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モノアイマンの一族は、元々冷遇されている種族なだけあって相応にはお金に困っていたらしい。なので子供の教育には一等厳しく、サンドラはそんな中であのドジさなので冷遇されていたようだ。
しかし、その冷遇されていたサンドラが王国でもトップクラスの総資産を保有する超絶金持ちを恋人として家族に紹介したのだから、これはもう結婚の既成事実を作るために囲い込むしかない、ということで集落丸ごとグルになってしまったようだ。
後に話を知ったホームレス賢者が「誘拐婚みたいなノリやめい。いやあれは元々は駆け落ち文化だったのが曲解されただけだけどさ」と言うほどの強引っぷりである。
というわけで、豪勢なご馳走を前に新郎新婦と化した二人は困っていた。
「何故こんなことに……」
思わずごちるが、誰もその言葉を聞いてはいない。
サンドラもまた、まさか見栄っ張りの自慢で連れてきたハジメとその日のうちに結婚に持ち込まれるとは思っていなかったようだ。まるで夢にまどろんでいるように現実感のないぽやっとした視線で盛り上がる周囲を見つめている。
それはそれとして料理はちゃっかり食べているけれども。
「もぐもぐもぐ……この料理、お持ち帰りOKですかね」
「現実から逃避するな」
今までのサンドラならこの段階に辿り着く前に何か大失敗をやらかして式を台無しにしそうなものだが、ぽやっとしているのが幸いしてか、或いは村人全員がサンドラのやらかしを知った上で行動したためか、何事も起きていない。
一方のハジメは、やはり嘘など貫くべきではなかったという思いと、それでも今更嘘でしたとばらすのは今度こそサンドラの生きる自信にトドメを刺してしまうからネタばらしも出来ないという板挟みに陥っていた。
(嘘の恋で引くに引けない事態になるとは、漫画でありそうな展開だな……)
そして二人ともこの状況を脱するきっかけを得られないまま式は進み、ついに決定的に引き返せない所まで来てしまう。
「は、ハジメさんフェオちゃんベニザクラさんその他大勢の関係者のみなさんごめんなさいぃぃぃ……わ、私だって、こんなことになるだなんておもわなかったんですよぅ……」
「おれだってこんな展開聞いてない」
「では、新郎新婦よ。これからの夫婦としての門出を踏み出す為に、誓いの接吻を」
司会進行役に言われてしまい、二人は向かい合う。
サンドラはしかし、ここで完全に抵抗を諦めた。
(フェオさんに怒られるかな、ベニザクラさんに嫌われるかな、ハジメさんも流石に許してくれないかな……でも……でも……わたし、このタイミングを逃したら二度とお嫁さんになれない気がする……それに……)
この広い世界の中で、誰にでも嫌われる才能を持った魅力なきモノアイマンの娘を許し、受け入れてくれる男、ハジメ。彼のことを好きか嫌いかと言われれば、サンドラは好きである。彼と一緒にいたいし、撫でてくれる手の温かさを感じる度、またその手に触れて欲しくなる。
この人が運命の人だったのだと言われれば、サンドラには何の抵抗もなかった。
もちろん終わったら謝る。
でも、この人の為に一生を使うのなら。
それは、きっと今までの人生で一度もなかったくらいに――。
一方のハジメには、もう正否という問題を越えた次元の出来事に対し、どう受け止めれば良いのか何も分からなくなっていた。
これでサンドラの方がやはり出来ない、無理だと拒絶してくれれば、恥をしのんでこの状況を覆す選択肢もあった。しかし、サンドラは結婚相手はハジメでいいと思っている。
ハジメはサンドラの面倒臭いところをよく見てきたので分かる。
彼女は自分に正直で、本気で嫌なら空気を一切読まず嫌と言うのだ。
すなわち、彼女は今、この結婚を心の中で了承している。
サンドラの家族たちが豪華な料理をガツガツ食べながらこちらを見ている。
いや、この大事なときくらいナイフとフォーク置けよ感はあるが、ともかくこれで我が家は安泰だと言わんばかりに二人の接吻を今か今かと待ち望んでいる。
(そういえば、俺も人生のうちで結婚などという真人間みたいなイベントの主役になるとは思わなかったな……俺みたいなので、サンドラはいいと思ってるんだな……)
今までの人生で、一度もなかったし、あるとも思っていなかった状況。
気付けばハジメはサンドラに顔を近づけていた。
(これがお嫁さん……俺の……)
嘘から生まれたあり得ない奇跡。
病的な自己評価の低さを持つハジメは、その魅力に惹かれていく。
やがて、二人の唇が触れるか触れないかという距離まで来た刹那――ドォォォンッ!! と、凄まじい轟音と共に結婚式場入り口が弾け飛んだ。ハジメは咄嗟にサンドラを胸に抱いて庇うが、サンドラはハジメと密着する形になり異常事態そっちのけでドキドキが止まらなくなっていた。
(ぴえええええええええ!! なにこれなにこれなにこれ!?)
キスの準備でさえ刺激の強かったサンドラだが、今回新郎のハジメの服はモノアイマン伝統の胸元が多めに露出したデザインであり、いまサンドラはハジメの胸板に直に顔が触れていた。
ハジメとしてはそんなことを考えている場合ではないのだが、サンドラはハジメの肌の感触と匂いによって頭の中で電気が弾けるような感覚に襲われる。直接ハジメと肌を触れ合わせるという未経験の刺激がサンドラの脳から体へと駆け巡る。
(や、やば……! なにもかんがえられな……いいつけ、まもれな……)
彼女の桃色脳細胞は、異性との肌と肌のふれあいにより情報処理許容量を超過しつつあった。
そんな彼女の異変に気付かず、ハジメは精一杯彼女を庇いながら突然の異常事態に目を懲らす。
「魔物か……?」
『フゥゥゥゥ……』
もうもうと立ち上る土煙の中から、巨体が体を起こす。
そこに居たのは、巨大な猿の魔物。
背中に長い棒を背負ったそれは、魔物にしては珍しく赤や金を基調とした鎧に身を纏う。逞しい筋肉とサイズからしてそれがタダの雑兵でないことは確実で、強い意志を湛えた両眼がハジメの方を睨んで叫ぶ。
『我が名は武王ハヌマン!! 強さの求道者!! 魔王軍より情報提供を受け、貴様と武の頂点を競う為の戦いに参った!!』
(こいつ、軍団に所属しない雇われ魔王軍か)
魔王軍は必ずしも全ての魔物が軍団所属という訳ではない。あのハヌマンのように群れる意志がなく強力な力を持った者は、個々にスカウトされて戦闘に投入されることがあるのだ。
モノアイマンの村長らしい人物が慌ててハヌマンを追ってきたモノアイマンの里の自警団員の肩を掴んで揺さぶる。
「魔物の侵入を許すとは、見張りは何をしておったのだ!!」
「あわわ、それがあのサルめは凄まじい跳躍力で、櫓さえも飛び越えてしまったんです!!」
「なんじゃと!? ええい、せっかくの結婚式でご馳走をゆっくり食べられる筈じゃったのに!!」
「そんな理由かよクソ村長!? 俺らだって結婚式に参加してご馳走食べたかったわ!!」
どうもモノアイマンのメンタリティは若干クズ……もとい、少々自己中心的な面が目立つようである。何人かの自警団員が果敢に弓や魔法で攻撃するが、ハヌマンが鬱陶しそうに腕を振ると風圧で全員吹き飛ばされた。
風で吹き飛んだ仲間より巻き添えで宙を舞う料理を見て「ああ!?」とか「勿体ない!!」とか叫んでいる辺りが実になんとも言えない。実際、飛ばされた人々は大した怪我はないようだが。
『無粋な弱者は見物でもしているがよい』
(あれは恐らく風属性の格闘スキル、『風天』か? 本気で放てば彼らを殺せる可能性もあった筈だが)
『不思議がることはない。強さの求道者が弱い者虐めをしても詮方なかろう』
人間を見下す魔物の中にあって、これほどの武人気質は珍しい。
しかも人間の格闘スキルも覚えているとは大した努力家らしい。
ハヌマンはハジメとサンドラを指さす。
『弟子とも呼べぬ同胞だが、それでも貴様らの倒したバラナンは同郷の者。それを正面から打ち倒したおぬしらには相応の実力があると見た!』
「報復ではなく、あくまで実力を確かめたいと? なら場所を移して欲しいものだがな」
『弱者は勝手に逃げれば良いだけよ!! さて、人間の戦士らよ。このハヌマンをバラナン達と同格だと思うなよ? この拳、受ければ上位魔物とて骨を砕き臓腑を破壊する!!』
腰を落とし、片腕の拳を前に出して武術の心得を感じる構えを取るハヌマンに、ハジメは言うだけのことはありそうだと目を細める。
見立てが正しければ、ハヌマンの実力は準幹部クラスには確実に届いている。しかも、さっきから攻撃対象にサンドラも含まれている口ぶりだ。
(確かに彼女もバラナンを倒していたが、見逃しては……くれなそうだな。自分の価値観で完結しているタイプだ。弱い者虐めはしないが、戦いに巻き込まれるのはどうでもいいというわけか)
彼女が相手にするには荷が重すぎるが、逃がすために動いた瞬間ハヌマンは攻撃してくるだろう。嘘とはいえ花嫁を粗略に扱うことは出来ず、なんとしても守らねばとサンドラを抱きしめる手に微かに力が籠る。
――このとき、サンドラがやけに静かであることをもう少し訝かしがるべきであったが、ハジメは別の懸念で頭がいっぱいだった為に見落とした。




