彼女のお願い
数日後、博士に用意してもらった衣装が私の部屋に届く。その衣装を身に纏い、急ぎ足でフゥテの元へと向かう。右手に小さな箱を握りしめ、いつものように、トントントン、と扉を叩く。
何の返事もない。寝ているのか、それとも疲れ果てて返事をする気力もないのか。私はどちらでも構わない。扉を開け、そのまま中へと向かう。
部屋の中は静まり返っていた。空調が十分すぎるほど効いており、夏にしては少し肌寒い。そして、部屋の中は死をイメージさせるような、甘ったるい麻酔の匂い満たされている。まるでこの部屋全体が彼女のための棺桶みたいだ。
ベットには横たわった少女の姿が見える。その姿には生気が感じられず、まるで人形が寝かしつけられているように思えた。
「フゥテ」
私が声をかけると、フゥテがゆっくりと起き上がる。
「何なの、それ」
私の衣装を見て、フゥテが枯れた声で呟く。
「これ? ウェディングドレスだよ」
スカートを少し摘み、ひらひらと踊ってみせる。
「私、フゥテのために何ができるか、考えてみたの」
”あなたができることなんて”
「フゥテは家族に会いたがっていたよね。友達もそうだし、それから……好きな人にも」
”……もう、いいのに”
「どうすればフゥテの望みを叶えられるかなって、考えたらね、一つだけ方法があったの」
”……叶える方法?”
「私が、フゥテと結婚すればいいんだって」
フゥテの病気も治せない。家族も友人も連れてくることができない。そんな無力な私にできることはこれしかないと、そう思った。
「だから、私がお嫁さんになってあげる」
右手に持っていた小さな箱を開ける。中には銀色に輝く結婚指輪が入っていた。
「ふっ」
あははっ、とフゥテが笑い始める。
”どうして私が婿役なのよ”
”それに女同士で結婚なんて”
”ああ、おかしい”
ああ、これだ。私が見たかったのはこの顔だ。久しぶりに見た、フゥテの笑顔。最初見たときよりも顔色は悪くなっているが、それを差し引いても、彼女の表情は美しい。
フゥテが、ちょいちょい、と指輪の方へ指を揺らす。どうやら、彼女は私の指輪を受け取ってくれるようだ。私はその指輪をフゥテの薬指へと嵌める。寸法を測ったわけでもないのに、その指輪はピッタリとフゥテの薬指に収まった。
「ねえ、どうして指輪を薬指に嵌めるか、知ってる?」
フゥテは薬指を眺めながら、私に質問をする。
「うん。知ってるよ」
その歴史は古代ギリシャまで遡る。ギリシャでは左手の薬指と心臓が一本の血管で繋がっていると信じられていた。そのことから、薬指に大切な人との繋がりである結婚指輪をつける風習が生まれた、ということらしい。
「馬鹿みたいよね。昔からこんなことが繰り返されてきたなんて。こんなことをしても、何の意味もないのに」
でも、とフゥテは自分の首に下げていた紐をちぎる。
「特別な気持ちには、なるかもね」
そして、その先に付いていた金色の指輪を私の薬指へと嵌め込もうとする。
「いいの?」
「結婚したいんでしょ。だったら、リアンも指輪をつけないと」
”これはあなたにふさわしいものだから”
まるで予め寸法を測っていたかのように、その指輪は私にピッタリと収まった。
「ねえ、最後に一つ、お願いを聞いてくれない」
「最後だなんて……」
「いいから、聞いて」
フゥテが私の言葉を遮る。
「あなたの一番大切な人を、殺して欲しいの」
ピタリ、と時間が止まる。今、フゥテは何と言ったのだろう? あまりにも唐突で、不可解な発言に私の理解が追いつかない。
「あなたの一番大切な人って誰?」
「それは……」
誰だ? フゥテ? それとも博士? 私にはどちらが大切なのだ?
フゥテが私の両手首を掴み、ゆっくりと彼女の首元に近づける。
「ほら、こうやって、首を絞めれば簡単に殺せるわ」
ひやり、と冷たい首筋に私の手が触れる。それはあまりにも儚く、力を加えれば簡単に折れてしまいそうだ。
「止めてください、フゥテさん」
「ほら、口調が元に戻ってるよ」
「私には、できません」
”それって、私が一番ではないってこと?”
「そんなつもりは」
ふふっ、とフゥテは笑う。
「やっぱり、そうなんだ」
”本当に心が読めるんだ”
”あなたはあのとき指輪をくれた”
”私を助けてくれた”
”あの人なんだ”
”こんなにも近くにいて”
”気が付かなかったなんて”
「違います、私は」
「違わないわ。だって、今でも私を助けてくれるんでしょ。あのときの夜みたいに!」
「私は」
「もしかして、私、あなたの一番じゃないの?」
”指輪もくれたのに、全部嘘だったの?”
”すべて茶番だったの?”
「うう」
呻き声が漏れてしまう。違う。私はそんなつもりでは、嘘なんかじゃない。ただ、あなたを喜ばせたくて、それで。
「ほら、力を入れてよ」
フゥテの爪が私の皮膚に食い込む。病人とは思えないほど、強い力だ。
「私が好きなんでしょ!」
どうすればいい。
私は一体……
私は……
指に、ぐっ、と力を入れる。私の指がフゥテの喉にめり込んでいく。
フゥテの呻き声がする。苦しそうな表情にもかかわらず、フゥテは笑っている。見たことのない笑顔だった。
”ああよかった”
”あの人の元で逝けるなら”
”もう何も未練なんて”
呻き声が聞こえる。ううう、と低い声を上げながら、苦しそうな音を部屋に響かせる。
”苦しい”
間違っている。こんなこと間違っている。でも、これがフゥテが望んだこと。私が選んだこと。だったら、続けないといけない。
私の手に、何かが垂れ落ちる。ぽたり、ぽたり、と雫が零れ落ちていく。
何なのだ、これは。私は一体何をしているのだ。私の体に一体何が起こっているのだ。
”……泣いてるの?”
泣いている? 私が? これが、悲しいということなのか?
ああ、何だこの感覚は。胸が張り裂けそうで、視界が曇って、それで、それで。
「―――――!!」
気がついたら、私は叫びだしていた。無理だ。私にはできない。これ以上続けられない。こんな気持ち、私には耐えられない。
ゲホッゲホッ、とフゥテから咳払いの声が聞こえる。
”どうしてやめちゃうの”
「私には、できません」
”私が一番じゃないの?”
「……殺せません」
”私が一番大切じゃないの”
……そうだ、そういうことにしてしまえばいい。私には博士が一番なのだ。そうすれば、私はこの手でフゥテ殺さなくてもすむ。
”嘘つき”
嘘なんてそんな……
”じゃあ、一番の人を殺してよ”
”私のお願いを聞いてよ”
博士を殺す? フゥテの望みを叶えるためには、そうするしか、私には方法がないのか。
”急いでよ”
フゥテが手元にあった果物ナイフを放り投げる。私はそのナイフを広い、フゥテに急かされるがまま、部屋を飛び出す。
どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。
わけもわからないまま、無我夢中で走ると、見覚えのある背中が映る。
博士だ。でもどうしてここに?
「博士!」
私が呼びかけると、博士はゆっくりと振り返ってくる。
走り回って荒い呼吸を整えながら、私は博士に話しかける。
「博士、お願いが」
そう言って、私は手に持った果物ナイフを博士に突きつける。
「何の真似だ」
”早く、早く”
遠く離れているはずなのに、フゥテの心の声が聞こえる。幻聴なのかどうか、今の私にはもう判別がつかない。
「私は、あなたを、殺さないと」
”殺してよ”
ぶるぶる、と手が震える。
「そんなことをして何になる」
「フゥテとの、約束なんです」
”私が一番だって証明してよ”
「その後は」
「えっ」
「その後には何が残るんだ」
博士を殺して、フゥテが死んで。
……残されるのは、私一人?
からん、とナイフが落ちる音がする。
「博士、私、わからないんです」
何をしていいのか。わからない。彼女のためにこんなにも頑張ったのに、それなのに、私は彼女の望みを叶えることができなかった。今はただ、グラグラと視界が揺れているだけだ。
「こんなことなら、彼女に近づかなければよかった。こんなに辛いなら、感情なんて、持たなきゃよかった」
博士の言うことは正しかった。感情を持つほど、彼女に感情移入するほど、胸が痛く、苦しくなるだけだった。
「ねえ、博士。私は一体どうすればいいんですか」
私の顔が涙でぐちゃぐちゃになっていく。もう、私には考える力が残っていない。誰かに縋らないと、生きてなど――
「甘えるな」
ピシャリ、と博士が言い放つ。
「それが人に刃物を向けておいて、言う台詞か」
「博士……」
「リアン、これからのことは自分の力で考えろ。自分が信じたことをするんだ。お前はもう、人形などではない。意志を持った人間なんだ」
「無理です、博士」
博士が私の両肩を掴む。
「お前は私の言うことを無視したな。勝手にフゥテに肩入れして、感情移入して、それがこのザマだ。お前は私がフゥテを殺せと、そう言うのを聞いたな。それは、フゥテに情を移さないためだ。目の前からいなくなる人間に思い入れなど作ってはいけない。惑わされてはいけないんだ」
「ごめん、なさい」
「リアン!」
博士が真っ直ぐに私の瞳を見つめる。
「逃げるんじゃない。何ができるか、何をするべきか、ちゃんと考えるんだ!」
「すべきこと……」
博士やフゥテを殺す以外に、私がするべきこと?
私はフゥテも博士も殺すことができなかった。フゥテの望みを叶えるためなら、殺すべきだったのに。
……つまり、私にとって、フゥテは一番ではないということか。
そうだ。私はあの瞬間に選んでしまった。私の一番大切な人を決めてしまった。
博士だ。私には博士しかいない。
”本当にそれでいいのか”
博士の思考が流れてくる。私はこの人に喜んでほしくて、それで感情を、表情を、手に入れようとしたんだ。でも、博士が必要ないというのなら、私には必要ない。胸が張り裂けそうな思いはもう二度と味わいたくない。
すっ、と頭の中がクリアになっていく。まるでスイッチが切り替わったかのように、高ぶっていた感情が収まっていく。
「博士」
私は最も大切な人に呼びかける。
「フゥテを処分してきます」
博士の望みを叶えること。それが私の存在理由。
「いや、それはもういい。それよりもしてほしいことがある」
博士は私の肩から手を離す。
「笑ってみてくれ」
博士の言う通り、私は笑顔を見せる。ついさっき、フゥテが浮かべていたものだ。今まで自分で感じていたぎこちなさが嘘のように自然に笑いかけることができている。
「そうか、これなら、問題ないな」
博士は一人、納得した表情で頷く。
「リアン、お前にはこれからフゥテとして生きてもらう」
「はい、博士」
「三日後に、お前をフゥテのいた家に送る。そこでフゥテの家族と一緒に生活してもらう。お前が違和感を持たれることなく暮らせるかどうかを見たい……やれるか」
「問題ありません」
「何か質問は」
「ありません」
「そうか」
”変わってしまったな”
博士の声が聞こえる。そう、私は変わってしまった。この一日で運命を決定的に選んでしまったのだ。
「……指示があるまで、部屋で待機していなさい」
そう言って、博士はどこかへ言ってしまった。
それから、数日後、私はフゥテの家族へと引き渡された。泣いて喜ぶフゥテの母親に、私はとびきりの笑顔を見せる。屈託のない笑顔に、あいつらは何の違和感も覚えない。
しかし、と私は考える。あの時、フゥテが浮かべてくれていたような笑顔は、もう私にはできないだろう。
でも、それでいい。
偽りの家族に、本当の笑顔なんて必要ないのだから。




