3-1 転生おじさん、ペットを買う
ハジメに俗人的な欲望というものはない。
食事はあくまで体の健康を保つためのものでしかなく、女性の美醜の判断に性欲は絡まず、睡眠欲さえ乏しい。あくなき強さへの渇望がある訳でも、夢がある訳でも、信仰心に溢れている訳でもない。
しかし、冒険者をしていると欲望と無縁であっても欲の渦巻く場所に行く機会は生まれてしまう。その代表が、酒場である。
大人の冒険者はその多くが仕事を終えると酒場で杯を交わし、料理を平らげ、その日の成果やうわさ話、儲け話に花を咲かせる。必然的に、冒険者のトレンド情報も酒場に集まる。ハジメとしては前世では成人する前に死亡した為、最初の頃は多少酒に対する興味があった。
飲んでみた結果は、こんなものか、だ。
特に美味しくも感じないし、嵌ることもなかった。
それでも酒場で得られる噂話などは貴重な情報源であり、知らずにいると何かと話に乗り遅れやすくなる。故にハジメは飲みたい訳でもない酒を飲みに酒場へ定期的に赴く。
ところで、世間で死神呼ばわりされるハジメが酒場に来るとだいたい場の空気が悪くなる。なにせ陰気臭くてキナ臭い男が仏頂面で酒と料理を嗜んでいる訳だから、一緒に飲みたくないのが普通の感覚だろう。
悪酔いして絡んでくる相手もいたが、ハジメはそれらを相手にしたことはない。何故なら喧嘩をすれば店に迷惑がかかるからだ。そして外に出て喧嘩したとしても、相手に怪我をさせるのはハジメにとって本意ではない。
そこでハジメは相手を怪我させず、店に迷惑もかからない平和的方法にて常に相手を返り討ちにしてきた。それが酒場の定番、酒合戦である。闘飲ないし酒戦とも呼び、現代日本では時代錯誤も甚だしいただの集団飲み比べも、この世界ではよくあることだ。
不思議な事に、これに勝利して酒に強いことをアピールすると、周囲はそれほどハジメの陰気臭さを気にしなくなる。妙な話だが、この過程を経ることでハジメはやっと酒場の客の一人として認められるのだ。大体の酒場において同じルールが通用する。
ハジメが今日向かうのは、そうした経緯を経て行き付けと呼べる関係になった酒場である。この酒場の常連たちはハジメが入ってきてもぴたりと会話を止めたりしないし、わざとらしい嫌味や嫌がらせもしてこない。
(暫く来ていなかったな……)
土地関連のことや引っ越しなどで顔を見せていなかったが、入ってみるといつもの常連がカウンターで酒を酌み交わし、愉快そうにお喋りをしていた。数名がハジメの入店に気付き、声をかける。
「よう死神のあんちゃん! 久しぶりだな、元気してたか?」
「自分でうんざりする程元気だ」
「何してたんだよ。噂じゃ詐欺に引っかかって辺鄙な土地買ったって聞いたぜ?」
「とんでもない。いい買い物だった」
「ぎゃははははは! そーかいそーかいそいつぁ良かった!!」
当たり障りもなく、特に続ける気もない会話を適当に振って、彼等は彼等の話に戻る。ハジメのつまらない話を聞きたい人はそうおらず、ハジメも特に喋りたかったり会話に加わりたいことは余りない。
いつもの席に座ると、いつもの料理が自然と出される。
「はいよ、いつもの。今日の酒は一本100万Gだが構わんよな?」
「ああ。もっと高いのでもいいぞ」
「はははは、言うねぇ。流石は高給取りだ」
店主が出すのは大盛の大猪肉煮込み、ポテトフライ、そして店主お勧めのワイン一本。
最初に店に来た時に「一番高い肉料理と、一番高い酒一本。あとつまむもの」と酒場知識に乏しい男がいい加減に注文した結果出てきたセットである。大猪肉は店主拘りの品でもあり、酒場で出すために一定以上の大きさの大猪の魔物を討伐依頼にかけている徹底っぷりだ。
事実、この大猪肉の煮込みは美味い。
ハジメ自身は美味いという事に特別な喜びは感じないが、それでも美味しく感じるのは確かなことだ。
そうしてカウンターの隅でハジメの孤独な食事が始まる。
じっくり料理と酒を味わいながら、実際にはハジメの意識は周囲の会話を聞き取ることに向けられている。最近町の商家があんな品物を欲しがっているだとか、西の魔王軍の戦線の噂だとか、最近勇者候補が現れて目まぐるしく成長しているとか。時に眉唾物の情報が混ざっているのはご愛敬だ。
別に自分に直接関係のある話でなくともいい。
そこでは、王国がプロパガンダ込みで発行する新聞に載っていない情報が交わされている。そうした時代の流れを見ておくことで、結果的に冒険者としての活動を円滑に行える。
と――不意に、気になる話が耳に入った。
「でよぉ。そのたらふくの肉を誰が買ったのかと思ってたら、まさかの竜騎士よ! いやー、小翼竜とはいえ流石は竜っつーか、食費スゲーのな」
「ああ、聞いたことあるぜ。チーム所属の竜騎士はともかく、個人で竜騎士のジョブやってると、移動が楽な代わりに食費がやべぇんだってよ。女と小翼竜には幾ら貢いでも足りねぇってな」
「わははははは! どーりで冒険者に竜騎士が少ねぇ訳だぜ!!」
(竜を飼うと、食費がかかる……!!)
この時、無表情のままのハジメの脳裏に電流が奔る。
そういえば前世でもペットはお金をかけ始めると止まらないと聞いたことがある。それが竜にもなれば、それは食費がかかることだろう。
手懐けるまで時間がかかるかもしれないが、懐けば安定して食費をバカスカ出して金庫の中身を減らしてくれる筈である。
(これは……散財の気配ッ!!)
小翼竜でさえ生活に支障が出るお金がかかるなら、大型竜なら一体どれほどの食費が必要だというのだろう。ハジメは過去に大型竜と共に暮らした冒険者の話なども聞いたことがあるため、手懐けるのは可能な筈だ。
こうしてハジメは、散財の為に竜を手に入れることを画策した。
……後にフェオに大目玉を食らうとも知らずに。
竜を買ったり乗った経験はハジメにはない。
戦いの中で邪竜や素材を落とす竜を仕留めるために背に乗ったことはあるが、バランギア竜皇国のドラゴン便を例外とすれば、ドラゴンとのまともな交流経験はない。
故に、ハジメはくそ真面目に図書館で竜について調べた。
まず、一般的に人間に飼える竜はワイバーンに限られる。
理由は、最も入手難易度が低く、飼育方法が確立されており、気性的に手懐けやすく、餌代も現実的だからだという。
不思議な話なのだが、この世界には魔物の癖にたまに都合よく人間に懐く存在がしれっと混ざっていることがある。
(いわゆるテイム要素。そういう反則能力を持った奴もいたか……いや、あいつはもふもふしたものにしか興味のない狂人だから頼るだけ無駄だろうな)
ちなみにモンスターの中でも竜は例外的存在で、ワイバーンが簡単に手懐けられる一方で知能の高い大型竜は魔王軍にさえ滅多に従うことがない。
そもそもワイバーン以上の竜はサイズ的に飼うのが難しいし、知能とプライドもワイバーン以上なので人を見下しがちだ。食欲もワイバーンを遥かに上回り、下手をすると腹を空かせて飼い主が食べられたなんてことになりかねない。
(……それは困るな)
内心かなり巨大な竜を飼う計画に思考が傾倒していたハジメは、それが現実的ではないことに気付く。もし飼った場合に近隣住民を危険に晒すリスクがあるのはよろしくない。それに、餌といっても用意するのにそもそも手間がかかるのに、あまり大食漢を抱えてしまうと仕事より餌やりの方が時間がかかりだす。
かといって、ぶっちゃけハジメとしてはワイバーンなど飼ってもメリットがない。ワイバーンよりハジメの方が強いし足が速い。そしてハジメの戦場のレベルにワイバーンがついてこられないのが目に見えていた。
どうしたものかと考えていると、ふと、稀少竜の項目に目が留まる。
稀少竜とは、その名の通り非常に珍しい進化を遂げた稀少な竜のことらしい。その実態は殆どが謎に包まれているが、多くが高度な知能と変身能力を有し、強力な力を秘めているという。コミュニケーション能力も高い傾向にあり、小さいものになると中型犬スケールの者もいるらしい。
「ふむ。やるか」
ハジメは他人から見て馬鹿としか言いようがないアイデアを、深く考えずに採用した。
すなわち、稀少竜の育成である。
稀少竜の飼育は誰も挑んだことがない。
何故なら見つけること自体が大変だから、そもそも卵を見ることすらできない。
しかし、ハジメは時々ものすごい勢いで頭のネジが吹っ飛ぶことがあり、今がまさにそのときだ。彼はこの稀少竜の卵を手に入れて自力で孵化させれば鳥の雛のように刷り込み効果で自分を親だと思わせることが出来るのではないかと思ったのだ。
それに、稀少竜はどちらかと言えば燃費のいい小型化の進化を遂げたと考えられているそうだ。そして知能は恐らく人間と同等かそれ以上。つまり躾が出来れば家の留守番まで頼めるかもしれない。
こうして、彼の散財の為の稀少竜の卵探しが始まる。
本日のハジメの頭のネジは四方八方に跳び放題だった。
さて、ハジメは正しいことをする誓約がある。
なので稀少竜を見つけ出して巣から卵を強奪などという蛮族めいた行動をするわけにはいかない。つまり、何らかの理由で親元から離れて孤独な竜の有精卵をどこかで見つけなければならないことになる。
というわけで、ハジメは竜の卵に関する情報を集めた。
正直な所、流石にこれでは見つからないだろうと思っていたハジメ。
しかし、いざ始めてみると「竜の卵が売っている店がある」という情報が早期に見つかった。
「買うか」
冒険者が聞けば十人中十人がパチモノに違いないと近寄らない情報にあっさりと食いつくハジメ。冒険者の仕事として買い物する時は品の良し悪しを確かめるのに、冒険と関係ない個人的な部分になった途端に金銭感覚が破綻する珍しいタイプの買い手である。真贋については買って確かめればいいとしか思っていない。
という訳でハジメが辿り着いたのは、町の古い通りに存在する露店だ。
この通りは所謂メインストリートではないが、珍しい品が手に入りやすい為に相応に人の通りがある場所だ。『竜の卵』は一種の名物と化しており、その高額な値段故に買い手がつかないらしい。
露店のカウンターで新聞を読むバンダナを頭に巻いた店主らしきオヤジがこちらに視線を向け、気安く挨拶する。
「おうらっしゃい兄ちゃん。冒険者かい? アクセサリや雑貨は店の入り口から左だぜぇ」
「この店の名物を確認しに来た」
「そうかい? まぁ名物って言うほど面白れぇもんじゃねえが、それならここにあらぁ」
そう言いながらオヤジはカウンターの横にある巨大な岩をぺしぺしと叩いた。
それは、身の丈ほどの大きさがある立派な岩だった。ただの岩ではなく、まるで石工が丁寧にこしらえたような楕円形であり、下部はごつごつした岩が張り付いたまま支えの代わりをしている。サイズはハジメの身長以上あり、成程確かに卵と言われれば卵に見えなくもない。
ぶら下げられた名札には堂々と「竜の卵」と書かれており、その値段部分には「10億G」の文字が躍る。
「お買い得だぜ? ま、竜の卵の相場なんて知らねぇし、俺が店開いてからオブジェ代わりにずっと置いてるただの岩なんだけ――」
「10億Gだな?」
「え、ああ」
「買おう」
「マジか」
店主がばさりと新聞を床に取り落とした。
「ば、馬鹿言っちゃいけねぇぜボウズ。10億Gなんて大金用意できねぇだろ――」
「問題ない。10億なら即金で払える」
「いや、持って帰れねぇだろ。道具袋に入る質量じゃ――」
「抱えていくので問題ない。少し触るぞ」
ハジメは何故か焦る店主を尻目に竜の卵を両手で掴んで持ち上げる。すると、問題なく持つ巨大岩は床を離れて持ち上がる。今日に至るまで期せずして鍛え抜いた肉体のたまものである。
店主は仰天した。竜の卵は余りにも巨大すぎて道具袋に入らないので持って帰れない――というのが名物ネタの一つだったにも拘わらず、文字通り力業での突破である。
これには店主も腰を抜かすが、すぐにはっとして立ちあがる。
「いや、竜の卵みてぇな不思議な岩ってことで置いてたんだぞ! 本物かどうかなんて知らねぇし責任取れねぇ! 悪いことは言わん、そんなもんに10億もかけるのはやめとけ!!」
「いやだ。誰かに買われる前に買う」
「誰も買わねぇよ!? 買い手がつかず何年だと思ってんだ!? というか何で本気で商品だと思ってんだ!?」
「竜の卵っぽいものは全部買うと決めている」
竜の卵を一旦置いたハジメはカウンターに10億Gをどさりと置いた。
溢れんばかりに積み上がる10億G。この世界の人類には、幾ら払いたいかを念じて財布に手を突っ込めば自動的に支払いたい額が出てくる特殊能力と、目の前に積まれた金がどんなに大量でも商売のやりとりなら額が全て正確に把握できる特殊能力を持って生まれているらしい。無論、それはハジメからしたら特殊に思えるだけでこの世界では常識なのだが。
なので店主はそれが本物の10億Gだと即座に理解した。
――店主は混乱した。
竜の卵は完全にウケ狙いのジョークオブジェである。
見て馬鹿馬鹿しさを楽しむものであって、買って楽しむものではない。
たまたま山で発見して面白そうだったので持って帰ってもらった唯の石だ。
しかし、ハジメは金は払ったからこれは自分のものだとばかりにひょいと卵を抱えた。
「買い手がつかないなら丁度良かったな。交渉成立でいいか?」
「え、あ……いや……」
――店主は善意で思った。
何を思ってこんな丸いだけの岩を購入しようとしているのかは知らないが、彼はこれを購入したら必ず後悔する筈だ。何故こんなただの岩に10億も支払ってしまたのかと。
故に、彼に購入を諦めさせるために、店主はでまかせを言った。
「り、竜の卵は時価なんだ! 今は金額が上がって1000億G!これっぽっちじゃ足りないぜ!!」
1000億Gである。金持ちだって顔を青くする、文字通り桁違いの金額だ。
幾らこの冒険者が腕利きでも、1000億という金の暴力には屈する筈だ。
そもそも即金で1000億用意出来るような冒険者は金銭的にもう冒険する必要がない。
(どうだ兄ちゃん!! これは払えまい!!)
「1000億だな。分かった」
店のカウンターを、先ほどの百倍の金貨と札束が埋め尽くした。
店主は目の前が真っ白になった。
「いい散財……もとい、買い物をした」
ほくほく顔で岩を抱えるハジメだが、そう思っているのは当人だけと思われる。