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03:その言葉は、ある意味魔法

 どれくらい時間がたっただろうか。時間にしてはほんの数分のことだろうが、舞にはその時間がひどく長いものに感じられた。解放される気配は無い。

 あの言葉が聞こえた瞬間こそ手から力が抜けてしまったが、少し時間が経つとやはり恥ずかしいという気持ちがふくらんできた。離してほしい。

 しかしそれをどう訴えていいのか。そもそも訴えていいのかどうかもわからない。離してほしいって、言っていいのかな、気を悪くしないかな。離してほしいという気持ちとは裏腹にそんなことを思ってしまうから、舞はただ黙ってこの状況と、己の内に湧く恥ずかしいという感情を耐えるしかないのである。


 それから少しして、舞をぎゅうと拘束していた腕がぴくりと動いた。ようやく熱が離れていき、舞はいよいよ解放されたのだとわかった。

 やっと回復した視界に広がったのは、満面の笑みを湛えたイケメンだ。

 改めてイケメンにじっと見つめられると、舞は思わずほやっとして何も考えられなくなってしまう。ただでさえ一対一でのこんな触れ合いなど経験が無いと言うのに。加えて男、それもイケメン。頭が真っ白になってしまうのは必然だった。



「そうだ、自己紹介をしないといけないよね」



 そう言われて舞はようやく、自己紹介?今すべきことはそれなんだろうか?と考える。しかし、それ以上の考えは及ばない。



「僕の名前はトルカオ。僕の使い魔、君の名前は?」

「え、ええと、塚井舞……」

「ツカイマイ?」

「えっと、マイです、名前はマイ」



 だからこそそう聞かれて、舞は深く考えずにそう答えた。するとすぐに熱っぽく「マイ」と自分の名前を囁かれる。声と同じように熱っぽい視線でガンガンに見つめられながら、だ。咄嗟に、イケメンは得だな、と思ったあたり舞はまだ少し冷静なのかもしれない。いや、むしろそんなあさってな事が頭に浮かぶのは、思考力が低下しているせいなのかもしれなかった。



「ねえ、僕の名前を呼んでほしい」



 じっと見つめられながらそう言われて素直に「えっと、トルカオ、さん」と答えたのも、やはりそのせいだ。



「そうだ、お茶を淹れるね、少しだけ待ってて」



 舞が困ったような表情でいるのに気が付いて気を遣ったのか、或いはマイペースなのか、トルカオと名乗ったイケメンはそう言うとすっと立ち上がった。――彼の恍惚とした表情から察するに理由は恐らく後者だろう――

 そうして彼は、舞の傍から離れてどこかに歩いていく。

 ようやく完全に解放されて、止まっていた舞の頭はようやく回転を始めた。



(いったい、何が起きているんだろう)



 見渡せば、目の前に広がるのは広い部屋。豪華さこそあまり無いものの、上質さを感じさせる調度品があちらこちらに見える。天井から下がるシャンデリアも大変に豪華というわけではないが、それでもテレビの中でしか見たことのないようなそれに舞は思わずほうとため息をついた。見慣れないものばかりがあるこの部屋に感じるのは高級感と違和感と、それから異国情緒である。

 少し体を動かすと、ぐっと体が沈む感じがした。そこでようやく、舞は自分がどこかに座っているらしいという事に気が付いた。下を向けば見えたのは、深紅の布張りのソファ。とても肌触りが良くて、それから柔らかい。



(悪魔の部屋、っぽくはないよなあ)



 再び部屋を見渡して、舞は心の中でそうつぶやいた。悪魔の部屋に対して具体的なイメージがあるわけではないが、このやけにきらびやかな感じはやはり悪魔のイメージにはそぐわない。

 頭を回転させ始めた舞は、たぶんあのトルカオと名乗った黒いローブに全身を包んだイケメンが、自分を魔法陣の向こう側に引きずり込んだ何かの正体なのだろうと思っていた。ちなみに彼は今向こう側にある棚の前に立って何かをしている。

 だとしたら、あのイケメンは自分が呼び出そうとしていた悪魔なのだろうか……。

 舞はそう考えるが、彼の人間と変わらない見た目といいこの部屋の様子といい、悪魔らしい様子は特に見受けられない。――まああのイケメンさは、悪魔的と言えないこともないが――


 そんなことを考えながらその背中を見つめていると、トルカオが振り返って舞の心臓がどきと跳ねる。あの美貌が、急に目に入るのは心臓に悪い。視線をトルカオの顔から下へ向けるとその手にはティーセットの乗ったトレイ。そういえば、お茶を淹れるねとか言ってたっけ。



「お待たせ、マイ」



 目の前に来たトルカオに名前を呼ばれて、舞はドキとする。なぜわざわざ名前を呼ぶのか。わからない。



「いつか使い魔と会えたら、使い魔のためにお茶を淹れることが夢だったんだ」



 トレイを持ったトルカオはそう言いながらトレイをテーブルに置いて、舞の隣に座った。舞は思わず少し体を動かして距離を取る。二人掛けのソファに二人が座った状態では限界があるが、それでも拳一つ分ほどの距離をとった。

 テーブルに置かれたトレイの上には、銀の装飾が施されたティーカップが二つに、ポットが二つ。それからスプーンの持ち手が飛び出たようなあれは、シュガーポットだろうか。

 トルカオが二つあるポットの内ひとつを指でトントンと叩くのが見えた。すると次の瞬間、ポットからぐつぐつという音がして、その注ぎ口からは湯気が噴き出したのである。思わず舞は「えっ?」と声が出た。まさか、たったあれだけの動作で、火も電気も無いのにお湯がわいたというのか。



「マイは、魔法を見たことが無い?」



 その言葉に、舞はまた「えっ」と言う。マホウ、それは、魔法のことでいいんだろうか。

 魔法が当たり前なの?そしたら、見たことが無いって言ったら変なのかな。でももう驚いちゃったし……。



「先生が言ってた通りだ」



 舞が返事を返せずにいると、トルカオはやはりその沈黙を肯定と取ったのかそんなことを言った。



「使い魔はどんな世界にも存在して、それには、魔法の無い世界もあるって」



 トルカオの表情を確認すると、やっぱり笑っている。ええと、ということは、魔法を見たことないのは別に変じゃないのかな。じゃあ見たことないって、驚いたって、そう言っていいんだろうか。

 そう考えたところで、ふわりと甘い香りが舞の鼻孔をくすぐって思考の邪魔をした。

 見れば、目の前のテーブルには紅茶の注がれたティーカップ。トルカオが自ら飲んでみせながら「飲んで」と勧めるので、舞はとりあえずそれを飲むことにした。……ぬるかった。

 しかしぬるい紅茶はわずかながら、舞を落ち着かせたらしかった。

 魔法を見たことないのは、別に変じゃない。香りの余韻を感じつつ、舞はようやくそう理解が出来た。


 じゃあ、さっきからトルカオが当たり前のように言っている『ツカイマ』とは?


 そう考えた舞の思考をまた邪魔したのは、頬にそっと何かが触れた感覚だった。

 驚きはしたが、不思議と緊張は無かった。頬に触れたそれがトルカオの手だとわかっていたからか。



「よかった、ちゃんと、ここにいる」



 それとも、こちらをじっと見つめてそう言ったトルカオの表情に、己の中に何か今までとは全く違う感情が芽生えたのがわかったからなのか。



「僕の使い魔、僕の友達」



 すがるような瞳でそうつぶやいたトルカオの声が、頭の中で響くようだった。それから、ああそうか、という言葉が舞の頭をよぎる。

 読めなかったあの文字、あれは、悪魔じゃなかった。あれは、使い魔だったんだ。だから、そう。正しい文章は。


(使い魔は、あなたの、友達)



 目元がじわりと熱くなるのを感じた。見つめた青い瞳がわずかに滲む。あれ、これは、何だっけ。答えを出すよりも先に、舞はトルカオの表情が変化したことに気が付いた。わずかに滲む視界の中で、トルカオは悲しげな顔をしている。



「マイ、どうして泣くの?」



 そう聞こえて、舞はついに自分の目からこぼれたそれが涙だと理解した。

 そういえば、まだ泣いていなかったっけ。辛いことがあったらいつも、家に帰ってひとり、ずっと泣いていたというのに。あれ、どうして今まで、泣いていなかったんだろう。どうして今、泣いているんだろう。わからない、わからない。



「どうしてだろう、マイが泣くと、苦しいよ」



 すぐそばで声がして、そっと抱きしめられたのがわかった。けれど、わかっただけだった。

 恥ずかしいとも怖いとも考えられない。手からティーカップが滑り落ちたことにも気づかず、舞はただ温かいそれにすがりつくことしか出来なかった。

 夢や幻かと疑ったわけではない。しかしじわりと伝わる体温は、舞にこれが現実だということを優しく知らしめるようであった。









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