17-4
フェオが友達になれた二人の前で涙を流しているその頃、ハジメは全力疾走していた。
「目を離した隙に宿を抜け出すとは迂闊だった……クオン!!」
つい先ほどクオン用の食事を持って彼女にあてがわれた部屋に向かったハジメは、そこがもぬけの殻になっていることと窓が開いていること、そして探知に辛うじて引っかかった遠ざかる気配によって全てを察した。
隣の部屋からフェオの泣き声が微かに聞こえ、これが原因か、とハジメは予想した。
(元々優しい子だ。自分のせいでフェオが泣いてると思って責任を感じたのかもしれん)
ハジメはすぐさま部屋のメモ帳に「クオンと少し出かける」と走り書きし、自らも窓から宿の外に飛び出した。フェオに今、これ以上負担はかけられない。このままクオンを連れ戻すしかない。
「方角は中級の火山洞窟……この速度は空を飛んでいるな。俺の声は聞こえている筈だが……クオン、戻ってくるんだ!!」
先ほどの探知を当てにして走っているが、一向に探知範囲にクオンが入らない。ステータス的にクオンの方が上だからだ。しかし、それでもハジメはレベル100越えの冒険者。既に杖を抜いて自らの移動速度にバフをかけ、その速度差は僅差になっている。もしどこかの洞窟に入るか方向転換したらその分の時間ロスで必ず自分の探知に引っかかるはずだ。
このまま海に抜けていったら『少々』厄介だ――と、子供特有の行動力を懸念したハジメだったが、クオンは速度を緩めて探知範囲に引っかかる。位置的にやはり今日の昼に入った中級洞窟だ。
彼女が何を思ってそこに入ったのかは不明だが、これで追いつける。
ハジメは速度を緩めず一気に洞窟に駆ける。
途中、低レベルの魔物が数体出現する。
「ガルルルルッ!!」
「キキィッ!」
ハジメはめんどくさいのでそのまま直進し、魔物をその身で跳ね殺す。
「ハギャッフ!?」
「ショガベッ!?」
魔物たちはきりもみしながら全身が曲がってはいけない方向に曲がり、絶命していく。
圧倒的ステータスのなせる技か、全力疾走するハジメの突進力はチャリオット以上であり並大抵の魔物では触れることすら叶わない。まさに人間機関車である。
しかし、ハジメはふと思う。これから魔物を殺されてショックを受けた子供を連れ戻そうとするのに、自分が平然と魔物を殺害しているという矛盾は如何なものか。
(子供に『何故人を殺してはいけないのか』と聞かれた時に大人が即答できなかった、なんて話が元の世界で前にあったらしいな……)
クオンにここに来るまで魔物を殺したのは何故かと聞かれたら、めんどくさかったからと答える。こんな人間に命の価値を教えられてクオンは納得出来るだろうか。いやそもそも子供のクオンに大人の理屈を説いて納得して貰えるだろうか。大人ですら事実を直視しようとしない者は珍しくもないというのに。
無理に納得させるのが大人なのか。
それとも自分なりの答えを教えるのが大人なのか。
様々な事を考えながら洞窟に突入して数分。
意外にも、クオンの足は洞窟内のある場所で止まっていた。
「んんん……っ、ぐぐぐぐぐ……っ」
そこには、刃を潰したクオン用ソードを構えてマグマワーム――砂漠に出るサンドワームの色違いさんで、炎に極度の耐性がある――と睨み合うクオンがいた。下唇を噛んで全力で唸っているクオンから発される全力の気迫にマグマワームは明らかに及び腰だ。ワームに腰はないが。
やがて、意を決したクオンがクオンソードを振りかざした瞬間、マグマワームは恐れをなして地面に潜り、逃げ出した。ふー、ふー、と鼻から息を吐いて剣を振り下ろそうとしたクオンだったが、その覚悟も無駄になったようだ。
「クオン」
声をかけると、クオンの背中がびくっと跳ねる。
恐る恐る振り返るクオンは、なんとも複雑な表情をしていた。
「ママ……」
「勝手に宿を飛び出してたから、心配した」
「……クオン、帰らない!」
言いつけに逆らう為に精一杯虚勢を張るように、クオンは震える声でそう言い放った。今、クオンにはハジメには分からないことを考えている。
「分かった、なら俺も帰らない」
「……」
「……話をしよう、クオン。なんで帰らないのか、俺は知りたいな」
「……」
出来るだけ優しく話しかけると、クオンはうつむき、頷いた。
洞窟の中に丁度座るのによいスペースがあったため、氷属性のフィールド魔法で熱を中和し、そこで簡単な夕食にする。と言ってもあるのは水と非常用食料の干し肉なのでクオンにしたら美味しくないかもしれない。
クオンは食べたことのない堅さの肉に一瞬顔をしかめたが、強靱な顎であっさり噛み千切った。
お腹に物が入り少し気が緩んだためか、クオンはまた体操座りしながらぽつぽつと語る。
「魔物はやっつけるもの……それくらいクオン知ってるもん。冒険者が魔物を倒すのくらい……絵本にだって描いてあった」
「そうだな。みんなそうだとは限らないが、だいたいの魔物は人を襲ってくる。だから魔物に殺されてしまわないよう、冒険者はみな魔物を倒す」
「だから、クオンがきっと悪いんだ……悪口言って、フェオお姉ちゃんを泣かせた……だから、魔物くらい倒せるようになってやるんだ。それが冒険者なんだ……」
決意表明のような言い方だが、その表情はどこまでも浮かない。理屈でそうだと自分に言い聞かせているだけで、本当は納得していない――そういう顔だった。
ハジメは少し考え、クオンに問いかける。
「本当にクオンが悪いのか?」
「え……?」
「今までクオンは魔物を倒さなくても森を散歩できていたんだろ?」
「そう……だけど。でも冒険者は悪い魔物をやっつけるんでしょ?」
「クリスタルリザードは誰にも迷惑をかけてなかった。あの子は悪い魔物だったのか?」
「だってフェオお姉ちゃんが殺しちゃったから……」
「フェオが間違えちゃっただけかもしれないぞ? 悪い魔物とそうでない魔物を見分けるのは難しいことだ」
百害あって一利なしの魔物は確かにいる。しかし、テイムという形で人に懐いたり、或いは魔物ではあるけど何も悪さをしない種もまた存在する。それに、ある人からすれば悪くても、ある人からすれば良い魔物もいなくはない。
「俺はここに来る途中、何体かの魔物を倒した。俺からすれば放っておいてもいい魔物だ。でも冒険者ではない人がその魔物たちに襲われたら、大けがを負うかもしれない。とはいえ、魔物を全部倒して回ってたら俺は時間が足りなくた家に帰れなくなってしまう。とても困る」
「家に帰ってこな……だ、ダメ! これ以上帰ってこないなんて絶対にやだ!」
「そうだな。俺も困る。だから魔物なら何でも倒して回れば良いって訳じゃない。それに人間だって悪さをする。悪魔が良いことをすることもある。その違いは簡単には見分けられない」
クオンはその辺りの理屈を飛ばして、魔物を倒すことで一気に答えに辿り着こうとしたのだろう。フェオの基準に自分が合わせれば良いと彼女は考えたのだ。
しかし、無理矢理の納得はいつか綻ぶ。
たとえ答えの出ない問題だとしても、いま逃げに入ってはいけない気がする。
「命は難しい。クオンが毎日食べているご飯だって、どこかの生き物を犠牲にして得る糧だ。その生き物たちも沢山の小さな生き物を食べることで生きてる」
「クオンには、分からない。食べなくても生きていけるからかな?」
「どうかな。でも分かってることは一つあるぞ。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』、だ」
「それってどういう意味なの?」
「俺が昔住んでいた場所に伝わってた諺でな。やり足りないことは良くないけど、やり過ぎるのも良くないからほどほどが一番だってことだ」
ハジメはクオンの脇を掴んで持ち上げ、目線を合わせる。
「クオンもフェオも泣かないで済むような、丁度いいやり方を探そう。そのために一度帰ろう。な?」
「でも……」
「クオンとフェオが喧嘩してたら悲しい。皆もな。それとも、まだフェオのことが許せないか?」
「そういう言い方はイジワルだと思う!」
皆を引き合いに出したのがお気に召さなかったか、クオンはぷくっと頬を膨らませて遺憾の意を表明した。それでもイヤとは言わないのは、自分でも仲直りしたい気持ちがあるからだ。
「ちゃんと話し合って考えよう。俺も一緒に考える」
「……ん」
完全には納得していなかったが、多少溜飲は下がったのか、クオンは頷いた。
帰り道、とことこと歩くクオンに歩幅を合わせて歩く。
こんな無言の道のりは、初めて町に行ったときにクオンがいじけて以来だ。今はそれが懐かしいことのように思える。
と、クオンが不意に顔を上げた。
「ねぇ、ママ」
「なんだ?」
「ママって、死にたいから仕事をやめないんだよね」
「……そうだな」
「それってさ、クオンたちのことを置いてまで『死にたい』をやりすぎる事じゃない?」
「うっ」
見事に足を掬われる発言にハジメは呻く。
なにせかまってやる時間の少ない娘から直々のご指摘だ。
もう仕事をしなくとも一生暮らしていける金のあるハジメは分が悪い。
見事に反撃に成功したクオンはにまー、と満面の笑みを浮かべる。
「ママのこともフェオおねーちゃんと一緒にきっちり話し合おうね!」
「なんでそこでフェオが出てくるんだ?」
「フェオおねーちゃんはママに生きてて欲しいのに、そのことを考えなさすぎだから!」
(しまった、クオンにとても便利な言葉を教えてしまった……)
これはクオンが飽きるまで延々とこの論法で論破されるかもしれない。
正直者過ぎる自分にとって、模範的な親であり続けることの難しさを改めて痛感させられるハジメママであった。




