17-5 fin
大精霊サラマンディス、という存在がいる。
大精霊はサラマンディスの自称だが、サラマンディス自体は炎を司る高位の精霊として学者に認識されている。実は以前魔王軍に在籍していたクイーンメイブも元は精霊だったのが昔の魔王の力で悪に染まったんだったりするが、それはさておく。
大抵、精霊とは自然の代弁者として存在し、人間の味方寄りの存在だ。
しかし、時折異様に強い自我を持って自ら動き出す存在が居る。
サラマンディスはそういう精霊だった。
炎の精霊らしくエネルギッシュで荒々しいサラマンディスには野望があった。
それは、究極の力を手に入れて神獣になるというものだ。
精霊が神に並ぶ存在である神獣になれるのか。
その問いに、世の殆どの賢者が否と言うだろう。
神獣とは、生まれながらにして神の如き獣だからだ。
サラマンディスはその実質不可能の壁を壊そうとする猛者、ないし愚者だった。
無論、何の公算もなかった訳ではない。
彼が司る炎の力を前例がないほど極限まで高めれば、或いは精霊のくびきを越えられるかもしれない。誰もしたことがないからこそ、そこには可能性がある。
しかしその野望にはいくつかの困難があった。
まず、サラマンディスが集められるのは自然界のマナの中で炎の属性を帯びたもののみであること。次に、サラマンディスは火属性のマナが集中する火山周辺でしか活動できないこと。最後に、無計画に火山からマナを吸い上げては自然界のバランスが崩れ、他の精霊や神にその不均衡を是正されてしまうことだ。
これらの問題を解決するために、サラマンディスは自然界のバランスが崩れないよう少しずつ、ほんの少しずつ力を蓄え続けててきた。その時間、実に数千年。精霊は人間とは時間の感覚が違う。何か外的な要因で害されない限りは100年も1000年も大差無い。
サラマンディスは周囲に貼られた『気位の高い精霊』というレッテルを利用して人間とのあらゆる契約を断り、魔王に『うぬは力が欲しくないか?』と問われても突っぱねてきた。神に叛意を疑われないため、そしていつか魔王をも自力で打倒し、神獣に相応しい存在であることを示すためだ。
そんなサラマンディスはあと2000年ほどは力を蓄える予定だった。
しかし、その計画は予想外の要因によってブレイクスルーし、今やサラマンディスの体に渦巻く力はあらゆる精霊を凌駕している。その原因にサラマンディスは即座に気付いた。
(あの娘だ! あの竜人の娘の流した涙に籠る莫大なエネルギー!)
サラマンディスは歓喜した。
どういう存在か知らないが、あの娘の涙にはそれこそ人間の言う『奇跡』に類することを起こすだけのエネルギーが籠っている。あの娘を利用すれば、計画以上の力を手に入れる事が出来る。
サラマンディスは考える――あの竜人の娘を泣かせる方法を。
有毒ガスの類は効きそうにない。
人を涙させる話などサラマンディスには語れない。
となると――。
(死による喪失……)
トカゲ一匹の死でああも大泣きした娘だ。
近しい人間が死ねば、確実にもっと泣くとサラマンディスは見た。
娘を直接害することも考えたが、力加減の苦手なサラマンディスでは殺してしまう恐れがある。あの力が死体からも吸収できるとは限らない。特定の条件を満たすことで力を発揮する異能者であったなら、力を得られない。
(ならば……相応しき贄は……)
娘と共にいる男――は、難しい。
あれは魔王に匹敵する『気配』を感じる。
いま手を出すのは時期尚早だ。
意識を研ぎ澄ませ、火山内の全ての人の声を拾う。
すると、三つの弱い気配に意識が向く。
『クオンちゃん、遠くに行ってないといいけど……てゆーかアマリリスさん、本当にこっちで合ってます?』
『あってるあってる。このショージから没収……もとい、譲り受けた『逢瀬のコンパス』に間違いはないって! そのときその人が一番会いたい人の方角を指し示す上に上下の高低差も反映されるんだから。どっかの航海士が持ってそうな形だけど』
『アマリリスちゃん、それ通じないから』
三つとも、娘と共にいる男には酷く見劣りする気配だ。
クオンという名からして、娘の関係者に違いない。
三人もいるとは都合が良い、とサラマンディスはほくそ笑む。
力加減を間違えて消し炭にしても、あと1回失敗する余裕がある。
『それに、せっかく得た力も試したいことだし……な』
サラマンディスは自らに渦巻く莫大な力を収束し、実体として顕現する。
マグマを纏い、マグマの中から姿を現したサラマンディスは己の威容に感嘆の声を漏らした。明らかに今まで顕現したときとは違う、滾るようなマナ。数千年待ち望み、あと二千年かかる筈だった力は、サラマンディスの体を雄々しき勇姿へと変貌させていた。
これこそ、まさに炎の化身のあるべき姿だ。
『さぁ、まずは――最後尾にいる娘から試すとしよう!!』
三人のうち、エルフの娘は最も娘と親しそうなので残す。
コンパスを持つ一際弱い女別の意味で利用出来るかも知れない。
最後尾の一人は他二人より一回り程度は強いようなので、力試しにはいいとサラマンディスは考えた。
一気にマグマからせり出して炎の化身たる巨体を晒すと、三人が驚きの声をあげた。
「うえっ!? 何あれ、見たこともない魔物……? 違う、この魔力の質はもっと格上の……!」
「ちょっとウソ、あいつ強い! しかも、なんか私たちを狙ってない……!?」
怯えるエルフと弱い女。
しかし、狙っていた最後尾の女の反応は違った。女は微塵の動揺も見せず、聞き分けのない子供に辟易するようにため息を吐く。その態度がサラマンディスの目には思い上がりに映った。
「はー、誰だか知らないけど今ちょっと良いところなんで帰って貰えます?」
「ちょ、ウルちゃん!?」
『不遜。そして愚昧……この大精霊サラマンディスの威容と力をその肌に感じておいて、交渉をしようとでも言う気か? 下等生物にそんなことをする筈がなかろう!! 貴様らは我の野望の糧になって貰――』
「ああ、そういう手合いで」
瞬間、サラマンディスには存在しない筈の身の毛がよだつような魔力が彼女の掌に収束する。深淵の如く、太陽の如く、深く、濃密に練り固められたその力は、まるで嘗て打倒せんと夢見たあの――魔王のような。
――サラマンディスは二つ間違いを犯した。
まず、トリプルブイの鎧のせいでクオンが桁外れの神獣であることに気付けなかったこと。
そしてもう一つは――。
「じゃ、ひっぱたくけど文句ないよね?」
自分が第一に狙いを定めたその女性が、現役にして歴代最強の魔王であるのを隠していたことである。
魔界時代の方が人生で長かったウルにとって、こういう力こそ全て系の馬鹿はよく見る手合いだった。今はペットのぽちをしているオルトロスも昔はそうだったし、家柄を馬鹿にしてくる同級生も基本的には『血統に依る魔力の格』を違いに掲げていた。
しかし普段から無駄な魔力を抑え、更に今は人間のふりをするために余計に『強さ』の概念を隠匿しているウルの強さを勘違いする輩の行き着く先など決まり切っている。
五月蠅い相手はぶん殴って実力を見せるに限る。
それが魔界クオリティだ。
『お、おのれ! 小癪にも力を隠していたとは! 何をする気か知らぬがやらせんぞぉ!!』
サラマンディスが両腕を前方に突き出すと、その腕の周囲に無数の超高熱の弾丸が形成され、念じるや否や一斉発射される。
「一発一発が貴様ら脆弱な命を骨の髄まで焼き尽くす破壊力!! 存分に逃げ惑い、無様な断末魔を捧げよ!!」
「能書き長いって」
ウルはそれを見るや手に収束させた魔力を前方の空間に絵の具でも塗るように展開する。すると、それは3人を守る何重もの氷の壁となった。
「アイスリアクティブ!」
『馬鹿め!! この精霊王の超高熱、氷程度で防げるか!!』
撃ち込んだ超高熱の弾丸を前に、氷は砕け散る。
サラマンディスは勝利を確信し、次の瞬間に驚愕した。
『我が獄炎が氷ごときを貫けないだとッ!?』
彼は自分の弾丸がそのまま氷を無惨に融解させ、貫通すると思っていた。しかし命中した弾丸は全てウルの魔法を前に無力化されていた。アイスリアクティブは敢えて砕けることで敵の攻撃の威力を大幅に減退させる魔法なのだ。
更に、この魔法は最終的に砕けた破片が敵に返っていく性質を持っている。ウルは空中で回転しながらサラマンディスに狙いを定める氷の破片たちに更に魔法を付与する。
「アイシクルファランクス!」
本来これは虚空から大量の氷柱を生み出して雨霰と相手にぶつける魔法だが、実はこの魔法は周囲に雪や砕けた氷が大量にあると、それを呑み込んで更に威力を増大させるコンボが存在する。
アイスリアクティブのカウンター攻撃の効果がより上位の魔法であるアイシクルファランクスで上書きされ、サラマンディスの超高熱弾が霞んで見える夥しい氷柱が凶器となって解き放たれる。
サラマンディスは炎を前方に収束させてこれを防ごうとするが、氷柱は命中するたびに込められた魔力が爆ぜてバギャギャギャギャギャッ!! と、爆発する。言うなればそれは極低温の爆弾であり、余りにも苛烈な攻めに押し込まれていく。
『ぬおおおおおお!? そんな馬鹿な……漸く力を得たのに、斯様な小娘に圧されているというのかッ!?』
べらべらと喋っている彼は気付いていない。
いつの間にか、空中に浮かぶサラマンディスまで続く氷の道が出来ており、ウルがその氷を滑って急速に自らに接近していることを。
「相手は火だからえっと……氷より水のがいいか。魔力ステータスバフ、筋力バフ、確定クリティカルバフ、ガードブレイクバフ、そして水属性バフの五重エンチャントかけてっと」
ウルは慣れた作業とばかりに詠唱すらせず五つのバフを自らに重ねる。
ちなみに確定クリティカルバフは本来なら魔王の加護なしには得られないくらい稀少なスキルだが、現行魔王であるウルは当然使えるし、なんなら転生特典で潜在能力が高まりすぎて魔王になる前から使うことが出来た。
この世界でクリティカルは目に見えない概念だが確かに存在する。殴る場合はプロボクサーが稀に放つような最高のパンチが、魔法の場合は通常計算しえないような全ての条件が理想的に重なった最高効率の一撃が命中する。いわゆる会心の一撃だ。
更に、ウルは得意のパーソナルスキル『魔拳』を使う。
魔拳は、本来魔法詠唱によって発動する魔法の効果を全て拳に籠めてしまうというスキルで、詠唱したり狙ったりするのが面倒臭いと思った彼女が独学で編み出したものだ。
初めて披露したときはあのいけ好かない家庭教師が腰を抜かして驚いてたなぁ、と過去を回顧する余裕さえあるウルは、詠唱すらせず魔法を手に籠める。この詠唱無視も『魔拳』の利点の一つだ。
「籠める魔法は水属性で、カタストロフ・ストリームでいっか」
水属性最上位魔法の一つを『今日はこのコーデにしよ』みたいなノリでセット。ウルの掌に魔力の燐光が纏わり付く。
遅まきながらウルの接近に気付いたサラマンディスが動揺するが、すぐに嗜虐的な笑みに変わる。
『いつの間に!? いや、自ら接近するとは愚かな!! 人間如きがこの大精霊サラマンディス様の猛る獄炎に触れることの意味を教えてくれるわぁッ!!』
サラマンディスの全身から爆発的な高熱が迸る。
一瞬で周囲を灰燼に帰す、火山の噴火にも等しい圧倒的熱量だ。常人であれば近づいただけで焼死するだろう。己の熱量を豪語する炎の化身は、大精霊と呼ぶに相応しいだけの力を発揮していた。
しかし、ウルはそんなことはお構いなしに眼前に迫る熱に向けて己の平手を放つ。
――さて、手のひらに籠められた魔法である『魔拳』は、手から魔法を発射するのとは訳が違う。魔法が発動した状態で、しかし発射されずに手を包んでいるのだ。つまり、この状態でビンタを食らうとどうなるか。
「ぶっ飛びなさいッ!!」
瞬間、平手に超圧縮された膨大な水が爆発的な奔流となってサラマンディスを目掛けて噴出した。
『なっ、こんな量と威力の水がどこかヅボブバベボロロロロロロロロロロロロォォォーーーーーーッッ!!?』
万物を呑み込む壮烈な濁流を叩き付けられたサラマンディスは抵抗も許されずに全身を消火されながら吹き飛び、壁に激突。その後も無情に押し寄せる水魔法を浴び続け、三秒で完全に蒸発して果てた。
まさに一撃必殺。
余りにも呆気ない結末だった。
――魔法が相手とゼロ距離、しかも手に圧縮されている分、普通にやるより密度の増した破壊力で爆裂させる。これが『魔拳』というパーソナルスキルの恐ろしさである。
しかもこの攻撃には筋力と魔法の威力が足し算された威力計算が行われるので威力は更にドン。バフも各種対応しているので上手く重ねれば更にドン。加えてウルのクリティカル確定というインチキバフによってトドメのドン。ちなみに両手を使う場合はもう一回遊べるドンという酷すぎる壊れスキルと化している。
付け加えるなら相手へのデバフ、及び格闘スキルも重ね掛けするともっと悲惨なことになるのだが、ウルは基本手心を加えるためビンタで済ませている。逆を言えば『魔拳』は拳でなくともビンタで十分すぎるほど強いのだ。
おかげでウルは、人生におけるだいたいの戦いをビンタ一撃で沈めてきた。
ついでに言うと『魔拳』の連打とは別に口で魔法詠唱も出来るので、右ビンタ、左ビンタ、魔法攻撃の三連コンボもできる。相手が死ぬのでやらないだけだ。
魔王軍は彼女を、歴代最強の魔王と呼んだ。
そりゃ無理矢理魔王に任命される訳である。
ウルは何事もなかったかのように手をぱんぱん、と叩いて振り返る。
「見た目の割に根性ない敵だったね。ぽちのが強かったんじゃないかな?」
(いやいやウルさんや。結構強いとか自信ありげに言ってたけど、結構ってどういう意味かちゃんと調べた? 今の絶対レベル50以上あったよ? 下手したら魔王軍幹部クラスだよ?)
(杖もなしにこの威力!? ウルさんってもしかして……争いから逃げてきたんじゃなくて、逆に強すぎて……)
「?」
ウルは二人の反応に首をかしげる。
彼女は基本常識人の筈なのに、自分の実力に関しては凄まじい無頓着ぶりを発揮する部分的ド天然であった。
……ちなみにサラマンディスについてだが、一応精霊は完全に力を失っても拠り所のパワースポットがあれば再生する。しかし、今の一撃でサラマンディスが貯め込んだ力は全部パァになった。
しかも精霊は一度消滅してから復活すると、人格も一からやり直しになる。
そのうち復活するサラマンディスは自分の野望をすっかり忘れているだろう。
哀れなりサラマンディス。
――その後、フェオとクオンたちは無事合流して互いに謝り合い、仲直りの印に二人で煉焦輝石を採取した。運の良いことにサラマンディスが撃破された際に霧散したエネルギーによって周囲の壁が特殊素材だらけに変化していたので、予想以上に上質なアイテムが採取できた。
張り切って採取するクオンとアドバイスをするフェオは、親子というより年の離れた姉妹のようであった。
「クオン、初めての冒険はどうだった?」
「冒険をするにはきちんとした知識と覚悟が必要だと思いました! くおーんっ!」
「うふふ、クオンちゃんってば将来有望ですね。お父……もとい、お母さんの教育がいいとか?」
「きっと俺だけじゃないさ」
ハジメとフェオ、二人の手を握るクオン。
三人は、後ろで尊いものを見る目なアマリリス及びウルと共に、短い冒険の帰路に就く。
ところで、何故フェオはこの煉焦輝石が欲しかったのか?
その答えが明らかになるのは、もう少し先の話である。
勇者瞬殺出来るのに何が「むりぃ……」だよこの魔王は。
緩めに評価、感想をお待ちしております。




