博士と面談
『五一番、外に出なさい』
突然、ノイズ混じりの音声が天井のスピーカーから流れ出す。
生体ナンバー、五一番。年齢十四才。二の腕にかかる程度の長さの栗色の髪に、水色の瞳、そしてやや細身の身体。他の検体と同様に白いワンピースを着用……これが五一番と呼ばれている、私の検体情報だ。
私はため息を吐き、人形の首から手を離して、解放してやる。その子は苦しそうに咳払いをして、その場に倒れ込む。そして、一息つくと、また他の子たちと同じように、どこか遠くを見つめる。まるで、さっきまで何もなかったかのように。
……いつだってそうだった。
彼女たちは私に興味がない。私が何をしようが、私の話を聞く気がない。皆、人形のように冷たく無口で愛想がない。だから、私にとって、彼女たちは人形なのだ。
『五一番、外に出なさい』
天の声に促され、白い部屋を後にする。その時にも、人形たちはやはり、私には見向きもしなかった。
白い部屋の扉から突き当りまで、まっすぐ伸びたリノリウム張りの廊下の左右には、人形たちの個室が等間隔に設置されている。
個室をいくつも素通りし、廊下の突き当りまでやってくると、面会室と簡素なプレートが貼られた部屋に辿り着く。扉を三回叩くと、入りなさい、という低い声が返ってくる。入室許可を得た私は扉を開け、部屋の中を見渡す。
私の目に映るのは白衣を着た一人の男性。初老を思わせる白髪交じりの短髪に、落ち窪んだ瞳。その仄暗い双眸で、じっ、と私を見つめている。
私を観察するその男こそ、私達の創造主であり、絶対の君主。名はクウルという。私達は彼のことを畏敬の念を込めて博士と呼んでいる。
「五一番、座りなさい」
博士が目配せをした先にはプラスチック製の椅子がある。部屋の中は同じ椅子が二つ、それと鼠色の机が一つ置かれている。それ以外には何もない、非常に簡素な内装だ。
私は指示されたとおり、目の前に用意された椅子に座り込む。そして、博士は私の周りを歩きながら、諭すような声で私に質問をする。
「君がどうして呼ばれたのか、わかるかね」
「人形の首を締めたからでしょうか」
「ああ、それもある。あれはいけない。彼女たちは皆、大事な検体だからね」
「他にも何か理由があるのですか」
「何だと思うかね」
「……いいえ、わかりません」
私が素直に答えると、博士は笑顔を浮かべながら、チッチッチッ、と舌を鳴らす。
「簡単に諦めてはいけない。もっと集中して、私に意識を向けてみなさい」
私は言われたとおりに、博士に意識を向ける。すると曖昧ながらも博士の思考の断片が読み取れる。
不十分、理想、実験……
そういったキーワードが頭に浮かぶ。これ以上の言葉は読み取れない。頭を働かせても、靄がかかったように言葉が消えていってしまう。だが、これだけの情報があれば十分だ。
「不十分……私は廃棄されるのでしょうか」
従順な人形たちとは違う異質な存在。壊れた人形であることは自分が一番理解している。
「廃棄とは少し違う。君を隔離するという点は正しいがね」
「隔離?」
私が疑問符をつけると、博士は目を細める。
「人形は質問などしない。そうだろう?」
興味、検体、因子……
博士の思考の断片が頭に浮かぶ。冷たく突き放す声ではあるが、感情的ではない。
「はい、申し訳ありませんでした。博士」
「謝罪は不要、時間の無駄だ」
「申し訳ありません、博士」
私の言葉に、博士は人差し指で自身のこめかみをコツコツと突き出す。
「……君は他のものよりも劣っていると、そう思っているのかね」
「はい、そのように分析しております」
「その理由は?」
「私の読心能力は他の検体よりも劣っています。博士の理想からいえば不十分なものかと」
私は思考の断片しか読み取れたことがない。他の人形たちはもっと深いところまで読み取れるというのに。
「そのとおり。私が欲しいのは心の読める検体だ。それも高精度なものほどいい。その点からすると君は失敗だな」
「……これから私はどうなるのでしょうか」
捨てられるなら、それで構わない。創造主の役に立つこと。それこそが私達人形の使命。博士の望みを果たせないのなら、これ以上生きていても仕方がない。
私の失意を見透かしているのだろう。博士は口角を上げ、薄い微笑を浮かべながら、私を嘲笑うように見下ろす。
「何、廃棄などしないよ。君はとても興味深い検体だからね」
「興味深い?」
「君はよく質問をする。なぜかね」
「それは……相手の考えることが不明瞭だからです」
私には思考の断片しかわからない。それだけでは足りない。考えていることがわからないのだ。だから私は質問をする。相手の考えを引き出して、自分の持っている情報とすり合わせをする必要がある。
でもそれは、私以外の人形たちには必要のない行為だ。実際、私以外の誰一人として質問をしているところを見たことがない。
質問など能力の足りない出来損ないがする行為である。それは私が一番理解している。
「そうだろう。その点、君は異質な存在とも言える。同時に危険でもある」
「私が危険? なぜですか、博士」
「質問をするということは、相手を知ろうとしているということだ。君は好奇心を持っているとも言える。その好奇心が危険なのだ。分かるかね」
「わかりません、博士」
「答えているばかりではつまらない。自分で考えてみなさい」
博士の言葉に従い、私は博士の思考を探る。
感染、伝播、被害……
キーワードを拾い集め、考えてみる。
感染とは何か。病原体が体の中に侵入し、増殖することだ。ここで言う病原体というのは細菌やウイルスといった物理的なものではない。もっと別の、概念的なものであるだろう。
博士の言葉を思い出す。博士は好奇心を危険だと言った。ということは、好奇心が病原体であると考えられる。そうすると、博士の考える感染というのは、好奇心を持つ、という状態を指すはずだ。つまり、私自身が、好奇心という病原体を持つ感染者というわけだ。
そうなれば、他の伝播、被害の考え方は簡単だ。好奇心を持つ個体が他の個体へ好奇心を伝播させ、被害をもたらす。言い換えると――
「私の持つ好奇心が他の人形たちに伝播し、博士の実験が失敗する、ということでしょうか」
「そうだ。それが君を隔離しなければならない理由だ」
「しかし、博士。彼女たちは私のことを気にかけていないように思えますが」
「君の影響など受けようがないと、そう言いたいのか」
「はい、博士」
人形たちは私の声を聞こうとしない。皆、私を無視していた。私など居ても居なくても同じだと考えているはずなのだ。そんな彼女たちにとって、私の存在が危険だとは思えない。私の好奇心が伝播するなど想像もつかない。
「それは君の読心能力が低いからそう見えているだけに過ぎない。彼女たちは非常に高度な情報交換ネットワークを構築しているんだよ。意識しなくてもお互いの考えていることが分かるのだからね。もちろん、君の考えだって手に取るように分かるはずだ。君が何を考え、どこに向かっているか、そんなこと実際に見なくても分かるのだ。彼女たちが君を無視しているように見えるのは、単にその必要がないからなのだよ。実に合理的だろう」
そうなると、私は彼女たちの世界の構成員としては不十分なのだろう。何せ私はそのネットワークの中に組み込まれていないのだから。
「彼女たちはまだ、何色にも染まっていない、箱入り娘だ。だから、誰かの思想を知ってしまえば簡単に感化されてしまう。君のようなイレギュラーな存在の思想もね」
「好奇心を持たないように努力するべきでしょうか」
私がそう尋ねると、博士は首を振る。
「そういったものは努力して抑え込めるものではない。それよりもだ」
博士は私の肩に、トン、と手を置く。
「君にやってもらいたいことがある」
「やってもらいたいこと?」
「君にしかできないことだよ」
博士が口角を上げ、ニヤリ、と笑う。
私に拒否権などない。博士に言われたことに従う、ただそれだけだ。それが人形の役割。それが私の存在意義。
「会って欲しい人がいる」
「会うだけでいいのですか」
「ああ、構わない。会って、少し話をする。ただそれだけだ。何も難しいことはない」
「その人は何か特別な人なのですか」
「会えば分かる」
喜び、希望、愉快……
そういった感情が博士から滲み出てくる。博士にとってよっぽど楽しいことなのだろう。依然として内容は分からない。しかし、それでいいのだろう。創造主を喜ばせるのが私達人形の役目。主人の喜びこそ私達の喜びなのだから。