17-2
「クオンちゃん、そのトカゲさんは体の中にとっても高く売れる結晶が入ってるから仕留めちゃいましょう!!」
「シトメル……?」
(――惨劇の予感ッ)
将来の夢の為にお金を求める少女フェオ、空気の読めない男の珍しい気遣いを正面からぶち壊していく。当然というか、クオンはよく意味が分からなかったのかポカンとしている。彼女は産まれる前から卵の中で学習していたとはいえ、しがない商店の中では他の生物を殺すという会話に馴染みがない筈だ。
「さ、こっちに渡して?」
「??? うん……」
「フェオ、待っ――」
自分が迎える恐ろしい運命に気付いたクリスタルリザードが全身を捻って必死に暴れるが、クオンはその理由に気付けず差し出してしまう。フェオは慣れた手つきでリザードの首を捕まえ、なんの躊躇いもなくルーンナイフを首に突き立てた。
ブシューと吹き出す血飛沫。
光を失うクリスタルリザードの目。
そしてその光景を理解できないように口を開けて呆然と見つめるクオン。
フェオはそんなことなど全く無視して足や尻尾がビクビク痙攣するクリスタルリザードの口からけぽっと吐き出された結晶を掴んで光に翳し、目を輝かせる。
「これが噂の高純度結晶!! これ一粒でも売れば最低50万Gだなんて夢みたいな生き物ね、クリスタルリザードって!」
フェオは瞳をお金マークに変えて満面の笑みを浮かべる。
ハジメは、己の残酷さに自覚がない人間の笑みほど恐ろしいものはないと思った。
あの結晶は死なないと出てこないので彼女の行いは全く間違っていないのだが、瞳孔の開いた目で動かなくなったクリスタルリザードを触って「トカゲ……ちゃん……?」と生死を確かめるクオンはそんなことはどうでも良い。
これから共に歩もうとした生き物が、自分のせいで、自分の親しい人に殺害されたという事実を彼女はゆっくり、ゆっくり自分の中で咀嚼しているのだ。
やがて聡い彼女は死の概念を感覚的に理解し、クリスタルリザードが二度と鳴かないことを悟る。震えるクオンの奥底からゆっくりこみ上げるマグマのような感情が喉元から解き放たれようとしている。ハジメはまずい、と思い、素早くフェオの耳を塞ぎに走った。
その、一秒後。
「……フェオおねぇちゃんの……ぅう……馬鹿ぁぁぁ~~~~~~ッッ!!!」
涙を堪えて放たれた切ない咆哮は、その衝撃のみで周辺の凝固した溶岩の壁に罅を入れ、ハジメの鼓膜を粉砕し、彼と彼の庇ったフェオを衝撃破で後方に吹き飛ばした。
この衝撃で周囲にいた魔物達が一斉に失神して地面に落下、ないしマグマに落ち、弱い魔物は心停止し、現場から離れた場所にいた魔物たちもパニックに陥り洞窟内は一時期大変な状態になってしまうのだった。
――思えば、クオンは泣かない子だった。
元々特殊な生まれで知能も高く、赤ん坊と違って泣くことでしか意思伝達が出来ない時期がなかったクオンは、平和な村で誰にも危機を感じることなく過ごしてきた。我が儘を言ったことはあるが、本当の危機感や喪失感を覚えたことは一度も無かったろう。
そんなクオンにとって、きっとクリスタルリザードは面白い生き物でしかなく、決して殺してしまおうなどと残酷な思いを抱く対象ではなかった。なんなら初めての冒険の思い出も兼ねてフェオの村まで連れて帰ってペットにするくらい思っていたのかも知れない。
ところが、クリスタルリザードは呆気なく死んだ。
否、殺された。
サバイバル能力が高いが故にトカゲを捌くことになんの躊躇いもなかったフェオの手によって、クオンにとって死んで欲しくない命が無惨にも散らされたのだ。
クオンは泣きに泣いた。
余りにも泣きすぎて洞窟内で崩落が起きそうだったので、ハジメは魔法と身体能力を駆使してなんとかクオンとフェオを火山から連れ出した。フェオは衝撃で一時失神。ハジメも流石にレベル120相当のクオンのギャン泣きの衝撃に相応のダメージを受けた。
クオンもハジメが耳から血を流しているのを見ると流石に自分のせいで何かあったと悟ったのか、ギャン泣きをやめてぐずる程度に抑えてくれた。
それでも猶、彼女の精神ダメージは余りにも大きかった。
「…………………」
「あの、クオンちゃん」
「…………………」
「ご、ご飯ですよー」
「…………………」
「ハジメさぁん……」
「お前が落ち込んでどうする」
雨に濡れた捨て犬のような目で訴えかけてくるフェオに小さく嘆息する。
宿の二階の部屋で体操座りし、壁に向かい合ったままフェオをガンスルーするクオン。その背中からは、フェオお姉ちゃんとは絶対に口を聞いてあげないという不退転の決意を感じる。クオンはこれ以上表現のしようが無いほど完全にイジけていた。
彼女がこれほどまでの拒絶意思を見せるのはハジメの記憶にも初めての出来事であり、フェオもそれは同じだ。
今回のは、いずれ必要な命の授業だったとはいえタイミングが最悪だった。
クオンは暫く動きそうにないので後で食事を持ってくると告げ、一旦部屋から出ると、ハジメは消音魔法を使って周囲に音が漏れないようにしながら一つため息をつく。
「金に目が眩んであんなタイミングで殺るとは……」
「今その話はしないでくださいよ! こんなことになるだなんて……!」
「分かってる。俺にも責任がある」
冒険者は当然の如く魔物を殺す。
しかし、本来別の生物を糧にするでもなく殺害するのは倫理に反する。
世の中を直に見たことのないクオンにその実感が湧かないであろうことを予測しきれなかったのは、クオンがはしゃいでいるのを見て勝手に問題ないだろうと判断した大人の驕った思い込みがあったからだ。
子供は大人には予想出来ない形で世界を捉えている。
未成熟であるが故にとりとめも制約もない世界だ。
或いはこれも、いずれ起こるべきすれ違いだったのだろう。
「後でまた説得してみる。今は少し間を置こう。最悪、クオンが納得してくれないなら俺が一人で煉焦輝石を取りに行く」
「……任せます。私、ちょっと今回ダメだと思います」
「そんな顔するな、と言っても気は晴れんかもしれんが……」
「じゃあ、今は言わないでくださいよ……」
これほどフェオが自信を喪失しているのは珍しい。
彼女が一度も間違いを犯さなかったとはハジメは思わないが、それにしても普段より深刻な気がして問いかける。
「何をそんなに気を落としているんだ?」
「……そんなんじゃ」
「責め立てる気はない。言ってくれ」
暫く沈黙したフェオだったが、やがてハジメの上着を握りしめ、罪を告白するかの如く語る。
「私の気が緩んでて、それでふたりに迷惑かけただけです……馬鹿みたいです、私。こんなところで浮かれて判断力が低下するような冒険者じゃ一流になんてなれない……」
ハジメは、初めてフェオのその感情を知る。
きっとそれは、劣等感だった。
「村の皆は凄い人ばかりです。私に出来ないことばかり出来て、私は気がついたらそんな皆に甘えているだけで自分では何も出来ていない……ああしたいこうしたいって我が儘言ってるだけで、あの村にフェオの村なんて名前は相応しくないんじゃないかって……」
フェオの声は震えていた。
彼女は冒険者として順調に実力を伸ばしているようにハジメには見える。しかし、明るく振る舞うその裏で、転生者や非凡な才覚の持ち主たちに対して負い目を感じていたのだろう。総合的にみて自分の貢献度が低いから、と。
確かにそのときの感情で不注意が誘発されるのは冒険者としてはいただけない。しかし、集団の評価は貢献度のみにて推し量れるものではない。それに、冒険者適正の難癖など如何様にもつけられるものだ。
「冒険者としてなら、俺も二流以下の冒険者だ」
「ハジメさんの実力は誰もが認めてるじゃないですかッ!!」
「だが俺は空気が読めない」
ハジメは別にそれで問題ないと思っているが、ギルドの考える冒険者としての理想型と自分を比べれば、ハジメは歪だ。
「空気が読めないと信頼関係を築きにくく、長期の集団行動が出来ない。集団行動が出来ないと分担による効率的な行動が出来ず、リスクも高まる。そもそも依頼者を怒らせた回数も十や二十では済まない。冒険者にとって本来致命的なまでの欠陥だと言える」
「下手な慰めはやめてください……貴方は経験豊富で人類最強格なんですよ。その程度の欠点が何だって言うんですか……」
「ふつう、親に捨てられるレベルの空気の読めなさは悲劇なのではないかと思うが、それは置いておくとして……」
元気なフェオならこの辺でツッコミが飛んでくるが、今はその元気もないようだ。しかし、フェオのことを足手纏いだと思う村人など、少なくともハジメは知らない。
「俺が言いたいのはだ、フェオ。そんな冒険者失格な俺が、君に落ち込んでいて欲しくないと思って下手くそな慰めをしている。そうさせるだけの魅力が君にはある。人の心を繋ぎ止めて変えるような、俺にはない力が……」
自然と、そんな言葉が出てしまった。
まるで自分が自分じゃないような気分だが、言った言葉に誤魔化しや嘘はない。それに違和感を覚えたのは、きっと自分を偽っているのではなく、自分が気付かぬうちに変わってきているのを今更自覚したからなのだろう。
フェオは何も言わずハジメを睨む。
あまり心に響かなかったかも知れない。
それはそうだ、なにせ空気が読めない男だ。
フェオは暫くすると、ハジメの服を掴む手を離して俯いた。
「少し……頭を冷やしてきます」
「分かった。夕食は?」
「自分でどうにかします……」
フェオはとぼとぼと宿の借りた部屋へ歩いて行く。
頭を冷やすと言った以上は自分で感情に整理をつけるつもりだろうが、あれほど落ち込んでいるフェオを初めて見るのも確かだ。クオンを慰めた後は彼女の元にも顔を見せておこう、とハジメは決めた。
「……」
ふと立ち止まって宿の窓から外を見る。
しかし、ハジメは視線を元に戻し、宿の食堂に向かった。
――その視線の先で隠れていた人物、ウルとアマリリスはハジメの鋭すぎる勘に震えた。彼女たちはハジメとフェオの二人がどんな状態か確かめる為にこっそり様子を見に来たのだが、超高位の実力を持つウルの魔法で隠れていたにも拘わらずこれだ。
問い詰めに来る気配がないのは、恐らく付けてきたのを承知でフェオの慰めを手伝って欲しいのだろう。二人も思わぬ出来事でハジメが困っていることは盗聴で把握していた。
「いや、ホントあの人規格外っていうか……あれ、ウル大丈夫?」
「でちゃった……」
地獄の底で干からびた人が呻くような声でそう呟く、涙目のウルであった。
何が出たのかは知らないが、その後魔法で綺麗にしたらしい。




