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08:不安な夜

 今日も今日とて舞は深紅の布張りのソファに寝転がり、集中するトルカオの姿をじっと見つめる。

 その胸に湧くのは焦りでも、手持無沙汰感でも、何か言葉に出来ないたまらない気持ちでもない。あえてこの感情に言葉を与えるならば、もどかしさといったところだろうか。

 聞いてはいけない。でも、本当は聞きたい、……かもしれない。

 自分の気持ちさえ定まらないもどかしさに、舞は小さく「うう」と唸るとソファに顔を埋めた。


 昨日見たトルカオの肩の傷は、一晩経っても舞の頭を離れてくれなかった。


 朝からずっとそのことが頭を占めているのはなんとも落ち着かない気分だ。寝たら忘れると思っていたわけではないが、昨日の時点ではこんなことになろうとは、舞は思ってもいなかった。

 ここに来てからしばらく経ったが、気になったことは別に聞いてはこなかったのだ。

 使い魔とは何か。魔法とは何か。なぜメイドがいるのか。気になったが、聞かなかった。聞けなかったと言うべきかもしれない。しかしそれらはもはや聞こうとは思わない。なぜなら自分はトルカオの使い魔ともだちで、大事なことはそれだけだと知ったから。他の事はどうでもいい。

 そのはずなのに、トルカオの肩の傷だけは気になって仕方がない。



(トルカオさんはきっと、聞けば教えてくれるだろうけど)



 トルカオの顔を隠す金色の髪を見つめて、舞はそんなことを思う。



(でもきっと、それはトルカオさんにとって悲しい事のはずで、だから、それを聞いてトルカオさんが悲しい顔をするのは嫌だ)



 トルカオの悲しい顔は、苦しい。

 いつだってそうだった。他人の悲しい顔は苦しいものだ。だからなるべくそういう顔をさせないように、空気を読んで振舞ってきた。――まあ実際、空気は読めていなかったのだけど――

 しかしこの苦しさは、今まで感じていたそれとは違う気がしていた。

 人が悲しい顔をした時、自分が何かしたのかな、何か悪いことをしてしまったんだと不安になった。だから何かしないと。悪いことをやめないと。舞はいつも焦ったようにそう思った。

 トルカオの悲しい顔にだってそれは思う。思うのだが、同時に別の事も頭をよぎるのだ。

 何か出来ないかな。何か、彼の悲しみを減らすことを。

 自分が何かをしてしまって、それで悲しい顔をしていたのだとしたらそれは図々しい考えかもしれない。けれど舞はトルカオの悲しい顔を想像したとき、必ずそんなことを思うのだった。

 とはいえそう思うだけで実行は出来ないことが、また舞を苦しめていた。何をしたらいいのかわからないのだ。こんなことを思う経験など、無いのだから。


 舞に出来る事といえば、せいぜいトルカオの前では笑ってみせることと、夜はトルカオの抱き枕に徹することだけなのだった。








 もやもやしたまま眠った日には、夜中に目を覚ますことがよくあった。急に意識が浮上して、現実に引き戻されるのだ。目が覚めたことを理解したときのやるせなさといったら、何とも言えず憂鬱なのである。

 暗闇で目をぱちぱちとさせながら、舞はそのやるせなさを感じていた。

 ああ、目が覚めてしまった、ぐっすり眠りたかったのに。

 一度目が覚めてしまうとすぐにはまぶたは重たくならず、舞はぼうっと暗闇を見つめた。そうしていると、目の前の景色がぼうと浮き上がって見えてくる。

 白く浮き上がったように見えたそれは、トルカオの姿だった。舞の胸元に顔を押し付けて、つむじだけが見えている。穏やかな寝息が聞こえるから、ぐっすりと眠っているようだ。

 今なら、触れてもいいかもしれない。

 そんなことを思って、舞はトルカオに手を伸ばすと服の上から傷のあった部分に触れてみた。当然だが、傷に触れた感覚は無い。



「……んう」



 突然、トルカオが小さく呻く声が聞こえた。目が覚めたのかと舞はトルカオの顔を見る。暗くてわかりづらいが、目が覚めたわけではないようだ。



「……先生」



 小さなうめき声は、そう言ったように聞こえた。

 先生。先生って、誰の事だろう。



「せんせ、……ん」



 短く呻いたと思うと、トルカオがもぞもぞと動くのがわかった。今度こそ目を覚ましたのだ。舞は反射的に「ごめんなさい」と小さな声で言った。自分が起こしてしまったのかと思ったのだ。

 トルカオは何度か瞬きをすると、顔を上げた。暗闇にぼうと浮き上がるトルカオの瞳と、舞の目が合う。



「マイ……」



 あ、悲しい顔だ。舞は心臓がぎゅんとした。

 トルカオはそのまま顔を舞の胸元にうずめる。ぎゅうと、舞を抱きしめる腕の力が強くなった。



「僕は、わからないんだ」



 舞の耳に聞こえたのは、少し震えた、弱弱しい声だ。



「使い魔を得たら何もかもが変わるって、先生の言った通りだった。僕はマイに会えて嬉しい、マイといると、なんだか、ふわふわする。でも時々、苦しいんだ」



 トルカオが舞の胸元にぐりと顔をすり寄せる。



「マイが泣くと苦しくて、泣いているのをもう一度見たとき、どうして泣いてるのか知りたくなった。でも、きっと、聞いたらマイがもっと泣いちゃうと思って、僕は何にも聞けなくて。それからずっと、マイのことを知りたいと思うのに、僕は何も聞けない、そう思うと、苦しくなる」



 トルカオの声を聞きながら、舞はあれと思う。もしかして、同じことを考えているんだろうか。

 知りたいのに、聞けない。相手を苦しめると思うから。



「それに、マイに甘えてばかりいるって思ったときも苦しい、僕は、マイに何かしてあげているのかなって、何かしてあげたいって思うのに、何をしていいかわからないから、それも苦しい」



 やっぱり、それも同じことを考えている、と思った。



「ごめんね、今も、ずっと、マイに甘えてる。僕は、どうしたらいいんだろう、わからない、わからないんだ……」



 トルカオの声はずっと、舞の胸を締め付け続けた。それはやはり苦しくて、しかし舞はどこかで、変な心地よさのようなものも感じていた。

 トルカオの肩に触れていた手を動かして、トルカオの髪に触れる。ふわふわだ。



「……大丈夫です」



 舞はそう言葉をこぼすと、トルカオの頭を少しだけ抱き寄せた。



「私は、トルカオさんにこうして甘えてもらえると、すごく嬉しいです。トルカオさんに、何かしてあげたいって思ってたから、こうしてたら、何かしてあげられてるって思うから、嬉しいです」



 こうしないといけない、こう言わなきゃいけない、じゃない。

 こうしたい、こうしてあげたい。こう言いたい、こう言ってあげたいと思った。

 心臓がどきどきしているから、緊張しているのだろう。しかし言った通り、嬉しいとも思っているのだ。苦しい中に変な心地よさを感じていたのは、このせいだ。



「私、小さいときは友達が居なくて、頑張って友達は作ったけど、それは周りに合わせて、周りと同じことをして、無理して作った友達だったから、辛くなっちゃって、逃げたんです。泣いたのは、そのことを思いだして、悲しくて。でも、本当に辛かったのは、相手のために何かしないといけない、そうしないと、仲間外れにされるって思ってたせいだって、私、ここに来て気付きました」



 それを話すのは、悲しい気持ちになると思った。しかし不思議なことに、舞はあまり悲しさを感じていない。



「初めは、友達だって言ってくれて、いろいろしてくれるトルカオさんに、何かしないといけないって思ってました。そうしないと、愛想尽かされるって思って。でも、トルカオさんに抱きしめてもらって、友達だって言ってもらえて、それに、こうして甘えてもらえて、私、トルカオさんのために何かしたいって思ってます」



 少し首を動かして、舞はトルカオの髪に口元をうずめた。ふわふわしている。



「だから、甘えてください、どれだけ甘えてもらっても、大丈夫です」



 そう言いながら、舞の心はふわふわしていた。もう苦しくはない。



「だって、私はトルカオさんの使い魔で、トルカオさんの友達です」



 舞がそう言うと、腕の中のトルカオに小さな声で名前を呼ばれた。それに応えるように、舞はトルカオの頭をやわりと撫でる。ふわふわの髪が心地良い。

 それから舞は途端に眠気を感じた。

 ああそういえば、夜中に目を覚ましてしまっていたんだっけ。ふわふわの髪が心地良い。

 舞はゆっくりと、目を閉じた。










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