指輪
「ねえ、もうあなた一人だけになっちゃったわね」
リアンは答えない。あまりの痛みに気を失ってしまったようだ。無理もない。致命傷をとなる痛みを、何度も受けてきたのだ。とてもじゃないが、意識など保っていられない。
「……フゥテ、さん」
私は体に残る痛みに耐えながら、必死にフゥテに呼びかける。
「ああ、エス。ごめんなさいね。あなたとの約束、守れなかったわ」
「……もうやめましょう」
「どうして? これが彼女の望みなのに?」
「こんなことをしても、リアンさんは戻ってきませんよ」
「そんなこと、言われなくても分かっているわよ」
ああ、私ではもうフゥテを止められない。このままでは最後のリアンも呆気なく殺されてしまうだろう。私はなんて無力なのだろう。
……でも、彼女ならフゥテを止められるかもしれない。
私は自分の心の中に意識を集中させる。深い、深い、意識の底、ただ一人、寂しそうに佇む彼女にスポットライトを当てる。
「フゥテ!」
私は立ち上がり、彼女の名前を呼ぶ。私の様子が変わったことに気がついたみたいで、フゥテは怪訝な表情を私に向けている。
「あなた……どうしたの?」
「どーしたの、だって? 私は平常運転だよ! フゥテ!」
「その声……あなた、昔の私を――」
フゥテから怒りの感情が噴出している。わかっている。誰だって、昔の自分なんて見たくない。でも、仕方がない。だって、フゥテが……私がこんなにも強情なんだから。
「懐かしいでしょ! 昔のフゥテにも、こんな明るい時代があったんだねえ」
「やめろ!」
「どーして? そんなに恥ずかしいのかな?」
「悪趣味にもほどがある。まるで……まるで、あの子みたいに」
”リアン”
”どうしてあなたは”
”私になりたかったの?”
”違う”
”あなたがなりたかったのは今の私じゃない”
”昔の明るい私だ”
”こんな化け物の私なんて……”
「そーでしょう。昔の私みたいでしょ」
「くそっ! 今すぐこの忌々しいモノマネをやめろ!」
”早く死んでしまえ”
”私の目の前から消えてよ!”
”本当に”
”本当に気持ちが悪い”
フゥテの触手が私の体に絡みつく。腕が締め付けられて激しい痛みが走る。私自身からこんなにも憎悪を向けられるなんて、なんだかとても不思議な気分だ。
今の自分、醜い化け物の自分。そして、その自分を冷静に見つめる私。ああ、確かに醜いな、とそう思えてしまう。
「そんなに今の自分が嫌いなの?」
「当たり前じゃない! こんな真っ黒で、触手の生えた、化け物みたいな姿、誰が好き好んでなるって言うのよ!」
「醜ければフゥテじゃない?」
「そうよ!」
「じゃあ、私がフゥテというわけね」
「……何を言っているのよ」
「だってそうでしょう。私は、あなたと同じ記憶、同じ思考を持っているのよ。それにこの姿」
私はスカートの裾を持ち、一回転してみせる。
「ね、私とあなた、誰がどう見ても、私のほうがフゥテでしょ」
「いい加減にしてよ、エス」
「くどいなあ。今の私はエスじゃない。フゥテなの。信じられない? そうだよねえ、リアン達を偽物だって、言い切ったあなたには理解し難いよねえ」
でもさあ、と私は笑みを浮かべながら話を続ける。
「リアンが昔、私になりきったことがあったでしょ。その時アミはさ、リアンのことをフゥテだって、そう信じてたよ。覚えがあるでしょう」
「……」
化け物の私は、昔の記憶を手繰り寄せ、眉間にシワを寄せる。
「じゃあ、何? 今の私は、化け物の私はフゥテじゃないってそう言いたいわけ?」
「ううん、そうは言ってないよ」
「それじゃあ、何なのよ!」
触手をさらに締め上げてくる。腕と肋骨の骨が軋み、悲鳴を上げている。ああ、体つきは昔の私より華奢な気がする。エスは箱入り娘だから、まあ仕方がない。
「あなたも、フゥテなの」
「も?」
化け物は察しがついたみたいで、少しだけ締め付けを緩めてくれた。
「フゥテが二人存在するって、そう言いたいの」
「流石、私。理解がはやいわ」
「ふざけないで。そんなこと、あり得るわけないじゃない!」
「本物は一人だけ?」
「そうに決まっているじゃない!」
そう、化け物の私からしたら、そう思うのは当然だ。でも、それは間違っている。エスの中に存在する私だからこそ、気づくことができることもある。
「じゃあ、フゥテって何?」
「何の話よ」
「フゥテがフゥテ足り得るために必要なものって何?」
「それは……」
「見た目が違ったら、フゥテじゃない?」
「違う!」
「じゃあ、足が千切れたら? 記憶を失ってしまったら? 友達がいなくなってしまったら? 一体どうなったら、フゥテはフゥテでなくなるのかしら」
「……私のアイデンティティの話?」
「そうよ」
「そんな話をして、私を否定するつもりなの」
「そうじゃないわ。むしろその逆」
「逆?」
「私は、アイデンティティは記憶にあると思っているわ。過去に誰と関わってきて、どんな影響を受けてきたか。その人格形成が、その人自身のアイデンティティだと、そう思うの。その過程で、触手が生えようが、体が黒くなろうが、その人であることには変わりがないのよ」
「だから、あなたもフゥテだって? 随分と都合がいい解釈じゃない」
「私だって、自分の存在を証明することに必死なの。あなたほどではないけど」
「……馬鹿じゃないの。私を知っている人が見たら、あなたのほうがフゥテだって、そう思うに決まっているじゃない。アイデンティティっていうのはね、自分ひとりで決めることじゃない。他の誰かに決められるものなのよ。あなたは私なんだから、それぐらいわかって当然でしょう」
「昔のフゥテを知る人なんて、もうほとんどいないわ。だってもう、四十年も経っているのだから」
「……」
「誰かに認められないと自分が自分だと思えない? でも、それよりも先に、自分のことを認めるべきじゃない?」
「どういうことよ」
「姿が醜いから、自分はフゥテじゃないってそう思ってるでしょ」
「そんなこと……」
「わかるわよ。私はあなたなんだから。でもね、その姿のあなたを認めてくれる人だっているじゃない」
「それは……」
「あなたがするべきことは、今の自分を認めることよ。ただそれだけ、それだけなの」
「……言われたくない」
化け物の私の口から言葉が溢れ出す。
「あなたになんて言われたくない! 昔の私の姿のあなたにだけ! そんなこと言う資格なんてないのよ!」
”ねえ、どうして!”
化け物の私は私の肩に掴みかかる。
「どうしていつも、私の欲しいものは、私の目の前にあるの! すぐ近くにあるのに、どうして手に入らないのよ! 私は、ただ、普通の女の子でいたかっただけなのに!」
あははっ、と真っ黒な私が笑い始める。
「わかる、わかるわ! リアンも、エスも、どうして私の真似なんてしていたのか。私を見て笑っていたんだわ。決して手に入らない幸せを見せびらかせて楽しんでいたのよ! あなたもそうなんでしょう。醜い私を見て、笑っているんでしょう。何? どうしてそんな嫌な顔をしているの? 心の中が読み取られたようで不快だった? あははっ、分かるわよ、あなたの考えていることぐらい。だって、あなたは私なんでしょう? 私の記憶も、思考も、何もかもトレースしているんでしょう。醜くて、汚らしい、化け物の私。ああ、なんて可愛そうなんでしょう。この子は、私が救ってあげなくっちゃ。綺麗になった私が、助けてあげないと」
”あはっ”
”あははははっ”
「なんて、ふざけるな! どうして私はあなたみたいな偽物に同情されないといけないのよ! あなたが本物? そんなわけないじゃない! 本物の私は、ただ一人! ここにいる、私が、私だけが、フゥテなの! どいつもこいつも、私の姿でウロチョロしないでよ!」
フゥテの両手が、私の首に掛かる。そのまま、ぐっ、と力を入れて、私の首を締め付けていく。
「消えろ! 私の前から消えろおおお!」
パチン、とスポットライトが切り替わる。大人しい気な少女に、私の様子をずっと影から見守ってきた少女に、ライトが当たる。
「……何よ」
「これ以上はいけないよ、フゥテ」
そう言って、プシケがフゥテの腕を掴む。
「はっ、私が散々、虐殺するのを黙って見ておいて、今更何のつもりなの? この子はそんなにも特別な存在なの? ああ、そうよねえ。今まで一緒に暮らしてきたんだものねえ。飄々としたあなたにも、愛着ってものがあるかしら」
プシケに邪魔されようが、フゥテは腕の力を緩める気配がない。このままだと……意識が……
「ははっ、何それ? これで邪魔をしているつもりなの? 滑稽だわ! 散々偉そうなことを言っておいて、結局は何もできないのよねえ!」
フゥテが触手で思い切りプシケを強打する。バキリ、と鈍い音を立て、プシケの右腕があらぬ方向へと曲がり、捻じれ、そして、カチャカチャ、と甲高い音を立てながら地面に落ちる。
床に広がるのは、プシケの腕だったものと、銀色の細かな部品、それと黄色がかった透明な液体。それでも、プシケは表情を変えることなく残った左腕でフゥテの腕を掴み続けている。
その異様な光景に油断したのか、フゥテは腕の力を少しだけ緩めてしまう。その隙に私はフゥテの腕を力の限り払い除ける。フゥテから解放された私は、鈍い咳払いを何度か繰り返し、何とか新鮮な空気を取り入れることに成功した。
「何なのよ、これ」
フゥテが唖然とした表情でプシケを見る。しかし、プシケは何も答えない。ただ黙ってフゥテを見つめ続けている。
「あはっ、あはははっ。なんだ、そういうこと!」
動揺していたフゥテだったが、この光景に合点がいったようで、急に笑い声を上げる。
「あなた、ロボットだったのね。どうりで四十年間も見た目が変わらないわけだ! あなたも私と同じ、化け物みたいなものじゃない。ふっ、ふふふっ」
よっぽど可笑しいのだろう、フゥテは笑いが堪えきれないといった様子で、お腹を抱えて蹲っている。
「それで、何? 化け物のあなたが、この子を庇う理由は何なの? まさか、愛情にでも芽生えたって言うの? ロボットが? 心を持たないガラクタが?」
甲高い声を上げながら、フゥテが笑い転げる。
「ああ、可笑しい。そうよねえ、今まで一緒に暮らしてきたものねえ。ロボットだって、感情が芽生えても、可笑しくないわよねえ」
はっ、とフゥテが鼻で笑う。
「馬鹿じゃないの。そんなことあるわけないじゃない。人形の分際で、心なんて、感情なんて、芽生えるわけないじゃない!」
ねえ、エス、とフゥテは私に呼びかける。
「ロボットに心はあると思う? ロボットは人間になれると思う?」
「私は……なれると――」
「なれるわけないわよねえ! 考えても見てよ。あなた、プシケの心が一度でも読めたことあるかしら」
「それは」
「ないわよねえ。当たり前じゃない。鉄の塊が、人間様になれるわけがないのよ。このガラクタはそこに転がっている人形たちと一緒。ただ、人間を模しているだけなの。ああ、可愛そう。こんなにも、必死に人間を演じてきたのにねえ」
「構わない」
「何?」
フゥテの挑発にプシケは涼しい顔で答える。その様子が腹立たしいのだろう。フゥテは笑うのを止め、硬い表情を見せる。
「私は感情がなくても、心がなくてもいい。人間でないと言われても構わない。ただ、使命を果たせるのなら、どんな体でも受け入れられる」
「使命?」
「エスを守ること、ただそれだけさ」
「私を……」
「何を言うかと思えば、下らない……ほんっとうに下らない!」
フゥテは、ぐしゃり、と自分の髪を握り潰す。
「誰かを守ることが使命? そんな偽善に溢れた言葉なんて聞きたくないのよ! そんなオンボロの体じゃ、どうせ誰も守ることなんて出来やしない。私の力に何の抵抗も出来なかったじゃない! もし、エスが死んだら、何? また新しい使命でも見つけるつもりなんでしょう? まるで履き古された靴みたい。使い潰して、また別のものに乗り換えるのでしょう? ああ、素晴らしい生き方なんでしょう! 本当に薄っぺらくて、汚らしくて、反吐が出るわ!」
「君には、大切な人はいないのかい」
「ふざけるな!」
フゥテが目を剥き、怒号を上げる。
「大切な人なんて、皆、みんな、死んでしまったじゃない! 私を置いて、いなくなったじゃない! あなたが知らないわけないでしょう!」
「リアンもその大切な人に入るんじゃないのかい」
「そんなわけ――」
「じゃあ、どうしてその指輪を未だにつけているのさ」
フゥテが自分の左手に目を向ける。プシケの言う通り、フゥテの左手の薬指には銀色の指輪が嵌め込まれている。
「私にとって、リアンは……あの子は、憎むべき存在なの!」
フゥテはその指輪を外そうとする。
「……でも、どうして? なんで、こんなにも寂しいのよ」
しかし、指輪が外れることはない。フゥテの右手はただ優しく指輪を撫で付けるだけだ。
「フゥテ」
私は彼女達に呼びかける。
「リアンから伝言があります」
「何よ……それ」
パチン、と私の心の中のスポットライトを切り替える。フゥテを誰よりも心配していた彼女に意識を譲る。
「お久しぶりです、フゥテ」
”雰囲気が変わった?”
”これはエスじゃない”
”これは……”
「……リアン? あなた、リアンなの?」
「はい。この体を少し間借りさせてもらっています」
”ああ、あの時に”
”リアンの記憶を取り込んだのね”
「フゥテ、私はあなたに対して、許されないことをたくさんしてきました。あなたに憧れることが、あなたを傷つけるなんて、思ってもいなかったんです。本当に、愚かでした。私のことをさぞ、憎んでいることでしょう。それこそ、殺したいぐらいに。だから、私をたくさん用意したのですが、やっぱりどこかズレていたみたいです。どこまでいっても、私はあなたを満足させることができないみたいです。本当に駄目ですね、私は」
「謝らないでよ! 絶対に許すつもりなんて、ないんだから」
「……私は、あなたに憧れていました。コロコロと感情が移り変わるあなたを、とても、羨ましいと、そう思っていました。もし、私があなたみたいになれたら、博士に興味を引いてもらえると、自分は特別な存在になれると、本気でそう思っていたのです。でも……」
私の中のリアンは寂しそうに呟く。
「病気で苦しむあなたを見るたびに、心を覗くたびに、罪悪感に飲まれてきたのです。私はあなたを自らの好奇心のはけ口として利用していただけなのだと、知ってしまったのです。だから、せめてもの償いとして、あなたの助けになろうと、そう思っていたのですが……そのことが余計にあなたを傷つけてしまったみたいですね」
「……それだけ? 罪悪感を感じるから、私を助けたんだって、そう言いたいわけ?」
「……そう思っていました。でも、そうではないみたいです。あなたが病気で苦しむときも、村に戻ったときも、眠ってしまった後も、ずっと、ずっとあなたのことを考えてきました。あなたのことが頭から離れないんです。あなたにもう一度会いたい。話がしたい。触れ合いたい。そう願って仕方がなかったのです。その時、私は気がついてしまったのです」
そして、私は、四十年もの間、ずっと言いたかった言葉を伝える。
「私は、あなたに恋をしてしまったのです」
沈黙が流れる。それはとても短い時間であったはずなのに、私にとっては随分と長い時間のように思えた。
「そう、なんだ……」
フゥテがぎこちない口調で答える。彼女の思考が、答えが、私の頭に入り込んでくる。答えなんて、言われなくても分かってしまう。そもそも、フゥテが目の前にいなくても分かっているのだ。だって、私の中には、フゥテもいるのだから。
「これを彼女にあげてください」
「これは……」
フゥテは手渡された金色の指輪を見つめる。
「エスの中にいる私には必要ないものです」
そして、私は唯一生き残ったリアンのコピーに目を向ける。深く傷ついてしまった私の分身。傷つけられてすっかり心を閉ざしてしまった私。再び心が読めるようになるまで、相当な時間がかかるだろう。もしかすると、もう二度と心が読めなくなってしまったかもしれない。
でも、そのほうが都合がいい。人の心なんて、簡単に読めてしまったらつまらない。彼女には、私には、もっと自分の人生を楽しんでいてほしいのだ。
パチン、とスポットライトが切り替わる。エスに意識を返していく。私の役割はもうおしまい。これで十分だ。
やがて、フゥテは生き残ったリアンを揺り動かした。彼女は眠たげに目を擦り、じっ、とフゥテを見つめていた。
「フゥテ……私は……」
「あなたは殺さないことに決めたの」
「えっ」
心が読めていないリアンは、フゥテの意図がわからず、困惑した表情を見せている。
「あなたは本物のリアンじゃない。だけど、私に罪滅ぼしをしたいんでしょ。だったら好きなだけさせてあげる」
フゥテの言葉にリアンは、ぱっ、と表情が明るくなる。そして、立ち上がろうとすると、足に力が入らないのか、ぺたり、と地面に座り込んでしまう。
「ほら、手を貸して。こんなところで寝ていたら風邪引いちゃうでしょ」
フゥテの手に引かれて、リアンは立ち上がる。
「あの、フゥテ」
リアンが恥ずかしそうに言う。
「私、心が……読めなくなっちゃいました……」
「あら、そう」
「こんな私でも、あなたの役にたてるでしょうか」
「そのほうがいいんじゃない。それに、私はあなたが心が読めるかどうかなんて、どうでもいいし」
「でも、それじゃあ、私、普通の人間以下になってしまいます」
「違う。何もかもズレているわ」
あのね、とフゥテがリアンを諭す。
「あなたはリアンだから意味があるの。例え偽物だとしてもね。ほら、余計なことを考えてないで、早く行くわよ。あなたは私のことだけを考えていればそれでいいの」
「はい、わかりました、フゥテ」
そして二人は、この部屋を後にした。




