44.トラブルメーカー
「よぉ、ウィル」
ウィルは目の前を歩いてきた相手に顔を強張らせた。
そのまま無視して横をすり抜けようとしたら「待てよ」と腕をつかまれる。
「なんだよ」
「お前、今年になってから、サークル全然顔見せねーじゃん。気にしてんの?」
「別に」
「そんなにミユが俺を選んだこと気にしてんの? まさかお前マジだったの?」
「しつけーな!!」
ウィルが怒鳴ると、ケヴィンは気圧されたように、「な、なんだよ」といって腕を放す。
「お前が、こねーからライブも客もこねーんだよ」
「もともと聴かせられるようなレベルの音じゃねーだろ」
軽音サークルは頼まれて参加していただけだ。まともに音楽ができる奴なんて、自分を含めて誰もいない。「もうやめたから」と言ってそのまま去ろうとする。
「――おまえんとこ、助手がいるだろ!」
はあ? と言ってウィルは振り返る。助手って何の話だ、と思いながらも若干の予感に備える。だいぶ前から話していないのにいきなり絡んでくるのは、挑発目的としか思えない。
「リディアっつー、小柄な可愛い子。歳聞いた? 二十だってな、若くね?」
ウィルは、思わず舌打ちしていた。
歳は何度聞いても本人に教えてもらえなかった。それを先に知られたことよりも、こいつのこの言い様に苛立ちしかない。
「先生だろ? だからなんだっていうんだよ」
無関心を装うがどこまで装えていたか。いやな予感はますます高まる。
――ケヴィンは、年下好みだ。いつも後輩に手を出してた。
だからミユと付き合ったことは意外だったけれど、それで落ち着いたわけじゃないのかよ。
「授業でさ、俺じっくり教えてもらったんだよね。火球出すのに、手握ってきてさ、体くっつけてさ」
「――っ、だからなん」
「胸がさ、当たったんだよね、俺の腕に。小柄だけど、胸は大きくね? あれわざとじゃねーかな、俺に気があるのかも――って」
気がついたら、殴っていた。
「な、にすんだよ!!」
「うるせーっんだよ!」
リディアがお前に、そんな気あるわけねーだろ!
その言葉を飲み込む。頬を押さえて地面に尻をつけて言い返すケヴィンは、まだ喋ろうとする。
「んだよ、お前。今度はあっちに乗り換えたの? じゃ、また俺がとっちまおうかなー」
「黙れ!」
ウィルがもう一度殴りかかろうとした時、エレベーターが開いて下りてきた通りすがりの知らない女二人組が叫び声をあげる。
「ちょっと、ウィル! 何してんの!! やめてっ」
そして、ミユがいつの間にかウィルとケヴィンの間に、大きな声を出して割って入る。
「ウィル、どうしてこんなことするの? ミユのせい?」
「……そんなんじゃ」
「ミユがケヴィンを選んだのが気に入らないなら、ミユに言えばいいでしょ! そんなんだから――」
ミユが言いかけて黙る。ウィルはミユをみて、口を開く。
「そんなんだから、何?」
「――怒らないでよ!」
「怒ってねーよ」
「怒ってる」
「もうやめろ、ミユ、俺はいいから」
ケヴィンが言って、ミユの腕に手をかける。
「良くない、ミユはよくない。私が怒られたんだよ」
「お前はかんけーねーよ!!」
「そんなんだから!」
ミユはウィルの言葉に重ねるように叫んだ。
「――だから魔法が使えないんだよ!」
「うるせー!」
ウィルも重ねて怒鳴ると、ミユは黙る。
「ケヴィン、保健室いこう。ウィル、先生に言うからね!」
***
次の演習はどうしようか。
リディアは、演習室の中央で仁王立ちになり、一人考える。
サイーダの演習に出てから、彼女の所属領域の設備の充実さに羨望感が募る。
とはいえ、リディアの領域は教育環境を整えてこなかったのだから自業自得。ただ、その損害を受けるのが学生だというのはどういうことだろう?
学生の教育を受ける権利は平等なのだから、環境に差があってはいけないと思うけれど、実情ではまさに天と地ほどの差。
「授業内容でカバーなんて、自信をもって言えればいいけれど」
毎回試行錯誤の授業。学生が知識と技術を授業から十分に習得できる進行と内容であるのか、自信を持って臨めないまま、実施に追い込まれているのが悲しい。
せめてリディアの授業を見て、助言をくれる第三者がいればいいのに。
(それにしても、本当に古いなあ)
リディアは眉を八の字に下げた。
自分の領域の演習室を見渡すと、情けない思いで心が痛くなる。
備品はすべて古い。博物館ができそうなくらい作りが前時代のもので、機能は遥かに劣り、もちろん価値はなく粗大ゴミだ。
特別防護実験室を借りることも考えたが、領域で専門の部屋があるのに、すべての授業をそこでやるわけにもいかない。
教授にバレたら、また色々なよくわからない言葉がふってきそうだし。
頭をふって、鬱状態になりそうな思考を追い出す。
(――前向きに、前向きに!!)
半ば無理やりに思考を切り替えて、次回の演習のために配置を考える。
漏斗形を成す教室の底、魔法陣が敷かれた中央の広いスペースに、六つの演台を配置する。
教室の正面は、東を向くように作られている。これはどの魔法関係施設も同じで、建物も魔法を施行する部屋も東向きが正しい。東を向くことで、魔力が高まるというのだ。
リディアは、東を正面とし魔法陣の中に立ち深く一礼をする。
そして目を閉じて集中する。手が温かくなる、次第に足先も温まり、魔力を高めて放出、深く息を吐き、そして目を開ける。
自分の魔力の残滓が空中を舞っている。
魔力を失ったことによるわずかな倦怠感があるが、すぐに回復するだろう。
魔力を放出し、自分の魔力を活性化することは、魔力の質をあげるために良い、と述べる研究者がいるが、リディアがそれをする理由はもう一つある。
(やっぱり、――何も、反応がない)
魔力を捧げても、何の応えもない。それは、あの呪われた事件からずっとだ。
リディアは、いつもと同じように襲われた寂寥感に、自嘲の笑みを浮かべて息をついて、ヒールを基点にくるりとターンをして、仕事に戻る。
倉庫から借りてきた傾斜のついていない六台の演台を、ひとつずつ必要な場所に配置する。結構な重労働だ。
それぞれの配置間隔を調整し、魔法相関図の六角形を作る。
力仕事にハイヒールの靴を履いてきたことを後悔するが、今日は会議だったので、ラフな格好はできなかった。
ミユの「おばさんみたい」という指摘には、少し堪えている。
(やっぱり、色かなあ)
灰色や紺の目立たない色合いのスーツは、下っ端の自分が悪目立ちしないためだが、あまり似合っているとは思えない。
白は汚れるから、避けたほうがいいし。
「――先生? ちょっといいですか?」
唐突に声が響き、驚いたリディアが顔をあげると、最上段のドアから顔を覗かせたのは、ケイだ。
――珍しい。
彼は授業中には懐く様子も見せるのに、それ以外では寄ってこない。寄ってくるときは、リディアに警戒心を呼び起こす何かがある。
(でも、――まだ具体的な理由もないのだから、あまり態度を変えないようにしないと)
自分で自分に言い聞かせる。
「どうしたの?」
「相談があって」
そう言って、彼はドアを後ろ手に閉める。
施錠する小さな金属音が響いたのを聞いて、リディアはケイの顔を見つめる。
「鍵を閉めなくちゃいけないのかしら?」
「誰にも聞かれたくないんです」
いつも薔薇色と表現したくなる頬は、今日は血の気が引いている。必死な様子から、リディアは、一応その場に留まったまま様子を見る。
あまり強固に解錠を促すのも、彼を刺激しそうだ。
「どうしたの? この間の、課題レポートのこと?」
リディアは、先日提出されたケイのレポートの出来を思い出す。
あれは、なかなか衝撃的な内容だった。
実習において出現すると思われる魔獣の討伐と、目的地への行程計画を立てるようにと課題を出したのだが、彼のレポートは「コカトリスについて」と一枚きり。
しかも、電子情報網からコピペをしてきたのがまるわかりで、肝心の魔獣の倒し方は「コカトリスはイタチが天敵である」と一言書かれてあっただけ。
(あれから、……直っているのかしら)
また、あのような内容を見るのが怖い。
あのレポートを見て、リディアは軽く絶望した。
一応、『イタチを連れていくの?』と聞いたら、ニコニコと笑いリディアに褒められるのを期待している表情が一変したのだ。
『図書館の資料にそう書いてありました。間違いのある資料なら置かないべきですよね。その魔獣を倒せというならば、イタチは先生が用意すべきですよね?』と、可愛らしさを取り払い、リディアを睨みながら刺々しい口調の早口で言い募る彼に、リディアは戦慄した。
教科書や参考書に書いてある情報が全て正しいわけじゃない。その書籍が信頼に値するものかどうか、いくつかの書籍を見比べて、情報を見定めるのも勉強だ。
ましてや、電子情報網での誰が書いたかわからない情報を真実とは思わないように、と一年次に最初に指導されるものなのだが、彼は覚えていないのだろうか。
そして、説明をしても、ケイはあまり理解している様子はなかった。
とにかく、彼の地で出現する魔獣はコカトリスだけじゃない。イタチが弱点という俗説は「バジリスク」の方であり、二つの魔獣が混ざっていて、コピペとしても酷いレポートだ。
二時間かけて計画の立案方法を説明して再提出を促したが、またそのことだろうかと身構えるリディアに、彼は静かに首を横に振る。
「僕も、先生に特別に補習をしてほしいんです」
階段状の最下段にあたる中央スペースにいるリディアに向かって、階段をゆっくり降りてくるケイ。
彼はあまり授業には熱心ではない、なのに評価を気にする傾向がある。
「どうして?」
ケイは、最下段まで降りて、リディアに向き合うと首を傾げた。正直、今まで見た女子の誰よりも様になっていて可愛い仕草だが、何か怖い。
「どうして、って?」
「あなたは、ちゃんと授業を受けているし、魔法の発現も問題ないし、授業にもついてきているでしょう。補わなきゃいけないことは、何もないのに」
「でもウィルはまた補習するんでしょ? マーレンもそう聞いたし。それって二人とも特別扱いでしょ?」
リディアは内心で、訝しく思う。
ウィルは、リディアに補習の継続を願っていたが、その話題を皆の前で出すことはない。恐らく隠れて特訓していることを、あまり知られたくないのだろう。
マーレンも同様で、一切みんなの前でその話をしてこない。
生徒間で何を話しているかを教員が知るには限界があるが、二人はあまりケイと親しくしている様子がなく、多分明かしていないと思う。
「ベーカー。二人とも――ううん、うちの領域は特殊な事情のある生徒が多いのはわかるわよね。少しつまずいている二人に、その障害を除くための補習よ。皆と授業を行うためにしなければならない準備なの。あなたには、それが必要ないのよ」
「でも特別扱いは変わりないですよね。それって、エルガー教授が知ったらどう思うかな?」
「ベーカー?」
リディアが、彼の名を呼ぶと、ケイはすがるようにリディアに距離を詰める。
「エルガー教授に『ずるい』、っていいます。そうしたら、どうなるかな。たぶん、そんなのやめろって言われますよね」
彼は、さほど背が高くない。それでも、近くによるとやっぱり男の子だ。
リディアの前にさらにケイは詰め寄る。
「あなたは彼らに補習をやめさせたいの? それとも、自分も受けたいだけ? あなたは、そこまで授業を熱心に聞いているようには思えないのだけど」
時々、心ここにあらずの様子で、授業に集中していない。
それを言うと、彼は明らかに肩を落として、しかも何かを堪えるように自分を抱きしめて全身を震わせる。
「すみません、本当は――僕」
リディアは、ケイを正面に見据えながら、さりげなく自分の前後、左右に視線を走らせる。
どの方向にも、並んでいる演台は、いざという時走る妨げになる。
色々想定される問題と回避パターンを考えながら、ケイの言葉を待つ。
「僕――、先生の特別になりたいんです」




