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二回戦 ポーカー

「う……」

 

 なにか冷たいものを浴びせかけられ、僕は意識を取り戻した。

 

 頭がぐらぐらする。視界もぼやけている。大体の形はつかめるけれど、うーん。多分教室だろう。

 

 あら、手が動かない。ああ、どうなってる? もしかしなくても拘束されてる?

 

 頭皮に痛み。視界が急に高くなる。髪の毛をつかまれて持ち上げられているらしい。


「ひゃは。やーっとお目覚めかぁ? 今回ので眼が覚めなかったら殴るつもりだったけど運がいいんだな。お前。綺麗なお顔のままだぜ?」

「うぐ」


 僕の髪の毛を鷲掴みにして、持ち上げる奴が居る。


 金色に染められた髪をオールバックにして、口と耳とが銀色に輝くチェーンでつながれている。


「お前、鍵沼……か?」


 髪型は少し違うけど、まず間違いないだろう。

 目の前の軽薄な笑みを浮かべた顔は、その笑みを消して首を傾けた。


「あー? お前俺の事知ってるのか?」

「まあね」

「ひゃはは。そうかそうか」


 鍵沼を乱暴に投げ捨てるようにして僕の髪の毛を離した。

 ぶちぶちと毛の抜ける音が頭に響く。

 あーがんがんしていてててて。ですね。まったく禿げたらどうする。

 

 うむ。無駄なことを考えていたら頭の動きが回復してきた。状況把握も大体完了。気絶からの攫われたコースで確定だろう。

 

 ああ、そういえば。僕は顔を左右に振ってみる。あっ首いたっ。


「ドウシタよ? いきなり元気になっちゃって」

「琴坂は? どうした!」

「あー、ほれ、そっちに居るよ」


 鍵沼はそう言って指を向ける。僕の背後を指し示している。僕は体を捻って足を小刻みに動かして無理やりに体の向きを変える。


 その先には、猿轡をされ、椅子に縛り付けられた二人の姿がある。琴坂はまだ意識を取り戻していないようだが、久遠さんは起きているようだった。早いお目覚めで。

 ……何かそそる状態なり。不謹慎でごめんなさい。

 

 どうやら、彼女たちも攫われてきたらしい。まあ、当然と言えば当然か。


「ひゃははは。お前羨ましいな、あんな可愛い子二人も連れて。俺にも一人分けてくれよ」


 そう言って僕の顔を覗きこんでくる。僕は睨みつけることでちょっとだけ反抗。


「ひゃはは。冗談だよ。そんな怖い顔すんなって。俺びびって小便ちびっちまうよぉ。ひゃはは」


 鍵沼はそう言ってから机をはさんで、僕の向かい側へと腰を下ろした。


「なんで、僕たちをこんな目に合わせるんだ」


 早く帰って家でごろごろしたいんだけど。


「あーなんでだって? 自分の胸に聞いてみろよ。心当たりがあるはずだぜ?」


 鍵沼は僕のほうを一切見ることもなく、自分の耳に指を突っ込みながらそういった。


「トランプか?」


 心当たりと言えばそれしか思いつかない。

 そしてこの状況。間違いなくこいつが『赤いトランプ』に関わっている。まあ、親だとなおありがたいんだけど。


「せいかーい。お前なんだか妙に調べまわってるらしいじゃん。『赤いトランプ』について」


 鍵沼は僕の方へと向き直った。


「俺さぁ、そのことちょっと小耳に挟んじゃって。それでこうやって俺のところに来てもらった訳。で、どうしてお前はトランプの事調べまわっている訳? っていうかどこでしったのさ『赤いトランプ』の事」

「……」

「答えないつもり?」

「……」

「ひゃははは。まあいいや。俺もそんなことはどうだっていい。だがなあ、トランプの事を知ってる奴が居るって言うのは見過ごせねえ」

「なんだよ。僕を殺す気か?」

「殺す気か?」


 鍵沼は僕をおちょくるように、僕の言ったことをそのまま繰り返して言った。なんかむかつく。


「ひゃはは。んな事しねえよ。俺はな。お前は俺とゲームをすればいい」

「ゲームだと?」

「そうだ。お前が探している『赤いトランプ』を使ったな。やってくれりゃ、そこの二人は無傷で返してやるよ。勝敗関係なくな。ひゃははは。いい条件だろ?」


 そう言って、鍵山は机の引き出しからプラスチックのケースを取り出して机の上へと置いた。

 

 それは間違いなく一組のトランプ。

 複雑な模様の描かれた裏側がケースから透けて見える。そして、その模様のスキマは一面血のような真っ赤な赤色をしている。

 

 コレがそうなのか。


「ひゃはは。コレが『赤いトランプ』の現品だ。綺麗な赤色だろ?」


 鍵沼はそう言って笑いながら、ケースを開けてトランプの束を取り出した。


 禍々しい雰囲気を纏ったトランプだ。黒い糸くずがまとわり付くように何本も浮かんでいるし。


 鍵沼は取り出したトランプを熟練したディーラーのように、シャッフルしている。

 何て言ったかなあ。山を二つに分けてこう、手の中で交互になるようにするきり方。えーとそうそう。あれだ。ショットガンシャッフル。


 しばらくそうやってトランプで遊んでいたが、静かにそれを机の上に置いて、僕に微笑みかけた。

 

「このカードで勝負だ」

「ああ。いいよ。その代わり約束は守れよ?」


 鍵沼は口の端だけを吊り上げて不気味な笑顔を作った。


「オッケーオッケー。俺は約束は守る男だから。そこは安心しろよ。さーって、ゲームを決めようか? 何にする? ブラックジャックでもバカラでも。もちろん他の何でもいいぜ? どうせ俺が勝つしぁ。何やっても」

「ずいぶん強気だな。何やっても負けないなんて。どうやればそんなに強気になれるのか教えて頂きたいですね」

「ぎゃはは。お前のほうが強気じゃねえかよ。今の質問はそっくりそのままお返しさせてもらうぜ」 

「多分脳みその右下の辺り。昨日夢でお告げがあった」

「ぎゃははは。いいねぇ。何かその向こう見ず感。何だか俺お前とは仲良くなれそうだ」

「願い下げだよ。面倒くさい」

「ぎゃはは。ざーんねん。まあ良いか。どうせお前もう死ぬんだしな」


 死ぬの前提じゃん。

 そこはゲーム始めてからばらそうよ。それとも僕が女の子二人を見捨てられないような、善意の男だと思っているんだろうか。まったく。その通りだけど。いやまあ半分は本当だよ。面倒くさいけど。


「で、結局何をやるんだよ?」

「あー? だからお前の好きなので良いって」


 僕も何でもいいんだよなぁ。考えるの面倒。


「お前が好きなのでいいよ」

「そうか。じゃあ、ポーカーなんてどうだ?」

「じゃあそれで」

「ひゃはははは。じゃあ決定だ。そうそう、ゲームを始める前に一応聞いておくことがある」

「なんだ?」

「俺の仲間になるなら許してやってもいいぜ?」

「何?」


 鍵沼は手でトランプの束を弄び始める。そして僕へは視線を向けずに問いかける。


「お前さぁ、どこで『赤いトランプ』のことを知ったんだ? 仕組みはおろか、その名前で呼んだことすらねえ。それが何で漏れているのか。それを知りたい」

「教えるとでも?」

「ぎゃっは。いいやそうは思わないね。一応聞いてみただけだ。特に意味はねえよ。さて、とだ」


 鍵沼は顔を上げてトランプを机の上へと置いた。

 上げられた顔からは軽薄な笑みが消え去っていた。

 完璧な無表情が代わりに張り付いている。


 うん。プロっぽい。北原君とは違うねぇ。だからこそ有り難い。

 だって負けやすいもの。


「ああ、そういえばさ」

「何だよ?」


 僕は手を掲げて見せる。胸の前には手首を合わせた僕の両手。ビニール紐で固定されてます。痛い。


「外しては……くれないよねぇ? うん。だよね」


 鍵沼は何も言わなかったがその沈黙を肯定と理解して、すごすご腕を下げる。

 拘束を解く理由なんて無いものね。まあ、後ろでに縛られて無いだけ良しとしましょうかね。


「じゃあ、始めるか」

「ああ」


 僕は小さく頷いた。さて頑張るか。腹減ったし。 

 




 ポーカー。


 決められた役を作るゲームだ。そして、完成した役が強いほうが勝ち。

 役は作るのが難しければ難しいほど、当然強くなる。

 そんなゲームだ。

 代表的な役には、ワンペア、フルハウス、フラッシュなんかがある。

 具体的には、手札を五枚持ち、それを交換していくことで役を完成させる。と言うところだろうか。


「で、一応決めておくが手札チェンジは一回のみ。山札は公平にお互いが納得するまで切る。そして完成した山札から、お互いに一枚ずつ計五枚引いたらゲーム開始だ。チェンジは宣言が早かった方が先に引く。コレでいいな?」

「ああ」


 鍵沼が細かい説明を始めていた。


 そしてそれと同時に、トランプから溢れだした赤いどろどろとした粘液が、部屋の中を多い始める。うーん今のところ北原君と同様の現象が起きている訳ですなぁ。


「で、コレが重要なんだが、一回勝負が終わったらそこで一回仕切りなおし。すべてのカードを集めて、切るところから始める」


 僕は頷く。


「で、三回勝負で、引き分けたら延長。どちらかが勝つまで続ける」

「わかった」 


 鍵沼はさきにカードをシャッフルし始める。見事な手際。お見事です。


「ほれ」


 僕の目の前にカードの山が置かれた。


 僕はいまだに拘束された腕で不自由な思いをしながらも、その山を手に取る、。

 へぇ……コレが『赤いトランプ』。重さも質感も普通のトランプと変わらない。

 ただ、まとう雰囲気は別物だ。すんげえ。めっちゃ糸出てる。

 僕はそんなトランプを、二回だけ上下を反転させるように入れ替えて、机の丁度中央に置いた。


「始める前に聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ? 命乞いなら聞かねえぞ」


 僕は顔を女の子二人のほうへと向ける。

 琴坂はがっくりと頭を落としたまま。意識は戻っていないようだ。一方の久遠はもごもごと何かを訴えようとしているように見える。しかし何を言っているのかは分からない。興味は無いけど。

 

 二人の背後にはすっかり暗くなった外の風景。ひたすらに濃い闇のせいで、外の世界が塗りつぶされているようで、侵食されているようだ。

 風景など始めから無いように。

 意外と狭い世界で生きてるのかな。僕は。

 手が届く範囲。眼で見れる範囲しか理解出来ないしね。はあ。下らない考えだな。考えるの面倒くさい。


「お前は何でこんなことをしてるだ?」


 鍵沼はきょとんとした顔をしたが次の瞬間には顔を崩して笑った。楽しそうに楽しそうに。


「ひゃははは。俺にそんなことを聞いたのはお前が始めてだ。ひゃはは。ま、その質問には答える必要は無いとだけ答えておこう。さ、始めるぜ? 先に引けよ」


 僕は言われた通りに先にカードを一枚手にとって、伏せたまま自分の前へと置いた。


「あっ? 見なくていいのか?」


 鍵沼がカードを一枚引きながら言った。


「全部揃ったらみるさ」


 僕も一枚引きながら言った。

 お互いに何の滞りも無く山札から五枚のカードを引き終わる。

 

 鍵沼の表情を伺い見るが、その表情は真顔そのもの。まったく手札を読み取らせない、見事なポーカーフェイスだった。

 

 そもそも、相手の手札を読む気なんてないし。関係ないけどねぇ。僕は、顔を下に向ける。

 

 僕の手札は、ハートの6、同じくハートの9、同じくハートのクイーン。それにクラブの9にスペードの1。

 いきなりワンペアかよ。がっかりな手札だった。役とか要らないよ。

 

 普通はフルハウスでも狙うんだろうが、僕はそんなことはしない。

 負けるのが目的だから。何べんも繰り返して悪いけど。何としてでも、赤いトランプからあの化け物の親を引きずりださなければいけないのだ。

 

 と、言うことで僕はチェンジを宣言する。


「チェンジ」

「さっさと引け」


 僕はハートの9を捨てて、山札から一枚引いた。

 

 ダイヤのクイーン。これで、僕の手札はぶたちゃん。役無しです。うん幸先いいスタートになりそうだ。

 一方の鍵沼は二枚チェンジ。


「じゃ、いくぞ」


 僕と鍵沼は同時に手札をオープンする。

 僕は役無し。

 鍵沼はにやりといやらしく笑う。


「俺の勝ちだな」


 鍵沼の手札はジョーカーを含んだスリーカード。

 

 ジョーカーに描かれている、しゃれこうべが僕の事をあざ笑うかのように口を開いている。むしろ嘲笑いたいのは僕のほうだけど。

 

 僕は手札をとんとんと整えて、残った山札に乗せた。


「なんだよ? いきなりピンチだぜ? ああおい」


 鍵沼も手札を山札に乗っけて、更に場に捨てられたカードも纏めて、山札へと乗っけた。

 鍵沼はそのまま流れるような動作で、トランプの山を自分のほうに引き寄せまた、ばらばらと音を立ててトランプを切り始める。


 敵ながら見事な動作だ。見とれちゃうよ。ひゅーカッコいい。


「へえ」


 鍵沼は呟くようにそう言った。


「もう後が無いって言うのにその表情……。お前相当つえーだろ?」

「さあね?」


 表情がこんなのは、まあ、予定通り滑らかに勝負が進んでいるからでありますよ。そんなに買いかぶられても、ちょっと困る。いやん。照れちゃうよ。


「ひゃははは。まあいい。ほれ」


 僕の前にトランプを置いた。僕はトランプを手に取った。山札の上半分を取って、右側へと置く。


「なあ、もし僕が勝ったらどうなるんだ?」


 山を重ねってっと。


「ああ? どうなるもこうなるもそのままお帰り願うだけさ」

「そうか」

「そうだ」

 

 なんだ? そんな事していいのかよ?

 

 だって、僕が目障りだからこんな所に連れ込んだんじゃないのかね? いや、まあそういえば絶対に負けないとかそんな事言っていたか。それに関係して、あれか。何だろう。最初から可能性として考えていないとか。自分が負けることを。


「まあね」

「ん?」

「お前が勝つことは無いんだけどな。言ったよな。そういう風に」


 僕は無言で頷いてみせる。やっぱりそうか。何かトリック的なものかな。


 鍵沼はちらりと顔を女の子二人の方へと向けてから、僕の方へと顔を戻した。


「ひゃはは。なんだ知らねえのか?」

「何をだよ?」


 僕はトランプを二人の丁度間になるように移動させる。


「赤いトランプの力だよ」

「赤いトランプの?」

「そうだ。俺が何でジョーカーを二枚入れてポーカーやってるか分かるか?」

「さあ?」

「ひゃはは。勝つためだよ確実に」

「どう言う事?」


 鍵沼は黙ってトランプを一枚引いた。


「このカード。なんだか当ててやろうか?」

「どういう事」


 鍵沼はにやりと笑った。


「良いから。で、これはジョーカーだ」


 そう言ってトランプを捲った。

 そして現れたのは、ピエロのような鼻をつけた真っ白い髑髏模様。そう、ジョーカーだ。


「ひゃははは。何で分かったと思う?」

「イカサマ……か?」

「違う。コレは俺が山札から、ジョーカーを引こうと思ったからここにある」


 どう言う事?


「この赤いトランプって言うのはなあ、持ち主すなわち俺の意思で自由にジョーカーを引いたり、引かせたりって言うのが出来るんだよ。この意味がわかるか?」


 ああ。そんなの、勝てるわけ無いじゃないか。ポーカーにおいて、いや他のジョーカーを使ってやるあらゆるゲームが鍵沼に有利になる。


 鍵沼はくつくつと笑う。


「その顔は分かったみたいだな。そうだ、俺はこのポーカー負けない。ほとんどの場合はな。まあ、八割ってところか? 俺の勝率は」


 それはそうだ。だって、どんなに悪い手札でも、スリーカード。


 勝てない訳ではないが、それでも、ワンサイドゲームになることは目に見えてる。まあ、だからこそ有り難いんだけど。


「反則じゃないのか?」

「違うね。俺は最初にいったはずだぜ? このカードで勝負するかって」

「たしかに言ったけど」

「もう変えはきかねえ。あと、二回戦はもう始まってるぜ? 早く引けよ。それとも引かないで負けを認めるか? ひゃははそれでもいいぜ。逃げてもいい。まあ、その時点でお前の負けになるけどな」

「くっ」


 僕は苦虫を噛み潰したような顔をして、カードを一枚引いた。


 もちろん演技だけど。自分を褒めたいくらいに素敵だったよ。


「さっきと、変わらないんだな。引いた札を見ねえ。ただし今回は諦めからだろうな」

「……」

「ひゃはは。そんな顔すんなよっと」


 鍵沼も一枚カードを引いた。

 そうして互いにカードを引いていく。

 鍵沼はにたにたと笑ったままだ。もうポーカーフェイスなんてする気も無いらしい。


「どうした? チェンジするのか?」

「ああ。二枚チェンジだ」


 僕は手札を二枚交換。


 こうして完成したのはスペードの4・クラブの4.クラブの3・ハートのキング・ハートのエース。ワンペアだ。まあ、良いでしょう。どうせ負ける。悪くても引き分けかな。


「ひゃはは。俺はチェンジなし。じゃあ、お互いにオープンするか。最後のゲームを綺麗に飾ろうじゃねえか」


 鍵沼はそう言って、手札をオープン。

 僕もそれに合わせて、オープン。


「ひゃは。俺の勝ちだな」


 鍵沼の手札には案の定ジョーカーが二枚。役は、フルハウスだ。

 うん。負けました。ストレート負け。悲しくは無いけど少し虚しい。


「ひゃはは。じゃあ、死んでもらう。三日かけてな。あの女たち二人と同じようにな」


 鍵沼は口を大きく開けてえずく。ぐえぐえとヒキガエルの鳴き声の様な音が口から漏れ、そのたびに体が前後に大きく揺れた。


「ぐえええええええ」


 一際大きな声と共に粘液は口からだらだらと流れる。

 その粘液は唾液ではなく体液で。

 

 うっすらと赤い粘液に引かれるように四本の足が口から吐き出されてくる。

 それの先端にはそれぞれ二本の鉤爪が生えている。皮膚は硬質で、表面を粘液が覆いぬらぬらと輝いている。総合的には虫の足に似ていた。

 

 北原君の体から出てきたあの化け物と同種の足。ああ、いやあ腕か。

 

 その四本の腕は俯いたままの鉤沼の口から地面を目指して延びる。木製の床にその接触すると先端の鉤爪で床をしっかりと掴む。そして体の残りの部分を引き抜こうと曲げられる。

 

 どちゃんと湿った音がして完全にその姿が表に出てくる。

 四本の腕が茶色の塊から生えている。

 

 その塊はぐにぐにと体を揺する。

 

 干乾びた腕が生え。足が生え。胴体が派生し。頭部が生まれる。

 四本の腕に吊るされているように、干乾びた体が僕を見下ろしている。虫の様な複眼が僕を見ている。うわっ。やっぱ駄目だ気持ち悪い。臭いし。うわー。

 

 その姿はやはり北原君の体から出てきたものと同種。

 

 ミイラの肩に無理やりに虫の足を連結させたような不気味な作りの体。体を覆う粘液。それに汚臭。最悪だよ。気持ち悪いんだって。

 

 僕の気持ちを読んでご立腹なされたのか、虫の腕を前へと移動させる。更にはその腕をたわませて体を地面へと下ろす。近寄ってきた悪臭に思わず顔をしかめると、化け物の穴の様な口から管が吐き出されて、僕の顔を一舐めした。

 

 いぎゃあああー。何だよやめてくれって。臭い気持ち悪い。お前らは何で僕の顔を舐めたがるんだよっ。

 勘弁してー。

「ひゃははははああ。ドウシタよ? お前もしかして見えてるのか?」


 暫くごほごほと咳き込んでいた鍵沼が口元の粘液を、上着の袖で拭いながら笑っている。


「まあ、ね」


 僕の顔を執拗に舐めてくる舌から逃げようと顔を左右に移動させながらの返答。粘液が口に入ったかも。うへえ。


「ひゃはは。そりゃあ災難だったな。こいつが自分の口の中に卵を植えつける様をじっくり見なくちゃいけないんだからな」

「そう、ですか」


 鍵沼が笑い続ける中、化け物は行動を開始した。


 干乾びた腕が僕の肩を、左右から締め付けるように掴んだ。

 尖った爪が肩の肉に食い込んでいる。痛い。恐らく肉に食い込んでいる。痛いって。

 おままごとで使う人形ってこんな気分なんだろうな。

 そんな事を思っているうちに、僕の事を嘗め回していた舌が顔から一旦離れた。そして先端が狙いを定めているかのように停止。僕が顔を左右に振ると舌もあわせて左右に動く。うん。口を狙われているらしい。

 

 はあ。もう良いよね。面倒だし。さっさとやってください。

 

 僕の顔は窓の外へ向いていた。室内が明るいせいで外は暗いとしか分からない。地面が見えないという事はここは四階とか三階くらいか。などと考える。ここからは『俺』の仕事だから。


「ひ。いただきます。まずそうだ」

「ひゃは?」


 鍵沼の素っ頓狂な声が響くとほぼ同時。


「ぎゃああああああああああああああああああああ……」


 化け物が反吐を撒き散らしながら、大きく仰け反った。

 深緑色の気持ち悪い液体が部屋中に撒き散らされる。僕にも当然粘液が浴びせられる訳で。べっとり全身濡れ濡れです。

 でもそんな最悪でも良いことが一個だけ。

 手首を前後に動かすと、思ったよりもあっさりと拘束から開放された。ラッキーですね。足の拘束も外して立ち上がる。琴坂を助けなければ。

 

 僕はひとまず移動。

 

 背後では『俺』が化け物の体を削るようにして食べているはずだ。

 まったく悪趣味だよねぇ。誰に似たんだか。琴坂の自由を奪っている紐を外す。以外に硬くて困った。気絶しているようなので取り合えず放置。『俺』が化け物と戦っているところを目撃されても困るし。

 

 取り合えず次だ。


「大丈夫?」


 僕は久遠さんの猿轡をはずしてやる。久遠さんは小さく有り難うと言う。

 僕は頷いて彼女を拘束している紐を外してやる。

 

 拘束から開放されても久遠さんは動かない。顔を化け物同士の戦いから目を離さないままだ。


「あ、あれは何なの?」

「さあねぇ?」


 ぶち、ぶちぶち。

 ばきん。

 ごりっごりっ。がりがりがりがり。

 ばこん。


 租借音。破砕音。化け物の体を構成している要素が次々に失われていく。

 

 振り回す腕は無く。地面に立つ為の足も消え。卵を産む舌も失った。そして胴体が空中に単体で浮き、床に落ちる前に『俺』に抱えられる。


「不味い。不味いぞぉ。きひひひひひひ」


 喜々とした『俺』の声が響く。そして大きく口を開いたまま、化け物の複眼に歯がつきたてられ、一気に食い込む。『俺』が首を振ると粘液が飛び肉がちぎれる。


「ひゃはは? なんだなんなんだよぉ」


 鍵沼の消え入るような声が聞こえる。

 食事光景を見ていても仕方が無いことなので、取り合えず隣の久遠さんに声を掛けてみる。


「大丈夫?」

「う、ううん。大丈夫」

「そう」


 僕は食事に大忙しの『俺』の脇を通り抜け、へたり込んでいる鍵沼の元へと歩く。


「ぎゃふっ。ぶっ、があああ……う」


 化け物の断末魔が聞こえる。めっちゃ不快なんですけど。

 食事を終えた『俺』が僕に声を掛けてくる。


「おい。なんだ。最近不味いのばかりだ。うまいのが食いたい」

「うるせえよ。食えるだけありがたいと思って欲しいね」

「きひひひひひ。そうだなそうなよな。また、早く食わせろよ」


 言うとほぼ同時に、最初からいなかったかのように俺の姿が消える。何時ものように鏡に戻ったのだろう。

 僕はそれを確認せず、鍵沼の前にしゃがみこんだ。そして笑顔で顔を覗きこんだ。鍵沼は青い顔をして僕の事を見つめている。


「お、おまえ……何なんだよ? あの化け物を殺すなんて。しかもなんだよあの食ってた奴。

おま、お前じゃないか」

「僕も色々と訳ありでね。大変なんだよ。面倒なのは嫌いなんだけれどね。それよりトランプを貰っていっていいかな?」

「へ? あ、う。うわあああああああ」


 僕は首をかしげた。鍵沼は急に青い顔を白くさせて足と手を必死に動かして後ずさり、転がって立ち上がり、椅子につまずいて転んで。立ち上がって扉を乱暴に開けて、また転びそうになって。要するに何かから逃げ出した。


 僕か? 僕から逃げたのかねぇ。


「まあいいや」


 僕は立ち上がり、机の上に散らばっていたトランプを回収しようとした。したのだが。ちょっと遅かった。


「あれ?」


 見ると、久遠さんがトランプを束にして手に持っている。

 鍵沼が僕との勝負に使用した、あのトランプをだ。


「それ、どうするの?」


 一応聞いてみた。ライターもお持ちになっているので、何をしたいのかは想像できますけど。

 久遠さんはトランプを見つめたままでこちらを見る様子は無い。


「……燃やします」

「そう」

「だってコレが元凶なんですよね。私絶対許せない」

「そう。なら燃やすといいよ」

「うん」


 久遠さんは小さく頷いた。


 そして、ポケットからライターを取り出しトランプに火を付けた。火はあっと言うまにトランプを包みこむ。


 ばちばちと音を立てて、緑色の火を上げるトランプ。


 その火を無言で見つめる久遠さん。


 久遠さんはすっかり灰になったトランプを恨みのこもった表情で見ながら、ぐしぐしと足で踏みつけた。

 そして呟いた。


「これで、あの二人の仇取れました」


 こうして、久遠の友人二人の死も、もう一人の衰弱死した女性の死でさえ、理由も動機もすべてが有耶無耶のまま事件は終わった。


 すべての元凶は鍵沼と言う事で。


 あの、悲鳴を上げて闇に消えていった。あの男。

 何におびえて逃げ出したのだろうか?

 僕の脳みそに其れだけが残って消せなかった。


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