表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

06:ソル

 ふと昨日のことを思いだすと心臓のあたりがぎゅうとする。それから何かたまらない気持になって、舞はソファの上で小さく足をばたつかせた。

 昨日はあれから、またいつもと変わらない日を過ごした。トルカオが再び本に集中したのをソファでごろごろしながら眺めて、食事の時間になればシシィが扉を叩いて合図をする。それを舞が招き入れつつ、トルカオに食事の時間を知らせた。そうしてやはりいつものように、ベッドの中でトルカオに抱かれて眠ったのだ。

 一日の過程も、トルカオの行動も変わらない。ただ変わったのは、舞の心もちだった。


 トルカオは今日も今日とて、昼食の後からあの分厚い本に没頭している。その姿をじっと見つめて胸に湧く感情は、昨日までのものとは違うと舞はわかっていた。わかっているからこそ何かたまらない気持になって、つい足をばたつかせたくなってしまうのだ。

 昨日までは出来ることの無さに、何かしなければと焦って不安になっていた。しかし、今はどうしたことか不安という気持ちは小さい。かといってリラックスしているかというとそうではないのだが。

 小さく足をばたつかせてたまらない気持ちを少し発散させた舞は、トルカオから目を逸らしてソファの脇に目をやった。そこにあるのは、小さな本棚だ。舞はソファに寝そべったまま体を引きずって本棚に近づいていく。そうして並んだ背表紙の中からひとつを選ぶと、手に取った。


 昨日までと違うことがもう一つある。それは、舞がこの暇を乗り越える術を得たことだ。

 舞が寝転がったままでぱらりと開いた文庫サイズのそれは、シシィの蔵書である。朝食の後に「マイ様の娯楽になればと思いまして」とシシィが小さな本棚と共に持ってきたのだ。

 本は舞の見たことが無い文字で書かれていたが、不思議なことにそれはなんとなく読めた。この感覚に覚えがあるなと思った舞はすぐに思い出した。これはあの黒い本と同じ文字だ、と。

 なんとなくは読めるが、やはりところどころ読めない個所があるのでゆっくりと読んだ。始まりは美しい景色の描写と、豊かな旅情が描かれている。紀行文かな、と思いながら舞は本を読み進めていった。


 やがて舞が、もしかしてこれはただの紀行文ではないのではないか?と思い始めたころ。

 部屋の中に、コンコン、と扉がノックされる音が響いた。

 シシィだろうか、おやつを持ってくる時間にはまだ早いはずだが、と思いつつ舞が体を起こすと、扉の向こうから声が聞こえた。



『トルカオ、開けてくれるかい?』



 聞こえたそれは、シシィのものではなかった。

 低い男性の声に、舞は思わず緊張する。舞はここに来てからまだトルカオ以外の男性に出会ったことがないのだ。もっと言えばトルカオとシシィ以外の人間にすら会ったことがない舞が、初めて聞くその声に緊張するのは当然の事かもしれなかった。

 トルカオを見るが、やはり本に没頭しているようでノックの音にも呼びかける声にも気づいていないらしい。トルカオに声をかけるべきか、それとも扉を開けるべきか。舞は少しだけ悩むと、ソファから立ち上がって扉の方へ向かった。トルカオの集中を切らせてしまうのは忍びないと思ったのだ。


 ゆっくりと開けた扉の向こうに現れたのは、トルカオに良く似た妙齢の男性だった。



「あれ、……ああ、そうか、君がトルカオの」



 トルカオに良く似た男性は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに納得したようにそう言うとふわりと笑った。しかしその笑顔を前にした舞の体に走るのは、緊張である。



「トルカオは……ああそうか、集中してるのか」



 扉の向こうから呼びかけても無駄だったな、と言いながらトルカオに良く似た男性は舞の傍を過ぎて歩いていく。舞が慌ててその背中を視線で追うと、彼はトルカオの方へ向かっていくようだった。



「トルカオ」



 そうしてためらいなくトルカオの肩を叩いて呼びかけた。

 トルカオは落ち着いた様子で垂らしていた頭を上げ、自分の肩を叩いた人物の顔を確認すると、にこりと笑う。



「兄さん」



 トルカオがそう言った声が、はっきりと舞の耳に聞こえる。

 そうか、兄。なるほど、兄。

 舞がそう納得している間にトルカオは立ち上がって、舞の傍へ寄ってきていた。そうして舞の手を取ると、ソファの方へと連れて行く。トルカオに手を引かれて舞がソファに座ると、向かいのソファにトルカオの兄が座った。彼は手に何かを持っていたらしく、机の上にそれを置いた。小さな箱だ。

 口火を切ったのは、トルカオの兄だった。



「久しぶりトルカオ、いや、ラズダムは遠かったよ。これはお土産のイチジクだ、あそこの名産だからね」

「ありがとう、兄さん」



 トルカオと似ている、と思った笑顔は目の前で見ると少しだけ違うところがあった。頬のあたりにくぼむえくぼ。冷却魔法は便利だよなあ、と言って彼が笑うとそのえくぼが深くなる。



「使い魔のことはシシィから聞いたよ、良かったなトルカオ」

「うん」


 兄がそう言えば、トルカオは嬉しそうに笑った。その顔にはやはりえくぼは無い。舞がちらと兄のえくぼに視線を移すと、こちらを見たトルカオの兄と一瞬目が合った。



「初めまして、トルカオの兄です、名前はソルだけど……出来れば、お兄さん、と呼んでもらえると嬉しいな」



 舞は咄嗟に返事を返すことが出来なかった。そう言われて、いったい何と返事をしたらいいのかわからないのだ。はい、と言えばいいのか、はいお兄さんと言えばいいのか。悩んでいると、ソルが再び口を開いた。



「我が家は男三兄弟でね、だから俺は妹にお兄ちゃんと呼ばれるのが憧れだったんだよ。でもさすがにいきなりそう呼んでほしいとは言えないから、まずはお兄さんかなって。まあそのうちお兄ちゃんと呼んでもらえたら尚の事嬉しいけど」



 ソルは全く迷いの無い笑顔でそんなことを言う。その姿に具体的にどうとは言わないが、確かに舞は兄弟であることを感じていた。



「じゃあ、えっと、お、お兄さん……」



 舞がぎこちなくそう言うと、ソルが満足そうに笑った。その顔は、先ほどよりもずっとトルカオに似ている。特に舞が戸惑っていることなど気にも留めないあたりなどはそっくりだ。ソルは若干浮かれきったその笑顔のままで、次はトルカオに声をかけた。



「トルカオ、あれはどのあたりまで読み進んだ?」

「うん、もうすぐ最後の一冊に入るところ、今解読した分を渡すね」



 トルカオがそう言って机をトントンと叩いたと思うと、その手の下にぱっと何かが現れた。舞は思わず「わっ」と驚いた声を出してしまう。何だこれ、魔法か、初めて見る。

 すぐにトルカオが心配そうに舞を見た。



「どうしたの、マイ」

「あ、いえ、いきなり、その、トルカオさんの手の下に何か出てきたから、驚いて」



 舞がそう言うと、トルカオは納得したように「ああ」と言って笑った。



「転移魔法だよ」

「転移……あ、物を、移動させるんですね、すごい……」



 よく見ると、トルカオの手の下に現れたものは紙の束のようだった。舞には見覚えがある。いつも本を読んでいるトルカオの傍で自動筆記のペンが躍っている紙の束だ。



「あのね、僕も今、少し驚いたんだ」

「え?」



 トルカオが言った言葉に舞だけではなく、正面で聞いていたソルまでもがえっという顔をしてトルカオを見る。トルカオは”驚いた”という舞と同じ体験をしたことが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべていた。



「何だか魔法を使ったときの感覚が、いつもと違ったんだ。いつもよりずっと楽に出来た感じだった」



 そう言ったトルカオの向かいで、ソルは一人真剣な表情をしていた。そうして口元を覆うと小さく何かをつぶやくが、その表情はトルカオと舞が気が付く前に先ほどまでの穏やかなそれに戻っていた。



「それじゃあトルカオ、これは貰っていくよ、ありがとう。それからイチジクはおやつにでも食べてくれ」

「兄さん、もう行くの?」



 ソファから立ち上がったソルを、トルカオがそう言って呼び止める。舞がその表情を見ると、そこには初めて見るような寂しさが見えた。トルカオにとって兄という存在が特別なことがわかる。



「ああ、まだラズダムから帰ってきたばかりだから、いろいろと報告書やらを書かないとな。トルカオと、トルカオの使い魔の顔が見たくて先にこっちに寄ったんだ、でももう行かないと」



 ソルはそんな弟の扱いは心得ているのか、えくぼを見せてそう言う。トルカオがわずかに眉根を寄せるのが見えて、舞はトルカオがソルを引き留めたいのかもしれないと思った。しかしトルカオは一度唇を結ぶと、「うん」と言う。



「それじゃあ本のことは引き続き頼んだよトルカオ、また近いうちに顔を出すから」



 ソルは最後にそう言うとトルカオに背を向け、貰った紙の束を手に部屋を出て行くのだった。






 部屋を出たソルは廊下をしばらく歩いていくと、途中で立ち止まった。そうしてゆっくりと片手を口元へやるとふむと唸る。



「トルカオが使い魔を手に入れたか……これは、嬉しい誤算と言うべきか」



 その表情は先ほど一瞬見せた、真剣なものだ。



「これなら計画を早められるかもしれないな」



 そうしてぽつりとつぶやいた独り言は、誰に聞かれることもなくソルの手の中へ消えていくのだった。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ