誰も知らない秘密の花園
以前投稿させていただいていたものに加筆修正いたしました。
ジャンルをホラーにしていますが、微ホラーと言った感じで、そんなに怖くないと思います(レベル・マックス10で1か2くらい)。
お時間いただけましたら、お読みいただけますようお願いいたします。
「今日は玲奈さん、調子良いみたいです」
毎日午前中に玲奈の診察をする女医の森原はそういってカルテを記入する手をとめ、こちらを振り向いた。
窓の外にはよく手入れされた庭があり、色とりどりの花が、特にこの季節は、何十種類もの薔薇が咲き乱れていた。
まさに花園であった。
「いつもありがとう。あなたには感謝している」
新藤隆夫はそう女医に声をかけた後、玲奈のそばへ行き、その手を握った。
「…………お父様」玲奈が新藤に呼びかけた。
「うん?なんだね」
「また昨日、妹が急に倒れて…………それから帰ってこないの。…………いままでで一番仲良しの妹」娘の寂しそうな顔を見ながら、新藤はこう答えるしかなかった。
「ああ、すこし入院することになった。心配いらないから」
新藤は玲奈の部屋を出て、先に廊下に出て待っていた森原に苦悩の表情を見せた。
「結局、また途中で終わったか…………」
森原は姿勢を正し、緊張した表情で言った。「はい、なかなか完成には至りません…………。申し訳ないとは…………」
新藤は答えた。「別に君を責めているんじゃない。ただ、玲奈の体がいつまでもつか…………」
「はい…………」森原もうなだれた。
新藤は国内有数の医療機器メーカーの経営者だった。資産は巨万と言って良いほどであった。だが、新藤は世俗的な成功と引き換えるように、その私生活では不幸続きだった。
まず、結婚して程なく妻が妊娠したが、その後間もなく庭で転んだのが原因で流産してしまった。すぐに2度目の妊娠が判明したが、喜んだのも束の間、今度は4か月目で胎児の心音が止まってしまった。それからは、妊娠しては流産の繰り返しで、最後に、大事を取って何とか出産には漕ぎ着けたが、産後間もなく、突然の心臓発作で、妻は26歳の若さで亡くなってしまった。残された娘は玲奈と名付けられたが、生まれつき心臓に欠陥があり、このままでは長くは生きられないだろうと診断されていた。
――――そんな時、不妊治療以来、何かと世話になっている森原医師からある方法を提案されたのだった。
新藤は森原と別れた後、仕事へ戻るために乗った、運転手の操る車の後部座席で、あの日のことを思い出していた。あの、苦悩に満ちた日々の始まりの日のことを――――――――――――。
「お嬢さんの心臓の問題については、専門の医師から説明があったと思いますが、完全にご理解いただけましたか? 」妻を失い、失意のどん底にあった振動に森原は問うてきた。
「ああ、理解できていると思うよ」新藤は玲奈の誕生に続く、妻の死………天国から地獄へ落とされる数日間を味わい、また、その死を悲しむ暇もない、様々な後始末で心身ともに参っている状態だった。
「心臓移植しか道は無いってことだな」新藤は自暴自棄とも思える、投げやりな言い方で答えた。
「はい。ただ、心臓移植と言っても、必ずしも全てが良い結果を産むわけではありません。まず第一に、ここまで年齢の若い、しかも適合するドナーを見つけるのは至難のわざです。他にも怖いのは、移植した後の拒絶反応です。事前の検査で何ら問題がなくても、それは突然起こりえる。高感査を引き起こせば2度目の移植は難しく、即、死に至ることも考えられます」森原は続けた。「一番良いのは一卵性双生児からの移植だといわれています。もちろんそれはほとんどの人にとって不可能なことです」
新藤は不思議な感覚に包まれていた。
森原香苗医師とは長い付き合いだ。主に妻の主治医として診察に当たっていた。女同士ということで妻とは親しく言葉を交わし心の交流もあっただろうに、森原は…………妻の死を、悲しんでいるようには見えなかった。
それどころか、今、森原は、今まで彼女が見せていた、無表情で無機質な瞳の奥に、初めて何か、意志らしい輝きを見せていた。
その輝きは…………物陰から獲物を狙う動物を思い出させ……………弱った新藤の心は、それが何であるのか見極めることができず、ただ、ひそかにおびえ、それを相手に知られまい、と虚勢を張った。
しばらく言葉を切ったのち、森原はおもむろに、「そこで」、と言い次のように続けた。
――――――――それはまるでネコ科の動物が、静かに、しなやかに獲物に忍び寄るように。
「玲奈さんのクローンを作るという方法をご提案したい」
「なんだって! 」
予想外の森原の発言に、新藤はおもわず大きな声を上げていた。森原は眉一つ動かさずつづけた。
「玲奈さんには、出生時に私の指示で保存してある、臍帯血からの万能細胞、幹細胞があります。従来の方法よりずっと精度の高いものが作れるはずです。成功するか否かは賭け、の部分も多いですが、たった一人のお子さんのため、私にやらせてみてはいただけませんか? 」
新藤は迷った。
もちろん心から、思う。妻の残した忘れ形見、たった一人の娘のためにできることはすべてやってやりたい。だが、クローンというのは…………結局、人間ではないのか?玲奈の細胞を培養するというのは…………それは、出来上がったそれは………………それはまた、玲奈であるということなのではないのか?それをいずれ玲奈のために、体にメスを入れ………………命を奪うということか?
新藤はこの疑問を森原にぶつけてみた。すると、
「クローンは玲奈さんなどではありませんよ。人間性があるのではなどとお考えになる必要もありません。工場で部品を作ることと同じです。この場合、部品だけを作ることができないから、完成品を作って、パーツを得る、そうお考え下さい」と、めったに笑顔を見せることのない森原が、声を立てて笑いながら言った。そして続けた。
「そして、玲奈さんのクローンだからと言って、同じように心臓に疾患があるということも言えません。確率としてはある程度は覚悟しなければなりませんが、言ってみればこの種の病気は事故のようなものなので」
また、森原は、すでに決して秘密を漏らすことのない人間を、研究員として採用できるように押さえてあること、その研究施設を建設し、必要な機材を揃え、維持していくための費用の見積もりを出してあることを言った。
その費用は莫大なものであった。
新藤は決断を迫られた。だが、結局、すぐに始めればクローンも一緒に成長し、早く移植に漕ぎつける、と言われ、…………任せることにした。今の新藤に子との善悪の判断をする力は残っていなかった。
新藤は後に、この日の事を何度も、レンギョウが黄色い花をつけていた庭の景色と共に思い出す事となるのだった。。
約一年後に10体のクローンが誕生した。が、誕生後まもなく8体がなくなり、残る2体も一年を待たずして死んでしまった。翌年また10体、その翌年また10体…………と、ほとんど実験のような形で森原はクローンを作っていった。クローンたちは元々弱いものなのか、弱い玲奈のクローンだからなのか、一年に10体生産しても、一年後まで残るのは、そのうち1、2体だけだった。
新藤は、以前「ぜひスポンサーである新藤さんにみていただきたい」と森原に乞われ、森原のクローン研究所へ入ったことがあった。
新藤はあの日目にした光景を生涯忘れることはできないと思った。
………………部屋の中には培養液に浸された人間の赤ん坊が宙に浮いた装置がいくつも置かれ、ロボットアームがそれを取り囲んでいる。森原が言うにはそれらは人口子宮だということだった。その胎児たちの中には人間の形に姿を変える前のごく初期の胎児もあった。その外にも、計器や小さな手術台やわけのわからない器具。それらにかこまれ、数人の研究員に嬉々として指示する森原の姿があった。
新藤は長くはそこにいることができなかった。あの胎児たちは、結局は玲奈と同じようなものだ。あの研究所は玲奈を実験材料にしているのだ。玲奈を冒とくしているのだ。父として新藤はあのマッドサイエンティストたちを憎んだ。
だが一方でこれは玲奈のため、玲奈の命を救うための臓器移植という治療のための研究所であり、新藤はそのすべての権限を、医師森原に委ねているのであった。新藤は逃げ場のない地獄へ落とされたようなものであった。
玲奈は物心ついても、外に出られる状態ではなかった。庭に出て散歩をするだけでも風邪をひき、それが長く続いた。その世界は小さく、狭く、一人の友達もいなかった。新藤はそんな娘が憐れでならなかった。
新藤はある決心をした。
穏やかな5月の末、この時期は毎年玲奈の体調が一番安定していた。庭のバラが見ごろを迎えていた。
新藤はこの時を見計らって、あるものを家に伴って帰ってきた。
「玲奈、紹介しよう、この子はお前のお母さんの遠い親戚の子だ。家で引き取って、お前の妹にすることにしたから、仲良くしてあげるんだよ」
新藤は3歳くらいの小さな女の子の手を引いていた。
玲奈はパッと顔を輝かせた。
「本当?お父様、本当に? 」
「ああ。」なぜか新藤は、うめくような小さな声で返事をした。だが、玲奈は嬉しさのあまり興奮していて、父親のそんな様子に気づくことはなかった。
「うれしい、本当にありがとう、お父様! 」
新藤が連れてきたのは…………クローンの一人であった。新藤は一人ぼっちの玲奈の寂しさを慰めるために、クローンを友人として与えたのだ。やがて、その本体である玲奈のために命を奪われ心臓を取り出される運命のクローンを。
新藤は、人間のクローン製作という、自分のしていることが恐ろしく、できる限り、クローン達を見ないようにしてきた。そして、クローンを部品、パーツと思いこもうとした。決して彼らが人間であるなどと、…………玲奈と同じ……………我が子と同じ、つまり血を分けた肉親も同様である、などということを考えてはならないと自分に言い聞かせていた。だが、娘のためにしてやれることを考えたとき、頭に浮かんだのが、玲奈の遊び相手としてクローンを連れてくる、そのことだった。森原医師にはクローンの管理がやりにくくなる、と反対されたが押し切って決行したのだった。
が、改めて玲奈の横にクローンを並べてみると、恐ろしいほどの類似がそこにあった。年齢が離れていることが幸いして、そっくりというわけではないが、おそらく同じ年齢のころの玲奈とは瓜二つであっただろう。当然と言えば当然のことなのだが。なにしろ、クローンは玲奈のコピー、100パーセント、玲奈なのだから。
玲奈は14歳になっていたが、クローン研究は一進一退でいまだ移植には至っていない。もはやいつ、命の火が消えてもおかしくはなかった。それなのに、その生涯に、友人の一人も持てないままとは。そこで新藤は自分のしていることに恐怖を覚えながらも、クローンを家に連れ帰り玲奈の遊び相手としてあたえたのだった。
だがある日、恐ろしいことが起こった。仕事が忙しく、ほとんど玲奈の起きている時間に家に帰ることのできない新藤が、珍しく早い時間に帰宅すると、玲奈の幼いころにそっくりのクローンが、玄関に出迎え、その小さな子供の回らぬ口で「おとうちゃま、おかえりなちゃい」と言ったのだ。その後ろには玲奈がいて、満足そうにクローンの頭をなでていた。
「驚いた?お父様」玲奈は笑顔で言った。
「この子、頭が良いの。なんでもすぐ覚えちゃうのよ」玲奈は、クローンに、上手にできたね、エライね、と言い、ほめていた。
新藤は自分が引き起こしたこの状況に耐えられないと思った。
もうすべてをやめてしまいたい。研究所を閉鎖してしまおう。元々こんな計画は無理なんだ、むしろ同じ違法なことなら、臓器売買にでも手を染めたほうがよかったのではないか、そうすれば玲奈も今頃は、元気になっていたのではないか…………。
新藤がそう思い詰めて間もなく、そのクローンが突然死んでしまった。4歳だった。玲奈は悲嘆にくれたが、新藤はほっとしていた。
だが、今度は、前回反対した森原からの申し出で、別のクローンをまた、玲奈のそばに置くこととなった。新藤は反対したが、森原は、「玲奈さんのそばに置いておいたクローンはとてもいい状態を保っていました。玲奈さん自身の健康状態もです。何か解明不可な力が働くのかもしれません」そういわれ、押し切られてしまった。
そして、今まで、何度同じことが繰り返されただろう。クローンが死に、玲奈が嘆き、森原が新しいクローンを連れてくる。玲奈は喜び、回復し、クローンを教育し、そしてまた、クローンが亡くなり、玲奈が悲しみ、また新しいクローンが家にくる。そしてまた、玲奈は喜び、回復し、またクローンを教育し……………。
森原はクローンが9歳になるまで生き延びれば移植に踏み切ろうといっていたが、なかなか実現しなかった。今回のクローンも8歳でその生涯を終えた。
いつの間にか、新藤を乗せた車は本社のあるオフィス街に差し掛かっていた。
運転手は静かに車を操り、新藤の思索の一切の邪魔をしなかった。
今から始まる今日一日が、思うに任せぬ玲奈の病をひと時忘れさせてくれる―――――新藤にとって仕事の忙しさは、ある意味救いでもあった。
…………ただ、この頃、新藤は思うのであった。
玲奈は一度も外の世界を知ることなく、今や36歳まで生きながらえている。元々、ただの虚弱体質だっただけで、成長とともに改善されたのではないかと。全てはクローン研究がしたいがために森原が仕組んだことで、その莫大な費用を捻出するための策略だったのではないかと。新藤と玲奈の人生は森原の掌の上でもてあそばれただけではないのかと。多くのクローンの死もまた、森原が研究を続けるために仕組んだことではないのかと。
だが、今となっては…………今となっては、地位も名誉もある新藤が、違法なクローン製作に手を貸しているという事実を世間に知られるわけにもいかず、この心の闇を森原に問いただすこともできない。
新藤に残されたのは、これが娘のため、と自分に言い聞かせ、娘の友人たちを生産する工場を稼働させる資金を提供し続ける事しかなかった。いつか研究は成功する、移植はできる、と自分自身に言い聞かせながら。誰も知らないこの場所で。誰にも知られてはならない秘密の花園の中で、一人、重荷を抱えながら。
一方、森原からは、やはり人工子宮はいくら改良しても限界があり、できれば人を雇って代理母として実験したい、そのための人材にはすでに心づもりがある、と連絡が入っていた。
車から降りるとき、ふと、新藤は、玲奈が一日をそこで過ごす自宅の屋敷を思い浮かべた。
屋敷の庭では、オレンジ色や黄色のユリが今を盛りに咲き乱れていた。部屋の中はラベンダーのアロマオイルの香りが満ち満ちていた。
・・・花言葉・・・
バラ・・・・・・・・・・・・・愛
レンギョウ・・・・・・・・・・期待
ユリ(オレンジ色、黄色)・・・偽り
ラベンダー・・・・・・・・・不信感
お読みいただきありがとうございました。