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最終戦 神経衰弱からの~ 茨の女王さま

 はあ、ひいひい。

 

 息を荒らげ、鍵沼は自室にこもっていた。


 寮にある自室。一番安心できる場所。

 そこで鍵沼は布団を頭から被り、がたがたと震える体を抱きしめる。


「なんで、なんでこんな事になっているんだよ? 俺は言われたことを言われた通りにやっただけなのに。なんだあいつは。なんでなんでなんで……」


 かたん。


 何か物音がした。

 鍵沼はびくんと体を振るわせた。

 暗い部屋には自分以外誰も見当たらない。見当たらないのに、振るえが止まらない。


「いやだいやだいやだいやだ……」


 虚ろな目でそう呟き続ける。


「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……」


 かたん。


「ひぎっ」


 頭からかぶっている布団を掴む力が強くなる。

 引きちぎりそうなほど力を込めている。布団の隙間から外が見える。

 

 穴が見える。シワに覆われた真っ黒な穴が。


「ひぎゃああああ」


 鍵沼は足をばたばたと動かし、ベットの奥へと体を移動させる。しかし直ぐに壁に背中がぶつかる。


 穴は消えていた。

 変わりに全身に圧迫感。ロープを巻かれていくような線での圧迫。それは徐々に強く締め上げてくる。


 体を締め上げるもの。その正体は直ぐに判明する。

 ベッドの下から這い出てくる、無数の蔓状の物体が這い出てきて、体を縛り上げているのだ。

 

 強く強く。

 

 体に痛み。軋み。骨が悲鳴を上げる。内蔵が苦しいと訴える。脳が逃走を訴える。


「いやだ、いやだいやだああ」


 標準的な男性の体重を持つ鍵沼の体が、まるでその重量が無いかのごとくふわりと持ち上がった。


 そして、めきめきと雑巾を絞るように触手は鍵沼の体を布団ごと捻り上げていく。


 ごき、こきん。


 小枝を折るような音が全身のいたるところから聞こえる。

 筋肉は断裂の悲鳴を上げ必死に痛みの信号を脳へと送り続ける。


「うぎゃああああああ」


 ごきんべき。

 

 腰の辺りからくの字に曲がった鍵沼の体。

 床へと落下して、埃が舞い上がる。

 

 あんなことしなけりゃ良かった。  

 

 そう思う。思いながら意識は暗黒はと落ちていく。

 そのまま折りたたまれるようにして、ベッドの下の闇の中へと鍵沼の姿は消えていった。







「ん?」

 

 僕はポケットの中で、小刻みに携帯が震えているのを感じた。


 ポケットに手を突っ込み、携帯電話を取り出す。赤い目立つ色の携帯電話。

 当初は趣味悪いかなー? などと思っていたが、使っているうちにだんだんとこの色にも愛着が湧いてきて今じゃこの色にして正解だったな。などと思っている。

 しかし何だろう。当初なんでこの色を選択したんだっけ? 覚えてないんだよなぁ。

 

 最終的にゲテモノの方が人間愛しくなる様だった。

 不思議な生き物だよね。人間って奴は。色んな意味で。


 そんな愛しい携帯電話。ディスプレイには鬱陶しくも可愛い後輩の名前が映し出されていた。僕は携帯電話を通話状態にして耳へとくっ付けた。


「はいはい。何か用か?」

「あっ、先輩ですか? 私です。琴坂です」


 何故だかひどく興奮しているようで、荒い鼻息のような、そんな音と共に鈴の鳴るような声が聞こえる。

 

 なんだ? どうしたんだ。電話に欲情でもしてるのか? 変態か。


「知ってるよ。で、どうした? 鼻息荒いぞ」

「えっ? 本当ですかごめんなさい。あっいやでもそんな事言ってる場合じゃなくて大変なんです大変私びっくりしちゃってコレは先輩にも早く報告しなくちゃってそうだ久遠さんにも後で連絡するんですけどいやいや先輩の声が聞きたいから先に電話した次第です」

 

 琴坂は早口でべらべらと一気にまくし立てるようにそう言った。

 

 いや、なにが何だか分からん。


「お前ちょっと落ち着け。句読点が一切無かったし。もっと落ち着いてゆっくり説明しろ。僕は逃げないから。な?」

「ご、ごめんなさい。でも、私本当にびっくりしちゃったものですから」

「うんそうか。で、どうしたんだよ?」

「はい。先輩も落ち着いて聞いてくださいね。私も始めて聞いたときはビックリし過ぎて、太陽をぶっ壊すぐらいの勢いで水を吐き出しちゃったんですから」

「いや、お前が水を吐いたくらいで太陽は壊れないから」


 もし壊れたら、お前が地球の命運を握ってることになるし。

 その時はお前との付き合い方を考え直さなくてはいけない。


「そうですか? そうですね。で、本題に戻ります」


 琴坂はたっぷりと間を置いてから重々しい口調で言ったのだ。


「鍵沼さんが行方不明になりました」

「えっ? マジか」

「はい。間違いないです。あの後、私たちが攫われた後ですね。そう、先輩が優しく私の事を起こしてくれたあの後です」


 いや、優しくはないと思う。

 だってびんたを思いっきりいれたんだもの。いまだにジンジンと掌がうずくぜぇ。


「その次の日から登校しなくなったそうです」

「と言う事は二日前から居なくなったって訳か?」

「はい。友人も知人も何も聞いてないそうです」

「そう、か」


 鍵沼が消えたか。まあ、それもあるかもとは思ってたけど。


「先輩」


 琴坂にしては珍しいくぐもった声で僕をよぶ。

 うーん何か調子狂う。自分で言っていて怖くなったんかな。最初興奮してたのに。


「もしかして、あのトランプのせいでしょうか? まだ続いてるんですかね」

「いや、大丈夫だ。だって燃やしたトランプの燃えカスはお前も見ただろう?」

「そうですけど。でも現に鍵沼さんは消えている訳ですし。まだ終わって無いんじゃないかって、私不安で……」

 

 力なくそう言うのだ。

 本当に心配で仕方ないらしい。こいつのこんな様子は始めてみる。いや聞いているんだけど。

 

 なんだろう。気持ち悪い。なんだかしっくりこない。そんな気持ちに襲われる。

 しょうがない。慰めてあげるのも先輩の仕事でしょう。面倒くさいけど。


「そうだな。もしかしたらまだ終わって無いかもしれない。でも、お前に危害が行くことはないよ。だってお前は何にも関わってないだろ? ゲームもしてないし、触ってすらいない。燃えカス以外は見てすらいないんだ」

「そうですけど、でももしって考えたら……」

「まぁ、その時は……僕が守ってやるよ。お前になんかあったら面倒とも言ってられないし」

「えっ? 先輩今なんて……」


 僕は自分で言ったことに自分で驚いていたが、今更撤回も出来ない雰囲気だったので、無理やり押し通すことにした。


「だから守ってやるって言ったの。たっく、決め台詞を二度も言わせるなよ」

「ほ、本当ですか? 先輩が私を守ってくれるんですね? ですか夢ですか」

「まあ、夢では無いな」


 ああ、なんだろう。とんでもなくむず痒い。ひー。


「きゃー。えっ、先輩の口からそんな言葉が聞けるなんて」


 琴坂は先ほどとは打って変わってとんでも無く明るい調子で言った。今回は僕の鼓膜を破る気は無いらしい。よかった。


「先輩先輩」

「何だよ?」

「こ、コレは……プロっ、プロっ。ごくり。プロポーズのお言葉ととっても……?」

「ンな訳ねえだろう。それにゴクリとか自分で言うなよ」


 力を極力抜いた声で言ってみた。すごいローテンション。ああーもやもやっとする。今琴坂の頭が手元にないのが口惜しい。引っ叩いてやるのに。


「うー、そんな呆れ口調で言わないでくださいよ。何か悲しいですから。冗談です。……でも本当だったら嬉しいな」

「はいはい、そーですね」

「じゃあ、先輩もう切りますね。名残惜しいですが。うむむ」

「ああじゃあ切るから」

「ああん、そんなぁ、もうちょっと」


 ブツンと電話が音を立てて切れた。もういいよね。今日は十分。


 つーつーという音が電話の向こうから聞こえている。その音をしばらく聞いてから僕はパタンと携帯電話を二つに畳んでポケットへとしまった。


「さてと……」


 僕はパイプ椅子に座りなおした。 


 そして、長机の上で両手を組んだ。

 

 顔には笑顔を浮かべる。


 目線の先には一人の女性。御しとやかそうな女性だ。


「お待たせしましたね。久遠さん」

「いえ」


 久遠さんはにっこりと笑った。










 僕と久遠さんは超常現象研究会、通称『超研』の部室にいた。


 昨日、僕の携帯電話に久遠さんから連絡があり、『会ってお話できないですか?』との申し出があったので快く了承。僕のほうも用事があったから。


 本日学校終了後、ここ、超研の部室にて落ち合うことにしたのだ。

 現在午後五時を少しだけ回っている。そう言えば久遠さんに初めて会ったときも同じ時間だったよな。しみじみと僕は思い出していた。

 

 外は茜色に染まって綺麗だ。


「で、今日は何のよう? 話したいことって?」


 僕はこんな感じで話を切り出した。 


「……今日はお礼を言おうと思って」

「お礼?」

「うん。トランプの事。私、貴方のお陰でやっと疑問を解くことが出来たの」

「疑問? 親友二人の死因だっけ?」

「うん。あの赤いトランプが、すべての元凶だって分かったから。それでお礼が言いたかったの」


 久遠さんは頭を深く下げた。


「あっ、いやそんなに頭なんか下げなくていいよ。僕だって何にもしてないし。それに情報をくれたのはほとんどが、久遠さんだって琴坂もいってたから。だから、むしろお礼を言うのは僕のほうって言うか……」


 うー、うまく話が纏まらん。どうでもいいか。


「ふふっ。じゃあお互い様ってことね」

「あーうー。そういうことで」

「そうね」

「そうそう、さっき電話で琴坂から連絡があったんだけど」

「そういえば電話してたね」

「で、その電話で言ってたんだ。鍵沼が行方不明になったって」


 久遠さんは節目がちになる。少し寂しそうな顔。


「そうなんだ……。可哀相な人だよね」

「ん? なんで? 親友の命を奪った張本人なんだよ?」

「そうかもしれない。けどね、なんとなく思うんだ。あの人もトランプの犠牲者なんじゃないかって」

「……どうしてそう思うの?」

「だって。うんきっとね、本人の意向じゃなかったと思うの。うまく言えないんだけど、誰かに無理やりやらされていたんじゃないかって」

「……」

「だからね、彼もきっと犠牲者で可哀相な人なんだと思う」

「久遠さんって優しいんだね」


 久遠さんは顔を真っ赤にして思いっきり否定した。


「そ、そんな事ないよ。うんそんな事無い」

「そうかな?」

「そうよ。そうなの」

「でも、なかなか出来ることじゃないと思うよ? 許すって事は難しい事だからね」

「……ありがとう。私そんな事言われたの初めてだよ」


 久遠さんはそのまま黙り込んでしまった。僕も黙って一言も話さない。


 ちょっと伏し目がちな久遠さんの顔を見つめていた。


「そうだ。ねえ、トランプやら無い?」


 僕はいきなりの申し出に少し戸惑ってしまう。ここで来るか。いやでもありなのかな。


「なに? いきなり」

「私、あのトランプを燃やしてすっきりしたんだと思う。だからそう、トランプをやって節目にしようって思ったの。だから直接会ってお話したいって言ったんだ」

「そうなんだ」

「で、やる? トランプ」

「いいよ。やろう」


 久遠さんは小さくガッツポーズをした。


「やった。じゃ、何やる?」

「僕は何でもいいよ。久遠さんはやりたいの?」

「んー。難しいのは嫌だから……そうだ神経衰弱は」

「ん、いいね。じゃあ決定。で、トランプ持ってるの?」


 久遠さんは自分の学生鞄をごそごそと漁り、トランプケースを取り出した。プラスチックの蓋を開け

て中身を取り出した。


「可愛いでしょ?」


 久遠さんの手にあるのは、小さな花の絵がいくつも裏面に印刷されたピンク色のトランプだった。表面も四隅にある数字とスート以外は花模様で統一されている。


「そうだね」


 僕は小さくそう呟いて、久遠さんに同意した。


 さて、『神経衰弱』というゲームだが、これは至って単純なルールだ。


 まずカードを大きく広げる。出来るだけ重ならないほうがいいと僕は思うが、重なってもなんら支障は無い。

 そして、ばら撒かれたカードを二枚めくり、数字が同じだった場合は自分のものとなり違った場合はまたそのカードを裏返して相手の番に移る。

 またカードが揃った場合は続けてカードを捲ることが出来る。

 最終的にもっとも多くのカードを持っていた者の勝ちである。


 久遠さんは花柄のファンシーなトランプをたどたどしい手つきで、何度もシャッフルしてから机の上に均等に重ならないように広げた。


「じゃあ先攻後攻を決めようか。じゃんけんでいい?」

「いいよ」

「それじゃあいくよ」


 僕は慌てて手を挙げた。


「じゃーんけーんぽん」


 僕はパー。

 久遠さんはチョキ。


 僕の負けだった。残念。


 久遠さんは当然のように後攻を選択。

 かくして、最後のゲームが始まった。

 

 僕は取り合えず、近くにあるカードをあてずっぽうで二枚ひっくり返した。

クラブの2と、スペードの2。


「あっ」

「すごーい」


 本当だ。いきなり揃うとは。コレは幸先がいいですね。


 僕は二枚のカードを自分の手元まで持ってきた。


「じゃ、次はっと」


 僕はまたしても適当に二枚捲った。

 一つはクラブの5。

 もう一つは……。


「7かよ」


 スペードの7だった。


 僕はしぶしぶカードを裏返した。


「じゃあ、私の番だね」


 久遠さんはぺらりと一枚めくった。

 ハートの7。

 コレはまずい。


「やった」


 久遠さんはそう言って、先ほど僕がひっくり返したスペードの7をオープン。そのまま自分の下へと持っていく。


「じゃあ次は……これっ」


 久遠さんがひっくり返した二枚のカード。


 一枚はハートのキング。もう一つはクラブのキング。


「やったー。ラッキー」


 その二枚も久遠さんの手元に移動。


「よーしこの調子でどんどん行っちゃおうかな」

「それは困る」

「ふふ」


 久遠さんは不敵に笑って、カードを一枚めくる。

 現れたのはスペードの5だった。


「あっ、やられた」

「へへへ」


 二枚のカードを手元へ持って行った。


 何だよ、一方的な展開になってきたな。まずいんじゃないの? 僕よ。心配になってきた僕だが、今度久遠さんがめくったのは、ハートのクイーンとクラブのジャックだった。

 助かりましたよ。


「よかった。このまま全部久遠さんが持って行っちゃうのかと思った」

「幾らなんでもそんな事ないよ」

「はははっ。そうだよね」


 言いながら僕は一枚カードを捲る。

 その後も淡々とゲームは続いていた。


 三回目の僕の番。


 持ち前の強運ですでに久遠さんの手札は十枚に膨れ上がっていた。対して僕はというと六枚。本当ならそんなに悪くないんだけど。あれーやっぱり僕が強いのは悪運だけなのか。


 久遠さん強すぎる。


「僕の番か……」

「がんばって」


 心無い応援が聞こえる。僕はカードの一枚に手を伸ばしながら口を開く。


「そうそう。ハッキリさせておきたい事があるんだ」

「何?」


 久遠さんはニコニコとした顔で言った。


 僕はそんな久遠さんの顔を見つめて。

 

 睨み付けて。

 言った。


「久遠さんあなたが殺したんでしょ? 理緒さんと芳香さん」


 久遠さんはにこにことした表情を崩さないままで言う。


「あらどうしてそう思うの? 私が殺したなんて?」


 僕はカードを一枚捲った。

 どくろに花が巻きついた不気味なデザインが顔を現した。


「ここからは僕の推測で、憶測だ。久遠さんは二人にいじめられていたんだろ? だって可笑しいよね? 大体は親友って自分と似たような格好をするんだよね。朱に混じれば赤くなるって言うしね。それなのに久遠さんと死んだ二人はまったく似ていない。似ているどころか正反対の格好だよね。格好だけじゃなくて性格もね。多分援助交際なんかしないでしょ?久遠さんは」


 僕はもう一枚カードを引いた。


 今度は人間の首から下の白骨化した遺体に蔓が巻きつきそこから花がいくつも開いているデザインのカード。


 どちらもジョーカーだったので僕は手元に持ってきた。


「でもそんな人たちが一緒に居る。コレは事実だ。でもそれは仲が良くて一緒に居るんじゃない。一方が搾取していたから一緒に居ただけなんだ。それに久遠さんが苛められてたかもって言うことも聞いていた」


 僕はカードを一枚捲る。

 今度はハートのエース。


「結論。久遠さんはあの二人に苛められていた」

「ふふふ。面白いわね。じゃあ、百歩譲って私が苛められていたとしましょう。で、私はどうやってあの二人を殺したの? それにあなたもきいたよね? 鍵沼が『あの二人の女と同じように殺してやる』って」


 僕はもう一枚カードを捲る。


 今度はスペードのキング。

 僕はカードを元に戻して、手を引っ込めた。


「そうだな。きっと、鍵沼に取り付いていたあの化け物。あれも子供だったんだ」

「子供?」


 久遠さんはカードを一枚捲る。

 ハートのクイーン。


「そう。そうだ久遠さんは僕のクラスの北原君は知ってるかな?」

「いいえ。知らない」


 久遠さんは言いながら二枚のカードを自分の手元へと持っていった。

 どうやら揃っていたようだ。僕は見ていないけど。


「まあ、暗い奴なんだけど、そいつも持ってたんだよね。トランプ。ただそれは赤いトランプから株分けしてもらったいわば子供だった。って事が分かってね」

「で、それがどうしたの?」

「で、その時現れたのは鍵沼から出てきた奴の一回り小さい奴でさ。僕もその後に鍵沼のあのでかい奴見たからてっきり親だと思ったんだけどね」


 久遠さんは僕の顔から視線を外して、僕の目の前においてあるカードへと手を伸ばした。


「でも思った訳。でかいからって親とは限らない。もしかしたら成長した子供じゃないかって。で、そこで閃いた。もしかしたら最初の子供なんじゃないかって」

「どう言う事かな?」


 久遠さんはまたしてもカードを二枚もって自分の前においた。また揃ってたのか。


「あの二人、理緒さんと芳香さん鍵沼の奴に借金していたらしい。結構な額のね。それを知っていた久遠さんは、まず鍵沼とトランプで勝負をしたんだ。コレは簡単だったと思う。トランプ勝負を借金した奴に持ちかけて、相手が勝ったらチャラにしてやるなんていう奴だ。きっとトランプ好きに決まってる。実際にやってみてかなりの熟練者だって事も分かった。だから、トランプをやろうって言えば無条件でもやってくれたと思うし、万が一やってくれなくても自分で借金すれば一ヶ月後には向こうから持ちかけてくる」

「……」


 久遠さんは無言のままカードを次々に持っていく。


 僕は自分の番がもう廻ってこないことを悟り、手元に置いてあったトランプを脇へとどかして話を続けることにする。


「で、まんまと勝負をした久遠さんは、鍵沼にあの化け物を植えつけた。そして、その状態で二人と勝負させたんだ。で、負けた二人は鍵沼に植え付けられた化け物に子供を植え付けられて、それで三日後に死亡したんだろう。きっと鍵沼に植えつけた子供って言うのは、自分自身で子供を植えつける能力があるのと、鍵沼のトランプの一部。ジョーカーを意図的に引いたり、引かせたりって言うのが出来ることから子供って言うよりは分身に近かったのかもな」


 僕はそこまで喋って、机の上に視線を落とした。

 机の上にはもう、二枚のカードしか残っていない。そして久遠さんの前には山になったカード達が。

 この状況は予想していた。


 だって、このトランプが真正。正真正銘本当の『赤いトランプ』なんだから。


「で、あともう一個。僕たちが鍵沼に攫われたとき、あの時琴坂を気絶させたのは久遠さんでしょ? 鍵沼一人で僕を気絶させて、更に女の子とは言え更に二人を気絶させる。確実性に乏しい。でも、協力者が居たら? それが久遠さんなら確実だ。あと、襲ってきたタイミング。久遠さんがどこかに電話した直後のことだったし、久遠さんが電話したのは鍵沼だったんだよね?」


 僕はそう結論した。


「と言う事で、二人を殺したのは久遠さんだと思った訳。正確には殺させた。かな。自分が容疑者にならないように一人人間を挟んだ訳で」


 とは言え方法がオカルト的だし、実証は不可能に近いと思うけれど。


「ふふふふっ。そう。面白かった」


 驚くほどきれいな声で笑った。ある種の何か余計なものから解放されたかのような笑み。何かが欠けた、奇形さを伴うきれいさだった。


「貴方の推理は、どうにも推測とかおそらくとかが多くて、無理やりな感じがしたのがいただけないけどね」

「うるさい」


 本職じゃないんだからそんなところ気にするなよ。

 と言うかよかった認めてくれて。

 

 無理やりにつぎはぎしたテキトー推理だったからなあ。三人目についても言及しなかったし。改めて振り返ると酷いもんだよ。

 うん。こんな事は本職にまかせたいよ。


 面倒だしねぇ。


「だけどそうね。うん大筋ではあってる」


 そう言って、場に二枚残ったうちの一枚を捲った。

 現れたのはスペードのエース。


「そうね。私はあの二人に苛められていた」


 笑顔のまま淡々と語る。


「……」

「なんでだと思う? ある時私の引き出しに一通の手紙が入っていたのね。まあ、ラブレターって奴。そこには愛の言葉が延々と羅列されていたの。で、最後に放課後に校舎裏に来て下さいって。私、断ろうと思って、そこに行って実際に男の子にあってお付き合いできませんっていったのね。男の子もすぐに分かってくれて、それでそれは終わったと思ってた」


 空気が……変わる。


 久遠さんは穏やかだった顔を憎悪に歪ませ、机を殴りつけた。

 

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も。

 皮がめくれ、血が出るまで。


「あの二人の内の芳香あいつがその私が振った男の子が好きだったらしくて、そんな男の子を私が振ったのが気に入らなかったみたい。それで、嫌がらせをしてきた。……引き出しにごみを詰めたり、水を掛けたり、直接私に暴力を働いたこともあったし、お金も五万円や十万円じゃきかないくらいに持って

いかれた。でも我慢した。誰にもばれないようにした」


 久遠さんはこぶしに血が滲むほど握り締めて、悔しそうに恨めしそうに言葉を綴る。


「私が何をしたって言うのよ? ただ男の子を振っただけじゃない。なのに何? 自分に魅力が無いからって私に焼いていただけなんじゃないの? 本当に憎い憎い憎い。なんで私があんな目に合わなくちゃいけなかったのよ。理不尽、何もかもを壊してやりたい。世界なんてなくなればいいんだ!」


 そこまで言って、不意に久遠さんの顔に笑顔。

 邪悪に歪んだ笑顔が浮かぶ。


「そんな時だった。私は『赤いトランプ』について知ったの。そして、実際使ってみたのよ。そしたら貴方も知っての通り。引く札を自分で操作できるじゃない。そして、効果も知ったわ。そうそう、その時に相手をしてもらったのは野尻さん。たまたま、放課後残ってるのを見つけたから、お相手してもらったの。で、死ぬまでの三日間にあの噂、トランプ勝負で三日以内に勝たないと死ぬって言うのを流したらしいわ。こんなところかしら。後は、貴方が言った通り。二人が鍵沼に借金しているのは知っていたから、鍵沼に植えつけて、それで、殺してもらったの」


 久遠さんはそう言って机の上へと手を伸ばす。


 最後の一枚。

 勝ちへの、確実すぎる勝ちへと手を伸ばす。

 そしてめくられる最後のカード。

 クラブのエース。

 久遠さんはそれを手にとって、自分の顔の横で僕に見せた。


「コレで、このゲームは終わり。分かっていると思うけど一応言っておくね」


 そう言ってにっこりと笑った。


「私の勝ちよ」


 宣言した。

 ……。

 ……。


「ん?」


 あれ何も起こらない?


 てっきり久遠さんの口から、化物がわいてくるものだと思ったのだけれど。僕は椅子から若干腰を浮かせてあたりを窺うが、久遠さん以外何も見当たらない。


「ナニヲサガシテイルノ?」


 寒気がした。


 背骨に液体窒素を無理やり流し込まれたような。一気に凍るような寒気が。

 きょろきょろと首を動かしていた僕の耳に囁く様な音が、ノイズのような不快な音が聞こえる。体が硬直する。動けない。体がいう事を聞かない。


 そして僕の首には尖った爪の感触と、ざらりとした肌の触感。凍りそうな冷たい肌だ。

 

 めしり。

 

 冷たい指の感触。

 

 めしり。

 

 首筋に絡みつく冷たさが、一本ずつ一本ずつ増えていく。

 

 めしり。

 

 凍えるような冷気を耳元に感じる。

 

 ゆっくりと目を、視線を、冷気の方へと向けていく。眼球だけを動かし。そこにあるものを確認する。


「はあー。サムイ。サムイ。サムイノ?」


 視界の端にある、口が動く。唇の無い口が。

 むき出しの歯がかちかちと鳴らされている。吐き出されるのは白い息と、呪詛の混じった言葉。黒い糸くずの混じった言葉が漏れ出している。


「ドウシタノ? サムイノ?」


 指に力が込められて、爪が皮を突き破る。流れ出た血は僕の制服の襟を赤く染める。首の骨がギシギシと音を立てている。


 間違いないこいつが、コレが本体だ。親だ。


「ふふふ。ドウシタの? 顔が真っ青よ?」


 冷徹な目で僕を見つめる久遠さん。


 その後ろにある、パソコンのディスプレイに僕の首に巻きついているものと、殺そうとしているものの姿が映っている。


 髪の長い女。

 目は無い。唇も削がれ、鼻も落とされている。

 手には指が三本しかない。

 がりがりにやせ細った体には何本もの茨がぐるぐると幾重にも巻きつけられている。


 異質だ。こいつは今までの化け物とは。僕の感覚が全力で危険だと訴えている。


「ねえ、死ぬ前に一つだけ教えて」

「?」

「貴方は何時から私が怪しいって思ってた?」


 突然の質問だった。

 しかし僕は驚くこともせずに淡々と答える。


「……最初から」

「最初?」

「ああ。久遠さん。貴方が部室に入ってきてからすぐだ」


 そう。

 久遠さんの姿を最初に見たとき言葉を失ったのは、決して久遠さんが美人だったからではない。

 渦巻いていたから。

 悪意の痕跡という名の糸くずが。

 渦巻き絡まり、纏わり付いていたんだ。


 だから嫌いなんだよ。最初から。吐き気がする。

 悪意で近づく人間は。


「そう。まあいいよ」


 久遠さんがそういうと同時。 

 僕の首に絡みつく三本の指が力を更に込める。。


「う、ぐう、うう」


 爪が僕の肉を押しのけて体内に侵入してくる。爪の先は太い血管に掛かっている。


「ヒヒヒイヒヒヒイ。アアアタタタカイ」


 僕の顔のすぐ横で、唇の無い口がせわしなく動き、限りなくにごった声が歓喜に震えている。


 がちがちとかみ合わせの悪い口から音が吐き出され、同時に異臭を放つ息が飴のように僕の顔にまとわり付いた。トンでもなく不快だ。

 足に痛み。視線を舌へ向けると、茨の蔓が僕の足に巻きついているところ。意思を持って足を這い上がってくる。布越しでも鋭い棘が僕の肌を引っかき、削る。更には僕の足を中心に登り待ちとでも言うように蔓が広がっている。

 顔の脇の口が大きく開かれる。上下の歯を粘つく液体が糸を引いて繋ぎ。切れた。


「アッタメテ、ヨオオ」


 そう叫ぶのと茨が敵意を持って僕に襲い掛かってくるのは同時だった。先端が僕の足ではなく体へと一斉に伸ばされる。


「駄目だ。こいつに死なれると困る困るのか? いや困る」


 そんな声と共に、僕に絡まろうと伸びていた蔓が消えている。 


「不味い。まず……? いや美味い?」


 むしむしと音を立てて俺が、僕の姿をした悪魔が蔓をその口に納めていた。


 ちゅるりと蔓をまるでうどんかそばのように、口の中に収める様子を見て、久遠さんは嬉しそうに笑う。


「ふふ……やっと出したね」


 久遠さんが口元を歪めて言った。


「どっちが強いのかしら? 有利なのは私のほうよね」


 冷静にそう呟いた。確かにその通りだ。

 僕は首の肉に爪を食い込ませているし。

 茨はすでに部室を覆い尽くしている。僕らはすでに彼女の胃袋の中にいるのだ。


 だけど。


「オマエモジャマスルノカ?」


 唇の無い女はそう叫んだ。

 口を裂けそうなほど大きく開けて。

 青く血の通わない舌をうねらせて。


「邪魔? 知らない知らないさ。きひひひひ」


 女が勢いよく腕を振り上げる。僕の耳に風を切る音が響きそして、無数の茨の蔓が俺を襲う。

 そして浮遊感が僕の体を支配した。

 

 ぶちぶち、めりめり。

 

 そんな音が響きその音がしているうちに僕は床に落下していた。


「大丈夫か? 死なないか? 死なないな」


 見上げた先には僕の顔。『俺』がまったく僕のことなど心配していないような、にたにたとした笑顔を浮かべて見下ろしていた。


「多分ね」


 僕もそっけなく答える。なんだよ、腰が痛い。どうやらぶつけたらしい。足も首も痛いし血が出てるし。でも大丈夫。ほら、『俺』も興味を失って僕から離れていくし。大丈夫。


「ならいい。いいのか? まあいい」


 俺は唇の無い女からねじ切ったであろう、腕の肘から先の部分を口に放り込む。


「なっ?」


 久遠さんは驚きの声。


「ギイイイイイイイイイイイイイーーーーーー!」


 茨の巻きついた不気味な女は、黒板を引っかいたような気に障る声を上げて、仰け反り俯き、頭を激しく振っていた。口を大きく開き、粘液を振りまいて。


「美味いな。いいぞいいぞ。きひひ」


 俺は唇の無い女の味が気に入ったらしくそう言って笑った。

 だが、ぐねぐねと人間には理解しがたい動きでのたうちまわっていた唇のない女もただで食われる気はないようだ。


「きひっ? 何だこれ」


 俺がにやにやとしながら、むしりとった腕を租借している間にその周囲を無数の茨が取り囲んでいた。

 鋭く尖った幾本もの棘が乱雑に生えそろった凶悪なつるが確かな敵意と殺意を持って取り囲んでいる。

 それを俺はにやにやとした表情を崩さないままで見据える。


「なんだ。抵抗するか。面倒だけど残らず食ってやるさ」

「ツキササレテ、モダエロっ!」


 そう叫ぶように女が言うと同時、茨が襲い掛かる。


「きひひっ。頂きます」


 両手を合わせて『俺』目を細める。 

 ああ、本気だ。僕がそう思うよりも早く『俺』は襲い掛かる蔓に歯を立てた。

 

 そんな様子を僕と久遠さんは暫く眺めていたが、僕は思い出したかのように立ち上がった。そして、ズボンについた埃を払う、うわ、裂けてる。若干パンク風。

 倒れていた椅子を起こしそこに座る。

 久遠さんの正面に座る形になる。丁度勝負を始める前のようなそんな位置関係が再現された。見ると久遠さんが、バラバラに机の上に散らばっていたトランプを束にしてまた箱にしまおうとしているところだった。


 僕はその様子を見て少し笑ってしまう。


「あら? なんだか随分と余裕ね。笑顔を見せるだなんて」


 久遠さんは意外と思ったのか目を丸くして動きを止める。

 しかし直ぐにもとの表情に戻り、束になったトランプをとんとんっと机の上でキレイに整える。そしてプラスチックのケースにしまい、鞄へと仕舞いこむ。


「いや、随分と余裕だなと思いまして。つい」

「お互い様ってことだね」


 そう言って久遠さんもくすくすと笑う。

 その笑顔はあまりにも自然で、まるで普通の女の子のように見えた。しかし、彼女が後ろで暴れ狂っている化物を使い、何人もの人間を不幸にしてきた事実に変わりはない。


 でも、だからこそ。


 その笑顔が彼女の本当の笑顔に思えた。糸くずも出てないし。

 僕は可笑しそうに笑う久遠さんに言葉をかけてみる。


「でも不思議だよね」


 そう思ったのだが、結局先に口を開いたのは久遠さんだった。頬杖を突いて、美しいものを見るように薄く笑う。


「何ていうのかな。こんなに現実離れしている空間にいるのに、私達はまるで何事もない普通の空間にいるみたいに普通に、自然に接しているよね」

「まあ、そうかも。逆にそれが悪夢っぽくて、僕は嫌ですけどね。まるで趣味の悪い三流ホラーを無理やり見せられてるみたいで、気分が悪いです。どうせなら、気持ちよく眠りたいですよ」


 そう言って、後ろに少し目をやると俺が次々に襲い掛かる蔓を片っ端から食らい、食らった分の蔓を唇のない女が次々に生み出しているような状況が続いていた。

 奇妙な均衡が生まれており、当分このままになりそうだった。


 僕は首を前へと向ける。


「そうだね。こんな夢なら早く覚めればいいのに」


 そう言って唇を尖らせて見せる。

 そんな久遠さんの仕草に、笑顔で答えてみる。


「本当ですね。これが悪夢であればいくらかマシでした」

「……でも、現実か」


 久遠さんはそういって大きく伸びをした。


「ま、でもいいかな。こうして、最後になんかすっきりした気分になれたし。なんだかどうでも良くなってきちゃった」

「どうでもって。貴方もたいがい悪人ですね」


 僕の言葉に久遠さんが皮肉気な笑顔をその顔に浮かべる。僕は何も言えずに久遠さんの笑顔を見つめる。


「ふふ。怒った? 何人も衰弱させたり、挙句殺したり。そんな人間がすっきりした気分になるなんて、不謹慎だって。もっと土下座でも何でもして謝るべきだって思った? それともあれかな? 貴方の友達を巻き込んじゃったことを怒ってるって感じかな?」


 僕は久遠さんの問いに、一拍間を置いてから答えた。


「いや、別に怒ってなんかいませんよ。別に久遠さんの苛めだとか、それに復習されて殺された人のこととか、正直どうでもいいとさえ思っています。面倒臭いですし。他人のことですし、ほら、あれと一緒ですよ。テレビ越しにみた事件みたいなものです。大変だな、可哀相だなって思っても実感としてそれが分からない。そんな感じです」


 それは紛れも無い僕の本心だった。


 冷たい人間だと思う。

 ひどい人だと思う。

 そして、さらに思うのだ。

 もしかしたら、共感する心みたいなものをあいつに、僕の姿をした悪魔に食われていあまったのかもしれない。


 そう思ったら、妙に納得してしまった。もしかしたらこれから先も、僕の心は食われて蝕まれて、漫画のチーズみたいに穴だらけにされるのかもしれない。


 でもまあ、なったらなっただ。

 そんなことは起こってから考えればいい。

 面倒臭いし。考えるくらいなら寝てるほうが断然いい。まあ僕の本質なんてものは面倒くさがりの男の子ということで。


 ただ、それでも。そんな僕でも琴坂に被害が及んだことにはいらいらさせられましたけど。ちょっとそのことで安心したりして。

 まあ、一応人間の端くれであることを再認識

 そんな僕のことを見ながら、優しい微笑みを絶やさずに久遠さんは続ける


「ふうん。やっぱり貴方もちょっとだけ壊れてるみたい」

「違いますよ。常識から外れているだけです」

「かもね」


 久遠さんはおもむろに自らの鞄へとてをのばす。


 自らの座る椅子の脇へと置かれていた学生鞄から、一冊の絵本を取り出した。

 真新しいその絵本は、表紙に皮肉気な笑顔を浮かべた道化師の絵が描かれていた。久遠さんは愛する人を見つめるようにその本を暫く眺めた後、ゆっくりとした動作でその絵本を机の上へと置く。


「何ですか?」

「これはね、きっかけ」

「きっかけ?」

「そう」


 久遠さんはゆっくりと本を開いていく。

 と、本を開くとは思えないような音が僕の耳に届く。


 ばりばりばり、べり。


 何かを引き剥がすような音が。


「うふふ。素敵だと思わない? 特にね。この一説が好きなの……」


 そう言って開かれた本を久遠さんの白い指がなぞっていく。


 僕の耳にはざりざりと言う音。

 それしか聞こえない。

 久遠さんが何かを喋っているが、そんなこともよく分からない。そもそも何をどういう風に読んでいるのかがさっぱり分からなかった。


「……ね? 素敵でしょう?」


 絵本は真っ黒に染め抜かれていた。


 使われている塗料は、何かの血液。しかも量が半端ではない。

 表紙が、真新しく輝いているのが信じられないくらいに絵本の中身は真っ黒に染め抜かれていた。

 久遠さんは嬉々とした表情で、べりべりとページをはがしながら、僕にはまったく見えない文字を、絵を、解説を交えながら、楽しそうに楽しそうに楽しそうに語り続ける。


 べりべり。

 べりべり。

 べりべり。


 と、急に久遠さんの手の動きが止まった。


「あれ? 急に黒い染みが出てきた」


 僕にはただの凝固した血液しか見えない。

 しかし久遠さんの目にだけ見える、絵本の中身はどんどんと闇に覆われているようだった。


「いぎゃああああああああああああ」

「きへひゃははは」


 と、背後で悲哀を帯びた悲鳴と、狂喜に染まった笑い声が響く。

 僕が振り向くと、二匹の化物の戦いに決着が付こうとしているところだった。

 唇のない女が苦しそうに床の上を張っている。


 尺取虫のように体を縮め、引き伸ばし。そしてよじり捻れ這っていく。彼女の四肢は無残にも全てが根元から引きちぎられ、大量のドブ色の粘液を吐き出しながらも、それでもぐねぐねと這って行く。


 そんな彼女の様子を俺はあざ笑うように、眼を細めて眺めている。


 左手に持ったしわだらけのやせ細った右足を、巻きついている茨のつるごとぐちぐちと租借して、その身に吸収していく。


「どうやら終わりみたいですね? 久遠さん」

「あれ、あれれ?」


 僕の問いをまったく意に介さず、久遠さんは血だらけの絵本の表面を払い、こすり染みを消そうと必死に動き続けている。


 あーあ。壊れちゃった。


 その様子は哀れで滑稽で、なんだか悲しくなった。

 そして化物同士の戦いにも決着が付く。

 それはあっけないものだったけど。


「きひっ、ひっ、ひっ……もういい」

「ぎゃああああううううううあううううがあ」

「楽にしてやるから大人しく食われろ、食われる」


 そう言って『俺』は自分の口に手を突っ込む。


 ヤバイあれをやる気だ。


『俺』はそのまま両腕に力を込めて上下に引き裂き、広げる。

 頬が裂け血が吹き出る。その傷は喉の中ほどまで広がって停止。

 血を唾液のように垂れ流しながら、『俺』拡張された口で食事を開始した。

 広げられた口には虚無が、底なしの闇が存在していた。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ……」


 とにかく長い悲鳴の後。

 唇がその顔に存在しない女はこの世から消滅した。

 僕は暫く、満足そうに腹の辺りを撫でる俺を眺めていた。


「ああ、食った。満足だ。満足か?」

「知らねえよ。そんなの自分の腹にでも聞いてくれ。まあ、満足なら僕はいいよ。当分食事の心配をしなくてすむしな」


 当然ここで言う食事とは『俺』の食事に付いて。


「そうか? そうだな」


 『俺』は何かを納得したようにうなずくと、次の瞬間には最初から存在していなかったかのように消

え去る。そして鏡の中に僕の姿が現れる。


「おかしい、おかしいよ。なんで消えないの? なんで、なんで、なんでなんでなんで。何でかな? どうしてだろう。あれあれあれ?」


 そして久遠さんは僕には見ることの出来ない本の内容と必死に格闘していた。

 乾いた血液のざらりとしたところを撫ですぎたからだろう。久遠さんの指の先は皮がめくれ、血が滲んでいた。それでも彼女の指は止まらない。

 真っ黒い血液のキャンパスの上に、真っ赤な血液で意味不明な絵を描いてゆく。


「あれ? あはっ、あはははははははは。なにこれ? なんなのよぉ」


 目から涙を流し、顔には嬉々とした表情を浮かべ擦り続けている。

 僕は止めようかとも思ったが、結局やめることにした。


 面倒くさいし。


 僕はやはり、冷たくて他人に無関心な人間なのだ。と適当に自分にウソをついておく。だからこそ、こんな状況に今なっているのかもしれないのだが。

 それよりも何よりも明確な理由があるなあ。

 僕は久遠さんの肩へ手を置いて、耳に口を寄せた。僕のことを無視して久遠さんは擦り続ける。


「自業自得という事で」


 やっぱり久遠さんが大嫌いなのだ。

 僕の好きな人を危険な眼に合わせたのは大変いただけない。だから助かりたいなら自分でどうにかすればいい。

 さて、帰るとしますか。僕は鞄を手に取る。と、いけないいけない。

 僕は必死の形相で絵本をこする久遠さんの鞄からこっそり目当てのものを取り出した。そう、あのトランプだ。

 

 そして僕は部室を後にする。




 久遠朱利。

 苛めにあい、相手を殺した哀れな人間。

 命を消し去った彼女は、後日、自分の名前や存在すらも巻き込んで僕らの学校から姿を消した。

 

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