04:おかゆ
温かいものに包まれながら、目が覚めた。舞はうんと唸って、そして飛び起きる。
手をついた先はふかふかの地面。どうやらベッドの上らしい。しかしこんなにもふかふかのベッドを舞は知らない。
視線をさまよわせて、見えたのはすぐ傍ですやすやと眠るイケメン。憎たらしいほどに穏やかな寝顔だ。ぼさぼさの長髪がベッドに広がる様はまるで黄金色の田んぼに埋もれて寝ているようである。その寝姿に、うっすら思い出すのは昨日の出来事だ。
悪魔召喚しようとして、実は召喚されたのは自分の方だったと気が付いて、なんだかわからないけれど大泣きして、その後はどうしたんだったか。ああ、思い出してきた。泣き疲れて、そのまま隣の寝室に連れて行かれて、ベッドの上でこのイケメンに抱かれたまま眠ったような気がする。
「……夢じゃない」
舞は思わずそうつぶやいた。
それが聞こえたのか、イケメン……トルカオの眉間がぴくりと動く。それからゆっくりと目を開けるとに三度瞬きした後、ぼうっとした瞳を舞の方へ向けた。ああイケメンは寝起きでも絵になる……と舞が思わずあさってなことを思っていると、トルカオがにこりと微笑んだ。
「ああ……よかった、夢じゃ、なかった」
そして舞の手にそっと触れると、そう言う。あ、同じこと思った。舞がそう思うと、自然と口が開いた。
「同じこと、思ってました、夢じゃないって」
舞がそう言うと、トルカオの表情が驚いたものに変わる。
あれ、なんだろう、変な事言っちゃったかな。途端にそんな不安が舞の心によぎった。しかしトルカオはすぐに元のように笑った。いや、その笑みは先ほどよりも嬉しそうだ。
「本当に、夢じゃない……マイの声が聞こえる」
トルカオがそう言い、舞の手に自らの頬をすり寄せた。少し荒れたような肌の感触が伝わる。朝っぱらから恥ずかしい。しかし舞は、振りほどこうとは思わない。それは、そうする勇気が無いからというだけではない気がした。
「……トルカオ、さん」
自分の手にすがりつくようなトルカオの姿に、舞はその名前をつぶやく。
トルカオは空色の瞳で舞をじっと見つめて、それから嬉しそうに笑った。
(あ、嬉しい)
その笑顔を見た瞬間、舞はそう思った。こんな高揚感は今までに感じたことは無い。今までとは違って、本当に、友達だから?
そう思えば舞は胸のあたりが温かくなる気がした。それからもう少し下のあたりが苦しくなって、『ぎゅううう』と音を立てた。
あ、と思って胃のあたりを押さえるが、遅かった。トルカオがふふと笑うのが見えて、舞は恥ずかしげに顔を伏せる。
トルカオが寝室の扉を開けると、ふわりと美味しそうな香りがただよった。
「おはようございます」
食事の用意された机の前で振り返りそう言ったのは、一人の女性だ。黒いワンピースに白いエプロン。いわゆるメイド服に身を包んでいる。いや、丈も長くてどこか品のあるそれは、舞の知っているそれよりもっと清楚で落ち着いていた。
「おはようシシィ」
舞の隣でトルカオがそう言う。メイドっぽい彼女は、シシィというらしい。トルカオは親しげに声をかけるが、初めて見る人間に舞は無意識に警戒心を抱いていたらしい。思わずトルカオの方へ一歩寄り、身を隠した。
しかし警戒して様子をうかがっていたのが仇になったのか、シシィの穏やかな瞳と目が合う。
「初めましてマイ様、シシィと申します」
なんでもお申し付けください、とにこやかな笑みを浮かべて言われる。
メイドと名乗りはしなかったものの、彼女は確かにメイドだと、舞は確信していた。メイドがいるって、いったいトルカオは何者なんだ。そうは思うが、聞いてみる勇気は舞には無かった。
「お食事の用意ができております」
シシィがそう呼びかける声が聞こえ、舞は途端に空腹を思い出した。お腹のあたりが小さくぎゅるりと鳴って、少し気持ち悪くなる。こちらを振り返ったトルカオに手を取られて、舞はようやく食事の並ぶ机の方へと歩き出した。
ソファに座るとますます食事の香りが舞の鼻を刺激した。
そういえば昨日は朝からずっとお腹が痛かったから、何も食べていなかったっけ……。そう思うと心臓のあたりがちくりと痛んだ。昨日のことが頭に浮かんでしまったのだ。しかしその痛みが全身をむしばむ前に声がかけられ、舞ははっとした。
「マイ様がお好きなものがわからなかったものですから、いろいろとご用意しました、どうぞお好きなものを選んでお召し上がりください」
そう言われた通り、机には皿に盛られた料理がいくつも並べられている。この全てを食べきるのは無理だろう、といった量だ。サラダやパン、オムレツといった見慣れた料理から、クレープやパスタなど朝食時には見慣れない料理まで多様である。どれも美味しそうに見えるが、選んでいいと言われたし、何かお腹に優しいものがいいな、と舞はそれらを見渡す。
そして、見つけた。白い器に入った白い料理。おかゆだ。
手を伸ばすと、横から「これ?」と聞こえてきて舞が取ろうとしたその器をさらっていく。誰だと考えるまでも無い、舞の隣でやはりにこやかな笑みを浮かべているのはトルカオだ。
「はい、どうぞ」
そう言って差し出されたのは器……ではない。
一口分のおかゆが入ったスプーンである。
意図がわからずじっと見ていると、ずいと突き出された。スプーンの先が舞の下唇にちょんと触れる。それでようやく、食べさせようとしているのだと理解した。
しかし理解したとて、舞は素直にそれを食べることは出来ない。これはいわゆる『あーん』ではないか。非常に恥ずかしい。わけがわからない。そういう戸惑いに舞が口を開けるのをためらっていると、トルカオが悲しげに眉根を寄せるのが見えた。
「食べたくない?」
そう言われ、舞はうっと言葉を詰まらせる。なぜだろう、トルカオにそんな顔をされては、否定というものが出来なくなってしまう。
「……い、いただきます」
舞は絞り出すようにそう答え、ためらいがちに、しかし意を決して差し出されたそれをぱくりと食べた。
口の中にじわりと広がったのは、甘味。
「あれ、甘い?」
想像していなかったその味に、思わずそう口をついて出た。
おかゆは甘いものだっただろうか。ていうか、米の食感でもない気がする。もっと口の中でとろけるような食感。
「おかゆは初めて食べるの?」
その正体を考えあぐねていると、トルカオがにこやかにそう聞いてくる。
おかゆ。おかゆなのか、これは。まるで自分が知っているおかゆではない。まあ、牛乳の風味はミルク粥とかそういうものもあるけれど、もっと根本的なところが違う。甘い。あと、お米じゃない。
あれ、でも、えっと、私の知ってるのは違うって、そんなことは言っていいんだっけ。そんな、輪を乱すようなこと。いや、でも、そもそも私が知ってるのとは違うなら、おかゆは初めて食べるって言っていいのかな。
舞がそんなことをぐるぐると考えていると、唇にまたちょんと何かが触れた。
「食べて」
見ると、トルカオがまた一口分のおかゆが乗ったスプーンを差し出している。舞は言われたままにそれを食べた。やはり甘い。
「悲しい顔になるのは、きっとお腹が空いてるせいだよ」
トルカオはそう言って、またおかゆを一匙救うと差し出してきた。素直に食べるとまた次の一匙が差し出されたので、また食べる。甘い。おいしい。優しいそれがお腹を満たしていく。
なんだろう、思っていることを安易に口にしてもいいんじゃないかな。そんな気がしてしまう。
「私の、世界の、おかゆはちょっと違って、甘くなくて、お米で作るんです。だから、甘くて、お米じゃないから、驚いて」
舞が安易に口にしてみたそれは、思いのほかぎこちないものになった。
それでもトルカオは笑った。
「マイの世界のおかゆも、おいしそうだね」
そう言って、優しく笑ってくれたのだ。
やっぱり夢かもしれない、と思った。しかしまた差し出されたおかゆの甘味が、優しく現実だと知らしめてくる。それはやっぱり嬉しくて、しかしほんの少しだけ、苦しいことだった。