みずいろのおはなし
「絶景だよう」
本日もいつもの三人でチェックする。北校舎三階の美術室から中庭を見下ろし、ニマニマほくそえんでいる。見下ろしている先には男子バスケ部がいる。
福田りりと山根ゆうな、それから私、岩野田みかこは入学当初からの仲良しだ。受験生が晩秋の放課後に群れるなんてアレだけど、のぞむはエースの大澤君。彼を一目拝むのが、辛い学校生活のオアシスだ。
我が氷川中の強豪バスケ部は、今年全国準優勝。部員達は優勝を逃して泣いていた。でも昨年の全国制覇に続けての決勝進出なんて立派だし、何より大澤君の活躍ときたら……。中一で既に百八十七センチの長身、フィジカル面では他競技からもオファーが来るし、一重の大きな切れ長の目元もそれはそれは凛々しくて、ついた呼び名は『氷川の闘将』、色んな取材もやって来た。
「はあ、大澤きゅん……なんてカッコイイの」
ポニテをゆらゆらさせて福田が呟き、山根も溜め息まじりに溢し溶ける。
「もし付き合えたら趣味を封印してもいい……」
「でも山根、明日のライブは」
「行くに決まってるやん!」
必死で取ったチケットに罪はない。山根は某声優の大ファンだ。その行脚も大澤君と関われるならば、いつでも断てる覚悟と言う。
「ああ、今年の一年はいいな。大澤君と三年間一緒だよ。卒業も一緒、同窓会もずっと一緒……」
羨望は嫉妬に変わる。どんなに彼にメロメロか、おわかりいただけただろうか。
勿論私も大澤君が大好き。だけど、理由がみんなと少し違う。彼は見かけによらず堅実派だ。バスケシューズや鞄は清潔で学校備品の扱いも丁寧。スポーツ特待生だからかな、ちょっと修行的な気配もある。
うちの学校は公立の教育モデル校で、遠方出身者は学校指定の下宿に入る。彼の故郷は氷川よりずっと東の街。氷川学区は昔からの文京地区で富裕層も沢山いて、そんな環境で親元離れて自分の実力だけで勝ち抜くなんて、マジで氷川の闘将だ。
学習面も悪くない。学年棚に並ぶ技術家庭や美術の作品も感じがいい。きっと好きな人も宝物みたいに大事にするんでしょ……なんて、想像の翼が広がり過ぎてニヤニヤする。
この学校で大澤君を嫌いな女子なんてきっといない。あ、でも多少はいるかも。彼に言い寄って振られたヒト達。断られて泣く子もいたけど、怒ってる子も多かった。
でも断る理由は完璧だった。
「地元に大切なひとがいる」
ひゃああああ! 私達の大澤株は天井越えでしたとさ。ああもうキュンキュンする。我がモブ人生に悔いなし。
嫌がる福田を促して下校するのも毎日の日課だ。彼女のママはとても厳しい。福田の氷川中入学の為にわざわざ学区内に転居したご家庭で、だからかな、福田は公園でよく道草をする。
時々バスケ部がこの公園前をランニングする。そうすると私達もだけど、福田も気持ちを切り替えやすくなる。
「あ、大澤君も走っていった」
「大澤君も行ったから私達も帰るべ」
「……ん」
切ない情景。ポニテが無理やり跳ね上がる。福田の悩みは、親から自分の実力よりツーランク上の学校にいくよう強要されているコトだ。一族の母校なんだそう。
山根は私達の中で一番の常識家で、曲がった事が大嫌いな正義感溢れるお人柄。それで時々、人とぶつかる。
山根は正しい。正しすぎる。先生より鋭い。ただ相手に逃げ道を与えなさすぎなのが多分。それで少し、二年の時に辛い思いもしたらしい。私達、クラスが違ったから詳しくは知らないけど。
だけど放課後は私達は必ず一緒に過ごした。それからその時期に山根は某声優のファンになった。とある作品のキャラに励まされたそう。私も福田もアニメはあまり詳しくないけど、それで山根が元気になって良かったと思っている。
私の家はパッキパキのプロレタリアート。お父さんは給料カットでピンチ。お母さんも病弱でピンチ。高校は絶対公立一択。大学も……あんまり期待できないかも。だから商業高校で資格とって、公務員も狙うといいのかな。ホントは普通科高校でゆっくり人生設計したいけど。
そんな私達、派手系お洒落女子とは決して関わらず、超ジミに暮らしている。うちの学校は華やかなご家庭が多いから、棲み分けが何より大事。だから大澤君の噂もこの三人としか絶対に喋らない。今日もみんなで美術室に籠ってモブ活。校舎の端っこでめちゃめちゃ安全。
さあ、そこで大澤君が美術室に降臨したならば、私達はどうなってしまうでしょう。
今日、大澤君が居たの。ドア開けたら。
も、背高ーい! 顔ちっちゃーい! 筋肉質でカッコいいい! どうしよう、もう、どうしよう! 私達全員、動悸、息切れ、眩暈。ダウンやばい。
挙動不審な三年女子が三人、ドアの前で不気味に立ちすくむ。だのに彼は明るく
「スミマセン、先輩達これからココ使いますか?」
と、さわやかに聞いてくれて……さすが全国レベルの体育会系、お行儀イイよね!
「使うけど、別に他の人が居ても構わないよ」
精一杯、山根の普通の声。そしたら
「ありがとうございます、じゃあ少しだけ失礼します」
だって……なんて丁寧なの!? 私達の脳内テンション、上がりまくってしまった。
気配り上手の彼は隅に移動して、廊下や外の様子を気にしていた。私達も何か活動する訳でもないから(モブだけど)手持ち無沙汰で(いつも以上に集中観察だけど)沈黙して……時間も止まってしまって。
「あの、すみません。オレやっぱ邪魔ですよね」
ち、違う、違うの、そうじゃないの。でも言えない、アナタの隠れファンだなんて、言えない。慌てて三人で教科書を出して、受験勉強の真似事して。
「い、いつもこんな感じだから気にしないで」
言い訳をかます福田の声が白々と裏返った。それを聞いて大澤君はまたニッコリ笑うから、もう、私達、本当に……マジで空気と同化したかった。
頭の中は百花繚乱。だけど落ち着かねば。最終学年らしく平常心を保たねば。脳内でジタバタしながら、不器用にプリントをガサガサ整理した。
大澤君は相変わらず外や廊下を見ていた。でもヒョイ、とドアから顔を覗かせたコがいて、その子に向かって大澤君が小さく手を振った。
入って来た子は私達もよーく存じ上げている河合君。河合君は同じバスケ部の一年。彼も選抜特待の下宿生、そして氷川中の栄光のスタメンだ。小柄だけれど機敏で賢くて、綺麗なオデコと大きなお目目がキュートな男の子。噂によると超性格よくて、実質の一番人気は河合君らしい。私達モブには関係ないけれど。
河合君も私達に「失礼します」って挨拶してくれた。その後大澤君に「今なら大丈夫」とか囁いて。もう、何事なんだろう。
「で、無事だった訳? やられた?」
「無事だけど見てコレ。引っ張られてボタンふっ飛んだ」
「うわ、こええ」
河合君、ククッて笑いながら「行くぞ」って促した。走るぞ、だって。二人に「お邪魔しました」と挨拶された私達、思わず「ありがとうございましたー」って言いそうになっちゃった。
彼等が去った後も放心状態、一気に脱力。三人で顔を見合わせた途端に大爆笑!
「たのしー!」「ナニ今の?」「誰かに追われてたの?」
三人で盛り上がっていたら、またドアがガラッと開いた。千客万来。次は誰かと思ったら。
(え)(マジ?)(なんで?)
瞬殺で硬直した。そこには学年で一番綺麗な女王様、山口みゆうがいた。私達、彼女が大の苦手というか……超エネミー。
その山口がスレンダーな姿態を気怠そうにフフンとさせて(無駄なオーラ)黒のマニキュア入り(校則違反)ロングヘアをシャラーとさせて、私達をめっちゃ上から目線で
「ここに一年生が来なかった?」
なんて聞くから、それだけで私達のテンションは墜落する。いつもなら私達の事めっちゃ馬鹿にして絶対話しかけてこないのに。感じワルイ。
「私達しかいないけど」
間髪入れず山根が放つ。でもそれも一発触発っぽくて私達は焦る。福田が机の下で山根の手を握る。私も靴をくっつけて一生懸命合図する。
(山根、喧嘩しちゃダメ!)
(こらえて、スルーだよ、山根!)
山根が二年の時に辛い思いをしたのは山口との遺恨が元らしい。もう、気が気じゃなかった。
案の定、山口は怖い目で睨んだ。でもすぐ冷たい顔に戻って、小さい何かをこちらに見せた。
「これ探してる子いなかった?」
カッターシャツの、ボタンだ。
(あ)
三人全員で固まった。さっき大澤君、「引っ張られてボタンちぎれた」って……山口だったのか。
山口は私達の顔色を見てとると、フフンと笑った。「私はアンタ達とは違って上等なのよ」と言わんばかりの退出。ガタンとドアが閉まる。すっかり空気が冷えてしまう。
「せっかく過去最高の大盛り上がりだったのに……天国から地獄じゃん」
福田が唸る。
「アイツめえ。こんなとこまで来やがって!」
ガルルと唸るのは勿論山根だ。
ホント。大澤君にはもう彼女がいるのに。山口ったら横ヤリいれる気満々で。
「やっぱ感じワルイ」
つい、私も唸った。
山口は先生受けが最高だ。
親がPTAに熱心だから? それなら福田の家だって。福田ママは大の氷川中ファンで、なんでも率先して参加中だ。娘は嫌がっているけれど。
地元の大きい病院の血筋だから? それなら山根の家系だって。山根の本家所有の西洋館は某文化財指定建築で、併設レストランは予約必須の人気店だ。
「アイツは裏表の使い分けが絶妙なんだよ」
山根は忌々しそうに呟く。決して綺麗だからとは誰も言わない。でも悔しいけど山口はやっぱ高嶺の花で、先生方や一部の男子にひたすら大事にされている。成績もいいから地域のAランク高校にも余裕で行ける。
「天は二物も三物も」「いいな……」
うっかり羨ましがって、みんな同時にはっ、と気付いた。
「う、ら、や、むなんて、相手の思うツボだよ」
「そうだよ、あんな意地悪なコ、憧れられないよ」
「ホントだよ、な、仲良くだって出来ないよ」
だけど私達は嫌という程知っている。この世は全てが不公平で、特に女子は外見が最重要の真理。私達は腹立ちまぎれに山口のワルクチを言い合って、でもその後味の悪さにウンザリした。不愉快は避けたいし、気になる疑問もただひとつ。
「山口、大澤君のこと狙ってるのかな」
「は。大澤君が落ちる訳ないよ!」
「そうだよ。今まで女の子全員断ってるんだよ?」
手前勝手だけど、大澤君には地元の彼女を大事にしてほしい。彼の誠実をみんなで天に祈った。お願い神様。私達は第三者の幸せで生きています。
十一月の声を聞く。三者面談のお知らせが来る。特に福田の顔には死相が出ていた。毎日美術室で泣きそうだった。
「氷川高なんて絶対無理だ……」
「でも福田、成績悪くないよね」
「そうだよ。総合偏差値だってちゃんと高いもん」
私と山根はもっと可愛い数字なので、ずっと上位にいる福田はエライと思う。
「でも氷川高、今年は七十三いるんだって」
「やめなよそんなキツイ学校!」
山根が叫んだけど、福田は延々と溜息をつく。
「実は私、中学受験に失敗してるの。それでママはリベンジ入ってるんだ」
私達は息をのんだ。
「で、でも、自分の進路は自分で決めた方が。三面の時に言うとか」
在り来たりな事しか言えなかった。
ここは彼の力を借りるしかない。そろそろ部活タイムです。
「ほらほら福田、窓際においで!」
私達、相変わらず毎日このモブ活を続けている。山口にはムカつくけど、ほんの少し関われた大澤君の可愛らしさと、新たに河合君の魅力にも気付けて、また幸せが増えたんだ。
もうすぐこの街は雪と氷で真っ白になる。バスケ部も室内練習にシフトするから、私達の活動場所も探さないといけない。何より成績によってはそれどころじゃない。万感の思いを込めて中庭を覗く。
「あああああ」
だのに出た声はとんでもないダミ声だった。
「あ、あ、あんないい所に」
「あいつめえ、あいつめえー」
そこには山口がちゃっかりと、中庭の絶好ポジションをぶん獲って、バスケ見学をしていたのだった。
「もう、なんなのー、なんなのー」
中庭の渡り廊下には山口。どうしても視界に入る。どうにも不愉快すぎる。
「山口見たくねえー。だけど大澤君は見たいー河合君も見たいー」
「もうまじ無理なんですけどー」
三人でワーンと泣いた。邪魔。めっちゃ邪魔。大澤君達のそばに山口がいるだけでめっちゃイヤ。彼等が女の子囲まれるのはしょっちゅうだし、ファン心理も理解出来る。でも山口は……あの子は嫌。なんでだろ。こういうのって、もうどうしようもないね。
ウォームアップ中のバスケ部(の大澤君)に熱い視線を送る山口。一部の部員は山口の存在に気をとられてフニャフニャになっている。
オトコってマジでバカ! 私達はまたここで「ぴー」と怒る。でも怒れば怒るほど山口のオトコ受けを思い知らされる。不幸って連鎖するね。
「く、悔しいから全部観察してやる」
「おうよ、最終下校まで粘ってやる」
「アタシもう今日塾休む」
使い方を大幅に間違えた私達の情熱もいかがなものか。このパワーを受験に向ければいいのにね。うん、オンナってバカだよね。
でもね、その後すごくいい瞬間を見られたのです。大澤君の、それから河合君の、競技モードに入る瞬間。そのスイッチが、私達にですら判ったのです。
注意力散漫さを感じたのは大澤君だったか河合君だったか。気付くと二人が山口の視線攻撃に抗えない部員の横にいって、すごく丁寧な柔軟体操をしていた。一つ一つの綺麗な動き。髪の先から爪の先、そこから周囲に結界を張るような、まるで採点演技の様な流れ。その後の校舎全周ランニング。一周毎にグングンと顔が闘将になってゆく過程。カチリカチリと高まる集中力、山口どころか回りも消す、目標だけしか見ない目線。
「今朝聞いた話だけど」
不意に福田が話し出した。
「東部にクマ高ってあるでしょ、稲熊高」
オリンピック選手をよく輩出する有名な私立高校だ。
「大澤君、小学校の時からクマ高のバスケ部で練習してたんだって」
「え!?」
「顧問がジュニア強化部長で、大澤君は秘蔵ッ子だったって」
私も山根も驚いた。
「地方では上手な子の受け入れ先が無いから特別措置だったらしいけど」
「いや、それ、スゴ……小さい時から高校生と練習してたの?」
福田に思わず聞く。
「どこからそんな話が?」
「うちのママが。またPTAで聞いてきてた」
福田ママ流石……ありがとう福田ママ!
「一気に元気出た! あの切り替えのカッコよさ、真似したい!」
山根が華やかに叫んだ。
「私、勉強がんばる」
福田は切り替えた。
「そいで、ちゃんと自分で志望校決める」
おお! 私と山根で拍手した。まさに大澤マジック!
「その意気だよ!」
「そうだ! 私達もがんばろ!」
でも、もひとつ気付いた。気付いたのは多分私だけ。中庭の山口の頬が赤くなっている。これは、本気で大澤君に惚れちゃった気配。
ノリノリで下校する福田と山根には、山口の件は言いそびれた。更に帰宅後に待っていたのはお母さんの入院。これで何回目だろう。身体の弱い人なので、こういう事が昔からある。
『数日で帰れると思います。数値が少し落ちただけだから心配しないで。迷惑かけてごめんね』
簡単な手紙が置いてあって、代わりにお母さんの入院用鞄がなくなっていた。入院先は山口総合病院で、実は山口の親戚。
トトロの有名なシーンで「お母さんが死んじゃったらどうしよう」ってさつきちゃんが泣くところ、私にはいつもリアルだ。一気に憂鬱になったけれど、すぐに着替えて病院に行った。お母さんのウォークマンも充電して持っていく。
「ありがとう。退屈してたの」
横になったお母さんは点滴を受けてはいたけれど、思ったより元気そう。ちょっと安心。
「どっか苦しい?」
「大げさに見えるけど大丈夫よ。大事な時期なのに本当にゴメンね」
家事は程々にね、お父さんと仲良くね、いつもの様に細々言われる。
「すぐ退院するから。今日はもう帰りなさい。暗いから気をつけて」
うん、また明日ね、と手を振って部屋を出た。
廊下に出るとすぐ、またさつきちゃんの気持ちが降りてきた。俯いて廊下をコソコソ歩く。そうしたら通路を間違えて、気付いたら手術室の前に出てしまった。
(なんでこんな所に来ちゃったの?)
めっちゃ焦った。夕方の誰もいない手術室の前はとんでもなく恐い。この病院は手術室の横に観音様が祭ってある。きっと手術の無事を祈る御家族の為になんだろうけど、今の私にはひたすら不気味で悲しげで辛いばっかり。本当に泣きそう。悲し過ぎる。逃げるように必死で戻った。
うろうろしてやっと新館の総合ロビーに到着出来た。最近この病院は増築工事中のせいで迷路みたい。どっと力が抜けて、ソファに腰をおろす。でも少しでも気を抜くと、すぐまた「お母さんが死んじゃったらどうしよう?」ってなる。急いで(違う違う!)って、アタマをぶんぶん振る。
(はあ、今の私、ものすごく変だ)
こんな時はハッピーな事を考えよう。最近脳内再生率ナンバーワンは大澤君の事。今日のサムライスイッチを思い出してみる。
(カッコよかったなあ、大澤君)
それから河合君も。私もあんな風になりたいな。
年下なのに二人とも大人みたい。目を閉じて今まで見た素敵シーンも順番に思い出す。ネットニュースで見た試合でのジャンプシュート、数々のフェイント、連携プレー、何より速攻。それから……美術室で初めて至近距離で見た、めちゃ可愛いスマイル。
ああ、段々気分が上向きになってきた! うん、なんかもう大丈夫かも、私。
(でも山口も惚れちゃったみたいだったな)
あれ、どうしてこんな楽しくない事まで今思い出すんだろ。でも山口こそ進路は大変そう。小さい時から優秀だから高校受験は余裕だろうけど、親戚にこんな病院がある立場なんて、福田より色々言われてそう。あれ、私ったら、敵に塩を送ってる? 送らないけど。
さあ、そろそろ家に帰ろう。気分転換の総仕上げは苺ミルクだ。コンビニに寄って大好きドリンクを買って帰ろう。私なりのサムライスイッチだ。切ない日には甘いモノだもの。
そして私はココロの中でお礼を言うよ。
「神様ありがとうございます。今日、このコンビニに寄ってよかったです。おかげでお母さんの件は吹っ飛びました。ありがとう、ありがとう、全ての神様ありがとうー!」
脳内大絶叫だよー。何があったって? えへへ。店内では河合君がお買い物の真っ最中なのです。なんということでしょう!
ゲンキンだと笑いたくば笑ってください。大澤君はいないけど、幸せポイント十倍です! 河合君のラフな姿が見られるなんて、それだけでリラクゼーション満載です! 彼は今、量販店のぶかぶかジャージ。パジャマみたいでカワイイ。で、すごい量の買い物。飲み物とかお菓子とか、カゴに山盛り。何の買い出しかな。一年だから先輩達の……あれ、でも待って、河合君がなんで買い出し?
氷川バスケ部のルールは昔から独特で、確か完全実力制。大澤君と河合君は栄光のスタメンだから、下級生でもマネージャ用事はしなくていい筈。頭の中でハテナが回る。苺ミルクを握って棒立ちのまま、うっかり凝視し河合君に気付かれ、間が悪くて困った事に。
(わーどうしよう?)
目が、目が合ってしまう。今更隠れる訳にもいかないし。地域の住民的にピンチ。
だけど実質モテる人は違う。
「こんばんは」
ニッコリ笑って挨拶してくれるんだ。私の事なんか知らない筈なのに。
まさかの展開にキョトンとして、また失礼だった。それに私がトリップしているものだから、河合君、戸惑ってるし。
「ええと、この間も美術室で」
恐る恐る声を掛けられ我に帰る私。常識的にピンチ。慌てて「こんばんは」って言って、それから「荷物びっくり。すごい量」なんて。とってつけたように付け加えた。わざとらしいね。
「誕生会の買い出しです。部の先輩にサプライズするから新商品を探しに」
「そうなんだ。楽しそうだね」
無駄に焦って、かろうじてカゴを見ながら言った。
「運動部の買い出しって、やっぱスゴい量だね」
ああ、もっと気の利いたこと言えればいいのに。私センス無いなあ。
気の利いたことって何だろう。
「ええと……いつも沢山頑張ってるね」
残念。この程度だ。コレ位しか私には、無理。
「あ、ありがとうございます」
その後は妙な沈黙。恥ずかしくなって曖昧に「じゃあ」と呟いてレジに行こうとしたら、河合君、
「あのこれ、よかったら使ってください」
私に割引券をくれた。ドリンクオール二十円割引。時々このコンビニが配るクーポン券だ。戸惑う私に「ラスト一枚なんで、良かったら」と、ニッコリ笑ってくれる。なんかドキドキする。
「でも悪いよ」
「いいすよ」
またニコ、と笑うんだもの。「どうぞ」って。
勿論いただきました、そのクーポン券。宝物にしたかったけど、まだ店内に河合君がいるし。ありがたく苺ミルクを二十円引きで購入ナリ。
そうしたら神様って本当によく見てるんだ。私のコンビニのポイントカードが貯まっていて、レジで景品のアポロチョコが頂けちゃった。これは河合君の分だよね。だから買い物を続ける河合君に渡した。「クーポン券のお礼」って。悪いからいいですって言われたけど、無理矢理ポケットに入れてしまった。
「嫌いなお菓子だったらごめんね」
私、オバちゃんだったなあ。
「なんなのー朝から一人でニヤニヤー」
「キモっ。岩野田めっちゃキモー」
ええ、その通り。本日の私は朝からかなり怪しかった。でも話すと二人にかなり妬まれそう。『一日無視の刑』にもされそう。それに話すと幸せが減りそう。わーんどうしようー。
「ああ、またニヤニヤー」
「もー岩野田まじキモいー」
えへへ。だって昨日あの後も、とても良いものを見てしまったからなのです。河合君より先にコンビニを出た私、たまたまこちらに向かう大澤君ともすれ違えたのです。
大澤君も河合君とお揃いのぶかぶかジャージで、すごい量の荷物を両手に持っていた。お揃いジャージは某量販店の二組割引かな。やっぱりパジャマっぽくてめっちゃ可愛い。
だけど大澤君は当然、私には気付かなかった。美術室にいた三年なんて普通はいちいち憶えていない。でもそれが正常、河合君の反応がラッキーだ。
成り行きも見たくなって、反対車線の歩道から、こっそり彼等を眺めてみた。
河合君はコンビニから出てくると直ぐに、私があげたアポロチョコを大澤君に見せていた。そしたら大澤君、しゃがんでクチを開けて待つんだもの。あーん、て。河合君も開封して、クチの中にざざーってチョコを流し込むんだもの。それで(あ、入れすぎた)って顔して、容器を覗いて中身を確かめるんだもの。
(きゃああ二人とも可愛いいー……)
河合君がちゃんと残りをポケットにしまっていたのが嬉しかった。大澤君の顎がワシワシ咀嚼するのもわかって、その横を河合君は飄々と歩いて……ふう、なんていいコンビなの。苺ミルクの入った小さなビニール袋が、北風でカサカサ同意した。
「岩野田、マジ変!」
「おーい帰ってこーい。その川渡るなー」
また妄想トリップしていたみたい。
「もう白状しなよ」
呆れられているので話す。でもそうなるとお母さんの件も話してしまう。二人に気を遣わせてしまう。
「掃除当番代わろうか」とは福田。「買い物の荷物持ちも手伝うよ」とは山根。
「お気持ちだけでいいよ。いつもありがとう」
感動の友情ストーリーになってしまう。
「じゃあ大澤チェック、岩野田の分もしといてあげるね」
「うん、いつでも遠慮なく帰っていいからね」
「いえ結構!」
それは謹んでお断り致します。
だからお菓子の話、羨ましがられるやら嫉まれるやら。
でもね、昨日のサムライスイッチから、二人は大進化したのです。まず福田はポニテを卒業してオトナ可愛いショートボブにした。「もうママの言いなりにはならない」って。ウンウン。マジ似合うし可愛いし、何より瞳がキラキラしてる! 山根も『無駄に怒らない』事にしたって。偉いなあ。元々筋の通った山根だ。益々カッコいい。よし、私もがんばるぞ。何を? でもがんばるぞ。何をだろう?
もうすぐ師走。どんどん寒くなるけれど、本日もモブ活開始。
「だって今のうちだもん」
「今日も素敵集団!」
「うっとりだよねー」
今日の大澤君は素肌にジャージだった。寒くないのかな。でも前がはだけると着物を着崩したみたいで、一段とサムライに見える。
それから内緒でそうっと、河合君の事もチェックした。河合君も恰好いい。小柄で機敏で、韋駄天とか子天狗とか牛若丸とか、なんていうか、そういう感じ。イマドキの流行りイケメンとは違うけど、そこがまたうんといい。でも私は別に何にもしないし、追っかけもしない。ただ見てるだけ。私の唯一の長所は、自分をわきまえている所だもの。
それから山口も、またバスケ部を見ていた。でも今日はこの間より離れて、中校舎の二階の窓から。
模試帰り、恋人がサンタクロースな街並みをどんよりと歩く私達。雪景色にクリスマスカラーが華やかで、これが一層ココロに刺さる。寄り道してドーナツ食べよう。ワンクッションは大事だよね。
「今日の数学は難解すぎ。全体平均四割じゃない?」
「御学友の皆様は余裕で七割行くと思うよ」
三人揃って机に突っ伏す。うちの中学は下手な塾よりレベルが高い。評定も獲り難くて、平凡な生徒には茨の道だ。
そうは言っても、福田も山根も順調に積み重ねていると思う。ダメなのは私。ようやくお母さんが退院出来て、今まで緊張していた分ダレてしまった。それからうちの経済状態を考えると、やっぱり商業高校がベストみたい。みんなは普通科志望だから、疎外感は仕方ない。
「ねえ岩野田、聞いてる?」
「あ、うん、何?」
「山口、最近成績落ちてるって。アイツ小さい時からトップクラスなのに」
意外な話に目がさめる。そうなんだ、と呟くと、福田が通りを指差した。
「噂をすれば何とやら、だね。ほら」
ウインドウから見える歩道を一人で歩く山口発見。ツンツンしてるけどやっぱ綺麗。それに彼女は模試帰りに無駄な寄り道なんか一切しない。寄り道しない、けど、あれ? 今日は、ちょっと待って、あの、前を歩くのは、もしかして。
「大澤君!?」
三人でガタッと席を立つ。私服だから気付かなかった。大澤君が誰かと一緒に歩いている。それを山口が……尾行中?
「ちょ、大澤君の隣、女の子だ!」
「誰だろう、まさか、例の地元の?」
三人で小さくキャアと叫ぶ。私達も追いますよ。当然ね、勿論ね!
で、すんごい可愛い。綺麗。大澤君の隣にいる女の子。漆黒の黒髪に色白ほっそり透明感、なのにメリハリはありそうな超絶アッパークラス美少女、大澤君が誰にも落ちない理由が丸わかりだった。
「素敵女子すぎる。オーラが有り過ぎる」
「彼女を間近で見たい。いや、床になりたい。思いっきり踏まれたい……」
「わーん、めっちゃ見ちゃう止まんない! 目が吸い寄せられてヤバい!」
彼女さんはとにかくキラキラと眼福で、私達は全員溶けて昇天した。魂って簡単に抜けるよね。
「でも、大澤君の女の子の好みって王道スタンダードだね」
「ホントだ。全日本男児の欲望の直球ど真ん中過ぎて逆に微笑ましい」
全員で激しく突っ込みクスクス笑った。清楚で可憐で、綺麗な映像の中にいそうな、なんていうか、青春の象徴っていうか。
「山口はショックだろうね」
「うん、ヤツは女王様系だから生き物的にまるで違う」
草葉の陰、じゃなかった、大きな柱の影から駅のホームに向かう大澤君達を見守りながら、一人で素敵カップルを凝視する山口の事も気に留めた。何と言うか、痛々しい。
「ねえねえ、重そうな荷物、大澤君が持ってあげてるよ。やさしー」
「彼女さんとの身長差、結構あるよね。三十センチ以上?」
「遠恋って大変そう」
大澤君達二人は改札を通る。入場券も買ってあったのかな、見送りも手馴れた気配。
「わ」「きゃ」「ひゃあ」
瞬間、大澤君が彼女さんに素早く顔を寄せた。それから髪を撫でて頭をポンポンして、その後、めっちゃ見つめあった。
モブ勢は声にならない叫び声をあげ、全員で悶絶する。大好き同士なのが激しく判る。第三者にまで十二分に伝わるお互いへの分厚い信頼感。彼女さんは名残惜しそうに大澤君を見つめて……きっと涙ぐんでるでしょ!? なんて切ないの!?
「やーんラブラブ!」「羨ましすぎる!」「映画みたい!」
三人で更に身悶える。息も絶え絶え、ピンクのオーラで発狂しそう。とことん御目出度い私達。
「私ら、安っ」
「他人さまでこんなに幸せなキモチに……」
「いやーでもマジゴチでしたー!」
ゲラゲラ笑った後、ハーッて盛大に溜息をついて、この幸せを胸に抱いたまま真っ直ぐ帰るコトになった。山口が泣いてたぽいのは全員で見ないフリ。武士の情けですよ。
しかし担任は鞭を振る。じゃなかった、叱咤激励をくださる。
「もう本気出せよ」
そうなんだよね。私、モタモタと成績が降下中です。
「商業科の中でも氷川商は特に人気だ。ナメてかかれないぞ」
「はーい」
「ま、お母さんも大変だったからな。そんな中でもよくやっているとオレは思うけどな」
第一志望にした道立氷川商業はこの地域の伝統校。各種検定試験や公務員合格率も高く同窓会も強く、地域で就職するには大変有利とか。
「美化委員を三年間続けて、評定も充分足りてる。だから後は当日点。な?」
「はーい……」
そうなんだよね。もう頑張るしかないんだよね。
放課後の三人の活動場所は中校舎二階のフリースペースに変更になった。そこはバスケ部がホールでアップする姿を上からバッチリ見学できる。けど学校中のバスケ部ファンの集合場所でもあって、モブな私達は落ち着かない。
「でも、もう他に場所がないよ」
福田が涙を呑む。
「少しだけ見てさ、私達は帰ろ。一応受験生なんだし」
山根が慰める。
「見るとホントに元気になれるよね!」
すっかりヒーリングポイントと勘違いしている私?
けれど山根の常識的な言葉も吹っ飛んで、結局ご大層な時間を過ごしてしまう羽目になる。思いがけない同級生にお仲間発見、交流の輪も広がったり。
ただ、今日の私は落ち込んでいた。二人に先に行くよう頼んで、こっそり美術室に行った。
担任との面談の後、泣きそうになって。「お母さんも大変だったからな」とか。それに自分で商業科に決めても、やっぱり普通科には未練があって。でもこれは自分で消化しないといけないから、落ち着いてから二人と合流しようと思った。
一人で冷たい美術室に籠る。深呼吸して気持ちを立て直そうと思っていた矢先、ガラリとドアを開ける音がする。誰だろう。音の先を見て「あ」と声が出てしまった。だけど向こうもビックリしてる。小さな機敏そうな人影。どうして河合君がここに来るんだろう?
(えと、ど、どうしよう……)
途端に降りる沈黙。カチカチカチ。ドキドキドキ。
美術室に来る人なんて滅多にいない。固まる私。でも河合君はもっと固まってそう。わーごめんね。こんな所に私がいて。
「ええと、」
あ、戸惑ってる。ホントにごめんね……って、めっちゃ卑屈な私。
「ここに大澤来ませんでしたか。バスケ部の一年の、デカイ奴」
ん、大澤君?
「ううん。誰も見てないよ」
「あ、そうですか、どうも失礼しました」
なんだなんだ。めっちゃ気になる。でも聞ける立場でもないので、河合君の背中に向かって心の中で(部活頑張ってね)と呼び掛けた。そしたら河合君、急に振り向いて
「あの、この間はお菓子、ありがとうございました」
びっくりした! お菓子って何? あ、コンビニで会った時の話だ。ええ、覚えててくれたの? でも随分前だよ!
「ううん、こちらこそ。あの時はクーポン、ありがとう」
「あ、いえ」
河合君はニコッとして美術室を出ていった。その後、たたた、と走る音がした。軽快で機敏な靴の音。
(わー可愛いーかわいいいいい)
あ、スゴい。私、もうリフレッシュ。
「ふふふふふ」
わ、スゴい。勝手に笑えてきちゃう。どんどんニマニマしてきちゃう。もう嫌なことが消化されちゃった。でもこれって、今一瞬忘れているだけで、根本的な問題は何にも解決してないよね。それでもいいや。河合君と喋れて元気になれた。早く二人に合流しよう。大事な放課後だもの。
律儀だよね。あんな前のお菓子の話、覚えててお礼まで言ってくれて。
「えへへへへへ」
ああ、いけないいけない。私、怪しい。かなり怪しいぞ。
中校舎に向かっていたら、向こうから福田と山根が走ってきた。むむっ。今度は何?
「大変、大変、ニュース、ニュース!」
何ナニ?
「山口、大澤君にコクったらしいよ!」
「で、玉砕したらしい!」
何だってえ!?
山口がそんなに世間知らずだとは思っていなかった。わざわざ負け戦にエントリーする阿呆がどこにいるんだろう。山口だって見たでしょ、あの完璧な彼女さんを!
「何で……そんな……馬鹿なの?」
爆発寸前の私に恐れをなしつつ、福田と山根が交互に教えてくれる。
「私達もたった今フリスペで聞いたんだよ。ついさっきの事らしいよ」
さっき……だから河合君、大澤君を探しにきたの?
「でもあの彼女じゃ流石に山口も勝ち目ないし。だから山口、二番目でいいから彼女にしてくれって持ちかけたらしいよ」
「あの山口が!?」
最大の衝撃が走る。あのプライドが成層圏を突き抜ける、あのお嬢様育ちの山口が!
福田が更に声を潜める。
「セフレでもいいとまで言ったって。やり取りを聞いちゃった子がいて、もうその話で持ちきりだよ」
「セ、」
開いた口がふさがらない。何考えてんの? しかも受験真っ盛りのこの時期に!
「ば」「ば?」「……っかじゃないの? 何それ!?」
私の剣幕に驚く二人。「岩野田落ち着け!」と諭される。いつもは私がナダメ役なのに。いや、でも。はあはあはあ。
「あんな素敵な彼女がいる子に、しかもまだ一年の後輩に!」
怒りのマグマが流れ出る。信じられない。許せない。「どうどうどう」とまた諭される。
「でも大丈夫。大澤君、きっぱり断ったから」
そうでしょうとも、そうでしょうともよ!
「うん。そこもバッチリ聞いてた子がいてね」
うわあ、聞きたくない! てか、そんなトコ聞いちゃダメ節操ない!
「『オレ別に困ってねえよ』って冷たく一刀両断、すっごい怖かったって」
わあああ。
「だって山口って前も迫ってた訳でしょ、あのボタンの時。大澤君もいい迷惑だよね」
ひいいい。
だから河合君、大澤君を探しに来たんだ。でも大澤君も気の毒だ。こんな噂になっちゃって。まあ少しは……山口も。自業自得もあるけれど。でも山口は自分を安くするタイプなんかじゃない。山口のばか。大馬鹿! アタマに血が上りすぎて、河合君の事、二人に話すのも忘れてしまった。
「でもまさかだよね。あの山口が、ここまでさ、」
山根が怒りもしないで冷静でいる。あまりの思考停止ぶりに、福田を驚かせている。
怒り狂うのは私ひとり。噴火はとどまるコトを知らず、二人をビビらせる。
「あんな素敵カップルに横ヤリだなんて!」
私は『遠くにいる彼女さんを大事にしている』大澤君の大ファンだ。「だってあんなに極上の美少女なら」という全員一致の突っ込みは今回、ナシで願います。また二人に「どうどうどう」と宥められるけど、全てご容赦願います。
「山口、マジ惚れだったんだね」
福田のオトメ発言を、しかし山根が淡々と却下。
「いやあ。多分初めて手に入らなかった事柄なんでないの?」
私達は山根を見る。
「あの人、今まで何でも全部自分の思い通りにしてきたし。今回も大澤君が欲しくって、でも何やっても断られて、どうしたらいいかわからなくなって、結局ああなっちゃったんでないの?」
「そっか、取り乱したのか」
福田も速攻で納得。
「氷川の闘将は鉄壁なんだね」
私もそうかもと思い至った。山口なら何でもアリだろう。だって私もやられたもの。女の子にありがちな事、だろうけど。
小三で同じクラスになった時「私達、親友よね」そうベタベタされて、こちらも心を許した途端、「あんたなんか友達じゃないし。ダサい子って大嫌い」と手の平を返され、沢山ワルクチも言いふらされた。何かが自分の思った通りじゃなかったみたい。そういう目に遭った子が実は同級生の中には何人もいる。男の子も違う形で多分……うん、余罪はかなりありそうだ。
そんな山口だから、今回はみんな「いい気味」と思っていそうな展開も想像がつく。その辺りは女子としてかなり気の毒かも。駅の様子もウッカリ見ちゃったし。
「今の話、聞かなかったことにしたい」
私はボソッと言った。
「ああ、そうすべ」
福田と山根も「メンドくさいしねっ」と、同意した。
受験生に冬休みなんか無くて、年末年始も関係無い。不貞腐れる暇も、まるで無い。
昔からお勉強モード全開の氷川中は、年明けすぐに教室開放がある。先生に質問も可能なこの自習スペースは評判も良く、毎年三年は満員御礼だ。勿論私達もポツポツ集う。
「そう言えば来年度の地方特待生、昨日決まったって」
福田がまたママから聞いてきた。
「バスケは新一年が三人らしいよ」
「わあ、どんなコ達だろうね」
バスケ部は学校の看板なので、毎年一番注目される。でも私達は来年の春にはもういない。次のコ達は大澤君達とどんなチームを作るのかな?
「だけどさ、大澤君達が注意喚起だなんて、やっぱおかしかったよね」
「呼び出されたのは大澤君だけでしょ。河合君は関係なく無い?」
この話は年末のあだ花案件だ。例の山口の告白話は全校的なトピックスに肥大し、大騒動と化してしまった。玉砕後の山口の不登校が噂に輪をかけ、山口の親御さん、『こんな受験期に』って学校に文句を言ったそう。可哀想に大澤君は、重要参考人として先生に呼び出されていた。
その後の成り行きは一切聞こえてこなかった。面と向かって大澤君には誰も聞けないし、バスケ部は一度緘口令が敷かれると鉄壁のガードがかかって、もう真相は闇の中だ。呼び出された時、河合君が心配そうに廊下で待っていた。
「でも不登校なんて、誰にでも起こりうるよね」
三人で大きく頷きあう。私達だって時々学校を休む。自分を保つ為に、限界になる前に休んじゃう。お母さんは「アナタ達にも有給休暇がいるね」って笑って許してくれるけど。学校、めっちゃ疲れるもん。
頷きついでにみんなで「あーあ」と盛大に溜め息もついた。通算何回目だろう。「はやく春がこないかなあ」と、大声で言ってしまう。
外は八方が雪の壁。更に私達には受験の壁。特に私は年末から超絶停滞。ただその理由だけは、情けなさ過ぎて誰にも言えない。穴があったら入りたい。私が不登校したいくらい。
停滞の原因は自爆行為だ。大澤君が生徒指導室に呼び出された時、廊下にいた河合君にお節介してしまったからだ。山口の件で呼び出されてるのは一目瞭然だったので、出来心で、つい。
山口の事、私の中では全部リセットしていた。だのに彼等が振り回されるのを見ていたら、急に彼等が気の毒になって。山口への同情も、消えて。
だけど私、意地悪だった。やりたい事を全部叶える山口に嫉妬してた。
いつからか河合君は何故か私の顔を憶えてくれて、挨拶してくれるようになっていた。それで私は調子に乗って、廊下で待っていた河合君に、
「もし困っているのなら、私、先生達に弁護できるよ」
山口が美術室で大澤君のボタンを見せびらかしていた事、河合君に話してしまった。
そしたら河合君、私の話をジッと聞いた後、
「大丈夫です。アイツ、やましい事は一切ないんで。お気遣いありがとうございます」
そうキッパリと断った。
河合君の大人の対応にも改めて驚いて、同時に自分の幼さにウンザリした。そうだよね。部外者が入ると余計話が混乱するかも。丁度そこに大澤君も部屋から出てきて「この人誰?」みたいな顔して私を見るものだから、もう恥ずかしくなって。「ごめんなさい」だけ言って、逃げるように帰った。
あさはかだった、私。お行儀も悪かった。今まで通りモブに徹していればよかった。私の取り柄は……自分をわきまえている事なのに。
「最近の岩野田は変だよ」
とうとう山根からツッコミが入った。そりゃそうだよね。放課後のモブ活に参加しないんだもの。
「なんかあった?」
福田も聞いてくれるけど。
「……ごめん。イマイチ気分が乗らなくて。でも一緒に帰ろう。美術室で待ってるね」
そう誤魔化し続けてもう十日。三学期になった。今日は志望高の願書の提出だった。私達はどんどん追い立てられている。憂鬱のままじゃいけないのに。
私には今、バスケの観察は辛くて仕方ない。あれから河合君にも……独りよがりだけど会わす顔がなくて、大澤君の事も純粋に楽しめなくて。だけどそれは自分のせい。間違って彼らと同じ目線に立とうとしたから。彼らを見ると自分の平凡さを思い出す。自分にガッカリして、勝手にひとりで辛くなる。
志望校も結局、氷川商にしてしまった。ひとりで美術室に逃げ込んで、うすら寒い中でぼっとする。福田達が観察している間にうずくまる。毎日ここで暗くなっているから、もし美術室のオカルト話が浮上したら、犯人はもれなく私。ゴージャス山口とは全然違う。圧倒的にカッコ悪い私。
だから何故いつも、河合君がここに来るのかマジで謎。大澤君を探しに来るのか普通に謎。それに何が落ち込むって、ドアが開けた瞬間、河合君が私を見て「見ちゃいけないもの見ちゃった」って表情になる所。そんな瞬間を見逃さず落ち込む面倒くさい私。ごめんね。私なんかがこんな所に居て。でも仕方ないよ。ここでしか篭れないんだもの。ここしか、ないもの。
「……大澤来ませんでしたか?」
「……来てないよ」
気詰まりで私は勝手に困る。しかも泣きが入ってグズグズで独りハンカチ大会だし。窓際の効きの悪いヒーターの前でお行儀悪く脚を投げ出していたものだから、慌てて姿勢を直す始末。
学校指定の黒タイツ。私の棒みたいな足、O脚気味で安売りのゴボウみたい。山口のセクシーな足とは随分違う。私の女の子偏差値めちゃくちゃ低い。
河合君はすごく困った顔して、早々に「失礼しました」って帰った。
河合君の、たたた、と響く軽快な足音を聞いてまた落ち込んだ。真っ黒モードを見られるのって女子としてどうなの? サイアクですね。また泣けてくる。で、またまた思い出して、自分の失敗を悔やむ。
せっかく挨拶出来るようになっていたのに。『やらない後悔よりする後悔』と言ったのは誰? んな訳ないよ。激しく後悔中だよ。しない方がいいコトだって沢山有るよ。もっと泣けてきて、一人でまたベソベソ過ごした。
帰る時に福田と山根に本気で心配されてしまい、申し訳なくてまた泣いた。でも話せなくて、
「受験前で情緒不安定だよ」
そう誤魔化した。
でもそうなんだ。結局はそういう事なんだもの。そういう事に、しておいてください。
二人はいろいろ言いたそうだったけど、黙って聞いていてくれた。
「1097。解くな?」「0197。行くな?」「0967。来るな?」
三人で、ギャーと叫んだ。
久し振りの美術室。それぞれの私立高入試が明日に迫り、受験票をいただいた私達。にしても全員ありえない受験番号なんですけど。
「神様から好かれてないのがよくわかった……」
「滑り止めを落ちるのは嫌だが最後に七を呼んだのが敗因だ」
「敗因じゃないー!」
山根の分析に福田と二人で突っ込んだ。そう、まだ落ちてはいないし、絶対落ちたくなんかない。
「そういえば山口、白桜女子に学校推薦だって。公立受験は辞めたんだね」
福田の情報に、私達は「ふうん」と返した。他に言いようがなかった。
山口はその後もキッチリ不登校をしていた。でももう誰も大澤君が原因だとは思っていない。白桜女子は地域のお嬢様学校で、難関校のひとつだ。その推薦が通る山口は、やっぱり優秀。
でも私達も自分のコトで精一杯。明日が私立受験、三週間後に公立受験。卒業式当日に私立の合格発表、次の日に公立の発表。ここまで来たら全力疾走と神頼みしかない。
福田は結局、自分で決めた志望校を貫いた。毎日努力もしたから福田ママも折れたって。山根は最初から堅実にそつなく準備中。こういう人がいると集団は上手くおさまるんだ。私も少しずつ受け入れた。自分の身の丈にあった事をしようって、あの失敗から学んだ。痛い想いをして、やっと受け入れる気持ちになれた。今更だけどね。
今年はバレンタインの友チョコも出来なかったし、流石にバスケ見学も中三生はお開きみたい。
「でもモテてたらしいよ。大澤君も河合君も」
「バスケは当然だよね」
話しながらも二人は私をチラチラと見る。私の反応が鈍くなっているからだ。気を使わせるのが悪くて、先に席を立った。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
明日の私立入試、私の受ける学校は二人の受験校より遠いから。
「明日はお互いがんばろうね」
「あ、うん……」
福田が何か言いたげだった。でも山根が「またね」と言った。
「私立済んだら、ね」
帰り際、廊下にある美術や技術家庭の作品棚に目がいった。一年の棚の前では、河合君の作品を探すのが癖になっている。彼は器用で、どの作品もとても上手。それから大澤君と同じで、道具も丁寧に使う事にも気付いた。評判通りの素敵な子だ。
私は寂しがっている。大澤君はどこにいても存在感が凄いけど、河合君はパッと見普通。だけど次期キャプテン候補で、大澤君も河合君の事は最初から一目置いているそう。
(凄いね。ただの小さな男の子じゃないんだね)
ゆっくり階段を降りていたら、たたた、と、河合君の足音が聞こえたような気がした。
やっぱ寂しい。なんか、悲しいなあ。
私立受験がひと段落すると、三年の雰囲気が二通りになった。もう受験終了の子と、これから本番の公立組。クラスやグループによってはゴチャつく所もあるけれど、幸い私達三人は仲良くしている。後少しで本番だから、気が抜けないんだ。
「公立の受験番号はウンとハッピーなのがいいなあ」
山根が呟いた。うんうんとうなずく福田と私。
「0114、いいよとか」「0194、行くよとか」「0514、来いよとか」
「きゃー、それいいな! 0514!」
「でもなんかヤラシイ意味にもとれるけど!」
思いっきりゲラゲラ笑った。気分転換だ。箸が転がっても無理矢理笑う。
「来いよと言えば」
不意に山根がつなげる。
「この間河合君が美術室に、来た」
この間って? 一瞬ぼんやりした私に福田が教えてくれた。
「私立の前の日だよ」
ああ、それなら私が二人より先に帰った日だ。
「河合君、また大澤君を探しに来たの?」
私の声に二人が目を合わせる。
「大澤君? なんで?」
「だって河合君、何回か探しに来てたよ。前にもここで会ったことあるもの」
そう言う私に山根が遠慮がちに聞いてきた。
「あのさ岩野田。なんかあった?」「え?」
福田もおずおずと聞いてきた。
「もう時効にさせて?」「時効?」
「年末の山口騒動の時、岩野田、河合君と廊下で話してたでしょ。それから岩野田、元気なくしたからさ」
「気になっててさ、あの、その……」
あの山根が言いにくそうだ。それって例の件だ。二人はとっくにお見通しだった。
でも考えてみたら当然かも。あんなに派手な話、誰にも見られない筈がない。見守らせちゃってごめんね。二人に申し訳なくなった。
やっとコトの顛末を話せて、同時になんかホッとした。
「岩野田おマヌケ!」
そう笑ってくれると思っていたら、二人とも真面目な顔だった。恐る恐る彼女達の反応を待つ。この話って笑えない? 私やっぱ変だったよね。あのう……。
「ま、大丈夫じゃない?」
「河合君、前期美化委員だったそうだから」
二人からいきなり意外な事を聞かされた。
「誰が?」「河合君が」「河合君が!?」
私は唖然とする。
「岩野田、憶えてないんだね」
「半年間同じ委員会だったみたいだよ、キミ達」
私は呆然となった。美化委員の前期は死ぬほど忙しい。花壇整備。環境管理。体育祭と夏休み中の清掃、他もろもろ。委員長は評定狙いで立候補したけど全っ然使えなくて、結局仕事を熟知した私が走り回って終わった。正直、土埃にまみれた記憶しかない。あれ、河合君……あそこに居た?
「嘘、気付かなかった」
「やっぱそうか」
福田は呟く。
「実は私達もなんだよ。大澤君は入学早々目立ってたけど、河合君は全国大会後のブレイクだったからね」
山根も語る。
「年末にフリスペで他の子から聞いて、私達もビックリで。すぐ岩野田に聞きたかったけど、岩野田ずっと元気無いし。でもそんな話聞いた事ないから、これは憶えてないなって」
うわあその通り……!
「だから河合君は岩野田を知ってるんだよ」
「美術室でもちょこちょこ会う羽目になって」
二人ともクスクス笑う。ナンダナンダ?
「とにかく何も気にしなくていいよ」
そうかなあ?
「山口の件も間違ってなかったと思うよ。私達もそこに居合わせたらそう提案したかも」
「それに河合君ならきっと誰から言われても断るよ。責任感強そうだもん」
それは判らないけれど、二人が肯定してくれるのは私への気遣いだ。
「岩野田、まさか河合君の彼女狙いとか?」
とんでもないそんな大それた事! ぶんぶんぶんと首を横に振ったら、また笑われた。
「ヘタレめ。野望も無いくせに何をそんなにカチカチしてんだ」
妄想のなせる技だった、そういう事にしてくれたのだった。
「もうすぐガチ受験だよ。それ以外はマッタリいこう」
でもその何日か後に、あの時の山口の気持ちを思い知らされる羽目になった。彼女が大澤君に取り乱してしまった衝動がよくわかった。なんだ、一緒だ。誰でも有り得るコトだ。よくわかったよ、ごめん山口。直接は言わないけどね。
学校に救急車が来たら誰だって驚くでしょう?
放課後三人で美術室にいたらいきなりサイレンの音がして、体育館脇に停まった。驚いて外を見たら、河合君が先生と一緒に乗車する所で。みんなで慌てて見にいった。
恥ずかしながらその時浮かんだのがまたよくない想像で、トトロのさつきちゃんだった。
「お母さんが死んじゃったらどうしよう」
そんな場面じゃないのに。河合君はストレッチャーどころか自力でスタスタ歩いて、誰が見ても大丈夫そうなのに。どうしようもない私。あの、本当に、お馬鹿なんだけど。
今さら気付いた。私、もうすぐ卒業するんだ。河合君に会えなくなったらどうしよう。会えなくなっちゃったら。
そうしたら泣けてきてしまった。どこのオトメだろ。嘘みたいにポロポロな私に、福田と山根が焦るやら驚くやら。でも一緒にいてくれて良かった。一人だったらもっと怪しかった。その時に思い知らされた。華やかな山口とは私の状況も行動もまるで違うけど、取り乱す気持ち、わかった。それから、自分の気持ちもわかった。
福田と山根に羨ましがられた。
「マジボレいいなあ」
そうかな、この時期にだよ? だから私「でも苦しいよ」って溢した。
「ナニ言ってんの。日々の彩りじゃん。中学生活、最後に潤ったじゃん」
「そうだよ。モブより全然上等だよ」
そうかなあ。
でもどうしようもない現実が残った。その、グチャグチャに泣いてる所、バスケ部の皆さんにがっつり見られてた。でもまさかそのせいなのかな、コレって。
「ほら、全然気のせいじゃないんだけど?」
「ドンマイ、気にすんな」
それからというもの、めっちゃ見られる。めっちゃ笑われる。すれ違いザマにニヤニヤされる。こんな地味系な私が、あんなに目立つバスケ部の子達に!
「うわーん! やっぱなんか変!」
「何が、だから大丈夫だって」
「どこがよ!?」
それに福田達も絶対、変。だって二人ともそう言いながら笑ってる。特に大澤君が私を認識しているのは何故? すれ違うたびに「お、この人だ」って感じ。何!? やっぱこの間泣いてたから?
山根が聞いてきてくれた。この間の河合君は、持病の喘息が出たんだって。自分でちゃんと救急対応出来たらしいけど、初めて発作を見た父兄の人が慌てて救急車を呼んでしまったそう。やっぱりそれで大事を取って、病院にいったそう。
河合君はちゃんと自分で判断して動けるんだ。小さい時から自分と向き合ってきたヒトだ。今までどんなに大変だったろう。
あんまり私が落ち込んでいるものだから、二人は妙な情報を話し出した。
「なんかさ、河合君って、美術室が好きらしいよ」
「うん、去年大澤君にからかわれて怒ってたよね」
「え、そうなの?」
驚く私。
「でも美術室なんて昔から誰も使わないよね」
「だから私達が入り浸ってたんだけどね」
不安になる私。
「ねえ、河合君、美術室使いたかったとかじゃない?」
「は?」
「美術の課題があったとか……まさか私、邪魔してた?」
「え、いや、そうじゃなくて」
福田が眉に皺を寄せた。
「……もう気にするな」
山根が言い放った。
「ええ? だって、気になるよ。迷惑かけてたかもしれないじゃん」
「いや、もう、いい、なんでもない……」
何でもなくないよ!
いや、しかし私にはもっと大変な事がおきてしまった。受験生的に大ピンチ。
公立一般試験の最終倍率発表。氷川商業情報処理科、三・五倍。さんてんごばい!?
サンテンゴバイ。なんの呪い? なんのマジナイ? 目の前が真っ暗になってきた。
「今年度さ、上位レベルの高校が軒並み定員削減してきたよね」
おなじみ山根の分析。ずるずるとヒエラルキーの下に庶民は流れ、結果……。
「かなりの子達が専科に流れたらしいね」
ナニソレ辞めて! その道は最初から希望していたヒトに譲ってよ!
福田の志望校の倍率は一・三倍、山根は一・二倍だ。二人は私に哀れみの視線を向ける。
だけど倍率が高いのは有り得る話だ。氷川商は昔から体育会系部活や検定コンクールの武勇伝が多い。有名大学の学校推薦枠も沢山あって、文系受験では近隣の普通高校より強いと評判。それで実は私も、将来もしかしたら、って……やっぱりどこかで夢見てしまう。
職員室の前に張り出された倍率表を三人で見つめる。でもどれだけ見ても数字は減らない。
「どうしたらいいんだろ私?」
二人は何も答えない。そりゃそうだ、今のは愚痴だもの。
「ごめん、こんな事。答えようがないよね」
「……」
「自分で踏ん張るしかないよね」
「……」
「うん、そうだな、自分でやるんだよな」
「……」
「お互いがんばろうね」
「はい」
あれ、声が違う。隣の二人を見た。そしたら、二人は知らない間に遠くに離れていた。他にも階段の壁側で何人も息を潜めている気配がする。何このシチュエーション、どういうコト?
河合君が私の隣に立っているのは何故!?
唐突の展開に固まった。隣で見る河合君は思ったより小柄で、やだどうしよう、私の方が背が高い。
「高倍率で大変ですね」
話しかけられても動けない。だって遠くに福田達、それからよく見ると、階段側に居るのはバスケ部だ。私が、私が見られる側に。慣れないよこのポジション!
疑問点そこじゃないんだけど。でも。
「ね、みんな見てるよ。何の罰ゲームに来たの?」
うっかりそのまま聞いてしまう。これはもう絶対何かの悪戯でしょう。
河合君が眉を八の字にして言う。
「罰ゲームじゃないです」
そして階段のほうを見て、ああ、と諦めの溜め息をつく。
「スミマセン。毎年恒例らしいんです。メンバーが渡す時はああするらしくて」
毎年恒例? 渡す? ああする?
「何を渡すの?」
「ええと、」
河合君がゴソゴソとポケットから何かを取り出した。
「これ」
氷川バスケ部の全国大会用のリストバンドだ。
HIKAWA 8 KAWAI
ちゃんと河合君の背番号と名前の入った、水色の。
「よかったら、持っていってください」
持って……ええ? いいのかな!?
これ、氷川中のジンクスだ。バスケ部のリストバンドを受験に持っていくと必ず合格するって、昔からの。みんな貸してもらいたくて、毎年争奪戦になるレアアイテム。
「借りてもいいの?」
「どうぞ。ホントは私立の時も貸したかったんだけど」
「わあ!」
すごく嬉しい! 心強い! だけどなんで?
「夏休みの、お詫びです」
夏休み?
「岩野田さんが、オレの花壇当番全部やってくれてました」
夏休みの美化当番。でも私は河合君の分をやった憶えがない。副委員長は毎日登校が当たり前だったので。河合君の当番は関係なく、そういう仕事だったので。私のバカ! 河合君の事、マジで憶えてない!
「大澤のが借りれると良かったんだけど、アイツ絶対他人に貸さないし。オレのでスミマセン」
「え、なんで。なんで大澤君?」
「岩野田さん、大澤のファンだから」
河合君の言葉を聞いて胸が痛くなった。前期の河合君を憶えていない事とか、それから、確かに私は大澤君のファンだけど、でも今は、今は……。ああもう。なんか「私のバカ!」って気持ちになった。ばかばかばか。
「ありがとう。河合君の借してもらえて、めっちゃ嬉しい」
でもこれが私の精一杯の気持ち。今言えるのはこれだけでショボイ。
「みんなに羨ましがられるよ。本当にありがとう。美化委員やってよかった。全力で頑張れるよ」
一学期からやり直したい、ってすっごく後悔しながら伝えた。
「氷川商は母の母校なんです。難関突破、がんばってください」
河合君はそう言ってまたニコ、として去っていった。たたた、って足音が耳に残った。
(そうなんだ、氷川商、お母様の母校なんだ!)
落ち込みつつも観察グセは抜けないのが悲しいサガ。角を曲がった河合君は、待ち受けていた他の部員達から手荒く扱われていた気配がした。
福田と山根にもかなりイジられた。
「だからあ、私立入試前に河合君が美術室に来たって言ったでしょ」
ホント嬉しい。河合君、なんて律儀なんだろ。嬉しくって……寂しい。
入試まで後一週間。卒業式はその一週間後。悪あがきだけど精一杯やってみるよ。
その後は人生初の集中力で勉強した。質のいい睡眠も心掛けた。
質の良い睡眠のせいなのか、とある寒い日の朝方、夢の中の私は夏休みの美化清掃をしていた。随分リアルだったから、ただの記憶の巻き戻しかもしれないけど。
学校指定のジャージで暑い中水撒きをしていたら、何人かの一年が部活に遅れる事を気にしていた。厳しい事で有名な吹奏楽部とテニス部だった。
「いいよ。後はやっておくから、早く部活行きなよ」
そう言って帰す事が、私は時々あった。叱られると可哀想だから。
ついでに他の部活の子達も帰してしまったけれど、一人だけ一度、やたら私の作業の多さを気にしてくれたコが、いた気がする。
「いつも先輩ばっかり大変ですよ。大丈夫ですか?」
(小柄な男の子だったけど。あのコって河合君?)
目覚めた後、そのコの顔を思い出そうとした。でも夏の日差しと花壇のマリーゴールドとサルビアしか、どうしても浮かばなかった。
受験当日はよく晴れた。街中の雪と氷が、朝日でキラキラ光ってた。
お母さんが作ってくれたお弁当を鞄に入れて、河合君のリストバンドを左手に家を出る。氷川商を受ける子はうちの中学からは四人。でもみんな違う科を受けるので、実質は個人戦だ。地下鉄の駅で福田と山根と待ち合わせて、お互いを励ましあって、それぞれの学校に向かった。
でもリストバンド、貸してもらえて助かった。全然寂しくない。河合君の今までの事……氷川中の入学とか、一年からのレギュラー入り、全国大会の決勝までの激戦が思い巡る。バスケ部の気持ちに触れて、勇気とパワーがめっちゃ出る。ジンクスの訳がよくわかった。
今までの全部を思いながら試験問題を解いた。どんな結果が出ても後悔しない様に、精一杯したつもり。左手がずっと、暖かかった。
(だけどホントに私が借りてよかったのかな?)
帰り道に左手を見ながらつくづく思った。大澤君のファンなのがバレてるのも地味に辛い。それに河合君の夏休みは殆ど部活で埋まる事も思い出した。練習と各予選試合からの全国大会。勝ち上がった分活動日程も延長で、美化当番なんて無理だった筈。だから今朝の夢はやっぱりただの夢だね。夢と現実は分けようね。
さあ、今後も今まで通り、何事もなく無難に過ごそう。リストバンドの件はきっと神様からの応援。超難関の倍率を慰めてくれたんだ。神様ありがとう! 出来たら合格もよろしくお願いします!
家に帰ってホッと一息ついて、いよいよ卒業の気分が盛り上がってきた。卒業式まで後一週間。これで中学生活終わり。
だけどまさかこんな土壇場で、こんな経験をするなんて思わなかった。モブとしてひたすら無難を目指した中学生活は、ラスト一週間で砕け散った。
一年女子ゴトキに呼び出されるとは、一体どういう了見でございましょう?
「先輩って河合君の何なんですかっ」
私を拉致ったのは可愛い声の二人組だった。まさかそんな事がわが身に降りかかるなんて。最も河合君のリストバンドを借りたコトって、私には非常事態だけれども。
「私達の河合君をとらないでっ!」
(わあ、ホントにこういうセリフ言う子がいるんだ!)
違う所で感動する私。モノ珍しくてつい彼女達をしげしげと観察していたら、とうとう山根が私を救出に来た。
「アンタ達ナニ? 私達、これから卒業対策委員なんだけど」
山根の迫力に一年女子達は泣きながら去っていった。勿論、影では福田が笑い転げていた。全てがお芝居じみていて、モノ凄く面白かったんだって。
山口にもがっつりガンをとばされた。階段の踊り場ですれ違って、久し振りに校内で見たと思っていたら
「マジでアンタが河合君オトしたの?」
そうかましながら、私を上から下まで「ふうーん」って舐める様にジロジロと。
こちらも相変わらずのデカい態度に固まったら、
「だからいつも身綺麗にしろって言ってたのに」
だからって……だからってナニ? どういう意味なの? 山口、小三の時から全っ然変わってない。
とにかく話が大きくなっている。他の女の子達にもヒソヒソ睨まれ、ついでにちょくちょく絡まれて。リストバンドを借りただけなのに、「放流した稚魚が大きな鮭になりました」という噂の定義を、身をもって学ぶ羽目になった。
卒業式まで噂は残った。私は『河合君のリストバンドを持つオンナ』として全校から大注目。こんな疲労と緊張は初めてだ。
「最後までタノシー!」
「もっと寂しくしっとりと卒業式を迎えると思っていたのに!」
そう言って笑う福田と山根は、半分泣いてもいる。でもそれは私もだ。やっぱりこの三人での毎日は楽しかったもの。高校もホントは一緒に行きたかった。
「でも最後に岩野田に笑わせてもらえてよかった」
「さあ後ひと踏ん張り。ラストも派手にやらかしてね」
今日を逃したらもう河合君に会うチャンスもないので、冷やかす二人を睨みながらご本人を探す。
早く河合君にお返ししなきゃ。大事なリストバンド。
でも返せなかった。
人込みの中で河合君を見つけて、周囲の視線を感じながらバンド入りの紙袋を渡したら、
「発表が全部終わるまで持ってた方が良くないですか」
逆に心配され紙袋からまた出して、改めて「どうぞ」と渡された。
その紙袋に連絡先を書いてくれて、それも持たされた。
「結果はまた教えてください」
そう言いながら、
「あ、でもオレ、これから全国選抜でバタバタするんだ」
コレは使うんじゃないのと焦ったら、選抜のユニは氷川のじゃないから大丈夫だって。よかった。それからお互いの春休みの予定を聞いたり、聞かれたり、した。
細々とやり取りをしていたら、結構時間が過ぎていたみたい。
「岩野田ーまだー?」
とうとう福田達に呼ばれた。
河合君にあらためて「卒業おめでとうございます」と言われて、ちょっとジンとした。
「くそっ、仲いいじゃねーか」「笑えないじゃないか」
二人に嫉妬された。
でも、もう一回借りておいてよかった。私立は合格だった。でも公立は補欠合格の一番で、正式に決まったのが合格発表の二日後。ひとり家の転勤で欠員が出てギリギリセーフ。薄情な結果にならなくてよかった。
河合君! リストバンド貸してくれて本当にありがとう!
「オレでジンクスが途切れなくてよかった」
連絡が来るまでかなり緊張したよ、そう河合君から、後で聞いた。
**
はい、こちらはハルヤマ動物園です。名物のトビのフリーフライトは本日も皆を魅了しています。私の隣には河合君がいます。私に何が起きたのでしょう?
全国選抜大会を終えた河合君から地下鉄の駅に呼び出されたのは、春休み後半の朝だった。
リストバンドをお返しするのに駅? と訝りつつ出向いたら、そこには河合君と、何故か大澤君の姿も。動揺していたらあの美少女の彼女さんまで合流し、更にパニクる私。
「動物園ー 河合君はお目目をキラッとさせた。
「見てればわかるよ」
そう言って笑った。
日々の生活に恥じる事はないけれど……オノレの嗜好を見透かされて顔が赤くなった。なんで見ていたのかな……。
でもでもとっても楽しかった。動物園も勿論だけど、大澤君の観察はサイッコーに楽しかった!
だってアリーナ席でずっと大澤君カップルを見られるなんて。しかも河合君の解説付だなんて。もう可笑しくて楽しくて、ずっと河合君の隣で笑ってた。
大澤君は典型的なツンデレさんだった。学校ではドーベルマンとオオカミの掛け合わせみたいな風貌なのに、彼女さんの前では躾の足りないラブラドールみたいに可愛いワンコちゃんなんだ。彼女さんが大澤君の地元の友達のお姉さんで、四つも年上だとか。デートが月に一回出来るか出来ないかで、出かける前はいつも「今日こそオレは棄てられるんじゃないか」とビクビクして萎縮三昧だとか。
「アイツ、この件に関しては恐ろしくヘタレだよ」
河合君は心底可笑しそうに笑って言う。
「でもこんな話、岩野田さんにしか言わないから。内緒ね」
ハイ、了解。でも今日私がずっと、河合君の隣にくっついて歩いている事も、みんなには内緒。肩が触れ合ったのも内緒。
彼女さんの名はミヤコさんといった。
「私達の名前、似てるね」
私はみかこ。名前だけはそっくりだ。
「私もミヤコさんみたく可愛くなりたいな」
思わず言ったら、
「あれ? 河合君は氷川中で一番可愛いのはみかこちゃんだって言ってたけど」
極上の笑顔で返された。
内面まで完璧な美少女ぶりに思わず赤面。大澤君も溶けるよね……じゃなくて。ええと。ミヤコさん。今、なんて?
動物園の奥には爬虫類館がある。散々歩き疲れたけれど、コモドオオトカゲを見たい男子チームに、私達はこわごわついていく。
落とした照明とムワッとした亜熱帯の空気がちょっと不気味っぽくて異空間で怖い。しかもさっきから大澤君達が甘すぎなので、私達は距離をとる。
「イチャイチャはもうご勘弁。チューなんか見たくなくね?」
河合君の読みはかなり正しい。
「実は私、さっきもその角で」と告発したら、「それは災難」と、察しよく気の毒がられた。
展示室の中央に、白い大きなヘビさんがいた。目と舌がルビー色で、元気にニョロニョロ動く。
「あ、この子は怖くない」
「ホントだ。なんか可愛い」
大澤君達はまた行方不明だけど、もう気にしない。
「ここにいるとハリーポッターだね」
「でもガラスがなくなったら困るよ」
「魔法使いにはなりたいけどね」
「あ、魔法で思い出した」
忘れるところだった。ジンクスのリストバンドを鞄から出した。
「どうもありがとう。助かりました」
返そうとしても受け取らないんだ。なんで?
「河合君?」
そうしたら、ひどく早口で言うんだ。
「よかったら持ってて」
そうして慌ててヘビさんを見るフリをする。
「オレ、次は四番もらうから」
四番。河合君の、次期キャプテン候補の噂を思い出した。
横顔を見た。綺麗なオデコで賢そうで。それから、頰が赤くなっている。でも多分私も真っ赤だ。だって氷川のリストバンドにはもうひとつお話がある。昨年度のをもらう事は、カノジョの証なんだ。
「私、もう高校だよ」
「大澤達のコト見てきてるから、出来ると思う」
河合君が、私にリストバンドをはめながら言う。
それからちょっと考えて、付け加えるんだ。
「続くよ。きっと」
だからドキドキで聞いてみる。
「去年、夏休みの当番、来てた?」
「うん、一回だけ」
小柄な男の子が「大丈夫ですか」と聞いてくれたのを思い出した。
白いヘビさんがよかったね、と言った。ヘビ語、わかんないけどね。




