フゥテとの遭遇
一体、どんな人なのだろう。
博士の後を追いながら、これから会う人のことについて考えていた。
人形たちと博士以外の人と会うのは初めてだ。博士は会って話をするだけでいいと言っていた。しかし、何を話せばよいのだろう。尋ねても博士は教えてくれない。男性か女性か、それすらも分からない。
博士に失望されたくない。どうにか役に立たなければならない。そうでなければ、今度こそ私は用済みだ。何か残せるものがあるのなら、私は死んでも構わない。でも、博士の役に立たずに消えていく。それだけは嫌だ。
とりとめのない思考を繰り返しながら、博士と私は先へと進んでいく。カードキーをかざし、鍵のかかった扉を開け、リノリウム張りの廊下を進み、見たことのないマークが書かれている扉を何度も通り過ぎる。じっくり見ていたかったが、博士の歩みが早く、ついていくのに精一杯で、そんな余裕がない。
そして、博士がふいに立ち止まる。立ち止まった先には『三四』と番号が書かれたシャトルドア。ドアの近くには小さな木製の机と、その上に消毒用と書かれたポンプが備え付けてある。ここに目的の人物がいるようだ。博士は扉に向かい、コンコン、と小気味の良い音を鳴らす。
「入ってもいいかね」
博士が尋ねると、慌てた声が返ってくる。
「あっ、ちょっと待って。身だしなみは大丈夫かな。うん、オッケー。完璧! 何か見られてまずいものは……いや、別に何も隠すものなんてないか。でもでも、心の準備ができてないし。ん? 心の準備? そんなもの必要? いいや、いらない! 私にはやましいところなんて何もない。清廉潔白に生きてきた私には、恥ずかしいところなんて一つもない!」
「もういいかね」
「えっ、はい! どうぞ! お騒がせしました!」
扉の向こう側にいる騒がしい声の主の許可を得て、博士は扉を開ける。
病室、なのだろうか。目に映るのは、明るく清潔感のある部屋だ。簡素な木製のクローゼットと化粧台、そして白いベットが置いてある。そのベットの上には水色の病衣を纏った少女が一人、落ち着かない様子でこちらを見つめている。水色の瞳を輝かせ、栗色のショートヘアを揺らす彼女。その胸元には、金色の指輪のついた簡素なネックレスが小刻みに弾んでいる。一般的に見れば、元気の良い、普通の少女であると言える。
ただ、一つ奇妙な点がある。それは、彼女が私にそっくりな顔をしているということだ。
ズキン、と頭に鈍い痛みが襲う。
「博士、彼女は一体――」
「わっ! 私にそっくりな女の子! これってどういうこと! もしかして、これがついこの間話してくれたサプライズ? 私、ついにドッペルゲンガーが見えるようになっちゃったの! ねえねえ、早く説明して!」
少女は前のめりになって、博士を質問攻めにする。
驚き、不思議、恐怖――
彼女の思考を無理に読み取るまでもなく、私の頭の中に流れ込んでいく。
”ねえ、どうして!”
”一体何が起こっているの?”
”世界の不思議?”
”それとも神秘?”
”いや、奇跡よ”
”何らかの奇跡に違いないわ!”
”よくわからないけど!”
彼女の心の声が濁流のよう押し寄せる。こんな経験は初めてだった。博士の思考を読み取ろうとしたときはこんなことはなかったはずなのに……
「博士……私、あたまが……」
頭が痛い。ズキン、ズキン、と針を刺すような鋭い痛みが私を襲う。これ以上の情報量は私の脳が耐えられない。
「フゥテ、ちょっと落ち着いてくれないか。この子が困っている」
「いや! でも! 落ち着いてって言われても! だって、ドッペルゲンガーなんだよ!」
”見たら数日後に死ぬって噂のドッペルゲンガー!”
”もしかして私、もうすぐ死んじゃう?”
”いやいやそんなことないって!”
”ドッペルゲンガーなんてただの噂だし!”
”いやでも、目の前にいるし、やっぱり本当の話?”
”世界には自分にそっくりな人間が二人いるって聞いたことあるし、ドッペルゲンガーみたいな不幸とは限らないわ”
”そっくりな人間に出会えたことがむしろ幸運なのかも!”
”そうに違いないわ、うん、きっとそう!”
”今日はツイてる!”
「フゥテ」
博士が彼女の肩を両手で掴み、抑え込む。
「一度深呼吸してみなさい」
彼女は、小さな胸に手を当て、素直に深呼吸をする。その様子を見て、私も同じように深呼吸してみる。大分落ち着いたのか、先程までの無茶苦茶な思考の奔流は消えさり、今は驚き、といった単純な感情が滲み出るだけだ。
「博士……今のは……」
「後で説明しよう。今は黙って成り行きを見守っていなさい」
はい、と私は素直に引き下がる。少しはマシになったとはいえ、鈍い痛みが未だに頭に残っている。
「大丈夫?」
フゥテと呼ばれる少女は不安げな表情で私の身を案じる。
「彼女のことは心配しなくていい。じきに慣れるはずだ。そんなことより、この子の自己紹介がまだだったね。彼女はリアン。リアンにはこれからフゥテの世話をしてもらう予定だ」
そう言って博士は私に手を向ける。リアン……博士は私のことを確かにそう呼んだ。これからは番号ではなく、リアンという仮の名前で過ごせということなのだろう。
番号呼びでは彼女……フゥテに怪しまれるから、という配慮なのかもしれない。
何を考えているのだろうと博士の思考を読み取ろうとして止めた。今の疲弊した状態ではきっと何も読み取ることはできないだろう。
それにどんな意図にせよ私には決定権はない。
私は言われたことに従うまでだ。
「そうなんだ! よろしく、リアンちゃん!」
フゥテは私の手を握り、ブンブンと振り回す。呆気にとられた私は為す術もなく、彼女の思うがまま振り回される。
「さて、早速話を……と言いたいところだが、リアンがこの状態じゃ無理だろう。また明日にしよう。いいかね、フゥテ」
「聞きたいことがたくさんあるけど、大丈夫! それに、リアンちゃんの体調も心配だし……」
「そうだね。また明日、この時間に話をしよう」
「うん! わかったよ!」
私は博士に促されるまま部屋に出る。バイバイ、と後ろで元気よくフゥテが手を振り、私達を見送る。
「申し訳ありません。博士」
気がつけば謝罪の言葉を口にしていた。私は彼女と話をすることができなかった。博士に言われたことを守れなかった。私の胸のうちに罪悪感が募っていく。
「謝罪はいらない」
博士は素っ気なく私に告げる。分かっている。謝罪など自分の心を許すための免罪符に過ぎない。そういった私の意識を博士は理解しているのだろう。私の考えなど、読心能力がなくともお見通しというわけだ。
「君にはちょっと刺激が強かったかもしれないな」
廊下を歩きながら博士が独り言のように呟く。
「博士、彼女は何者なんですか」
「ん? ああ、そうだな。君にちょっと似ているだけの女の子だよ。本当にどこにでもいる有り触れた子供の内の一人だ」
「彼女の思考が止めどなく流れてきました。あれは一体どういうことなのでしょうか」
私は先程の事象を思い出す。激しい頭の痛み。まるで頭の中に無理やり異物を押し込められているかのようなあの感覚。普通だというにはあまりに異質な体験だった。ちょっと似ているだけなどでは到底説明がつかない。
「そうだな……彼女に会った時、君は頭が痛いと訴えていたな。君の身に何が起こっていたのか、詳細に教えなさい」
私は自分の身に起こったことを博士に話す。博士は何度か頷いた後、私に話しかける。
「思ったとおりだな。君は、彼女が感情豊かな人間だと、そう思うか」
「はい、そうなんだと思います。私は感情というものがあまりよく分かっていませんが」
「そうだな。君たちは感情に乏しい。それは私が意図してそうしたものだから仕方がない」
私の考えでは、と博士が続きを話す。
「読心能力は相手の感情を表に出ているほど効果が高まるのだよ。現に君のような読心能力の劣っている個体であっても、彼女の考えていることが容易に理解できただろう」
博士の言うとおりだ。今までは単語単位でしか相手の思考を読み取ることができなかった。しかし、彼女が相手だと抱いている感情はもちろんのこと思考の流れまではっきりと伝わってきた。これは感情豊かな彼女が特別だというよりも、感情の起伏に乏しい人に囲まれている私の環境が特別なのだろう。
「そこで本題だ。リアン」
博士が私の名前を呼ぶ。番号ではない、私の名前をだ。なんだか奇妙な感覚だ。
「君には感情を学習して欲しい。彼女と話をして感情というのは何であるかを知ってもらいたい」
「私に感情を持てということでしょうか、博士」
「少し違うな。感情を理解するだけでいい。リアンが感情を持つ必要はない。むしろ、そうなってもらうと困る。判断が鈍ってしまう」
「感情を持つと、私が正しい行動を取れなくなるということなのでしょうか」
「……まあ、そうだな」
博士に話をはぐらかされてしまう。無理にでも思考を読み取ろうとするが、疲弊したせいかすぐに頭に靄がかかってしまい、眠気が襲う。
「あの博士……」
「眠たそうだな。続きはまた明日にしよう。今日はゆっくりと休みなさい」
「はい、博士……申し訳……」
その場にいるのも耐えられず、私は床に倒れ込んでしまった。