Determination
遥か昔、まだ妖怪や怪異、神秘と呼ばれる存在が世を闊歩していた時代、とある集落に”アリマ”と”ナガト”という若者がいた。
幼き頃より才気煥発であったアリマはその神通力と叡智を以て『神仏の化身』とまで呼ばれ、見えざるモノを見通す魔眼を授かって生まれたナガトと共に魔性の者どもを村から遠ざけていた。
当時、人々の安寧のため異形や妖怪の類の殲滅を掲げていたアリマに無用な殺生を嫌ったナガトが反発、思想の違いから戦争にまで発展するところであった。しかしそんな時、遠くの方から歩いてくる山よりも大きな妖怪に村を踏み潰される危機に遭遇した2人は協力してこれを撃退する。
その戦果を聞いた国の帝から”双璧”の称号と苗字を名乗る権利を与えられたアリマとナガトは互いに名を苗字として自身は改名、これが初代”有間”と”長門”の成り立ちである。思想は違えども人々を思うは同じと和解した有間と長門、後に妻を娶って子供を授かった彼らは子に家督を継がせると隠居した。
しかし相変わらず無辜の人々が異形や怪異の犠牲となる惨状を憂いた二代目の有間と長門も初代と同じ理由で対立してしまい、壮絶な戦いの末に決着はつかず両者が和解する事もなかった。それ以降、両家の対立関係は千歳と千尋が生まれ、父の長門 玄信と有間 道雪に家督が継がれるまで続いた。それから十数年が経った今、有間家と長門家の長い因縁に決着をつけるに到ったその理由や経緯を子供たちは未だ知らされていない。
「どうした千歳、そんなとこに座って……さてはまた万歳になんか言われたんだろ?」
会場に流れる宴の席とは程遠い雰囲気を察した長門の御隠居こと万尋が気さくな笑顔で目の前に座る孫へ話し掛ける。有間の御隠居である万歳との付き合いが長く(本人たち曰く”腐れ縁”)、お互いに対立関係の真っ只中で当主になった後も変わらず友人として接するなど両家の間にある諍いなどお構いなしであった。彼自身の圧倒的な実力と当時の黛泉家当主の力添えもあって先代や周囲からの反発を抑える事もでき、なによりその豪放磊落な気質が両家和解の一因となったのは言うまでもないであろう。
「人聞きの悪い、儂は『当主としての自覚を持て』と言うただけじゃよ。というより長門、千歳を部活に専念させた方がよいのではないか?県大会くらいには駒を進められるであろうさ……」
「あたぼうよ!そりゃあ千歳が高校生の大会なんて出たらあっちゅう間に日本一だ!だが若い頃なんてのは自分のやりたい事やって、元気で遊び回ってりゃそれでいいのよ。大人になったら色々めんどくなるんだからな、俺らだってそうだったろ?」
「……待て、”俺ら”と言ったか?あの頃はお前と狭間が─────」
と、話の矛先が万尋に変わり、会場も和やかな雰囲気へと一変する。そして千歳と玄信が長門家の席に座り、料理が配膳されると主催である2人の挨拶を以て”会合”が始まった。ただひとつ、誰も座っていない空席を残念そうに見詰めながら……
元々この会合にはもうひとつ家族が参加していたのだが突然この地を離れてしまい、およそ10年ほど経った今でも戻ってくる気配がない。千歳たちと同い年の子供もおり、仲も良かったため何も告げず引っ越してしまったのが未だに信じられないままいつか親友と再会できる事を切に願っている。
団欒の中あっという間に時間は過ぎて会合が終わる頃には群青色の空に夕陽が射し始めていた。父が車を取りに行っているあいだ屋敷の外で待っていた千歳と秋葉のもとへ千尋が歩み寄る。
「ごめんな千歳、祖父さんがまた……」
「千尋が謝る事ないさ、それに御隠居にああ言われるのも俺自身納得してるし」
「……そうか、けど俺はお前に次期当主としての”覚悟”がないとは思っていない。悟志やアイツもきっと同じだ」
「─────あぁ、お前たちだけでもそう思ってくれてるなら、俺は救われるよ」
祖父の性分をよく理解しているだけにそれ以上掛ける言葉が見当たらず千尋は己の本心を打ち明ける。そして帰宅後、千歳が制服から部屋着に着替え、ベッドに寝転がってスマホを見ると若葉からのメッセージがRAILに着信していた。
『こんにちはです』
『今って電話かけてもいいですか?』
それは家に帰ってくるほんの数分前のメッセージ、なにかあったのかとすぐさま”いいよ”と返事のメッセージを送信した。すると通話の着信音が鳴ったので画面の応答ボタンをタップし、スマホを耳にあてた。
「もしもし─────」
『もしもし千歳先輩、いきなりですみません……』
通話越しに聞こえる彼女の声はいつものような覇気がなく、どこか不安と恐怖が混じったような声色だった。
「構わないよ、こっちこそ返事遅れてすまんね。さっきまで出掛けてたもんでさ。で……どうしたの、なんかあった?」
『あ、いえ!千歳先輩のお父さんに紹介してもらった病院にさっき姉と行ってきたんです。それで色々と診察したらなにも異常はなくて……なので千歳先輩に知らせたかったのとあと……御礼を言いたくて……』
先日、玄信が橘姉妹に紹介した狭間医院は悟志の父、狭間 英世が院長を務める診療所で幼いころ事故に遭った千歳もそこに入院していた。
「礼を言いたいのはこっちの方だよ。秋葉ちゃんを守ってくれてありがとう。2人とも無事でよかった……」
『はい……えと、あの……あはは、なんか千歳先輩の声聞いたら安心して涙がでてきちゃいました。もうひと眠りしますね、おやすみなさいです千歳先輩─────』
「ん、おやすみ」
通話を終え、若葉の無事に安堵しながら千歳は昨夜、紫が丘での戦いから逃げ去っていったあの異形のことが気掛かりであった。
この辺りに潜んでいる異形共が根城にしているような場所には心当たりがある。あの時は妹たちの救出が最優先だったため見逃したが、またヤツが因縁を辿って忍び寄り、牙を剥くその前に手を打たなければならない。
そしてそこは千歳にとっても因縁のある場所だが、あの頃とはもう違う。長門家の魔眼を授かり、祖父から剣術の指南も受けた。昨日の戦闘を通じて異形と戦うための力は十分に備わっているはずだと確信していた。会合にて有間の御隠居へ語った決意、”覚悟”を本当のものにするため、なにより秋葉と若葉には『もう大丈夫』と安心して元の日常に戻ってほしい。
決断は済ませた。巻いた毛布を掛け布団の中に潜り込ませ、あたかも人が寝ているかのように見せ掛ける。そして壁に立て掛けていた木刀を手に音をたてぬよう窓をそっと開け、いざ駆け出そうとしたところで友人たちや学校の知り合いなどに自分の姿を見られたら面倒だと思い踏みとどまった。
ふと、紫が丘で対峙した異形は黒い霧の中からとつぜん現れたのだと妹が言っていたことを思い出し、鏡の前で黒い影を全身にまとう。するとそこには光学迷彩のように透明になった─────のではなく、まるでホラー映像などでよく見る不気味な人型の黒い影となった自分自身が映った。
(……まぁ、パッと見、俺だとわからないだけよしとしよう)
そう自分を納得させ、今度こそ夕暮れの町へと降り立った。もうすぐ夕飯だろうか、リビングの窓からキッチンに立つ母とそれを手伝う妹の後ろ姿が見える。
「ごめん……行ってきます……」
この時間に外へ出掛ける自然な言い訳も思いつかず、かといって正直に話せば秋葉の件があったばかりの父と母に引き止められるだろう。誰にも聞かれぬよう小声で呟いたそれは家族に黙って行くことへの千歳なりの謝意であった。
夕日は瑠璃色の空の彼方へと沈み、ぼんやりと街灯が夜道を照らす。影を写す魔眼であの黒い影が蠢く場所を見据え、その方角へ向かって千歳の人影は夕闇の帳に融けていった。