20-4
矯正ナンバー5、重戦士シャルア。
天使族の冒険者である彼は、顔と声がまるで女性だ。
体も細身で、服装によっては本当に女性と見間違えそうだ。
天使族の特徴は天使の輪と翼だが、彼らはそれを隠す術がある。代わりに絶対に隠せないのが、『聖痕』という光彩の内に浮かび上がる十字架の模様だ。これを隠すには物理的に仮面やゴーグルが必要だが、シャルアは隠す気がないらしい。
天使は謎の多い少数種族で、大抵は人間に紛れてこっそり生活を営んでいる。
シャルアのようなオープンな天使族は天使族の中でも更に珍しい。
「ちなみに男も女もイケるバイだ」
「一言も聞いていない」
「貴方も悪くないが、やはりベビーフェイスの若い男が一番好きかな。少し前にここで指導を受けていたあのノヤマという少年は非常にイイ! あとこの間見かけた奇妙な装束のカエル使いくんもよかったが、欲を言えばもう少し年齢を重ねた方が……ああ、ちなみに女の場合は素直じゃないスレンダーな子に一番燃えるね!」
「だから聞いてないが、一応理解した」
彼にはノヤマの抑止力になって貰おうと密かに決めるハジメであった。
閑話休題。
彼は誰彼構わずナンパを仕掛け、既にギルド職員と関係を持ってしまうなどかなりの問題児らしい。しかもタチの悪い事に本人は複数の人間を同時に愛せるタイプの人らしく、しかも相手が嫌がるなら深追いしないなど妙な潔さもあるので、人間関係そのものに問題を来してはいないようだ。
しかし、職員や依頼者までナンパして関係を持とうとするというのは流石にギルドの沽券に関わるので、これをなんとかして欲しいらしい。
ちなみにちょこっとカマかけをしてみたが、転生者ではなさそうだ。
ハジメはどうしたものかと唸る。
「……性癖の矯正など、ほぼ無理だ。出来るとすれば別の場所で欲望を発散して貰うことだが」
「成程、貴方は慧眼をお持ちのようだ。ギルド職員は我慢しろとかやめろとしか言ってこなかったことを考えると実に建設的。しかぁし!!」
シャルアが両手を広げると同時に背中から純白の翼が開く。
「私は世界を慈しむ愛の使徒!! この燃えさかる情熱は人一人だけで受け止めきれるものじゃないぞ!! 運命の出会いの一つや二つ、或いはその辺の風俗店で発散出来るほどアマくはないのだッ!!」
「そうか。じゃあその辺じゃない所に行こう」
ハジメはこの愛のけだものをどうにかする為に荒療治を決意した。
彼を連れてハジメが向かった先は、行きもしないのに会員登録している『大魔の忍館』。久方ぶりの娼館突入である。当初「もしや私を抱くか、もしくは抱かれたいのかな?」などと言っていたシャルアだが、館を前に突如として興奮しはじめる。
「教官! すごく悪魔の気配がするぞ!?」
「悪魔が経営してるから当たり前だろう。天使族としてその辺はどうなんだ?」
「悪魔とは出会う機会がないため、いつか愛し合いたいと思っていたッ!!」
意外にも乗り気なシャルアはテンション爆上がりだった。
そして中に入ってみると、受付のユマもテンションを爆上げしていた。
「お久しぶりです、ハジメ様! 本日は誰をご指名で!? 私!? 私も裏メニューでイケますよ!?」
「今回はこいつを精魂尽き果てるまで面倒見てやってくれ」
「なんだぁ、ハジメ様ご自身のご用事じゃなかったんですね。でも流石はハジメ様、今度は天使のお客様をお連れするだなんて……♪」
ユマの舌なめずりがやけに艶めかしい。
シャルアもユマの強さを感じたのか臨戦態勢だ。
「今すぐ悪魔族の女性を所望するッ!!」
「今すぐでしたらリルリルちゃんが空いてますよ?」
「よし、その悪魔と愛し合うぞッ!!」
シャルアは即断して悪魔のリルリルが待つ部屋へ意気揚々と向かっていく。その背中を見送るユマがやけに可笑しそうだったのでふと気になって件のリルリルという娼婦のプロフィールに目を落とす。
そこには当然のように世間にはお見せできないドギツイ内容が書いてあった。そして、中でもリルリルという悪魔のものは筋金入りに見えた。
「……俺には想像の及ばない趣味を持っているな」
「そこが癖になるとリピーター続出なんです! それに相手が天使ともなれば、きっとリルリルちゃんも気合いの入りようが違いますよ? ……手加減しそびれるかも」
ぼそっと恐ろしい事を言うユマ。シャルアが壊れてしまったら自分の責任になるだろうか、とハジメは少し彼を呼び止めなかったことを後悔した。
◇ ◆
――それから二時間後、大魔の忍館の休憩室にはハジメと館の主である大悪魔キャロラインが対面してソファに座り、紅茶を手に寛いでいた。
「――という感じで、ウルは少しずつだが積極的に村に関わっているように見える」
「そう、ウルが元気そうで何よりね。それにしても、自称愛の天使の愛を発散しろ、ねぇ……貴方もそうだけど、貴方が連れてくるお客さんも面白い子ばかりね」
「俺は周囲にはくそつまらない男で有名だが」
「通にしか分からない面白さだからじゃない?」
くすくす笑うキャロラインは脚を組み直して紅茶を飲む。
その僅かな時間の所作だけでも並の男なら見惚れるだろう。
紅茶を置いたキャロラインはハジメの顔をのぞき込む。
「前に来たときより、色が出たわね」
「色? 血色か、日焼けか?」
「サキュバスが色と言ったら、情欲の色よ」
自分にそんなものがあるとは思えず首を傾げるハジメに、キャロラインは微笑みかける。
「今のは嘘。でも前に来たときには見えなかった色が宿ってるのは本当。その辺の子供以下の微かで小さな色だけど、貴方の心に根付いて、静かに、小さく周りを染めてる」
「……分からんな」
「分からなくてもいいんじゃない? でも暫くしたらまた来てね。その色、どこまで広がるか気になっちゃうんだもの」
最上位のサキュバスであるキャロラインには、常人には理解出来ない何かが見えるようだ。それが何なのかは分からないが、『また来て』とは困ることを言ってくれる、とハジメは思う。死を待つ人生に、未来の約束ばかりが増えていた。
そんなハジメの悩みを見透かしているかのように、キャロラインはころころ笑った。
と――その休憩室に足を引きずりながら一人の美丈夫が入って来る。
「教、官……」
「戻ってきたか」
そこにいたのは、精魂尽き果てる寸前といった疲労困憊のシャルアだった。頬はこけ、血色は悪い。彼はフラフラ歩くとハジメの横の席に倒れるように座り、キャロラインが差し出したお茶とお菓子を有り難そうに受け取って口にする。
よほど消耗が激しかったのか、お茶は一気飲みでお菓子も大口で頬張る。やっと一息付けたとばかりにため息を漏らしたシャルアは天井を見上げた。
「甘かった……欲望の化身たる悪魔の愛があそこまで深いとは。リルリルの愛の半分も、受け止めきれなかった……」
「そ、そうか」
首筋やはだけた衣服の隙間から見える肌に様々な形の内出血の痕があるのは見なかったことにした。そういう趣味だとは聞いていたが、努めて記憶から追い出す。
「リルリルちゃん、性癖って意味では悪魔内でもキツイ方だものねぇ」
「……そういえば、尋ね忘れていたが貴方は誰ですか?」
「館の主、キャロラインよ。リルリルちゃん相手に初見で2時間コースを耐えきった子を見るのは久しぶりねぇ。口だけじゃないのね、愛の天使さん?」
シャルアはキャロラインを見つめ、はっと表情を絶望的なものに変える。
「ばかな……巧妙に隠しているが、リルリルより遙かに格上のラブエネルギー! 底が見えない……!!」
(なんだラブエネルギーって)
「想像通り面白い子ねぇ。ちなみにリルリルちゃんはうちの店の四大悪魔娼婦の一角。もっと言うと四大の中では一番の新参ね?」
「そんな……あのリルリルちゃんと同格があと3人いて、更にその上がいるというのか……?」
「その4人全員を最長コースで突破するくらいの経験がないと、私の相手は務まらないわよ? 本気で愛すのなら、ね」
「あ、あああぁぁ……!」
シャルアは完全に腰を抜かしている。
世界の広さを知った的なサムシングらしいがハジメは全く共感できていない。
それにしても、さっきからキャロラインもノリノリだな、とハジメは思った。せっかくノリノリで格の違いを教えてくれたことだし、ここはハジメも乗ることにする。
「どうだシャルア、暫くは俺の名で特別にここを使う許可を出して貰えることになった。ここに通えば他所に目移りはしなさそうか?」
「そう、だな……リルリル相手に最後まで愛し抜くには私もそれなりの覚悟と力の温存が必要だ。この愛のパンデモニウム、攻略せずしてなにが愛の使徒か!! 全員愛すまで諦めないぞッ!!」
勝手に盛り上がっているシャルアだが、ハジメはさっきまでのキャロラインの雑談で残酷な真実を知っている。
この店の悪魔娼婦は全員が追い詰められた際の変身を一回残しており、性格や好みも変身後は少し変わるんだそうだ。更には店のトップであるキャロラインに辿り着く前にあの受付のユマが門番として待っているらしい。ユマは四大悪魔娼婦の教育係、つまり悪魔娼婦以上の実力者なのだという。流石は裏メニューを自称するだけのことはあるのだろうか。
と、不意に冷静になったシャルアはハジメの方を見る。
「ところで教官。貴方はここで2時間も待ってくれていたのですか?」
「娼館行きはあくまで俺の私的な指導という扱いだが、それでも指導する立場として勝手に帰る訳にはいかないだろ」
「それはそうですが、私が2時間してる間に教官は楽しまなかったのですか?」
何を楽しんだかは愚問すぎるので敢えて言わないシャルア。
しかし彼の疑問も分からなくはないので一応答える。
「キャロラインにせがまれて彼女の一時間コースを受けた。娼館としてはお茶を飲んで帰るだけの客は流石に困ると言われてな」
「そもそも普段全く利用しないのも快くなくってよ?」
ぷう、と頬を膨らませるキャロラインだが、その幼さを感じる反応も彼女がやるとまた違った魅力が滲み出る。確かにサービスを提供する店に来ておいて顔だけ出してサービスを受けないのは迷惑だろうから、ハジメも仕方なく付き合った。
すると、シャルアは何故か信じられないものを見るように目を剥いた。
「どうした」
「私が一度で受け止めきれずにこんなにボロボロになった相手より遙かに格上の悪魔に一時間絞られて、なんでそんなに元気なんですか……?」
彼の疑問にキャロラインがつやつやした顔で答える。
「そりゃあもう。夜のバトルでも最強だもの、この人。私も興奮しちゃって結構本気出したけど、ほんと手強いのよねぇ……」
「嫌な言い方するな。唯でさえまたフェオに嫌味を言われそうなのに」
フェオの耳には、ハジメが女――シャルアは一見して男には見えないから――を連れて娼館に突入したと伝わるだろう。確実に拗ねられる気がするのだが、別に望んで利用してる訳じゃないことだけは分かって欲しいハジメである。
シャルアはというと、感激したように全身を震わせながらハジメの脚に縋り付いてくる。
「せっ、先生!! 私に夜の戦いを生き抜く知恵をお授けくださいッ!!」
「俺が夜のことで教えられるのは危険地帯での就寝時の魔物対策と夜行軍の注意点だけだ。先生と呼ぶことも許可しない」
「そんな!! 敬意を込めて先生と呼ばせてくださいよぉ!!」
「ダメだ」
とりあえず翌日からシャルアは夜の戦いに備えて誰彼構わず口説かなくなったが、代わりにことあるごとに先生と呼んでくるようになり、頭痛の種が増えたハジメだった。




