Rebellion act1
夕方頃、千歳と秋葉が学校から帰宅すると父の車があり、”ただいま”と玄関の扉を開けた。すると2人の帰りを待っていたかのようにリビングから出てきた父の様子はなにやらひどく慌てていた。
「千歳、秋葉!今さっき父さんから連絡があって……とりあえず車に乗ってくれ!」
言われるがまま車に乗り込み、運転する父に何があったのか聞いたところ先ほど狭間医院にいる祖父から電話があり、有間の御隠居が危篤との事ですぐ病院に来てほしいと言われたんだとか。
「危篤って……ついこの間の会合じゃ元気だったのに……」
「ああ、父さんもいつもの調子で言ってくるから何がなんだか……」
それから病院で受付を済ませ、有間の御隠居がいる病室を案内された3人は院内を走らないよう早歩きでそこへ向かう。そして『有間 万歳様』とネームプレートが掲げられた個室の病室の前にたどり着き、扉を開けた先にはベッドに横たわる万歳の姿があった。
上体はリクライニング機能によって起きており、横の椅子に腰を据える千歳の祖父の万尋といつもの険しい表情でなにかを話すその様子は元気とは言えずともとても危篤には見えなかった。
「おお、来てくれたか……そんなに慌ててどうしたというのだ」
「いえ、あの……御隠居が危篤と聞いて……」
「儂が危篤だと?いったい誰がそのような……」
言葉の途中で気付いたのか、万歳と千歳ら長門家の面々の視線が万尋に集中するが当の本人に悪びれる様子など微塵もない。
「俺ん家にいきなり来てぶっ倒れたのは本当じゃねぇか。『有間家のいざこざで万歳が怪我した』なんて電話で言ったって余計意味わからんだろうしよ」
他にも言い方があっただろうがその言い分にも一理あったので万歳はなにも言えず、有間家のいざこざについて訊ねられたところにちょうど息子の道雪とこの医院の院長である狭間 英世が病室へ入ってくる。
「その後の状態はどうですか御隠居、まだ傷は痛みますか?」
「いや、だいぶマシになった。感謝するぞ狭間の」
「なによりです、念の為に傷口の状態を見させていただきますね────」
捲られた患者衣から露出した万歳の腹部には雷にでも撃たれたかのような生々しい火傷跡があり、その拳ひとつ分の傷跡を見た英世が表情を曇らせる。
「申し訳ありません、手は尽くしたのですがこの傷跡は残ってしまうかと……」
「構わぬさ、あの状況からこうして生き永らえただけ御の字というものよ。さて秋葉嬢、これから我々は少々ややこしい話をする。来てもらってなんだが席を外してくれんだろうか?」
「そうそう、1階の喫茶店でなんか好きなもん頼みな。おーい!誰か手ぇ空いてるかー!?」
呼び掛けに応じてやって来た看護婦に英世が秋葉の案内を任せ、柔和な笑みを浮かべていた万歳の表情が険しい顔つきに変貌する。そしてあらためて玄信から何があったのかを訊ねられ、有間家で起こったその一部始終を話し始めた。
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この日、万歳と道雪が朝早くから魁に呼び出され、大広間にて待っていると彼は千尋と美琴を連れて現れた。上座に座る万歳の前に揃って正座し、手を畳について深く頭を下げる。
「御隠居、並びに道雪様、此度は朝早くより私の呼び掛けに応じていただき誠にありがとうございます」
「うむ、しかし魁よ、なぜ千尋や美琴嬢も一緒なのだ。今日は2人とも学校であろう?」
「御心配なく、先ほど学校の方には本日お二方が欠席すると連絡致しました────」
しれっと放たれたこの一言に万歳が”なに?”と眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべながら道雪の方を見るが同じような反応をしていた。つまり2人の欠席は魁の独断であり、そこまでして何を話すというのか、その疑念を察したかのように頭を上げた魁がさっそく本題を切り出す。
「率直に申し上げます。有間家再興のため、家督を千尋坊ちゃんの方へ譲渡していただきたいのです!」
「……再興だと?」
自身が隠居してからも有間家の情勢に陰りなどなく、少なくとも”再興”などという言葉を叩きつけられる謂れもない。眉間の皺が深まり、今にも怒号を上げそうな万歳にも魁は臆する様子を見せず、その雰囲気を察した道雪が2人の間に入る。
「魁さん、いくらアナタでも御隠居の前でその言葉はあまりに不相応だ。前言の撤回を求める」
「不相応……ですか。私から言わせれば道雪様、貴方が有間家当主の座におられる事こそが不相応そのものです」
万歳へ向けられたのとはまるで別物な侮蔑を帯びた冷たい眼差し、そして低く落とされたトーンで紡がれた棘のある物言いに普段は温厚な道雪も『なんだって?』と表情を顰める。
「”有間ファウンデーション”……その会長として才ある若者たちに経済的支援をしているようですが全くの無駄、真に才能ある者とは自らの力のみでその頭角を現すのです。そうでございますよね、御隠居?」
「……そうさな、少なくとも儂自身、恵まれた環境にいながらだが自らの力で夢を成し遂げたと言い切れる。魁の言葉は嘘偽りのない事実だ」
有間家をここまで繁栄させた張本人、徹底した実力主義である有間の御隠居が自身の意見を否定するはずがない。望んでいたままの答えに思わず魁の口角がニヤッと上がる。しかしその後に万歳が『だが』と言葉を続けた。
「だが時折、やむを得ず夢を諦めた友人の事を思い出す。その時分に倅のような者がいたならば……ふとそう思うのだ。他者と手を取り合い、救う……これまで儂ら先代には思いつきもせんかった事を実現した道雪を儂は評価しておる」
万歳の口から語られた思いもよらぬ言葉を聞き、ぐっと涙を堪えながら道雪はこれまで自分が支援してきた者たちに心の内で詫びた。彼らから掛けられたどんな感謝の言葉よりも、父から認められたこの瞬間が最も自身が報われたと感じた瞬間だからだ。
「千尋よ、お前も魁と同じように父がやってきた事を”無駄”と笑うか?有間家当主として道雪はふさわしくないと蔑むか?」
大広間に入ってから一言も喋らずにいる千尋に対し、万歳はわざと煽るような訊ね方をした。しかし千尋は何も言わず顔を俯かせ、ただ膝の上に置いた拳を握りしめる。そのらしくない振る舞いから違和感を感じ、本心を聞き出そうとするが魁の深いため息がそれを遮る。
「────ふぅ……残念です御隠居。それ程までに耄碌されていたとは……仕方ありません」
落胆した様子の彼が指をパチンと鳴らすと遠くの方から女性の悲鳴が屋敷中に木霊する。そして慌ただしい足音と共にこの大広間の襖を開けたのは千尋の母、有間 はづきだった。
「おや奥様、探す手間が省けました。これより私は有間家の再興から新興にプランを変更致します。よって古き有間家の者は不要、長門と和解し、家の尊厳を堕落させた貴方たちを粛清します!」
四方八方から大広間へ侵入してきたのは異形どもの群れ、普段なら有間の血を引く者がその身に宿す魔力とはまた違った力、”天力”の影響によって彼らは屋敷の周囲に近寄る事すらできない。実際、その天力に当てられ、存在を保つ事すらできない者もいる。なにより不自然なのは万歳ら人間が目の前にいるにもかかわらず襲う素振りを見せない事、まるで躾の施された獣のような────
「魁、おぬしまさか……!」
「お察しの通りです。貴方がたを相手にするには少々役不足ではございますが、凡人である奥様を庇いながらどれほどやれるか見物させていただきます。もし私の計画に賛同していただけるのであれば今からでも────」
「否、もはや問答は無用だ、元より我らは魔性の者から人々を守護してきた陰陽師の家系。現代においてもそれは変わらん、かかってくるがいい畜生ども。この儂手ずから、灰燼に帰してくれるわ!」
敵は人外、多勢に無勢、しかしその気迫と闘志に一片の陰りもなし。紅蓮の炎を思わせるような闘気を身に纏う万歳に敬意を禁じ得ず、魁が『素晴らしい』と賞賛の言葉を呟く。