老人
「何よ、この人」
フゥテが研究所に着くなり、そう呟く。
研究所の入り口には老人が一人、気力なく座り込んでいる。健康状態がよくないのだろうか。薄汚れた白衣を身に纏った彼は、骨が浮いて見えるほど痩せ細っている。その上、明後日の方向を向きながら、うわ言のように何かを呟いている。
”浮浪者かしら”
”でもどうしてこんなところに?”
”なんだかよくわからないけど、見覚えがあるような”
フゥテが、じっ、と老人を見つめる。老人はそんな目線など気にも止めないようで、ただひたすら虚空を眺め続けている。
「この人のことを知っているんですか? フゥテさん」
「いや、そういうわけじゃ――」
突然、老人が、びくん、と体を揺らし、フゥテの方へと目を向ける。その様子に驚いたフゥテは、二三歩、後退りをして、老人から距離を取る。
「フゥテ?」
”生きて……いたのか?”
老人が小さな声で、目の前の彼女の名前を呼ぶ。
「そうだけど……」
フゥテが怯えた声で答えると、老人は目を見開いて、すがるようにフゥテの方へと近づいていく。
「フゥテ……私のフゥテ!」
老人は嗄れた声を上げながら彼女の名前を叫ぶ。
「お前を孤独にした私を、許してくれ。違うんだ。こんなつもりじゃなかったんだ。私はただ、彼女を救いたかっただけで、それで、私は、私は――」
”彼女のためにどんな犠牲も受け入れることなんて”
”私にはできはしなかった”
”だからせめてお前だけはたった一人、私の手で育ててきた”
”お前だけは幸せに――”
「近寄らないで!」
フゥテは嫌悪感に満ちた声で老人を拒絶する。
「プシケ! この老人を早く何とかして!」
二人の様子を遠目から見ていたプシケにフゥテは救いの手を求める。プシケはその言葉に従ったのか、ゆっくりと老人の方へと近づくと、耳元で一言囁きかける。
「リアンが見てますよ」
今までの狂乱が嘘のように、老人の動きが止まる。そして、体を丸めて、ブルブルと震えだす。
”許してくれリアン”
”私はいつまで贖罪を続けなければならないんだ”
”私にはもう彼女はいない”
”それでも許されないのか”
”教えてくれリアン”
老人から許しを請う声が聞こえてくる。この人は一体、何をしたのだろう。この人は一体、何者なのだろう。
老人の様子にすっかり怯んでしまったフゥテは早足で研究所の中に入っていく。それに続いて、プシケも何事もなかったかのように建物の中へと足を踏み入れていく。
そんな二人を尻目に私はこっそりと、老人に尋ねる。
「あなたの名前を教えて下さい」
縮こまってしまった老人は一言、私に名前を告げる。
『クウル』
私の聞いたことのない名前だった。
研究所の中に入った私達は、プシケに案内されるがまま、後をついて行く。
「見覚えはありますか?」
「……変わってはいるけど、少しはあるかも」
”だいぶ朧気だけど……確かに見たことある”
そう言ってフゥテは忙しげに辺りを見渡し、時折納得した表情を見せる。確かに、フゥテはこの場所に来た覚えがあるようだ。
唐突に、プシケが扉の前で足を止める。通路の突き当り、ハザードマークがついた扉の前。きっと、ここが目的地なのだろう。
「ここに、リアンがいます」
プシケが私達に告げる。
「彼女に会う覚悟は、できていますか?」
「当然よ。そのために来たんだから」
「エスは?」
「私ですか?」
「ここで何があっても、すべてを受け入れる覚悟はしていますか?」
「それは……」
一瞬、言葉に詰まる。それは、事の次第によっては、フゥテがリアンを殺してしまうかもしれない、ということだろう。でも、その答えはもう決めたことだ。それに、そんなことはきっと起こらない。私はフゥテのことを信じている。
「大丈夫です」
プシケの目を見て、私の決意を伝える。彼女は少し微笑んだ後、扉に手をかけ、ゆっくりと開いていった。




