46.彼の一面
来賓用スリッパを持ってきてくれたキーファに気遣われながらリディアは彼と連れ立って歩き、研究室まで戻った。
「先生、家まで送りますよ」
そこまで申し出てくれたキーファに、リディアは苦笑を返す。
「歩けるから大丈夫。それにあなた、授業は?」
「歩けるとはいっても、かなりゆっくりですよね。一人で帰らせるのは心配です。授業は選択科目なので、必須ではありません。休んでも平気です」
「私の怪我で授業を休ませるわけにはいかないし、慣れているから大丈夫」
「慣れている……?」と、キーファは怪訝というよりも感心しないような顔で呟いた。
リディアは慌てて説明する。
これじゃ、怪我ばかりしているやばい人みたいだ。
「違うの、もっと大きな死にそうな怪我とかならともかく、こんなので迷惑かけるわけにはいかないから。心配するほどじゃないからね、本当に。湿布貼るし、痛み止め飲めば平気」
キーファは不満を表すかのように黙り込んでしまう。穏やかないつもの気配とは違い、リディアが喋れば喋るほど神経質になっていく気がする。どうして?
「じゃあ、保健室まで付き添います。薬が必要なほど痛みがあるんですよね」
「コリンズ……」
ああ、やっぱり話せば話すほど心配させている。彼は絶対引かないという気配までも漂わせ始めた。
「それに靴はどうするんですか?」
「靴は、あるから……」
まさか靴の調達まで頼むわけにはいかない。頼めば買ってきてくれそうだけど、彼女でもないし家族でもないし、友達でもないのに。
「それに先生。死にそうな怪我なんて絶対やめてください。今だってかなり心配です」
リディアは彼の真摯な眼差しに、自分が適当にかわそうとしていたことに気が付いた。
「心配してくれてありがとう。その、心配されると恥ずかしいと言うか……。怪我も自分のせいなのに」
キーファの気配が和らぐ。彼は表情を緩めて、口調を変えて問いかけてくる。
「俺は、授業に出ます。先生、今日は何時に帰る予定ですか」
「会議があるから、そのあと議事録まとめたりして十九時かな」
キーファの眉が顰められるのを見て、リディアは慌てて続ける。
「でも足が痛くなるかもしれないから、十七時には終わらせる」
「では、十七時頃裏門で待っています。それよりひどくなったら、連絡ください」
リディアは、ひょえと思った。声には出さなかったけれど、驚いて少し混乱する。
そんなことは、大事な彼女にやってあげて!
もし彼女がいないなら、それまでその行為はとっておいて、とまで言いそうになる。余計なお世話だろう。
「ケイのことも心配です。今日は一人で帰らない方がいいと思います」
「あ……うん」
確かに、少し怖い。生徒との問題は自分で対処しなければいけないけれど、ケイは何の目的でリディアにあんなことを言ってきたのか、キーファやリディアにあんなふうに絡んできたのは何を意図しているのか、まだわからない。
ケイに待ち伏せされていたら、この足では確かに逃げられないし心配。そういう思いが顔に出たのだろうか、キーファはどんどん話を進めていった。
「裏門のバス停からのマザーズ駅行は、本数が少ないから、みんなほとんど利用していません。一緒にいるところを誰かに見られることもありませんが、心配なら他人のふりをしているので安心してください」
「心配とか、そんな失礼なこと思ってないけど……」
「不用意に話しかけたりはしません。ただ、無事に帰るところまで見送らせて下さい」
(どうしよう。見守り方まで、すごく気遣いをされている)
「俺が安心したいだけです。先生はただ――頷いてくださればいいです」
リディアは、強固に反対をすることもできず、なんだか途方にくれたように頷いた。
「ありがとう。よろしく……お願いします」
頭を下げると、キーファはようやく安堵したように、穏やかに、けれど強気をにじませる瞳で笑った。
リディアは自分の研究室のドアを閉めて、息をつく。
キーファは、ケイのことは踏み込んで聞いてこなかったし、推測で触れ回ることもないだろう。
それにしても……。キーファは随分強硬な態度を取っていたような気がする。リディアが何をいってもきかない、という雰囲気を漂わせていた。
――キーファは、怒らせたら怖そう。
思わず浮かんだ感想を、リディアは慌てて打ち消す。
(あんなに気を遣ってもらって、私は何を失礼なことを思っているの!?)
リディアは自分を戒めた。そのことを考えながら、リディアはありがたいなと自分の置かれた状況に感謝をする。苦手な生徒も、合わない上司もいるけれど、関係を築ける生徒もいる。
ただ、生徒に助けられてばかりの気がする状況は、是正しなければいけないけれど。




