「消せない記録」
「今日も暇だな……」
レディは薄汚れたソファに深く腰掛け、天井を見上げながらぼやいた。宿屋の部屋は狭く、古びた調度品がかろうじて生活感を演出している。窓の外では、ナクシスの薄汚れた街並みが広がり、行き交う人々が砂埃にまみれていた。
「レディが仕事選ぶからでしょ……」
カイルはテーブルの端に腰掛け、ぼそりと呟いた。「宿賃も来週には払えなくなるよ。そろそろ仕事探さないの?」
「ガキが金の心配なんてすんな。惨めになるだろうが……」
レディは不機嫌そうに煙草を取り出し、一本を咥えた。だが、火をつける前に考え直し、指先で弄ぶだけに留める。「気が進まねぇが……ドーザーに聞いてみるか」
カイルは肩をすくめた。「結局、あの人頼みなんだね」
「よう、この街にまだ滞在してるなら、そろそろ来る頃だと思ったぜ」
街外れのバーの一角。ドーザーはカウンターに肘をつきながら、酒の入ったグラスを傾けた。彼の笑みは相変わらず胡散臭い。
「チッ……この前の仕事、最悪だったぜ」
レディは隣の席に腰を下ろし、腕を組む。「ハンターのやつらと軍のやつら両方に追われて、挙句の果てにはハンターと取引して賞金折半だぞ? 軍があんなに本腰入れてくるってことは、よっぽどのことしてんだろうが……。あんたの持ってくる仕事はほんとろくなのがないな」
「まぁ、ハイリスク・ハイリターンがうちのモットーだからな。ははは!」
ドーザーは笑いながらグラスを空にした。「で、何か仕事を探してるってわけだろ?」
「……仕方なくな」
レディはため息混じりに言う。「何かあるのか?」
「おうよ。お前向きの特別がな」
護衛対象との出会い
「紹介するぜ。こいつが今回の護衛対象だ」
ドーザーがレディを案内したのは、バーの奥の薄暗い個室だった。そこにいたのは、やけに落ち着かない様子の男。小柄で痩せた体躯、神経質そうな目つき。着ているスーツはくたびれ、汗染みが浮かんでいる。
「や、やぁ……君が護衛を引き受けてくれるって?」
男は震えた笑みを浮かべ、手を差し出した。
「誰だ、こいつ?」
レディは面倒くさそうに男を一瞥した。
「名前は──いや、知らねぇほうがいいかもな」
ドーザーは肩をすくめる。「職業は裏社会の情報屋だ。今回、ちょっとしたミスでな、軍とマフィアの両方に追われる羽目になった」
「……また厄介事か」
レディは舌打ちした。「詳細を話せ」
男はこくりと頷き、手を擦りながら説明を始めた。
「マフィアからの依頼で、あるアンドロイドメーカーのデータを盗み出したんだ。違法改造の情報が欲しいってことでね。普段なら簡単な仕事さ。ところが……」
彼は一呼吸置き、震える指で机を叩いた。
「偶然、軍の極秘プロジェクトのデータにアクセスしちまった」
「……は?」
レディの眉間に皺が寄る。「ふざけんな。軍のデータを盗んだだと?」
「違う! 盗むつもりはなかった!」
男は慌てて手を振った。「だが、軍のシステムに感知されて、身元を割られた。今じゃ軍の追っ手がすぐそこまで迫ってる」
「へぇ……それで?」
レディは鋭い視線を向ける。「マフィアにはどう言い訳した?」
「……言い訳なんてできるかよ。報酬はすでに受け取ってるのに、データを渡せないんだぞ? 当然、マフィアも俺を殺しにかかる」
レディは深くため息をついた。「つまり、お前は軍とマフィアの両方から命を狙われてるわけだ」
「だから、君たちの力を借りたい!」
男は必死に訴えた。「護衛してくれれば、俺も逃げ延びられるし、君たちにも報酬を払える」
「報酬ねぇ……」
レディは考え込む。
「まぁ、聞いてくれよ」
ドーザーが口を挟む。「こいつが掴んだデータの中に、カイルに関する情報が含まれてるかもしれねぇんだ」
「……なんだと?」
レディの目つきが変わる。
「俺も詳細までは知らねぇが、軍の極秘プロジェクト関連のデータだったんだろ? カイルがもしそこに関わってるとしたら、今の状況は単なる護衛ミッションじゃ済まねぇぜ」
レディはカイルの方をちらりと見る。カイルは静かに話を聞いていたが、その瞳はいつもより僅かに揺らいでいた。
「カイル?」
レディが尋ねると、カイルは小さく首を横に振った。
「……わからない。でも、確かめる価値はあると思う」
レディは舌打ちし、男を睨みつけた。
「この話が本当なら、軍に売るか、マフィアに売るか迷ってるってとこだろ?」
「お、俺はまだ決めかねてるんだ……! ただ、安全に逃げたいだけで……!」
「信用できねぇな」
レディは男の襟首を掴んで引き寄せた。「逃がしてやるのはいいが、裏切ったら……分かってるな?」
男は小さく頷き、震えた笑みを浮かべた。
「じゃあ決まりだな」
ドーザーが軽く手を叩く。「軍とマフィアが本気で狙ってくるぜ。楽しめよ、レディ」
「クソが……」
レディは男を放し、カイルと視線を交わす。「とりあえず、宿を移動するぞ。ここはもう安全じゃない」
カイルは小さく頷いた。
そして、二人は新たな嵐の中心へと足を踏み入れた──。