27話「平和な時」
夏休みも残すところ今日を入れて4日となったある日。
俺は現実で夏休みの宿題を終わらせようとしていた。
数学や英語などの課題はエルや鈴のそれを「参考」にさせてもらったおかげで時間がかからず終わったのだが、最後に残ったものが厄介だった。
「小論文ねえ……」
しかも自由テーマである。自分でテーマを選べるんだから簡単、というのは、得意分野を持っている人間の言葉である。俺が好きなのはVRゲームだが、あくまでもプレイするほうの専門であって、プログラムとか仕組みに特別詳しいわけでもないのだ。
ちなみにこの課題は成績そのものにこそ影響はないが、学校側から頻繁に催告されたり、推薦などを拒否される場合もあるため、非常に厄介である。
いつもならスマホの画面越しに助言をくれたりからかったりしてくる銀髪はいない。
現在、VRSGを媒体とするネットワーク空間は、近日公開予定の大型アップデートのための大型メンテナンスの真っ最中で、オンラインもオフラインも利用ができなくなっている。
そのメンテナンスで全ての人工知能が一度帰っているため、ネイトがいないのである。
「――それならバーチャル・ゲーマー・カンパニーで誰かに話を聞けば良いじゃない。開発途中の面白い話が聞けるかもしれないわよ?」
小論文の題材と内容について、同級生でありゲーム仲間でもあるエルに助言を求めると、そんな回答が当然のように返ってきたが、相手はVRゲームの市場のトップシェアを誇る企業だ。ただの夏休みの課題のためだけにそんな労力は使ってくれないだろう。
「聞いてみればいいじゃない。知り合いくらいいるでしょ?」
エルの言うとおり、開発担当の何名かはこの前の大会の時に現実での連絡先を聞いているが……。
「メンテナンスで忙しそうじゃないか?」
「直接が不安なら回り道よ。リンカとかオモチにでも連絡すればいいわ」
なるほど……。
エルの助言に従って凜華さんに電話をかけたが繋がらなかったため、俺は連絡がついたお餅さんと待ち合わせをしていた。カンパニーの技術者に話を聞きたいと言ったら、お餅さんが連絡をしてくれたので、事前のアポイントメントは完璧だ。
「お待たせ」
現れたお餅さんは、地味な半袖のシャツとジーンズというラフな格好に伊達眼鏡という地味装備である。
ナルシストキャラなゲーム内とは違い、自称オタクゲーマーらしい。
「カンパニー側には一応話は通しておいたけど、手の空いてるエンジニアがいるかどうかは分からないらしいよ」
そういうお餅さんに軽くお礼を述べて、彼に続いてオシャレなオフィスビルの入り口を通り抜ける。
「とりあえず応接間でいいかな」
3階までエスカレーターで上がると、様々な商品やゲームのポスターが壁に貼られた廊下を進んでいく。
「じゃあここで待っててもらえる? 多分誰か来るはずだから」
それから10分くらい待っただろうか。ようやく俺の応対をしてくれるらしい人が扉を開いたが、それは知った顔だった。
「ようこそ、最強のプレイヤー」
少しからかうようなニュアンスを含ませながら微笑を浮かべ入ってきたのは、VRSGのオンライン界最強のプレイヤーである亡霊こと霧島幸人さんだ。
「悪いな、待たせて。知っての通り大型のメンテナンスで……って言っても実はエンジニアの手が必要なのは最初と最後だけで、あとは優秀な管理人工知能たちがやってくれるんだが」
それで話って何だ、と本題に入ろうとした相手に頷いて、課題の要項のプリントを差し出した。
「小論文……なるほどな。それでどうせならVRゲームに関係したことを書こうってことか? 頼んできたのがお前じゃなきゃこの場で断ってるところだ」
「すみません……」
「まあいいさ、ならとっておきのものを見せてやろう」
霧島さんが俺を連れて行った先は、様々な機械が置かれた広い研究室のような地下の階層だ。
「VR技術の発展は、どこまでいくと思う?」
唐突な問いに、少し思考開始が遅れてしまう。
「現実と遜色ない経験ができるから……VR世界に移住したりとか」
「はは、移住か。そりゃいいな」
少し明るく笑った彼が俺に差し出してきたのは、変わった形の眼鏡だ。フレームが機械的でやや重いこととを除けばただの近未来的なデザインのそれにしか見えないが、俺にはどんなものか想像がつく。
「……いいぞ、かけてみろ」
促されるままに眼鏡をかけると、それをセンサーの類いが関知したのか、目の前に「認証」の文字が浮かび上がった。
やはりこれは現実世界にデジタル情報を重ねて表示するAR機器なのだろう。
すると少し遅れて、視界の中に銀髪の人工知能、ネイトが現れ、俺のほうに一礼する。
「わざわざ来たんですねー、ご主人様!」
「ネイト? メンテナンス中じゃなかった?」
「いえー、私が受け持った分は終わりましたよ~」
やや眠たげに欠伸をする彼女が、霧島さんの方向に向き直る。
「ご主人様、私の声は副主任に届かないのでー、代わりに言ってもらえますかぁー?」
「え? ああ、いいけど」
「これ、制御がツライです~」
俺が伝えたネイトの言葉を聞いて、霧島さんは苦笑して俺からARゴーグルを受け取った。
ネイトはゴーグルに備え付けられた機械から俺のスマホへと移動している。
「やはり人工知能の制御力不足がネックだな」
「管理系統の個体でもあれだけの情報量と速度は難しいと思いますよー」
小論文の内容に使えそうだったので聞いてみたが、ARの情報を用いて人工知能を視界に表示させて、なおかつ人工知能が現実世界の光景を認識するためには、ARゴーグル内で一度現実の光景を再現するのだそうだ。
つまりネイトは、ARゴーグル内で俺の視界や周辺の景色を擬似的に構築、再現する事で俺の前を歩くように見せたり、俺と向き合って会話しているらしい。
問題なのはその制御で、ユーザーが少し動いたり向きを変えるだけで、周辺情報が変わってしまい、ほぼ絶え間なく空間の構築をし直しているというのだ。
「処理する情報量が多いと大変なのは人工知能もパソコンも変わりませんねー。これはまだまだ改良が必要そうですー」
「だがこのAR技術が発展すれば、人工知能たちと現実でも会うことができるし、現実のイベントとVRゲームを絡めた新しいコンテンツが生み出せるだろうな」
なるほど、現実とVRを繋ぐ新しいコンテンツか……。
「小論文はもう大丈夫そうだな」
顔に出ていたのか、穏やかに笑う霧島さんにやや無愛想に返答しておいた。
そのままさっさと帰宅してもよかったのだが、どうせならもう少し見ていけと言われたので、引き留められることにした。
本来、一般人がいることのできない場にいるのだから、すぐに帰ってしまうのはもったいないとも思ったのだ。
「せっかくだ、少しやっていくか?」
そう言って霧島さんが示したのは、楕円形のゲーム機、VRSGである。
「ここの機体は社内ネットワークのみの予備機でな。新人のOJTにも活用している。これを使って、少し遊ぶとしようか」
そう言って俺の返答も待たずに霧島さんはそのひとつに入ってしまう。
「行きましょー」
ネイトの気の抜けた笑顔に後押しされて俺も隣の機体に乗り込んでヘッドマウントディスプレイを装着し、電源を入れる。
少しの浮遊感の後、俺は漆黒のアバターの前に立っていた。
「機体が違うはずなのに俺の見た目と装備が……」
「ご主人様の情報は私にバックアップがありますからー、私さえいれば大丈夫ですよー」
欠伸をしながら地面の大剣を引き抜いたネイトが亡霊に向き直る。
「ところでどうしてファントムって名前なんです?」
「ああ、それはな――」
「幸人さんが社内ゲーム大会で使ったチートに由来するんですよ」
いつの間にやって来ていたのか、霧島さんの奥さんである小春さんが続きの言葉を繋いだ。
「説明するより見せたほうが早いな」
亡霊がそう言うと、小春さんは細剣を構えて俺の隣に立った。
「大丈夫です。私のほうが強いですから」
悪戯前の子供のように微笑み、剣を構える小春さん。
その姿にかつてないほどだらしない顔を晒した亡霊が言い放つ。
「アシストコード『ファントム』」
「アシストコード『ファントム』は、管理者の権限によってもたらされるアシスト機能で、姿を消す、突然現れる、ヒットポイントを全て失っても敗北しない」というチートです」
小春さんがチートを解説してくれるが、突破できる気がしない。
「いえ、よく物語で語られたりするように、不死には必ず倒し方があるものですから」
そう言うと、細く綺麗な銀色の剣を構えて一瞬で亡霊との距離を詰める。
「不死の相手を倒すには、相手の心をへし折ってしまえばいいのです!」
小春さんが実践したのはシンプルな方法だ。実現可能かどうかは別として。
亡霊の速度よりも数段上の速さで亡霊を翻弄し、ひたすら斬り続ける。
「な?小春は強いだろ?」
しばらくして勝ち目がないことを悟った亡霊が降参のポーズとともにそう告げる。
顔には苦笑いが貼り付いていた。
「楽しそうですね」
そこに現れたのは、小春さんによく似た容姿を持つ管理人工知能の春だ。
「お前が来たってことはメンテナンスが終わったのか?」
「はい。今は各人工知能をアップデートしているところです。だからネイト、ちょっとこっちへ」
ネイトより少しだけ背が高い春が、ネイトを優しく抱きしめると、二人を淡い青色の光が包み込む。
「ネイトのアップデートか……今後を考えるなら必要だろうな」
「今後って?」
「例のチート集団のひとりを問い詰めて分かったことだが、奴らの目的のひとつはVRSGを含めた我が社の人工知能全てを破壊することらしい。今後、その手のウイルスや、対人工知能用の人工知能が干渉してくることもあり得る」
それはつまり……。
「また、ネイトが危ない目に遭うって……そういうことですか?」
目の前の人に噛み付いても仕方がないのに、それがネイトの役割だと分かっているのに、心は思い通りになってくれない。
「ふふ……やっぱり幸人様に似ていますね」
「そうか?」
「そうです」
楽しそうな目の前の会話にも気分が乗らないでいると、そんな俺の手をスベスベの柔らかい手が包んだ。
「大丈夫ですよー、ご主人様」
「ネイトを信じてあげてください、ユーザー様。その子は私の次に強い個体です。何があっても負けることはありません」
その言葉を聞いて、俺はネイトと共に自宅へと帰った。
小論文の「AIとVR技術について」は、とりあえず期限までに終了し、俺の今年の夏休みは終わった。




