◇まずは拠点の確保が優先(3)
かつてと言っても、それはもう三十年ほど昔の事。当時は、後にバブルの絶頂期と言われる時期と重なっていた。
現在のような個人を優先し多様化していく文化でなく、戦中、戦後の暗い閉塞感を払拭するかのように、皆が同じ方向を駆け続けて辿り着いた、バブル文化が華ひらいた時代。ディスコでの狂騒、トレンディドラマのようにスキー場で恋に落ち、まるで物語の主人公の如く若者は自由を謳歌していた。そんな時代と共に日本全体が輝いていたのだ。
尤も、それは幻だったのだと、後に国民の全てが思い知ることになるのだが。
とにかくその絶頂期、美恵子もまだ若く夢と希望にあふれる女子大生だった。
「ちょっとぉ、ヒロ君またいくのぉ!」
「ごめ〜ん、先輩に誘われたら断りづらくてさ」
「せっかくの連休なのよ!」
「いやホントにごめん。ほら、帰ったらこの埋め合わせは必ずするから」
「前もそんな事を言ってたのに!」
頬を膨らませ語気を強めて詰め寄る美恵子に、男は気弱な笑顔で言い訳を繰り返していた。
男の名前は加藤浩之。
美恵子が高校一年の時に告白され、かれこれ三年以上も付き合いが続く二つ歳上の彼氏だった。といっても肉体関係を持ったのは、大学生になってからである。高校時代は付き合っていると言っても、精々が駅前の映画館へ一緒に足を運ぶぐらい。いつもは近所の公園のベンチに並んで座り、日暮れまでたわいもない話をするような健全なものだった。
当時の高校生としては、極めて全うで当たり前の交際。けれど、そこには恋人といっても生臭く艶めいたものなどない。そこに在るのは、キスひとつするのにも大騒ぎするような、高校生特有の少し甘酸っぱく初々しさの伴うものだった。
当時の高校生の恋愛事情など、大概はその程度だったのだ。
しかしそれも、高校を卒業すると全てが変わる。
そう、小、中、高と徐々に生活圏は拡大し、高校卒業後には、誰しも生活スタイルそのものが一変してしまうものだ。
小学生の頃であれば家の近所か学校周辺が遊び場だろうか。中学生になっても基本は変わらず、校区が広くなっただけ多少は行動範囲も広がるだろう。そして高校生にもなれば、また少し広がる。私学なら、バス通学あるいは電車通学などの交通手段によっても行動範囲は広がっていく。たまに友達と誘い合わせて、隣町や何処かのイベント会場まで足を運ぶ事もあるだろう。しかしそこはまだ高校生。本来はまだ勉学が本分の身であり、社会からも大人とは認識されず制限が掛けられ、社会全体から守られている存在でもあるのだ。
しかし、卒業後はその制限が外れ世界が変わる。中には一足先に社会へと飛び出し、勉学から解放される者もいるだろう。大学への進学を選んだ者にしても、息が詰まるような受験からは解放される。
入学当初の頃はまだ未成年ながら、ある程度は大人としても認められるのである。そこにはまだ学生ながら、大人としての責任も求められるのだが、それを忘れてとにかく浮かれる。
そして、美恵子が大学へと進学した頃は、バブルの真っ最中。社会の世相そのものが浮かれていた時代だ。周囲はサークルの新歓コンパだ何だと繁華街に繰り出し、大いに楽しんでいた。そんな明るい雰囲気にも押され、美恵子も浮わついた気分を、自由を満喫していた。
彼氏である浩之を追いかけるように進学すると、大学の近くに部屋を借り一人暮らしを始めた。しかも先に進学していた浩之の部屋に入り浸り、半同棲のような生活を送っていたのである。
美恵子にとっては、夢のような生活が始まるはずだった。
だが、実際は――浩之は大学に入学すると何故か登山部へと入部し、美恵子が大学生になる頃には趣味の範疇を逸脱し、かなり本格的な登山家を目指すようになっていた。だから、週末や休みが重なる連休などは、先輩に誘われるまま山へと向かうのが常になっていたのである。
この日も、明日から始まるゴールデンウィークに何処へ遊びに行こうかと、美恵子が相談を持ちかければ、浩之は慌てたように視線を逸らしたのだ。不審に思い問い詰めれば、「先輩に誘われて、ちょっと立山まで……」とすまなそうに言い訳を始める始末。
何が悲しいかって、今まで浩之が黙っていた事にである。聞けば、誘われたのは先週との話。それを言い出せず、うじうじと悩みながら美恵子のことを窺いつつ、登山の準備をしていたのだ。その間、連休はどうしようかと、美恵子はうきうきと楽しみにしていたのにである。
だからこそ、猛烈に腹も立つ。
「……もう、勝手にすれば良いでしょう!」
それでもぶちギレる美恵子を部屋に残し、
「必ず埋め合わせはするから……」
と、浩之は逃げ出すように部屋を後にするのだった。
万事がこんな調子。
当時は携帯電話なども、ようやく出回り始めた頃。まだまだ一般には普及もされていない。ましてや、それほど金銭的に恵まれていない大学生が持つようなものでもなかった。だから、いったん登山に行くと、もう連絡をとることも叶わないのである。
せっかくの連休なのにと美恵子の不満は募るばかり。大学生になってからは、ストレスもたまる一方だった。
そんな時に美恵子が決まってするのが――浩之の部屋には一台のパソコンが置かれていた。そのディスプレイに向かい、一枚のフロッピーを差し込む。軽快な音楽と共に画面へ浮かぶのは『幻想の王国』との文字。
そう、テレビゲームなのだ。
浩之が友達から貰ってきたファンタジー系のシミュレーションゲーム。この頃は家庭用のゲーム機ならRPGが、パソコンのゲームでは戦国時代の武将などを題材にしたシミュレーションゲームが流行っていた。『幻想の王国』は、そのファンタジー版だった。
ただし美恵子は、それほどゲーム好きという訳ではない。ただただストレスを発散するために画面と向き合う。
『幻想の王国』は武将を選ぶ変わりに、種族を選択する。その選んだ種族によって様々な特性が付与されるのだ。例えば、魔族系は魔力特化型が多く、ヒューマンなら汎用型。それ以外にもドラゴノイドの頑健さや、獣人系の移動力や素早さ等々の特性が、その後の戦略を大きく左右するのである。
そのため、選択種族によっては毎回違った展開が望め、そこがこのゲームの面白さなのだが、美恵子が選ぶのは決まってゴブリン。
特性は繁殖力。
数はそれ自体が暴力。圧倒的な数によって画面をゴブリンで埋めつくし、他種族を蹂躙する。
画面に向かって「蹂躙せよ!」と叫び、世界を征服する事で快感を得る。それこそが、美恵子のストレス解消法だった。
といっても、ゲーム内のゴブリンは弱い。とんでもない程に。ヒューマンと比べれば、その能力差は十倍近い。ドラゴノイドに至っては、約百倍。まともに戦えば、幾ら繁殖力が高かろうが、序盤であっという間に叩き潰される。
だから美恵子がいつも遊ぶのは、イージーモードである。これは初心者用の簡易版。CPを消費し、『知の宝珠』『武の宝珠』『技の宝珠』『工の宝珠』などを召喚するワールドマジックが使用可能なのだ。この宝珠のレベルを上げる事で、ゴブリンの能力を底上げ出来る簡易版ならではの仕様。これによってゴブリンの弱点は克服され、誰にでも簡単に世界征服出来るのだ。
もっとも、ゲーム好きの人なら、もっと難易度の高いハードモード。或いは普通の人でもミドルモードを選択するので、このイージーモードで遊ぶ人は滅多にいないのだが、美恵子にはこれで十分だった。
元々がゲームに凝る方でもなく、あくまでも目的はストレスの発散なのである。
そして、この日も溜まった不満を爆発させる。 画面に向かって「蹂躙せよ!」と。
しかし、そんな子供じみたストレス解消法も、それほど長く続く事もなかった。
それも当然だ。
大学での友人もでき、年齢も二十歳を過ぎれば、飲み食いや旅行などに興味は移り、自ずとゲーム以外でストレスを発散させていくものである。
いつしか『幻想の王国』の事は記憶の底に埋没し、忘れ去るのは当然の結果であったのだ。