笑顔
「ねえねえ、リアンちゃん」
フゥテが私に顔を近づけ、人懐っこい声で呼びかける。
「えーと、リアンちゃんは私の話し相手になってくれるん……だよね?」
「はい、そのように聞いていますが」
「やった!」
彼女が顔を赤らめながら、話をしようとする。彼女が動く度に、胸元の指輪が元気に跳ねる。それは、まるで指輪にももうひとりの彼女が宿っているようにも思えた。
”何を話そうかな”
”最近、一人ぼっちだったから寂しかったんだよー”
”そういえば、そもそもリアンちゃんって何者なの?”
”私のクローン?”
”いやいや、そんなまさか”
”もしかすると、生き別れの双子とか?”
”涙ながらに分かれた姉妹、そして感動の出会い!”
”私が双子だったなんて話聞いたことがないけど!”
思考の濁流。不思議なことに、以前のときほどは脳に負担がかからない。慣れてきたせいだろうか。しかし、このまま彼女の思考を放って置くわけにはいかない。脳の負担はゼロではないのだ。
「私とあなたの関係は、残念ながら私にはわかりません」
「えっ、そうなんだ。というかそうだよね。たまたま似ているだけだよね」
あはは、とフゥテは少し頭を掻き、そして不思議そうに頭を傾げる。
「……もしかして、私の考えていること、バレてたりする?」
「はい」
素直に返事をすると、フゥテはがっくりと肩を落とす。
「そうだよね。私ってよく考えていることが顔に出ているー、だとか、分かりやすいー、だとか言われるんだよー。そんなにわかりやすい性格してるかな」
「いえ、そういうことではなく――」
「いやいやいや、わかってるから! 慰めなくてもいいから! 私はそういう星の生まれだって諦めているから!」
ブンブン、と大袈裟に手を振りながら、フゥテは私の言葉を遮る。
”でもでも!”
”これだって個性だし!”
”フゥテは裏表がなくていいねーって褒められたこともあるし!”
”……それってもしかしてバカにされてる?”
”いや、そんなことないから!”
”そんなマイナス思考をする必要ないから!”
”ほら!”
”病は気からってよくいうから!”
”リアンちゃんがいるときぐらいは元気にしないと!”
”元気がいちば――”
ゴホゴホ、と鈍い咳が聞こえる。顔をしかめ、苦しそうな表情を見せるフゥテ。
「何かの病気、なのですか」
「えっ、ああ、これ?」
私の言葉に急いで笑顔を取り繕う。
「そうなの。私、病気に罹っちゃったみたい。新型のインフルエンザ? って言っていたかな。他の人に伝染るといけないから、ここで隔離されているんだって」
「それは……」
何かおかしい気がする。そうだとしたら、私に罹ってしまうではないか。私が病気になっても構わないと、そういうことなのだろうか。
「ねっ、リアンちゃんも何かおかしいって、そう思うよね」
フゥテがあどけない表情で私の顔を覗き込む。フゥテの見透かしたような言葉に驚き、ビクリ、と立ち退いてしまう。
「もしかして、フゥテさんも心が読めるんですか?」
「ふっふっふー。気が付いた? そうなの! 私だって心を読まれてばかりじゃないだよ!」
”やった!”
”何となく勘で言ってみたけど当たってた!”
「ああ、なんだ。全然読めてないじゃないですか」
「そんなことないよ!」
そう言って口を窄め、拗ねた顔をするフゥテ。表情がコロコロ変わって面白いなと、素直にそう思ってしまう。博士はどうだろう。私がその表情を見せれば、博士は喜んでくれるだろうか。私のことを面白いと、思ってもらえるだろうか。
「私にも……できるのでしょうか」
「えっ」
私の独り言にぽかんとした表情を浮かべるフゥテ。
失言だった。フゥテに乗せられて、つい、思っていることを口に出してしまった。
”できるって何?”
「いえ、気にしないでください。ただの独り言……ですので」
私は何をしているのだろう。私は彼女の心を読むためにここにいる。彼女の感情を学習することが使命だ。私が心を読まれていては世話がない。それに、彼女のような表情なんて私にはとても――
「できるよ!」
フゥテの声に思考が遮られる。
「なんだかよくわからないけど、リアンちゃんならきっと大丈夫!」
”だって、私にそっくりな女の子でしょう”
”私にできてリアンちゃんにできないなんてことはない!”
「言ってみて! 力になるから!」
「……あなたみたいに」
ああ、何を言おうとしているんだ、私は。
「明るい表情を、浮かべてみたいです」
そんなこと、している場合ではない。私には使命がある。
「笑ってみたいんです」
博士の期待を背くことなんて、あってはならないのに。
「驚いてみたいんです」
もう失敗はできない。そう思っていたはずなのに。
「落ち込んでみたいんです」
羨ましい、と。
「私にも」
この子みたいになってみたい、と。
「できるでしょうか」
そう、思ってしまった。
私の言葉にフゥテは、ぽかん、と呆けた表情を見せる。
……私は、何をやっているのだろう。
フゥテのような表情なんて、できるわけがないのに。ないものねだりをしている子供のようだ。明るい笑顔なんて、私にはとても――
「簡単だよ」
フゥテは私の口元に両指を添え、優しく上に吊り上げる。
「ほら、これで笑って見えるでしょ」
”うんうん、無表情よりもこっちのほうが可愛いね”
”私にそっくりなんだからそれも当然なんだけど!”
”でもまだ表情が硬いかな”
”でもでも!”
”そのうち柔らかくなるよね!”
”自然に笑えるようになるよね!”
「そう言われても……」
私にはよくわからない。自分の姿なんて確認しようがない。私は今どんな顔をしているのだろう。本当に笑顔なんて浮かべているのだろうか。試しに笑顔の自分の顔を想像してみる。はっきりとした輪郭を浮かべることはできないが、想像上の自分は確かに笑っている。なんだか変な気分だ。弱い部分を突かれているみたいでくすぐったい。
そうして思案しているうちに、フゥテは退屈してきたのか、私の頬をこねたり、突いたりして遊び始めた。不平を言おうとするが、ニコニコと笑いかけるフゥテを見ているとその気もなくなってしまった。
”自分にそっくりな顔をいじるのってなんだか楽しい!”
”私もこんな顔をしているのかな?”
”ああ、もっとこんな時間が続けばいいのに”
”ひとりぼっちはもう――”
「そろそろお時間です」
コンジュリアが面会終了時刻を告げる。
「ええー、もうちょっと……」
「駄目です。そういう決まりになっています」
「でも……」
「体調が悪化してはいけません。二人の身のためです」
フゥテがまじまじと私の顔を見る。私もフゥテにつられて彼女の顔を見てしまう。フゥテはどこか疲れた顔をしているように見える。
”リアンちゃん、疲れているみたい”
”話に夢中で気が付かなかった”
”……無理させちゃ駄目だよね”
”また明日もあるんだし”
”ちょっと寂しいけど我慢……だよね”
そっか、と寂しそうにフゥテが呟く。
「わかったよ。……また明日ね! リアンちゃん!」
「ええ、また明日」
「もっと元気よく! 笑顔で!」
「そう言われても……」
人懐っこい笑顔で自分の口元に指を当てるフゥテ。彼女の真似をして笑おうとするも、うまくできていないのかフゥテから文句が出る。
「もう! 全然笑顔じゃない!」
「笑ったことがありませんから」
「んー、じゃあ、練習! 帰ったら練習しておいてね!」
じゃあバイバイ! と勝手なことを言ってフゥテは私達を見送った。