フゥテの手
「おはようございます、リアン」
機械的な音声に呼びかけられて私は目を覚ます。橙色の照明に照らされて、こじんまりとしたベットの上に横たわっている。
気だるさの残る体にムチを打ち、ベットの上から起き上がると、つるつるとした白い体の人型ロボットが不気味なほど大きな目で私の様子を伺っている。
「コンジュリア……」
私はロボットの名前を口にする。人形たちに囲まれていた時から、私たちの世話をしてくれていたロボット。コンジュリアがここにいるということは、彼女たちから隔離された今でも、私の世話をしてくれるということなのだろう。
試しに思考を読み取ろうとしてみるが、やはり効果はない。無機物には読心能力は使えない。分かりきっていることだ。
「この部屋は?」
「あなたに用意された新しい寝室です」
コンジュリアに言われるがまま、私は辺りを見渡してみる。眠気を誘うクリーム色の壁紙を辿っていくと二十四インチの黒いモニターが掛けられているのがわかる。ぱっと見ても、スイッチらしきものが見当たらない。
おそらく、こちらからは操作出来ない仕様になっているのだろう。
その他、目に入るものと言えば、白いワンピースが何着も立て掛けられたハンガーラックと、その隣にある全身が見渡せるほど大きなスタンドミラーぐらいだろう。
どうして、わざわざこんな大きな鏡が置かれているのだろう。フゥテの世話をするのだから、自分で身だしなみに気をつけろという意思表示なのだろうか。
「具合はどうですか」
私は自分の頭を擦ってみる。ほんのりと痛みがするが、この程度なら活動に支障はないだろう。
「大丈夫、問題ありません。それよりも……」
私は記憶を呼び覚ます。フゥテという騒がしい少女に会って、頭痛がして、それから……
そうだ、部屋を出た後、私は倒れ込んだのだ。そして、今、私がここにいる。それは、博士が私を運んだということに他ならない。頭から血の気が引いていく。私はとんでもない失態を晒してしまった。
「博士に会えますか」
髪を揺らしながら、私はコンジュリアに呼びかける。しかし、コンジュリアは私の声に答えることはない。
「私はどうすればいいですか」
早く汚名返上しなければ、と気が急くのが自分でもわかる。なぜだろう、こんなにも焦ることなんて今までなかったはずなのに。博士に名前をつけてもらったせいなのか。フゥテという少女に会ったからなのか。原因はわからない。
ただ、なんとなく、今までになかった経験をしているという自覚がある。私は変わりつつあるのだろうか。
「フゥテに会ってください」
彼女の名前を聞いて、少しドキリとする。じんわりと、頭が熱くなる。昨日の出来事がフラッシュバックしているのか、頭の痛みがぶり返しているような気がする。
「わたしが案内します」
ロボットに導かれ、私は彼女の待つ部屋へと向かう。気持ちが急いているせいか、自分でも早足になっているのがわかる。ロボットが昨日博士の行動と同じように扉を三回叩くと、向こう側から騒がしい声が聞こえてくる。
「あっ、ちょっと待っ――」
フゥテが何か言い終わる前に、コンジュリアは扉を開ける。視界に映るのは白いTシャツを着たフゥテ。下半身には少しだけ白いパンツがちらついている。着替える途中だったのだろう。ベットの上には水色の病衣と指輪のついたネックレスが放り出されていた。
「ひゃっ――!!」
キーン、と甲高い悲鳴がフゥテから上がる。
驚き、興奮、恐怖――
目の前の少女から感情が湧き上がる。
”何!?”
”何が起きたの!?”
”まだ着替えている途中なのに開けられた!”
”やだ、恥ずかしい!”
”こんな姿を他人に見られるなんて、もうお嫁に行けない!”
”いや、待って”
”ここにはロボットと――女の子しかいない!”
”じゃあ、問題ない!”
”それにあの子は――昨日の子!”
”大丈夫だったんだ!”
”よかった!”
”あっ、でも、部屋の片付けを全然してない!”
”やっぱり恥ずかしい!”
うっ、と呻き声を上げてしまう。経験していた分、昨日よりはマシだがまだ慣れない。
「落ち着いてください、フゥテ」
コンジュリアの機械的な声がフゥテを嗜める。
「あっ、えっと……あはは」
フゥテは水色の病衣を手に取ると、身に纏いながら私に声を掛ける。
「リアンちゃん……だよね。大丈夫?」
心配そうに私の目を見るフゥテ。私は痛みからか、いつの間にか自分の頭を抑えていたようだ。
「いや、大丈夫。問題ありません」
ズキン、と頭に痛みが響く。脳に負荷がかかっているのがわかる。しかし、ここで終わるわけにはいかない。なんとしても博士の期待に答えなければ。
「無理しちゃ駄目だよ……」
フゥテは私を気遣うように頭を撫でる。柔らかで温かい感触が髪越しに伝わってくる。彼女の思わぬ行動に、私は動揺してしまう。
「あの、フゥテ……」
「こうするとね、痛くなくなるんだよ」
不思議なことに、頭の痛みが和らいでいる気がする。心地が良いと、そう思ってしまう。
「ほら、言ったとおりでしょ。表情が柔らかくなったよ」
「これは……」
何なのだろう。私は今、何をされているのだろう。こんな感覚、体験したことがない。頭を撫でられている、ただそれだけなのに。やはり、このフゥテという少女には何か特別な力があるのだろうか。
「私もね、頭が痛くなったら、お母さんによくやって貰ってたの」
”まあ、私はこの子のお母さんではないけどね”
”でも、こうやって頭を撫でるの、ちょっと気持ちがいいかも”
”お母さんもこんな気持ちだったのかな”
”お母さん……どうして会いに来てくれないのかな”
”寂しいよ”
フゥテの手がピタリと止まる。寂しい……か。どうやら彼女はここにいる間、母親には会えていないらしい。母親……私にはいるのかどうかすらわからない。ただ、世間一般には大切な存在であることを理解している。彼女も例外ではないらしい。
”お母さん……”
フゥテの手が震える。彼女から悲しみが漏れ出ている。彼女の感情が高ぶっていくのがわかる。良くない傾向だ。このままでは、彼女の思考を受け止めきれなくなるだろう。それでは困る。
博士から彼女と話をしろと言われているのだ。何とかして彼女を宥めないといけない。
頭を撫でることで彼女は母親を思い出している。そして、寂しい思いをしているようだ。だとしたら簡単だ。彼女に頭を撫でさせなければいい。
「フゥテ、もう大丈夫です。大分良くなりました。それにこのままだと子供みたいで恥ずかしいです」
「えっ、あっ、ごめん。いつまでも撫でられていたら恥ずかしいよね」
そう言って、フゥテは慌ただしく自分の手を引っ込める。その手を見て私はちょっと惜しいなと思ってしまう。なぜそう思うのか。自分のことのはずなのによくわからない。
彼女の感情に触れて少しおかしくなってしまっているのかもしれない。