09:ソルの思惑
「だから! 武力で制圧しようとしてもはるか昔と同じ結果になるのは目に見えているだろう! 我々は彼らと交渉をすべきなんだ!」
円卓の一席で、ソルの怒声が響いた。
城の小部屋にて国政の担い手が集まって行われている会議は、難航を極めていた。理由は主にソルと、一人の大臣の意見の対立である。
「奴らと交渉など、それこそ結果が見えていることではないですか! 奴らは我々を対等になど見ない、交渉などとこちらが下手に出れば奴らの言いなりになるだけです!」
「なぜ彼らが我々を対等に見ないと言えるんだ!」
「ではなぜ彼らが我々を対等に見ると!」
「まず聞いているのはこちらだ!」
パンパン、と高い音がして白熱する言い合いに水を差した。音の出所は、円卓の一席だ。議長を務める大臣が打ち鳴らした手を下ろすと、険しい表情を両者に向ける。
「ソル様、デクテット君、まずは落ち着いて座ってください」
その言葉に、ソルとデクテットと呼ばれた大臣は決まりが悪いといった表情で椅子に座った。議長は再度両者に視線をやる。
「ではまずデクテット君から、ソル様の質問に答えるように」
議長がそう言うと、デクテットは先ほどよりは多少落ち着いた様子で口を開いた。
「奴らははるか昔に人間を圧倒的な力で退けた後、人間を支配せずに山奥に引き込んでいきました。奴らは人間を見下しているんですよ、自分たちよりはるかに劣った存在で、関わり合う価値も無い存在だと。そんな奴らに交渉をもちかけたとしても、我々を交渉の相手として対等に扱うはずがないのですよ」
デクテットは不快をにじませたような表情でそう言った。
「随分と卑屈な物の見方だな」
そんなデクテットにそう言ったのは、ソルだ。
「確かに彼らは人間を支配しなかった。しかしそれは彼らがそれ以上の争いを望まなかったからだろう。敗者への支配は必ず歪みを生むと、彼らはわかっていたんだ。それがわかっている彼らが人間を見限ることはあっても、見下すとは思えない」
「それは根拠の無い予想に過ぎませんな」
「ああそうだ、だがデクテット、お前の卑屈な考えも予想に過ぎないだろう」
ソルの反論に、デクテットは黙った。ソルはそれを見ると、円卓に座った一同を見回す。
「彼らと対話をしてみなければ、彼らが我々をどう思っているかわからない。我々は、彼らと対話の場を設けるべきだ」
それはデクテットのみに言ったものではなく、この場の全ての人間に向けて言った言葉だった。
「……しかし、それでは遅いのですよ」
反論をしたのは、やはりデクテットだ。
「遅い?」
「対話から交渉に持ち込んだとして、その交渉が決裂してから攻め込むのでは遅いのです。交渉が決裂すれば、奴らは攻め込まれることを予測して守りを固めてしまう。そうなれば戦いは長引いてしまうでしょう、戦いを素早く終わらせるためには不意打ちが必要なのです」
デクテットの言葉に、ソルは眉をひそめて不快の感情を露わにした。
「どうしてそう、戦う事ばかり考えるんだ。そもそも、何のために人間が一方的に彼らに攻撃を仕掛けて敗北したという屈辱的な歴史が、今日まで捻じ曲げられることなく伝わっていると思うんだ、その過ちを繰り返さないためじゃないのか。どうして過ちを繰り返そうとするんだ」
「人間の力はもはやあの頃とはまったく違います、武器はより強力になり、魔法はより高度になった。人間が奴らに負けたという屈辱的な歴史は、過去の愚かで稚拙な作戦を繰り返さないためでしょう、次はもっと上手くやれという、戒めです」
その反論に、ソルは言葉を失う。そうしてますますその表情に不快を表すと、はあと大きく息をついた。
「……デクテット、俺はお前の思考が理解できない」
「ええ、私もあなたの思考は理解できませんな、ソル様」
そう言い合った両者はしばし無言のまま睨みあった。
先に視線を外したのは、ソルだ。ソルはデクテットから外した視線を、円卓の入口から最も離れた席へと向ける。そこに座っているのはこの中で最も上等な衣に身を包んだ男性だ。
「父上は、……王は、どう考えているのですか」
その男性に、ソルは厳しい表情でそう問いかけた。
円卓に座る全員の視線を受けて、ソルの父であり、この国の王であるその人は重たい口を開く。
「……私は、やはり、暗黙の了承を破ることにはまだ抵抗がある」
王の答えに、ソルは肩を落として落胆を露わにした。そうしてそんな王に意見しようとソルが口を開こうとしたその時。
また、パンパン、と手を高らかに打ち鳴らす音が響いてそれを遮った。
「今日はこれまでにしましょう」
議長がそう宣言した。
まだ話は終わっていない。ソルはそうは思うが、たとえ王子といえども会議においては議長の宣言に従うしかない。デクテットもまた不満げな表情をしていたが、声をあげることはなかった。
そうして一番初めに席を立った王が議長と共に部屋を出て行き、難航を極めていた会議は終了することとなるのだった。
誰も居ないテラスで椅子に座り、ソルは小さくため息をついた。
「どうしてああ、卑屈に物を捉える上に頑固なんだ……」
誰の事かとは言うまでも無い。デクテットのことだ。口をへの字に曲げ、眉を吊り上げたあの顔がソルの脳裏をよぎる。最近は口髭も蓄え始めて、見た目の頑固っぷりに磨きがかかっている。まさか外見がそうなると内面まで磨きがかかるとでもいうのだろうか。最近の彼は以前よりさらに頑固さが増したようである。
「いや、まあ、頑固なのは昔からか……でも、卑屈になったのは、ああ……」
何かを思い出して、ソルは表情に影を落とす。
「先生が、いなくなってからか……」
目を閉じ、彼の痛みに思いを馳せた。そうして目を開けたソルは、それでも、と思う。
「それでも絶対に、彼らを武力で制圧するなんて考えは、認められない……」
ソルはその深い青色の瞳に強い意志を宿して、そうつぶやいた。
「繰り返してはいけない、そのために、戦争の歴史は伝えられているんだ……絶対に」
この国の存在する大陸には、竜族と呼ばれる先住の種族が居る。
竜族はその肌にうろこを持ち、そして人間よりもはるかに強大な魔力を持つ存在だ。
人間がごく一部の人間しか強大な魔力を持たないのに対し、竜族はその全てが強大な魔力を持つという。人間はそんな竜族を、はるか昔から恐れていた。
竜族が己の力を誇示したり、人間に敵意を示したことは一度も無い。しかしそれが、むしろ人間に疑心を抱かせてしまったのである。
いつか強大な力を持った竜族が攻め込んでくるのでは?そうして、人間を支配するのでは?
人間に生まれた疑心はやがて増大し、大きな恐れや不安となった。そうしてついに、人間が竜族に攻撃を仕掛けるという結果をもたらしたのである。
争いを好まない竜族も、己の身に降りかかる火の粉を払うことはする。人間と竜族の争い……否、人間が一方的に仕掛けた争いは、竜族の勝利に終わった。
勝利した竜族は、その後人間を従えることは無かった。
彼らは焼け野原で打ちひしがれる人間を振り返ることなく、元の山奥へと帰って行ったのだ。
それ以来、人間と竜族の間には『不干渉』という暗黙の了承が生まれた。
しかし、今この国は、それを破ろうとしているのである。
いや、破ろうとしているのはこの国に限ったことでは無い。周辺の国でもその動きはある。強大な力を持つ竜族と交流を持ち、他国への牽制に利用しようと考えているのだ。
争いを好まない彼らは、戦争には加担しないだろう。しかし交流によって彼らと友好的な関係を築くことができたなら、もしかすると有事の際には助けになってくれるかもしれない。周囲の国にそう思わせることができたなら、それは侵略の抑止力になるだろう。
そしてそれ以上に、何らかの方法によってその力を従えることが出来たならば、その国は最高の武器を得ることとなるのだ。
しかしソルが考えていることは、そのどちらでも無い。
「でも急がないと……他国に先を越されるわけにはいかないからな、たとえ父が足踏みをしていたとしても」
思わずそう独り言が口をついて出てしまうのは、焦りの現れだろうか。
恐らく、周辺の国は竜族を他国への牽制に利用したいか、その力を従えて最高の武器としたいと考えているだろう。ソルもまた竜族を他国への牽制に利用したいと思わないわけではない。
だがそれよりも重要な事は、他国に竜族を利用させないということである。
それは、自分たちだけが利用するといった打算的な考えだけではない。また、他国に最高の武器を与えないというためだけでもない。
争いを好まない彼らを他国に利用させないという考えも、そこにはあるのだ。
もちろんそれがすべてだと言うことは出来ない。だが確かにそれは、ソルの本音だった。
「ソル様」
テラスの扉の外に控えていた侍従に呼ばれる声がした。
「どうした」
「トルカオ様付きのメイドが、ソル様にお話したいことがあると尋ねてきましたが、どう致しましょうか」
シシィが?と、ソルは思う。
「わかった、通してくれ」
ソルはそう答えると、椅子から立ち上がりテラスから部屋につながる扉を開いた。
そうして戻った部屋で待っていたのは、何やら複雑な表情をしたシシィだ。
「どうした、何かあったのか」
シシィにそう声をかけつつ、ソルはその表情をうかがった。内容によっては侍従に外へ見張りに出てもらわなければいけない。しかしシシィからはそういった合図のようなものは何も無く、ただやはり複雑な表情をしているのみである。
そしてその何とも言えない表情をしたシシィが言ったのは
「トルカオ様が、その、マイ様と共に、中庭へ行くと仰って、その、ええと、へ、部屋を、出られました……!」
という、驚きの言葉だった。
ソルが知る限り、トルカオが自分の部屋を出るなどということはここ数年の間一度も無い事である。驚きと共にソルの胸に湧くのは、嬉しいという感情だろうか。いや、戸惑いかもしれない、わからない。恐らくシシィも同じなのだろう、それが複雑な表情の理由だ。
そしてソルの場合は、「はは……」という乾いた笑いに現れた。
「使い魔っていうのは、不思議な存在なんだなあ……」
それから、ソルの口からはわかっていたはずのことが洩れて出てしまうのだった。