博士の願い
……笑顔、か。そういえば、人形たちがしているのを見たことがない。博士もしたことがなかった気がする。
彼女の笑顔を思い出す。私に瓜二つの顔……そのはずなのに、まるで違う。私達には決してできるとは思えないほど輝かしく見える。やはり彼女は特別な存在なのだろうか。
部屋に着くと、私は鏡に向き直る。鏡に映るのは無表情の私。
彼女がしたように、口元に両指を当てて上に引っ張ってみる。鏡には相変わらずの私の姿。ただ、口角が少し上がっただけ。彼女はこの姿も笑顔だと言っていたが、これで笑っていると言えるのだろうか。私にはわからない。
やはり彼女の浮かべていたものとは違うような気がするが。
私は大きなため息をつき、コンジュリアの姿を探す。
「博士と話がしたいです」
そうコンジュリアに問いかける。博士に報告をしなければならない。私が彼女から感じたこと、そのすべてを博士に伝えなくては。
コンジュリアは答えない。
「聞いていますか?」
やはり答えない。このロボットも人形たちと同じだ。私の問いに答える気がない。
私の好奇心に答えてくれるのは、ただ一人。博士だけなのだ。
博士、今どこにいるのですか。
博士……
ブウン、とスイッチの入る音がする。音の発生源は部屋に備え付けられているモニターからだ。映像に映るのはよく見知った人物だった。
「博士っ――」
続きが出てこない。何から話せばいいのだろう。まず謝るべきだろうか。昨日、急に倒れてしまってごめんなさいと言葉を掛けるべきなのか。それよりも、今日の報告のほうが先だろうか。フゥテとの会話を博士に知らせるべきなのか。
モニターに映る博士は、そんな私の焦燥を見透かすように、ニヤリと笑いかける。
「フゥテとの会話は順調かね」
「えっ、はい。そうだと思います」
「頭痛がどうかね。まだ、痛むのかな」
「はい……しかし、最初よりは随分とマシになりました。この分なら、彼女との会話は問題ないかと思います」
「それならいいのだが」
ふむ、と博士は顎に手を当てる。
「今日は随分と歯切れが悪いな。それに暗い表情をしているね。何か後ろめたいことでもあるのかね」
博士の言葉にドキリとしてしまう。やはり、博士は私のことを見透かしているのだ。
「あの、博士……」
口が淀んでしまう。言っていいのかどうか、今でも迷っているからなのだろう。それでも私は、自分の意志に逆らえない。
「見てもらいたいものがあるんです」
そう言って私は自分の口元に両指を添え、少しだけ上に吊り上げる。
「博士、今の私は笑って見えるでしょうか」
「……」
博士が眉をひそめ、こちらを見つめている。今、博士は何を考えているのだろう。モニター越しに映る博士からはその思考の断片ですら読み取れない。ただ、その表情からはあまり好意的に思っていないように思える。
「申し訳ありません、博士」
反射的に謝罪の言葉を口にしてしまう。ああ、やはり失敗だったのだ。今の私は笑った表情ではないのだ。
「リアン」
冷たい声で、博士が私の名前を呼ぶ。
「君に課せられた仕事は感情を理解することだ。感情を得ることではない。わかるか」
「……はい、理解しております。ただ、フゥテとコミュニケーションを取る上で表情の変化も大切だと、そう思いまして」
動揺のあまり、つい言い訳を並べてしまう。どれだけ言葉を並べても、私が間違っていることには変わりないのに。
博士は、何度か口を開きかけて、閉じる。私にどんな決断を下すのか迷っているのだろうか。やがて博士は、諦めたようにため息を吐き、私に話しかける。
「リアン」
「はい」
「お前は自分のことが嫌いか」
「……はい」
「自分は劣っていると、そう思っているのか」
「…………はい」
「だから自分以外の何者かになりたいと、そう考えているのか」
「………………はい」
「笑顔を真似しようとしたのもそのためだろう」
「……………………」
「フゥテが羨ましいんだろう」
「……………………」
「フゥテみたいになりたいか」
「……………………はい」
「私の役に立ちたいか」
「はい」
そうか、と博士は独り言のように呟く。
「やる気ならば仕方がない。いいかね、今から言うことをよく聞きなさい」
「はい、博士」
「彼女の表情を完璧に模倣できるようになりなさい。今のままでは不十分だ」
「いいのですか、博士」
博士の言葉に私は驚いた。てっきり止められるものだとそう思っていたからだ。
「フゥテの口調や仕草も真似してみるといい。そうすれば、彼女の感情をより理解するのに役立つだろう」
「わかりました、博士」
そうか、私は笑顔を浮かべてもいいのか。そう思うと、心のつかえが取れたような、そんな気がした。
「そのかわり、やってもらいたいことがある」
「なんでしょうか?」
博士はわざわざ私にお願いをする。何だか奇妙だ。命令さえすれば私は何だってやるというのに。一体博士は何を考えているのだろう。
そして、モニター越しの博士がゆっくりと口を開く。
「最後には、フゥテを殺して欲しいのだ」