第九話 増えた居候(奴隷)
俺は耳を疑った。檻の中にいる獣人の女が俺を指さして"勇者"と断定したのだ。
「ッ────……いや違うけど……何? 新しい誘い文句?」
俺は極めて冷静に勤めながら訪ね返す。一切の動揺は現れていないから奴隷商人からも怪しまれていないはずだ。
遠巻きに眺めていた野次馬も奴隷に目が行っているだろうから、話している内容までは聞こえていないはずだ。
「ねえねえエルダー☆ この人多分《斥候の勇者》様じゃない?」
「え……あ、本当だ。《遺物》であるグローブがなかったけど《斥────」
「幾らだ……」
「へ?」
「こいつらは幾らで買えるのかと聞いている!!!!」
俺はヴァンパイアと獣人の女性を指さし、小声で商人に怒鳴った。
どこで会ったのかは覚えていないが、彼女たちは俺が《斥候の勇者》だったことを知っている。これ以上こいつらに余計なことを吹聴されては溜まったもんじゃない。順風満帆な俺のスローライフ生活にひびが入りかねん。
「おぉ、ということはお買い上げになられるのですね!?」
「ほらあの反応☆ やっぱりあの人勇者────」
「買うよ! 買うから値段を教えてくれ!」
おかしい。
俺は買う側の人間なはずなのに、まるで奴隷であるはずの二人に手綱を握られている気分だ。
「二人とも異人、なおかつ処女ということで値段は上がりますし……二人合わせて200万……いや300万はくだらないでしょうなぁ?」
「もってけ泥棒!」
俺は万能バッグから巾着袋を三つ放り投げた。一つに100万ずつ入っている。
奴隷商人が金を数えていえる間、ヴァンパイアと獣人はニコニコと笑みを絶やさずにこちらを見ていた。くそッ、こいつら俺が勇者であることをひた隠しにしてることに気づいて謀りやがった!!
「確かに300万ガルちょうどをいただきます。では、こちらが首輪と鍵になりますね」
商人から首輪を受け取った俺は、まずは檻から出されたヴァンパイアに首輪をつける。そして獣人にも首輪をつけた。それを確認した奴隷商人が縛っていた縄を解く。
これで晴れて二人とも奴隷だ。
「へへっ、ありがとうございます旦那様。それでは自分はこれで。次もよろしくお願いしますね」
……そして晴れて俺も、奴隷商人のお気に入りリスト確定してしまった。
トホホ……こんなはずじゃ……。
◇
「ご主人様ただいま帰りまし────……誰ですか? その二人……」
クエストから帰ってきたローリエが早々に、襤褸切れを纏う奴隷二人に質問をする。ウキウキでドアを開けていたのに、二人を見た瞬間心なしか目が虚ろになった。
「新しい奴隷二人だよ。じゃあ挨拶よろしく」
「リコリスでーす☆ ヴァンパイアやってまーす☆」
「エルダーです……その……獣人です……」
八重歯と紅い瞳が特徴的なのがリコリス。
同年代の女性平均よりかなり身長の高い獣人がエルダー。
若干一名、奴隷とは思えないほど底抜けに明るい挨拶をされたが概ね正しい自己紹介と言えよう。ローリエは襤褸切れを纏い、暖炉のソファに座る二人をジロジロと値踏みした後にこう言い放った。
「……二人とも私よりも胸が大きいんですけど? 身長も高そうなんですけど? 全体的に発育が良いんですけど!?」
「そりゃ二人とも年がお前より上だからな」
「ご主人様は……幼い私に飽きて同年代に浮気ですか……?」
「……いやそもそも結婚はおろか付き合ってすらいないのに浮気ってなんだよ、まずそこからちげーっつの」
俺はローリエに説明する。二人はローリエを売っていた奴隷商人から買い取ったのであり、理由は良心の呵責に耐えられなくなたからだと。
……勿論実情は違う。
俺が元勇者であることを口外しないよう口封じするために買ったのだ。
ここでどこかの奴隷として買われていき、そこで「フラッド町に《斥候の勇者》がいる」と口を滑らせてみろ。俺のスローライフは水泡に帰すこと確定だ。
追放された俺がどこに行ったのか、それは新聞などでも常に議題に上がる疑問の種であり、あまりにも《斥候の勇者》がどこに追放されたのか情報が無さすぎることから、世間では「もしかしたら勇者パーティと不和が起きて誤って殺してしまい、それを追放という形にしたのでは」なんてゴシップまで流れ出している。
ここまで俺という存在がなかったことになっているのだから、わざわざ「俺はここにいまーす!」なんて自発的に声を上げる必要もない。そのままでいいだろう。
ちなみに二人が俺を勇者だと知っていたのは、二人揃って同じ戦場で俺を見かけたことがあるかららしい。こそこそと陰に動く《斥候の勇者》だったのによく覚えていたもんだ。
「らしい」というのは、俺から二人を見かけたという記憶がさっぱりないからで、そこら辺の詳しい事情を聴く前にローリエが帰ってきてしまった。それらはあとでこっそり尋ねるとしよう。
ちなみにちゃんと口止めはしてある。……ある程度の自由を保障するという約束を交わしてね。元からそのつもりだったので大したデメリットにはならない。
「ふーん……。獣人は良いとして……そっちはヴァンパイアなんだ……」
スラリと、ローリエはボロボロの鞘からオリハルコンソードを抜いて切っ先をリコリスに向ける。その表情はどこか狂気を帯びている。
「ヴァンパイアなら殺してもいいですよね……? だって人類の敵ですから……」
「ヒッ! ごごごご主人様! この子本気で私を殺す気なんですけど!?」
「らしいな。まぁ落ち着けローリエ、これからお前の仲間になるかも知れないんだから。あぁ仲間というのは『奴隷』としてではなく『冒険者』としてだ」
「な……冒険者の仲間ァ!? 正気ですかご主人様!?」
本気も本気である。
口封じのためとは言え買ってしまったものは仕方がない。ペットとして扱うつもりは毛頭ないが、買ったのならば独り立ちできるようになるまで面倒を見るのが筋ってもんだ。でなければ後味が悪い。
じゃあ普通の奴隷として使えばいいと思うかもしれないが、ヴァンパイアと獣人────この二種族は人間と比べて身体能力や魔力が高い。それをただの奴隷として使うには惜しすぎる。
よってこの二人には、第二第三のローリエになってもらおうという算段だ。それぞれ合わせて300万ガルを稼いだら首輪を外すし自由にすることも確約済み。
しかしその前にある一つの疑問がある。
「……ところで、奴隷商人が言っていたが、エルダーは勇者パーティが次に攻略しようとしていたダンジョンをヴァンパイアであるリコリスに教えたっていうのは本当か?」
「え!? ご主人様、それが真実なら大罪じゃないですか……!」
「そう、勇者たちがダンジョンを攻略開始してからなら言いふらすのは自由とされているが、攻略する場所を嗅ぎつけて、あまつさえそれを敵陣営であるヴァンパイアに喋ったとあらば、本来なら奴隷どころじゃ済まさない大罪……最悪死罪にもなる。でも……こいつは奴隷で済まされている。なぜだ?」
俺が奴隷商人から二人を奴隷として捕まえてきた詳細を聞いたとき、少し引っ掛かりを覚えた点がここにある。
人類の救世主である勇者達の動向を魔王側に漏らすなど論外。スパイならば即裁かれ軽くとも牢屋行き、最悪死刑にもなりかねない。しかしなぜ奴隷だけで済まされているのだろう。
"奴隷"というのは、罪の裁きとしては比較的軽い方だ。
というのも、敵地から戦利品として持ち帰ってきた《戦争奴隷》は、奴隷としての在り方に規約や規定などはない。兵士たちの士気を保つため文字通り好き勝手にしていい。
しかし罪を犯し裁かれた《普通奴隷》であれば話は別で、こちらは雑務などに励む奉仕作業が中心であり倫理を無視した嗜好目的で虐げるのは禁止されている。ちなみにローリエもこちら側。奴隷側にもある程度身の安全が保証されているのだから、最初から俺に警戒心を抱かなかったのはそのせいだ。
……まぁ《普通奴隷》であっても比較的マイルドならば性的行為に及んでも黙認されているが。
だからあの奴隷商人は"処女"であることを猛アピールしてきたのだ。
よって《普通奴隷》は軽い。機密漏洩にしてはただの奉仕なんかで済まそうとするなど軽すぎる。裏でなんらかのからくりがあるに違いない。
「わ、私は確かに勇者パーティが私たちの近くに来たことを匿っていたリコリスちゃんに喋りました! けれどそれは、私たちが捕まるずっと前の話であって、リコリスちゃんは人類の敵なんかじゃありません!」
「……どういう意味だ?」
「リコリスちゃんはこれまでに一度も人間を殺したことはありませんし、人間と魔王との戦に一度たりとも介入したことだってないんです! だから私はリコリスちゃんとお友達になれたんですから!」
少しずつ、彼女たちの過去が紐解かれていった。
曰く、リコリスの家系は由緒正しきヴァンパイア一族出身で、本来ならばリコリスも人類に牙をむく存在でなければならないのだが、リコリスは人間を殺したり血を飲むことに躊躇いがあり戦に参加することを拒み続けたらしい。
そのせいでリコリスだけが魔王領から追放されてしまい、行く当てもなく森の中をさまよい続け、そこで出会ったのが獣人のエルダーだった。
リコリスの身の上を聞いたエルダーは不憫に思い、彼女を家に招待して匿って生活を続けてることを決意する。しかし数か月続いたある日、勇者の一団が彼女たちが住まう森にやってくるという話を聞きつけて遠くへ逃げ出そうとしたんだとか。
俺を勇者として知っていると言っていたがおそらくこの時に俺を見かけていたんだろう。そういえば勇者パーティにいた頃、獣人が住まう森に訪れた記憶があるわ。しかし《斥候の勇者》らしくフードをしていたのにしっかり顔を覚えられていたとは、さすがの動体視力と記憶力だ。
リコリスは自身が囮になることを提案するも、エルダーはそれを拒否して「一緒に逃げる」だの「二手に分かれたほうがいい」だのと少しだけ揉めた。
────結果、二人してあえなくお縄を頂戴してしまったらしい。
しかしながらエルダーとリコリスの調査が進む内に、ただ匿っていただけということ以上の情報は何も出ず、罪状は一緒に行動していたことから適当に"機密漏洩"ということにされてしまった。
だが探せど探せど漏洩を裏付けるような確固たる証拠がないため死刑は免れることに。しかし一度決めた罪状を変えるのも「面目がたたないから」という理由で、あえなく「機密漏洩で奴隷の身分」に帳尻を合わせられた────というのが彼女たちの言い分だ。
「なるほど……。確かに筋は通っているしそれが真実なんだろう。けどエルダー、君はリコリスに敵性がないと判断したようだがヴァンパイアを匿ったんだぞ? もしもいきなり本能が目覚めて人間を襲い始めたらどうするつもりだったんだ?」
「それは大丈夫だゾ☆」
「……俺はエルダーに聞いていたんだが……まあいい。なんでだリコリス?」
「そんなの簡単簡単☆ だって私はそんなことしてないから☆ 血だって飲んだことないんだよ?」
「……」
さっきから視線の端に『☆』を飛ばすのはいい。こういうタイプには免疫がないし会ったことすらないのだが、俺が気にしなければいいだけだからな。
しかしこういう答えにならない答えを返してくると────少々イラっとする。
「あっ」
そのせいで重低音のブザーがリコリスの首輪から鳴る。
「もうリコリスちゃん、奴隷になったらそういう喋り方はやめなさいって奴隷商人さんに散々言われたじゃない。元勇者様だって────」
ブーッと、今度はエルダーの首輪からブザーが鳴った。
俺が元勇者であることは伏せて生活しているし、ローリエにだって内緒にしているのだ。だから俺が元勇者であることを匂わせる発言はタブーにしている。
しかし首輪の警告音が鳴ったのを見たローリエはなぜかニヤついている。いや君も鳴らせてたからね?
「……ローリエとは違って結構踏み抜いてくるね二人とも。要するに、エルダーは根拠もないのにヴァンパイアであるリコリスを庇って、それで二人とも仲良く奴隷落ちか……」
少し皮肉っぽく喋ってしまったが、内心では少しだけ「良い関係だなぁ」と思ってしまった。
俺には友と呼べる人物は、勇者パーティの中には《弓の勇者》フェンネルくらいしかいなかったからだ。最も彼女が俺を友として認識していたかどうかは不明だが。
だから少しだけ二人の関係が羨ましい。
初めて会ったときは慈悲の心で救っただけに違いない。だが過ごしていくうちに慈悲は同情へと変わり、同情は友情へと変化していったのだ。
ここに断言するが────二人が育んできた友情は本物だ。本物だからこそエルダーはリコリスと共に、奴隷にまで落ちることを受け入れ、リコリスもまたエルダーに迷惑をかけないよう囮を買って出て彼女を逃がそうとしたのだ。
これを美しい友情と言わずしてなんと言おうか。
「二人の事情は分かった。ローリエ、今のを聞いてお前はまだ敵対関係であろうとするのか?」
「……エルダーさんは良いでしょう。とても誠実で善人だということが分かりました。────しかしそちらのリコリスさんはまだ信用しかねます。ご主人様に対する口調や態度がアレですので」
「……私もいきなり刃物を突き付ける人は信用できないかなー☆」
二人の間でバチバチと火花が散り、エルダーが間に割って入ってリコリスを宥める。
その光景を見ていたら内なる俺が囁きだす。「ほうれ見ろユウト。お前が考えなしに奴隷を買ったせいで、お前の大嫌いな喧嘩が始まり内部分裂が起こるぞ」ってね。
「……俺は何のためにここまで来たんだろうなぁ」
火が消えかかっている暖炉に薪を放り投げながら、ロッキングチェアに深く腰を下ろした。
どうやら神様は、俺がスローライフを送るにはまだまだ早すぎると判断したみたいだ。




