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夜雨

作者: 東雲未だき

今から150年ほど昔のこと。因磨の国に深道峠村と呼ばれる小さな山間やまあいの村があった。村人は田んぼや畑仕事に精を出し、互いに助け合いながら平和に暮らしていた。


この村には当時では非常に珍しく、異国からの移住者がひとりいた。青年の名はジョンといった。彼は厳しい船旅に疲れ、故郷の商い船を去り、老人ばかりの深道峠村で田んぼや畑を手伝い、静かな日々を送っていた。温和な生活はジョンの心と身体に平穏をもたらした。

「ジョン、無理すんなよなぁ」

「Thank You! アリゴトガザマス!」

村人たちもまた、コツコツとひたむきに頑張るジョンの真面目さに、村の一家族として心から彼を迎え入れていたのであった。


ただ、村に住む人たちには辛く厳しい悩みがあった。それは年に一度の雨期に家屋や土地が大量の雨水による水害に見舞われてしまうことであった。この自然の猛威にだけは誰にもどうしようもないと、毎年あきらめるしかないのだった。



その年は例年よりも更に多くの雨によって川の氾濫はもとより、山の崖崩れによる被害まで出て大変な有り様であった。


入梅から八日目、雨は一向に降り止む気配すらない。そんなぶ厚い雨雲が辺り一帯を覆うやけに暗い晩のこと。ザーザー降り続く大雨の中、村人たちはまんじりともせず、川の増水に神経を尖らせていた。

「対策はとっただ」

「んだな。あとは水神様に祈るしかねぇべ」

夜更け。時を告げるお寺の鐘の響きは雨音に掻き消されていた。そんな折、村外れのお歌の婆さまの家から一丁半(160メートル)ほど離れた田んぼの方から男の声が聞こえてきた。

「お歌・・・!」

独り暮らしの老婆が不思議に思う。

「誰だぁ、こげな時分にぃ・・・」

男の声と増水で駄目になりそうな田んぼが心配になったお歌婆さまは大雨にも関わらず、家を出て様子を見に行こうとした。ところが。

「お歌! けえれ! 減る! 減るから! 減る、水!」

婆さまは誰か村の衆が老体を案じ、代わりに田んぼの様子を見に来てくれているのだと安心し、今夜は任せておこうと考えた。男の声はしばらく続いた。

「お歌! けえれ! 減るから! 減る水!」


夜が明けた。村人たちに起こされたお歌の婆さまは事情を話し、小雨で薄暗い朝空の下、皆と一緒に声の主を捜しに行った。田んぼは無事だった。しかし、そばの水門の中に、ジョンが濁流に巻き込まれ亡くなっているのが見つかった。村人たちは驚き、悲しみの涙を流した。そして口々に「あぁ! ジョン、早く助けを呼べばよかったのに」、「何で助けてくれと言えなかったんじゃ」と無念さに肩を落とし、ジョンを偲び悼んだという。



150年経った現在でも、梅雨の大雨の夜になると、あのジョン青年の声が聞こえる時があるらしい。私たちは調査に向かった。


真夜中、現場で耳を澄ませていると、確かに男の声が聴こえてきた。

「・・・お歌! けえれ! 減る! 減るから! 減る水!」

若い男の声。あれはお歌の婆さまを制止して守ろうとしたジョンの幽霊なのだろうか。

「・・・違います。ジョンは助けを呼んでいたのです!」

共に取材に来ていた外国人スタッフが言った。

「あれは日本語じゃないです! 英語です! ジョンは助けを呼んでいました! 彼はこう言っています!」


お歌、けえれ!

Water gate! (水門です!)

減る!

Help! (助けて!)

減るから!

Help here! (ここです!)

減る水!

Help me! (助けて!)



ジョンの日本語の不自由さと、お歌の婆さまが英語を知らないが故に起きた、悲しい事故の顛末であった。


現在、ジョンの声は聞こえなくなった。言葉が150年の時を経てやっと通じ、成仏できたのかも知れない。




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