18-1 転生おじさん、大怪盗と共闘する
グロラゴ火山での一件から数日後――フェオの村にて。
「じゃじゃーん! 温泉ですよー!!」
フェオが指した先にあったのは、転生者組も見覚えのある温泉施設だった。
転生者組と忍者たちは一斉に手を振り上げてイエーイ! と叫び、温泉に馴染みのない組はぽかんとしている。ハジメは、これを企んでいたのかと感心する。
「煉焦輝石は常に熱を発し続ける石だから、それを利用した給湯設備で浴場を作ったのか」
「そうなんです! それに煉焦輝石から僅かに溶け出る成分は温泉のそれと同じなので、これはちゃんとした効能のある温泉水になってるんですよ!」
ちなみに建物の設計はアマリリス、温泉はフェオ、施設内の道具や風呂上がりの休憩部屋にある設備はショージの制作だ。わざわざ牛乳瓶入りの冷蔵庫やうちわ、卓球台なども置いてあるが、生憎この世界に卓球はないので大半の村民がルールを分からないだろう。
温泉施設の説明を聞き、クリストフ医師が感心する。
「これまで村におけるお風呂は各々が沸かしていましたが、これからは気軽に入れるということですか。しかも効能まであるとはありがたいですね。患者さんにもお勧めできますし、宿に本格的に人が来るようになったら更に人気が出そうです」
これは一人暮らしの冒険者なんかには特にありがたいだろう。
仕事を終えて戻ってきた際の風呂沸かしはなかなか面倒なのだ。
ちなみにこの温熱を利用した野菜蒸しや温泉卵などを作れないか、ショージを中心に研究を進めるとのことである。ただ、ショージは基本的な料理は作れてもそこから更に発想を飛ばすような料理が作れないらしく、「異世界シェフ来て居酒屋開かねぇかなー」などと訳の分からないことを呟いていた。
ともあれ、温泉と聞いて喜んでいる人や、実際に温泉に足などをつけてみて驚いたり興味を持つ人々を見て、フェオは満足そうだった。皆の喜ぶ姿が見たくて彼女も頑張ったのだろう。
やはりフェオが元気だと村の活気が違う。そして、そんなフェオを落ち込ませないようにしろと村民女子達に要求され、いよいよ死にづらくなってきたハジメであった。
――その日の夜、早速村人はこぞって温泉に殺到した。
クオンやフェオたちは女湯へ。
ハジメ達は当然男湯へ。
混浴の予定も男湯と女湯が入れ替わる予定もない。
唯一、ダークエルフ姉弟の姉の方であるヤーニーのみ子供特権を振りかざして弟と共にクリストフと一緒に男湯へ入っているが、そこはまぁ子供なので大目に見る。ちなみに番頭は臨時でメイド型人形のカルパが務めることになった。
なお、温泉のマナー指導はNINJA旅団が務めており、実は温泉に入ったことのないハジメはライカゲ直々に「村の代表格のお前が最も厳格であれ」と手解きを受けた。中身アメリカ人の忍者に風呂の指南をされるとは新鮮な経験である。
岩を加工して作られた本格的な湯船に浸かると、体中に血流が行き巡り、心地よい暖かさに包まれる。冒険中に秘湯の類を見たことはあるが、面倒で一度も利用したことはなかったため、こんなにも普通の風呂と違うとは思わなかった。
先に隣で湯に浸かっていたライカゲ――珍しく歌舞伎みたいなメイクを落として彫りの深い顔立ちが露になっている――が話しかけてくる。
「どうだ、人生初の温泉は」
「……風呂をこんなに心地よく感じたのは初めてだ」
「であろう。拙者も初めて日本に行った際には常連の老人にこっぴどく入浴ルールを叱られてな。やっと浸かった風呂場の湯のなんと心地が良いことかと思ったものだ」
「そんな苦労話を聞くのは初めてだな」
「する機会がなかったろう」
確かに、互いに生前の日本での個人的な事情など話した覚えがない。それに、ハジメの人生など他人からすれば聞いて楽しくもなければ薬にもならない類だ。ライカゲのことも、元は忍者好きのアメリカ人だということ以外は何も知らない。
「……なぁ、ハジメよ」
「なんだ」
「拙者はおぬしが死ぬ所など想像が付かん。忍者の高みに漸く手をかけた今でも、幾ら戦っても倒せる気がせぬ。負ける気もせぬがな」
「事実、ほぼ互角だからな」
「ああ。だからハジメ。お前は死なないでいる時の人生設計も少しは考えておけ。どう死ぬかとどう生きるか。その二つには、お前が思っている程の差はないのだからな」
ライカゲはそれだけ言い残し、先に風呂を上がっていった。
後ろでは、別の男連中の話し声が聞こえる。
「おいショージ、おめーアマリリスちゃんとよく一緒にいんだろ。どうなんだよそっちの方はよぉー」
「可愛い。物わかりも良い。テンションも合う。でもなんかアマリリスちゃん男をあしらうの慣れてる感というか、いいように使われてる感がなくもない……俺を裏切らねぇのはプラネアたんだけよ。てかブンゴ。そういうお前は新パーティ入れたのかよ」
「聞くな」
「あぁ……(察し)」
「こないだなんかもう男の仲間で良いやって話しかけた相手が冒険者じゃなくてハズかった上にそいつクソ可愛い彼女いてマジもう……マジ……てかあの女の子なんだったんだよ! 鑑定スキル使ったら分類が刀剣だったんだけど!! これがホントの刀剣女子ですかァ! それなら俺の愛剣もある日目覚めたら女の子で良くないですかァ!」
相変わらずな二人にイスラが呆れる。
「ちょっと、大声で正気を疑うようなトンチキ発言しないでくださいよブンゴさん」
「うるせぇイスラコノヤロウ!! マトフェイちゃんに愛されてるだけでなく、新しく村に来たウルちゃん様専属使用人のマオマオちゃんにアツい視線注がれてるの知らないとでも思ってんのか!!」
「いやマトフェイとはそんな関係じゃないって前から言ってるでしょ! それにマオマオさんに関しては開口一番『私を斬首してください!』とか頼んできてちょっと怖いんですよ!!」
「なにそれ怖ぁ」
「怖ぁ」
「なんで僕から引いてるんですかッ!! そうやって人をからかう失礼な人間性のせいでモテないんじゃないんですか!?」
「カッチーン! 言ったなこの野郎表出ろや!!」
「プッツーン! イケメンに言われるとイライラ三倍だぜクソがぁ!!」
いつの間に仲良くなったのか、ショージとブンゴは縁遠そうな聖職者イスラに同級生みたいなノリで絡んでいる。他にも村に最近入ってきた面々や、意外な人物同士が会話に華を咲かせたりしている。
周囲の会話に耳を傾けていると、女湯でも随分楽しそうな声が響いていた。
『ベニザクラさん、手をお貸ししますよ』
『ああ、ありがとうフェオ。流石に義手のままでは入れないからな。ふぅ……』
『ウルちゃん、どう思いますかベニさんの体』
『いやもう肌の美しさがヤバイ。お尻のラインの美しさとかもう芸術的っていうか』
『いや人のこと褒めてるけど二人ともスタイル抜群すぎてもう私のような貧相な体のモノアイマンは女として最低限の魅力すらなくて死にたいって言うか溺死しますぶくぶくぶくぶくぶく……』
『そんなこと気にするでないわ。300年くらい前に会った男がおぬしのような奴のことを『きしょーかち』と言うて、それも男が愛でる対象じゃと言っておった。神獣が言うんじゃから間違いない!』
『風呂場で騒がしいのは本来NGにゃんだけど……まぁいいっかにゃー』
『ねぇフェオねーちゃん、クオンこんどはママと一緒にオンセン入りたい! お姉ちゃんも一緒に入る?』
『えっ、えーっと、そのぅ……』
「……あちらもなかなかに混沌としているな」
話の内容は気にしないことにして、気を更に緩める。
散財目的で買っただけの別荘予定地が、随分賑やかになったものだ、と内心ごちる。あの時フェオに出会っていなければ、今頃自分は何をしていただろう。あの日以来の経験が今までの人生の中で最も濃密であるようにさえ感じる。
(……俺は変わってしまったんだろうか)
言い知れぬ心地よさの中で、ハジメは自分以外に答えの出せない問いを胸に抱く。
「いやぁ、アンタもそんな顔して湯船に浸かったりすんのね」
「……?」
気がつくと、隣に見慣れない男が湯船に浸かってこちらを見ていた。記憶の糸を手繰り、ハジメはその男が村の人間ではないが、ずっと以前に出会ったことのある男だと気付く。
嘗て、ハジメが賞金首を捕まえる依頼で唯一捕縛に失敗した男。
細身ながら筋肉質で、人を食ったような笑みを浮かべるその男は、髪から僅かに雫を垂らしながらニッと笑った。
「ごきげんよう、死神。最後に会ったの一昨年だっけ?」
その男、神出鬼没。
その男、正体不明。
シャイナ王国だけでなく先進各国を股にかけ、財に取り憑かれ私腹を肥やす悪徳貴族や商人の屋敷に入りこんではとびきりの金品を奪い、それを売り払った金を低所得者層に配って回る。ある者は彼を稀代の大悪党と呼び、またある者は勇者に救えない人間を光で照らす英雄と言った。
侵入出来ぬ警備無し、開けられぬ金庫もまた然り。
不殺主義、大胆不敵、快刀乱麻の快男児。
人呼んで――。
「義賊、怪盗ダン……」
「死んだ魚みたいな目だったアンタが最近息を吹き返したって聞いてね。どう最近?」
「……悪くは、ないかもな」
余りにも予想だにしない男の出現に、ハジメは珍しく驚いた。
フェオの村、初の賞金首襲来……されど特に何も盗まれず。
◇ ◆
怪盗ダンとの遭遇は数年前に遡る。
当時、ハジメはギルドから賞金首の捕縛依頼を頻繁に請けていた。
ハジメ自身は報酬の旨さ故に逆に乗り気ではなかったが、その頃のハジメの『悪い噂』はピークに近く、ギルドも稼ぎ頭冒険者のイメージ払拭に躍起だったのだろう。その間、ハジメは十数名の賞金首を捕縛した。
大半が「自分は悪いことはしていない」と主張しながらどう見ても悪いことをしている日本人転生者の男で美男ばかりだったときは、流石のハジメも呆れたものだ。神は一体どんな基準で人をこの世界に送り込んでいるのか謎である。
しかもこの転生者たちが揃いも揃って超童顔、アルビノ、オッドアイなどの、今や増えすぎて逆に没個性的特徴を持った美形だらけ。罪状は殆どが契約違反、詐欺、恫喝、傷害に殺人。ちなみに全員が転生特典を持っていたが、残念な事にハジメを殺せる相手はいなかった。
虚空から複数の武器を取り出して攻撃してくる相手は、普通に発射前に本体を倒したらそのまま終わってしまった。
超天才魔法使いもいたが、魔法も物理もきっちり鍛えて経験を積んでいたハジメからすればそこまで手強くはなかった。
相手の目を見ただけで洗脳出来るとかいう邪眼の持ち主は手配書の顔が不明で手こずったが、地道な捜査の末に特定して狙撃で仕留めた。
単純に全てにおいて天才というシンプルな才能の持ち主もいたが、根回しなどの地味な追い詰めを繰り返すと意外とすぐに根を上げた。
犯罪者化した転生者の思考はシンプルだ。
楽して楽しく過ごしたい。
或いは、前世の鬱憤を晴らしたい。
逆を言えば忍耐力がなく、他人からの搾取に依存する。
忍耐力が無いので長期戦に弱く、他人から吸い上げることばかり考えているので他の手段による生き方が出来ない。能力の強さとプライドの高さから自己研鑽を怠るのも定番中の定番だ。何故なら彼らは楽をしたいから苦労のある道を選ばない。よって、一側面で無敵に見えても探してみれば大抵どこかに全くの無防備を晒す点がある。
なお、狡猾に潜伏するタイプの転生者はライカゲが仕留めていたらしい。どの時代にも転生者を取り締まる転生者がいるのも神の差配なのだろうか。
ともあれ、如実に結果を出すハジメに気を良くしたギルドは、ある依頼を持ち込んできた。それが、怪盗ダンによる犯行を阻止することだ。
依頼主は海千山千のシャイナ王国議会議員。
表だって悪事は働いていないが、犯罪にならない程度に私服を肥やし、立件されないラインで悪事に荷担してきた悪徳の徒だ。
ハジメはこの依頼をしくじった。
無論、依頼人が正しくないとはいえベストは尽くした。
しかし、ハジメを以てしてこの怪盗ダンという男は捕えられず、惜しくも逃してしまった。この失敗をきっかけにハジメは指名手配犯を追う仕事から長らく干された。ハジメ自身は実力不足による失敗と思っていたが、周囲が「追跡相手に手心を加えたのではないか」という憶測をばら撒いたのと、ギルドが欲を出しすぎたことを反省したのもそれを後押しした。
ダンは義賊であり、隠れ支持者は多い。
そのため、世間もこのニュースにあまり目くじらを立てなかった。
以来、ダンは交友こそないが、強くハジメの記憶に残る男になり、幾度か偶発的に遭遇することもあった。
ダンは不思議な雰囲気の男だ。
今こうして目の前に立っていても、捕まえなければという思いは湧かない。こういうのを快男児とでも呼ぶのかもしれない。
件のダンはリラックスした様子で肩を軽く回す。
「いい村だな、ここ。古き良きご近所付き合いってカンジ?」
風呂上がりのほてりを冷ましながら、フルーツ牛乳の瓶を片手に月夜を見上げるハジメとダン。彼の方から会いに来るとは思わなかったハジメは、来訪の理由を尋ねる。
「何しに来たんだ。娘はやれんぞ」
「ロリコンじゃねーっての」
大仰に呆れたポーズを取ったダンは牛乳瓶の中身を呷り、ぷはっと息を吐く。
「いや、こういうの漫画とかでしか見たことないから美味そうだなと思ってたんだけど、俺やっぱフルーツと牛乳は分離して飲みたいわ」
「一応消費者の意見として伝えておこう。というかその発言、お前も転生者か」
「そういうそっちもだろ? だからこそ通じるものもあるかと思って、頼み事に来たんだ」
ダンは飲みかけの牛乳瓶を近くのベンチに置き、にやっと笑う。
「今回は珍しく世界の秩序を維持するための盗みでな。流石に一人じゃ分が悪いんで仲間を募ってる。お前にもそこに加わって欲しいんだが……どうよ?」




