと顔を埋めてきた。俺は拒絶することなく絹のように滑らかな銀髪を優しく撫でた。
「……ズルいなぁマスター様は……ズルいよ……本当……」
「《斥候の勇者》として生きてきたんでね。多少はズルくないとやってられないのさ」
俺のスローライフに苦しみや悲しみはいらない。
もっと気ままに楽しく生きてほしいというのは、俺のくだらないエゴだ。




