16-6 fin
抑圧された感情は思わぬ形で溢れ出ることがある。
それがオルトリンドの場合は幼児退行だったようだ。
オルトリンドの二十年分の全ての兄への甘えが溢れ出してくる。
「お兄ちゃん、僕これでもお料理上手になったんだから! 何が食べたい~? 何でも作っちゃうんだから!」
「お兄ちゃん、聞いてよ! こないだの仕事で査察した屋敷の主がイヤらしい目で僕のお尻を……許せないよね! ね!」
「お兄ちゃん、コトハのこと困らせたんでしょ! んもー、そんな駄目なお兄ちゃんはやっぱり僕がついてないとね!」
「お兄ちゃん、僕ね! 税金とかのことすっごく詳しくなったからいつでも何でも聞いてよ!」
「お兄ちゃんの冒険のお話聞きたいな~? 聞きたいな~?」
「お兄ちゃんに娘……むー……てことは、娘ちゃんからしたら僕って叔母さん!? なんかやだー! せめてお姉ちゃんがいいー!」
「ねぇお兄ちゃん、自分のこと僕って呼ぶ女の子ってお兄ちゃん的にはアリ? ナシ? ……気にしない? 良かったぁ……え、いや、何でもないよ? なんでもないもん!」
「ふわぁ……お兄ちゃん、僕なんだか眠くなってきたよ……昔みたいに一緒に寝てくれるよね?」
「むにゃ……んふふ……おにーちゃん……んぅ……おにいちゃんのにおい、すきぃ……」
劣悪な家庭環境とプレッシャーに晒され続けて、男に弱みを見せまいと男のふりまでして生きてきたオルトリンド。その心の抑圧が一気に解放された結果がこの精神年齢五歳児の甘えん坊である。
これが兄の責務を全うできなかった罪の結晶か――と今更過ぎる後悔を抱えながら、ハジメは努めて優しくオルトリンドの世話を焼き続けた。オルトリンドの超絶甘え地獄は翌日の朝に一旦解けて正気に戻ったことで中断されたものの、このままでは彼女の人格が分裂してしまうのではないかと不安になる兄ハジメである。
オルトリンドは村を出る際には元の査察官の威厳を取り戻していたが、別れ際に少し恥じらいつつ「偶に甘えにこさせてくださいね……お、お兄ちゃん」と言われてしまった辺り、また一つ死に向かう自らの魂にくさびを打ち込まれた気分である。
「そもそも兄の役割とはこんなものなのか? 教えてくれフェオ」
「極めて特殊な例だと思いますよ。和解できて良かったですねー、血の繋がらない妹誑しのハジメさーん? 和解した後も家から一切出ずにマトフェイさんに伝言だけ頼んで私の所にはなんの説明もなく妹さんと一緒にお風呂入ってさぞ楽しかったでしょうねー?」
「気のせいか不機嫌になってないか?」
「知りませーん」
「絶対なってるだろ」
「知ーりーまーせーんー!」
何故怒っているのかは、きっと複雑な乙女心というやつが理由だろう。一緒に風呂に入ってあげれば多少は溜飲が下がるのだろうかとも思ったが、客観的に見て発言がセクハラオヤジそのものなのでやめた。
と、フェオは少しして悪戯っぽくぺろっと舌を出した。
「冗談です」
「それは意地が悪いんじゃないか……?」
「ごめんなさい。オルランド……いえ、オルトリンドさんとハジメさんが仲直り出来たのは本当に良かったと思ってます。でも本当の所は、ちょっと……」
「ちょっと?」
「……なんでもないです」
心なしか、少し作った笑みでフェオはその場を後にする。
ハジメに彼女の心の機微は読み取れないが、もしかしたら彼女も兄が欲しかったのかもしれない。だとすれば、言葉の続きは「羨ましかった」とかだろうか。
(そんなに言い淀むような言葉でもないと思うが……)
その後、暫くするとフェオはいつものフェオに戻ったので、ハジメは深くは気にしなかった。ただ、彼女がストレスを貯め込んでいないか少しだけ不安になり、もっと彼女を気遣おうと思った。
なお、オルトリンドにかかりきりでずっと構ってあげられなかったクオンは以前より強めの癇癪を起こして大地を砕き、これまた鎮めるのが大変だった。
そろそろクオンのために暖めていたとっておきのアイデアを実行すべきかもしれない。
◇ ◆
――フェオは、ハジメに言えなかった言葉を心の中で咀嚼する。
『今までハジメさんを捨ててきた人達のことを、許せないと思った』
殆ど言ってしまう寸前だったが、言わなくて良かったと思う。別に自分が聖人君子で誰にも恨み辛みを向けてはいけないとはフェオも思っていないが、言えばきっとハジメは困っただろう。
彼はその事をきっと欠片も恨みはしていないだろうから。
でも、やっぱり自分の中に、顔も知らないその人達を許せない自分がいた。オルトリンドと仲直り出来たことが嬉しいと同時に、その状況を作り出した人々に暗く疼く感情が湧き出た。
もしも彼らがいなければフェオとハジメは出会わなかったかもしれないとは思う。でも、彼らの内に一人でもまともに最後まで人の面倒を見てあげようという優しさがあったなら、ハジメはここまで自分の命に無頓着な人間にはならなかっただろう。
(どうして誰もハジメさんを救ってあげなかったの? ハジメさんはあんなに優しい人なのに……)
八つ当たりだというのは、フェオ自身も重々承知だ。
それでも、そう思わずにはいられない。
彼女はその後たっぷり森林浴をして、風呂に長く浸かり、ハーブの香りで自分を落ち着かせて、ゆっくりと怒りを鎮めていった。
◆ ◇
勇者レンヤは今日も焦っていた。
理由は、魔王軍氷河軍団侵攻の兆しが知らされたからだ。
彼は急いで氷河軍団の前線基地になったという城へ向かった。
今度は魔王軍に襲われた村々をサポートする体制も整えた。
しかし、いざ行ってみると村々は少々の食糧問題を抱えたくらいで大した被害はなく、敵に占拠されたという城は更地になっていた。レンヤは訳が分からず城の管理者だったモノモチーの元を訪ねた。
すると、モノモチーは何でもないようにあっさり答える。
「緊急性の高い問題でしたので、大事になる前に冒険者ハジメに討伐していただきましたけど?」
「またアイツか!! というか、城は何故更地になっているんですか!?」
「それは冒険者ハジメが更地にしたからです。魔王軍の強力な指揮官を倒す為に必要な犠牲でした……」
「なんなんだよ……今度こそ文句なしに民を救えると思って、自信を持ってここに来たのに!!」
今回は以前の反省を踏まえて周囲の村や建物に被害を出さないように、遺跡やダンジョンで立ち回りを洗い直したレンヤであったが、これでは余りにも甲斐がない。
しかもハジメは、レンヤが現場に辿り着く前にやってくることで被害を最小限に留めた上で敵の指揮官も討伐し、おまけにちゃっかり好き勝手に城を崩壊させて行為を正当化されている。
モノモチーも彼に丸め込まれたのか、しみじみと城の消滅を語りつつも大して気にしている様子が見られない。村の人達に至ってはレンヤを見て首を傾げる始末だ。
「悪い魔物はもう有名な冒険者さんが退治してくれたのに、勇者一行は一体こんなとこに何しに来たんだろうねぇ?」
「ハジメさんって言う人だっけ? 俺らが寝て起きた時にはもう城一つ落としちまったってんだから有り難ぇよな。やっぱ出来る戦士ってのは違うもんだね」
村人には全く自覚はないだろうが、全力で煽られている気分になるレンヤ。
自分がやろうとしたことを先にやられた上に、趣味で無駄な破壊まで楽しんで帰って行った(としか彼には思えない)冒険者ハジメに、無言で歯ぎしりする。
被害が少ないのも敵の指揮官が倒れたのもいいことである筈だと心に言い聞かせても、人は理屈だけでは納得できないのである。
(ぼ……僕をおちょくっているのかッ、あんの男はぁぁぁ……ッ!?)
当然、その知らせはまた十三円卓に届き、彼らは「今世の勇者にまた関わりおって」と青筋ビキビキ。
そして報告を耳にしたルシュリアはというと。
「こいつらの地獄の三角関係見てるだけでライス三杯はイケますわ」
と、言いながらミルク板チョコをバリバリ囓っていたという。
ライス食べないのかと思うかも知れないが、ライスは比喩表現である。
◇ ◆
ウルル・ジューダス――本名ウルシュミ・リヴィエレイアはこの村に来てからというもの、フェオの村のことを調べていた。
村長のフェオや冒険者ハジメを筆頭に、この村は不思議な人間達で構成されている。社会的にそれなりの地位がある人も居れば、まったく得体の知れない人、世間に白眼視される者、人ですらない者も混ざっている。
神獣レヴィアタンの分霊がトイレから出てきた時はびっくりしすぎて口から心臓が飛び出るかと思ったし、超美少年エルフ兄妹が跨がっているのが神獣だと気付いた時にも転げ回るかと思うほど吃驚した。
ふたりともウルの正体には気付いてる節があるが、何も言われないところを見ると黙認のようだ。あくまでここは国の法律とフェオの都合を優先させた村で、彼らは基本的にはそれに従うようだ。
最も危険であるBASARAなOJISANズのハジメとライカゲ、あとクオンでさえフェオには逆らわない。
つまり、とりえあえずフェオの味方であれば殺られないとウルは結論づけた。
当初、ウルはフェオを見て、こんな「異世界転生して最初に会ったら絶対惚れてまうやろーー!」と叫びたくなる美少女エルフ娘の出資者をしているハジメをスケベ親父じゃないかと疑っていた。しかも娘のクオンが破壊神みたいな戦闘力なのでいっそこいつスケベ大魔王なんじゃないかとさえ思った。
しかし、別にそんなことはなく、むしろフェオの側からハジメに想いを寄せている。今朝彼女がハジメが妹さんにかかりきりで構って貰えなかったからヤキモチを焼き、ハジメが必死に機嫌を取ろうとしている所など、もうウル的にはキュンキュンだった。
ただしハジメには大いに問題がある。
主に死にたがっている部分に。
「あんな可愛いエルフっ娘にキスまでされたことがあるのに自分が死ぬのが大事って間違ってると思います。具体的にはもうハジメ・ナナジマ被告は有罪。一生フェオちゃんを大切にして添い遂げる刑に処するべきかと」
「異議無し」
何の疑問も持たずに同意するのはアマリリス。
彼女は一目見たときから同類の臭いがプンプンしてて、互いに転生者だからか身の上話も大してやっていないのに既に意気投合している。隠居中のお嬢様、使用人持ち、恐怖から逃げているなど内部的にも共有項の多い二人の会話は非常に頭が悪そうだった。
アマリリスは紅茶をズビーと啜りながらクッキーに手を伸ばす。
「ハジメも転生者でしょ? 転生者なんて大体前世ロクでもないんだから、フェオちゃんみたいな子に好かれたらコロっと惚れてもよさそうなもんなんだけど……思ってたよりマジなのかしら、あれ」
「自分は愛されない人間だってヤツ?」
野次馬精神全開の二人はハジメとオルトリンドの会話を盗聴していたのだが、その結果出てきたのがハジメの「死にたい」が漫画キャラの設定じゃなくて本気でそう思ってる狂人っぽいという事実だ。
一体どんな生活を送っていたらああなるのやら、と二人は呆れる。
そして、どうせ知らない方がいいことだろうと考え直す。
「ともかく! これは私たちが無事平穏にこの村で暮らす為の大事な後ろ盾たるハジメさんを生かしつつフェオちゃんも幸せにするという誰も損しない計画なのよ!!」
「そうよそうよ! あの唐変木成金駄目ママ男にフェオちゃんの尊さとフェオちゃんを愛する事の素晴らしさを教えてやるわ!!」
ハジメの意見もフェオの意見も聞かずに勝手に盛り上がっているが、二人は一体何処の誰の立場で物を言っているのかまったく不明である。あとハジメの属性が渋滞を起こしている。
会って数日しか経ってないし会話数もまだ指で数える程度な少女の尊さと素晴らしさを何でお前らが知ってるんだよと後ろに控える使用人ズも思わないでもないが、興味はなきにしもあらずなのか聞き漏らさないように耳を欹ててはいる。
「……ところでアマリリス。使用人のマオマオが調べた所によると、鬼人のベニザクラもハジメさんに惚れてるっぽいんだけど。あとサンドラちゃんも。ほら、一つ目の子。王国の姫様も気があるんじゃないかって」
「あの男……どこの天然無自覚ハーレム鈍感野郎よ!」
「で、どうするの? 娼婦の娘たちは旦那さんまで行かなくてイイっぽいけど、オルトリンドちゃんとかもハジメさんの隣を狙ってるかもしれないし。その辺どう考えるかによって計画に修正が必要じゃないかしら?」
「そんなの、決まってる……!!」
アマリリスはカッと目を見開いて叫ぶ。
「アダルティで陰のある鬼人美女が色恋になった途端おめめグルグルでわたわたするのも、世間に恋愛対象として見られたことがない不幸単眼娘が好きな男に撫でられてデロッデロに溶けるのも、普段クールビューティ気取ってるリンちゃんが裏ではお兄ちゃんだいちゅきプレイに興じているのもマロは全部大好物でおじゃる!! 王女は知らんけどなんか愛でてチューしれ!!」
「ということは!?」
「異世界でしか許されない禁断のハーレムルート、開拓よッ!! ヤツの心の闇を愛で埋め尽くしてやるわッ!!」
「ヤヤヤヤヤヤヤヤヤッフゥゥゥーーーーーーーッ!!」
ウルが興奮の余りイスに座ったまま後方に吹き飛びそうな歓声を上げる。どうやら一度死と新生を経たことと抑圧からの解放で、彼女たちの中の何かが壊れてしまったらしい。
なお数分後、急に正気に戻った二人は「焦らず冷静に考えよっか」「うん……」と急に素に戻った。
いきなり落ち着くな。
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