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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

竜の育て子は稀代の魔物使い

作者: パンダダダ

初投稿。登場人物たちが人の死とかについて何とも思ってない描写があったり、直接はありませんが人の死を匂わす場面があります。予めご了承の上、読んで下さると嬉しいです。

タグ機能とかまだあまりよく解ってないので、気が付いたらご助言いただけると幸いです。

 雨が降っている。

女は岩が剥き出しの険しい山道を登っていた。フードを目深に被り、長いマントを引き摺りながら一歩一歩歩みを進めていく。

ちらりと背後を窺うが、人の気配はない。


(撒いたか・・・)


はっ、と安堵で短い溜息を吐く。手近な岩場に腰を掛けると長い溜息が零れた。

思ったよりも体力が削られている。己の限界が近い事を静かに受け止め、先程から魔力を注ぎ込んでいた己の腹を撫でた。

全体的にほっそりとした身体つきの女にしては不自然な程膨らんだその中には、女の子供が宿っている。

疲労とストレスで若干落ち窪んだ目元を和らげ、ふっと愛おしげに微笑んだ。

トクリ、トクリと聞こえてくる命の音に耳を澄ませながら、彼女は鉛色の空を見上げ語り掛ける。


「あぁ・・・本当ならこの手に抱いて、私の乳をやり育て、貴方の・・・元気な姿が見たかった・・・最後まで面倒を看れなくて、ごめんなさい」


先程よりも若干弱まった雨足は、けれど依然として強い。

母親の声に応えるように、腹の中からコツコツとノックするような刺激が返ってきた。顔を打ち付ける雨粒に目を細め、笑う。


「そう、もう自我があるのね・・・良かった」


彼女がずっと流していたのは魔力と、彼女の今まで培ってきた記憶、知識である。

彼女は何れ近い内に己が力尽きる事を予知していた。その際、母親を失った赤子がどうなるかなど想像に難くない。だから、例え己の寿命を削ってでもまだ腹の中の我が子に受け継がせる選択を取ったのである。

それは一種の博打であった。魔力と共に己の記憶を継承させられるのか。まだ不完全な胎児がその力に耐えられるのか。懸念は幾つも挙げられたが、彼女は一縷の望みに賭けたのである。


「私はきっと、貴方を育てる事は難しいから、せめてその代わりに役立てられればいいのだけれど」


どうやら成功のようだ、と彼女は口角を緩めた。霞む視界がぐらりと揺れ、倒れこむ。

それでも最期の最期まで彼女は魔力を送る手を止めない。

「もう・・・駄目みたい、ね」

浅くなった呼吸を何とか整え、彼女は最期の力を振り絞り腹に力を入れる。


「ふーっ・・、・ふーっ・・・、ぐっ、ううぅぅぅっ・・・ッ」

顔を顰め、激痛に耐え、歯を食いしばる。汗は雨に流され体温はどんどんと下がってゆく。

すると彼女の息みに合わせ、腹の中の胎児も動きを見せ始める。

「あ、ぐ・・うっぁああっ!!」


いっそう強く胎児を押し出すと、ずるりっと股の間から一気に赤子が外界に出た感覚が。同時に今までの激痛が引き波のようにスッと遠退いていった。

産声は上がらない。だがマントの中で動く気配があるのなら、無事生きて生まれてきたのだろう。

もう指の一本も動かす力は彼女に残されてはいない。

せめて、顔だけでも見たかった、と残念に思う。けれどそれよりも、己の子供が生まれたことが何よりも嬉しく、自分が居なくなった後に対する懸念の方が大きかった。


生きて。生き伸びてほしい。健やかに、只々元気に。

願う事はただそれだけ。

黒く塗りつぶされてゆく視界を細め、彼女は生まれたばかりの我が子へ、せめてもの餞として、笑った。花も綻ぶような満面の笑みであった。


「―――大好きよ、『     』」

彼女の記憶は、そこで途切れた。









 ある一頭の竜がその山に降り立った。

朱色の鱗は雨粒に濡れ、細められた眸は吊り上がり黄金色に煌めいている。その視線の先にはある人間の遺体を捉えられていた。

遺体は全身マントに覆われ、性別は判らない。だが雨に紛れて漂う匂いから恐らく女であろう。


別にそれだけならば常のようにここらの魔物の餌となりすぐにでも肉塊と化し無くなるだろう。だが、今回はその傍らに何やら小さな影が寄り添っていた。竜はそれに僅かばかり興味を引かれて童子の背後に足を付けたのであった。

女の連れ子にしても随分と小さなそれは、布切れともいえるボロを素肌から纏い、地べたに座りながら女に礼をとっていた。


<人の子よ、この地を我が領土と知って足を踏み入れるか>


広げれば全長をも超す大きな翼を折り畳み、問い掛ける。

童子が振り返る。想像以上に幼い容貌は、まるで生まれたばかりの赤子のようであった。

「・・、・・・・、」

何事かを呟いたようであるが、残念ながら竜の耳には聞こえなかった。彼はそれを常のように己に怯えたせいだと思い込んだ。

確か人里までここからは成人の足でも5日は掛かる。きっとこれ程幼い童ならば同族の元へ帰る事も出来ず、ここで魔物の餌となる定めであろうと彼は思案した。


<母を失った哀れな童子よ。せめて苦しまぬようその小さき命、我が一飲みで終えてやろうぞ>


竜は鋭い牙がびっしりと生えた口をがぱりと開け広げ、小さな童へと襲い掛かった。その刹那であった。


童子の眸と目が合う。

竜の眸とはまた別の、鋭い輝きを放つそれに、一瞬にして引き込まれた。捕えられた視線は逸らすことが出来ない。

小さな唇がゆっくりと開かれる。


「――――――」





◆◆◆◆◆


 ふっと瞼を開けた少年は自分がうたた寝をしていた事に気が付いた。

あふっと一つ欠伸をして降り注ぐ日差しに手をかざし、目を細める。木々の間から覗く太陽の位置がいつの間にか真上に移動している事から、思ったよりも寝入ってしまっていたようだ。


<ようやく目覚めたか、寝坊助が>


石を削り出して作った椅子に座り直し、伸びをしていると当たりが影に覆われる。次に聞こえた重厚な声と共に一頭の紅竜が目の前に舞い降りる。

ぶわり、と風が起こり少年は目を細める。

そしてふっと柔らかい微笑みを浮かべ、己を見下ろしてくる竜へ向ける。


「お早う父さん。それにさっきまではちゃんと起きてたから、別に寝坊したわけじゃないですよ」

<だから我を父と呼ぶのを止めろと言っている>


心底嫌そうに顔を顰める紅竜に少年は面白そうに笑みを深めるが何も言わない。それに紅竜は溜息を吐いた。


<初見で本能的に服従を強いられた相手の親とか、何の冗談だ>

「実際育ての親なんですから、良いじゃないですか」


 もう十年ほど前の事、この紅竜は目の前の少年に服従した。

拙い、産まれたばかりの赤子から発せられた命令に、逆らうことが出来なかったあの日。

あの頃からこの山を含む森の魔物の長であった紅竜の足元にも及ばない、力無き幼い赤子。力で捻じ伏せることも出来たはずなのに、竜として、長としてのプライドも何もかもをかなぐり捨てて本能のまま地に伏せるしかなかった。


そしてあの後、行く当ての無い幼子を今日この日まで育ててきたのも紅竜である。

主など、まして己の子供として思った事など一度だってない。けれど、己に無条件降伏をさせた相手がみすみすのたれ死ぬのは何となく気に食わないと思った。それだけだ。


更に今ではこの森に住まう魔物を己を始めとし全て服従させてしまうなど、誰が予想できたであろうか。最早事実上この穏やかに微笑む年端もいかぬ少年がこの森の長の位置に収まってしまっている。末恐ろしい子供である。


当時の己の行動を思い返し、苦々しい表情を浮かべる紅竜の思考を読んだかのように、少年は朗らかに笑う。

因みに生れ落ちたばかりの赤子が何故言葉を発したり既に起き上がれたかについては、母親が胎児の頃に魔術で少年の成長を速めてくれたお蔭である。言葉も母親から貰い受けた知識の中にあった。

魔力や知識を持っていても、まず自分で行動出来なければどうしようもない。そのお蔭で紅竜に食われず、こうして生きているのだ。本当に彼女には感謝してもし切れない。


「はよーっす!起きてるっスかー?」

すっかり冷めてしまった紅茶を火魔法で温め直していると、木の上からブランと見知った顔が逆さまに現れる。

「お早ようございます、ディーベルハイド」

「グレイシスさんに竜の旦那もお早よっス!」

<あぁ>


煩いのが来た、と紅竜は溜息を付いた。

グレイシスという名は、母からの最期の贈り物である。受け継いだ知識から、古代語で『心からの祝福を』という意味であると知った。

顔を出したディーベルハイドはここの森に住まう鴉の魔物である。何かと便利らしく通常は見た目20前後の青年のような外見をしているが、未だ変化が不完全で首に真黒な羽を生やしている。


「見て見て!これ、さっき森に人間が来たから奪ってきた!何かの武器?」


無邪気に戦利品を掲げて駆け寄ってくる姿はとても人懐っこい。下手をすると一回り年下のグレイシスよりも余程子供っぽさを残している。

クスリと笑みを零しながら短剣ほどの大きさの小刀を受け取る。装飾も施されていないそれは殺傷力と切れ味に特化している。


「暗器ですかね?実物を目にするのは初めてです」

<あぁ、人間がたまに使用していたのを見た事がある>


奪ってきたとは暗にここでは殺してきた事が前提である。しかしディーベルハイドも紅竜も、グレイシスさえもその事に対して無関心だ。

ここではグレイシス以外が魔物であり、人間を殺めることに何の躊躇もない。グレイシスも母親からの知識から同じ人族を殺される重大さを知っている。が、それはあくまで知識としてであり、この場に人間を殺して裁く者はいない。ならば守る意味もないと割り切っている。

そもそも母と自分以外見た事もない存在などグレイシスには興味などなく、必然的に罪悪感さえも湧いてこないものだ。


この森には時折行商人や旅人が足を踏み入れる。

回数こそ多くはないが、グレイシス達は彼らの積荷を狙って度々今回のように奇襲をかける。そうして得られた品は魔物たちの暇つぶしの道具か、専らグレイシスの日用品として使用される。

彼やディーベルハイドが着ている服や紅茶の茶葉、カップなどがそれに当たる。


「これってどうやって使うんすか?」

「ええっとですね、指に挟んで、こう、」


膨大な記憶から引っ張り出してきた知識で説明する。頭では解っていても実物を手にするのは此方も初めての為、中々スムーズにいかない。

見よう見真似で暗器の刃を指に挟み岩壁に向かって、投げる。

へろへろと力無く飛んでいった小刀はカンッと音を立てて岩に弾かれ、地面に落ちた。

何とも言えない表情のディーベルハイドと呆れた視線を向ける紅竜。


「あれ?」

<軟弱者め・・・>

「グレイシスさん・・・」


いくら魔力や知識があろうと体は普通の10歳児と変わらない。むしろ面倒臭がって遠出も紅竜の背に乗って移動し、更に小食も相まってグレイシスの筋肉量は乏しい。

ある意味当たり前な結果だが、グレイシス自身は首を捻って不思議そうだ。むしろ何故出来ると思ったのか。

その後ディーベルハイドが真似をして放った所、難なく岩に一本残らず突き刺さった。若干グレイシスは不服そうだ。


「そういえば、この他に書物か何かは積んでなかったんですか?」

「そう言うと思って、はい!持って来たっスよ!」


笑いながらディーベルハイドが人差し指をふいっと振ると、何処からか本や巻物を咥えた鴉が数羽飛んできた。振った手のひらを上に向けるとそこに次々と本を落とし積み上げた鴉達は、そのまま頭上でぐるりと一つ旋回して再び森の中に消えていった。

鴉の頭であるディーベルハイドの配下達だ。いつも思うが、便利な存在である。

感心しながら目で後を追っていると、上機嫌なディーベルハイドがズイッと書物を差し出してきた。それを有難く受け取り、早速ぱらぱらと流し読んでみる。


「いつも思うけど、グレイシスさんよくそんな文字ばっかの読めるっスよね~。面白い?」

「ええ、とても。一通りの知識は持っているつもりですが、人里に下りてないから日々更新される情報は流石に解りませんからね」

「別に(ここ)にいるならンな情報要らないと思うっすけどね~」

<ただ暇なだけだろ>

「あはは、まあ否定はしませんがね」


日がな一日呆けっとしているか、ディーベルハイドに連れられて森の中を散策するくらいしかやる事がないグレイシスは暇を持て余している。そんな彼にとって外から持ち込まれる新たな情報は貴重だ。

紛れていた新聞を嬉々として広げるグレイシスの膝に肘を付けて眺めるディーベルハイドはそんな彼の様子に満足げである。


「そういえば、今回結構金目のモンとか積んであったんスけど、どうします?」

「いつもの様に洞窟に置くか、いるなら勝手に使っても売っぱらっちゃっても構いません」

「了解っス!」


こいつも初めの頃とはまるで態度が違う。紅竜は呆れを多分に含んだ視線を向け、気付かない彼らに小さく溜息を付くのであった。



  ◆◆◆◆◆


「軍?」


 一月以上前に通った馬車から奪った本をとっくに読破してしまったグレイシスは再び暇な日々に明け暮れていた。

今は嫌そうにする紅竜の背に横たわり、適当に魔法で何重もの虹を出現させて遊んでいた。そこへ、何匹かの部下を引き連れてディーベルハイドが珍しく魔物の姿で現れる。

周りの鴉達の何倍も大きな彼は、グレイシスが見上げる程大きい。体中を覆う羽と同じ色を宿す漆黒の翼。鋭く吊り上がった目の中には朱い眸が三つ埋め込まれている。

六つの眸が全てグレイシスを捉え、太い足の先から伸びる三本の鋭い鍵爪と同じくらい尖った口ばしをゆっくりと開く。


「どうやら前殺した奴等、王族とかだったみたいで」

「仇討ちってとこですか」

「まあ、そんなとこっすかね」


視察に行っていた配下の一匹が王都に入り知ったらしい。騎士を始めとする近衛兵や一般兵を含み、先導する王族に加えそれなりの数の兵士を引き連れた軍隊が今此方に向かっているようだ。


「随分熱烈なアピールですね。以前の人ってそんなに重要な立ち位置だったんですか?」

「なんでも第一王子だったみたいで、何か大変そうでしたよ。興味ねえけど」

「あららー」


まるで「あらお醤油買い忘れちゃったわ」というくらい軽い反応しか示さないグレイシスに、紅竜は隠そうともしない溜息を零した。自分達に不利益が講じない限りどうでも良いのだ、この男は。


「進行速度的に多分今日の夜当たり着きそうッスけど、どうします?面倒ならこいつらに行かせてちゃっちゃと終わらせる事も出来ますけど」

「ん~、そうですねぇ・・・」


チラリとグレイシスが紅竜を見詰める。

視線に気が付いた彼は何だと顔を顰めつつその目を見返した。途端上がる口角に言いたい事を察した紅竜は溜息を付き、ディーベルハイドへ向く。


<こいつが出たいっつってるんだから、余計な事してやんな>

「ラリシル、年々口調が砕ける以上に口が悪くなってきますよね・・・当時の竜らしい高慢な喋り方は如何したんですか」

<どう考えてもお前のせいだ、阿呆>


紅竜、ラリシルはディーベルハイドの方を向きながらバッサリと切り捨てる。物腰は柔らかいが色々規格外にぶっ飛んでるこの人間の子供と常日頃から向き合おうとすれば、自然とそうなってしまうのも仕方がない。要は慣れである。

話に若干置いてきぼりを食らっているディーベルハイドが二人を交互に見返し、やがて手助けは無用と判断したのか後ろに控えていた配下を散らした。

そしていつもの人間姿になると、興味深そうに駆け寄ってきた。


「何々?結局どうすんの?」

「うーん。一先ずお茶でも飲んで、歓迎の準備といきましょうか」


にっこりと、人間の精鋭部隊が現在此方に攻め入ろうとしているにも関わらず彼は余裕の表情を崩さない。むしろ新しい玩具が手に入ったという様に、心なしか輝いて見える。

そんな少年の様子に、一匹は呆れ、もう一匹は面白そうに目を細めた。


<お前・・・いい暇潰しが出来たと思ってんだろ>

「あ、わかります?」



  ◆◆◆◆◆


 その日は明るい満月の夜だった。

王都からの道のりは長かったものの、昨日から道はほぼ草原に近い平坦なもので進みやすい。それに大きな望月が足元を照らしてくれるので前進は快調ともいえるくらい順調であった。

しかし目的地が近付くにあたりそれはあまり歓迎出来たものではない。何せ明るいという事は敵にも自分たちの姿が丸見えだという事だ。負ける気はしないとは言っても、目立つ事はなるべく避けて通りたいものである。


己が仕える我が国の王族の第一王子が行方不明になったのは、一月ほど前の事である。国易交渉に後学のため派遣された王子は隣国への旅路の途中、忽然と足取りが途絶えた。

王位継承者が、それも国でも腕の立つ騎士を複数名乗せた馬車と共に姿を消したとあって国中は騒然となった。

国を挙げての捜索の結果、どうやら王子一行は今己を含む軍が向かうワイデール山付近で居なくなったようである。


ワイデール山と言えばこの当たりでは有数の竜の領地として有名だ。

高い山は雑草の一つもない険しい岩山で、その麓は深い樹海に覆われている。山の頂には竜の巣、足元の森は魔物の巣窟とあって、地元の民でさえ滅多に足を運ばない。

だが迂回するよりもその森を横切った方が遥かに早く隣の町へ行ける事もあり、護衛の腕に自信のある商人や無知な旅人が時折足を踏み入れ、ほとんど帰ってくる事はないという。

そして、かつて魔女と恐れられた過去の大魔導士も、彼の地で消息を絶ったと噂されている。


「おっ、雲が出てきたな。丁度いい」


隣にいる同僚の一般兵が独り言を呟き、釣られて同じく頭上を見上げる。

図った様に雲に覆われ光を濁らせる月を見て、如何やら天は自分たちの味方らしいと知らず笑みが零れる。

事前に言い渡されていた作戦は、無闇に樹海に入り敵に有利な地形で苦戦するよりも、森に火を付けて逃れてきた魔物を手当たり次第に抹殺するというものだ。

個人的に何となく卑怯臭く思うが、長年あの地に悩まされ続けてきた地元の声もあり、今回の件を切っ掛けとして森ごと焼き払う事に決定したらしい。

一番の懸念材料は竜の怒りを買う事だが、此方には後方に宮廷魔術士を何人も控えている。多少の死傷者は出るだろうが、これからあの地で被害に遭う者達を思えば仕方がない。


不意に列が止まる。

前に並ぶ兵にぶつからないように気を付けながら、此方を振り向いている隊長に顔を向ける。如何やら目的地に到着したらしい。聳えるワイデール山は見上げる程に高く、岩肌を剥き出しに佇んでいた。先頭の騎馬兵からあと50m程進んだ所で樹海の入り口がぽっかりとあいている。

森は異様なほどの静寂を保っていた。


隊長が当たりを見渡し、一つ頷くと横に逸れて恭しく片膝をついた。その後ろから、見るからに豪奢な馬車から大柄な男が顔を表し、ゆったりと前に出る。

白髪交じりの髭を蓄えながら、細められた目元は依然として強い。齢50を越す現在でも、その威厳は健全なままだ。

背後に騎士を従えるその姿に厳粛な気を漂わせ、片手を挙げる。


「此れより、我が息子アンデル・フォイ・ル・ヴェトリームと、過去犠牲となった国民の無念を晴らす!」


張り上げた声は男の耳にも聞こえた。

彼は持っていた剣の先を地面に突き立てる。カンッ、と鳴り響いた音は戦いの幕開けを告げた。

男も隣の同僚も、今から始まる戦闘の空気に酔い痴れ、胸の高鳴りと僅かに湧き上がる高揚を噛み締めていた。


「弓兵、構え」


すぐに列から弓を携えた兵士が四方から飛び出し、矢を構える。指揮官が呪文と共に手を振ると、矢じりの先にボウッ、と火が点った。

いつでも引ける。そう言うように指揮官が主君に向かい頭を垂れる。

それに頷いた王は樹海へと向き直る。バッと挙げた手を振り下ろし掛けた。その時である。


誰の叫び声だったかは解らない。

けれどその声を皮切りに幾つもの視線が空へと放たれ、短い悲鳴が漏れた。


巨大な、20mはくだらない緋色の竜が翼を広げ空中から此方を見下ろしていた。

竜の周りには鴉を始めとした大小様々な魔鳥が舞い、同じく爛々と光る眸を晒す。

突風を巻き起こし、竜が地上に降り立った。

あまりの衝撃に王でさえ下ろし掛けた腕をそのままに固まっている。隣の同僚も、男も、周りの兵士や騎士でさえ同様である。


しかし、もっと衝撃的だったのは、その竜の背に立つ人影であった。

あれは誰だ。もしや魔族の者かと誰もが口にはしないものの思った事であろう。

と、そんな時に一筋の光が漏れた。

風に押しやられた雲が流れ、煌々と光る月が再び顔を出す。


そこで初めて、彼の者の姿が露わとなった。

彼らは驚愕に目を見開いた。そこにいたのは魔者でもなんでもない、紛れもない人間の子供であった。

サイズの合わない服を器用に着こなし、伸びる四肢は白く細い。まだ幼さの残る相貌には場違いなほど穏やかな微笑が浮かべられている。

何より目を引くのは、月と同じか、それ以上に輝く琥珀色の眸だった。


合わさった双眼にぞくりと背筋が粟立った。

それはつい先ほど感じた高揚感の何倍も強く、今まで晒された事のないほど果てしない恐怖と酷似していた。

無意識に震えるこれは果たしてどちらの感情であろうか。両足は地面に縫い付けられたかのようにピクリとも動かない。

まるで奇跡の絵画でも目にしたように少年に釘付けになっていると、不意に彼の背後に気が付いた。

同時に「何だあれは」と掠れた声が隣から聞こえる。

不気味なほどに沈黙を守っていた樹海の奥で、無数の光る目が存在していた。


一際大きな鴉の魔物が少年の横に控えるように音もなく降りる。少年が猫でも撫でるような優しい手つきでその恐ろしげな魔物の顎下を掻いてやると、眸が三つ埋め込まれた目を細めた。

不意に少年が両手をゆっくりと広げる。

それを合図とし、森の中に潜んでいた魔物たちが徐々に姿を現していった。

百を優に超す様々な種の魔物。それらが竜に乗る少年の背後で止まった。


固唾を飲んで静まり返る兵士たち。慈愛さえ感じる程優しげな微笑みを浮かべる少年が場違いなほど浮いていた。

男は嘘だと否定する己の内心から逃避する。この光景はまるで、あの少年があれら全ての魔物を使役しているようではないか。


残虐で、自由奔放な魔物を従える魔物使いは確かに存在する。

しかし、あの数は明らかに異常である。

普通、魔物使いは一人精々3匹が限界だ。それ以上を望めば、術者の力量が釣り合わず即座に魔物に喉笛を食い破られている。

それなのに、未だ出てくる魔物は大小限らず、一匹を精鋭騎士で何人も立ち向かってようやく倒せるレベルのものも少なくない。

まして国を挙げても敵うかどうか解らない頂点を収める竜でさえ、あの少年の手の中だとでも言うのか。


微笑んだままの少年の背後に、魔物が整然と立ち並ぶ様は、何とも壮観であった。

今にも目の前の人間たちを食い殺さんと舌舐めずりする彼らは、けれど小さな主の言葉を静かに待つ。


「―――行っておいで」



パンッと手を鳴らす音が聞こえた。

少年を避け、猛然と駆けてくる魔物の姿を、食い物にされてゆく仲間を見ながら、男は依然として立ち尽くしたまま少年を見詰める。

“稀代の魔物使い”

絶望に彩られてゆく思考の中、視界の端で魔物が己に向かい口を開く様を捉えながら、男は最期にそう呟いた。


グレイシスが敬語なのは母の記憶の中で大半の人がそういう口調だったからというどうでもいい裏設定。

敬語キャラは個人的に好きです。

ここまで読んでくださり有難うございました。

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