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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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16-5

「――それで、この場を設けたと」

「……」


 ハジメの家のリビングに座る、ハジメ自身とオルランド。

 そして見届け人となったマトフェイが、嘘を見抜くライアーファインドの天秤をテーブルに置いて仲裁者のように座っている。

 ハジメは、黙りこくって睨み付けてくるオルランドに話を切り出す。


「ルシュリア姫から俺の監視がつくことは聞いていた。ここ数日君が俺をずっと見ていたことにも気付いていたが、監視だろうと思って敢えて触れなかった。その視線に険があったのは俺の悪評を耳にしているからだと思っていたが……フェオ曰く、俺に個人的な恨みがあるんだったな」

「……」


 オルランドは暫く沈黙したが、やがて首をゆっくり縦に振る。

 天秤は傾かない。これは嘘偽りない真実だ。


「俺は別に人に恨まれていても構わないし、恨む理由が真実であろうと虚偽であろうと興味はない。俺が悪いのであれば謝罪なり慰謝料請求なりは受けるつもりだし、難癖であれば俺には責任の取りようもないのでどうもしない。ただ、フェオの言うような事実の錯誤があるなら修正はしたいと思う」


 オルランドの視線が天秤に向くが、傾くことはなかった。

 視線は次にマトフェイの方へと向く。


「ここであったことは……」

「神に誓って口外はいたしません。ハジメも予め教会の用意した書面にサインしています」

「……」


 オルランドはこくりと頷き、一度震える喉から息を吐いた。

 様々な感情がない交ぜになった、一言では言い表せない深い息だった。


「私の家は……二十年前に、狂ってしまった」


 オルランドのいた家は、中流階級の比較的生活に余裕のある家庭だった。

 オルランドは特別の不便なく、家族を愛して暮らしていた。

 そんな生活が変わったのは、母親が偶然にも孤児を養子にしたことだった。


「養子の名はハジメ。義理とはいえ、僕のお兄ちゃんだった」


 ハジメは感情のないような無表情な子供だった。

 子供らしさはなく、異様に理性的で、迷惑はかけないが父は気味悪がった。

 そしてハジメが家族になってから三ヶ月ほどが経ったある日、ハジメは忽然と家からいなくなった。家の財産の殆どと共に。


 それ以来、家は地獄と化した。

 父は毎日やけ酒を飲み、ハジメは呪われた子供だった、恩義も忘れて財産を奪って逃げたと激しく憤り、その苛立ちの矛先を母やオルランドに向けた。財産を失った父は仕事も社会的地位も失い、落ちぶれた。母がハジメを養子に迎え入れたことも糾弾した。


 母はそんな父の豹変に嘆き悲しみ、なんであんな子供を拾ってしまったのかと自分の善意を疑うようになり、その猜疑心や家に先がないプレッシャーを無意識のうちに幼いオルランドにぶつけるようになっていた。


 時折父がどこからか得体の知れないお金を持って戻ってくることがあった。

 どこで手に入れた何のお金なのか、怖くて聞けなかった。

 やがてオルランドの教育に金を割きたい母と、無計画に金を酒や博打につぎ込む父の関係は加速度的に悪化。オルランドは何度も何度もこの家から逃げたいと願ったが、同時に家族を捨てる事も出来なかった。


 家族への愛は尽きた。

 全ては、いなくなった兄のせいで狂ったのだ。


 オルランドはあらゆる悲しみ、苦しみ、兄への憎しみを勉学に全てぶつけ、国内有数の超名門学校に特待生として入学した。恋も遊びも化粧も全てを投げ捨てて、オルランドは最年少で国の査察官にまで上り詰めた。


 表向きは国の不正を暴く為と言った。それは嘘ではない。事実、オルランドは不正も嘘も大嫌いだ。でもその熱意の裏にはきっと、兄への憎しみがあった。そして今、遂にオルランドは恨みを握りしめてここまでやってきたのだ。


 全てを吐き出したが、天秤は揺れなかった。


 オルランドが全てを語り終えた後、ハジメが口を開く。


「俺は他人から不当に金品を奪ったことはない。それは本当に俺なのか?」

「……」


 天秤は揺れない。

 オルランドは涙をこぼした。


「……お金は、本当はお父さんが勝手に無謀な事業に手を出して失敗したからなくなったんだ。それを言えず、お父さんは苛立ちから強引にハジメを家から追い出し、後でハジメが金を奪ったという嘘を思いついた。査察官になってから自分で暴いた真相だ」

「……そうか」

「真相はもっとある。父が時折持って帰った得体の知れない金は、当時冒険者として名を上げ始めていたハジメにせびって手に入れた金だった。全てを知ったとき、母は泣き崩れた。父の嘘に騙された自分が許せなかったんだ。今じゃ父とは家庭内別居さ」

「では、俺への恨みは……」

「ハジメへの恨みは、それとは直接関係ない」


 力強い断言だった。

 天秤は、揺れなかった。


「僕が許せないのは……貴方が僕のことを見捨てたことだ!! 僕は貴方のことを家族だと思ってたッ!! いつも遊びや勉強に付き合ってくれたし、両親が留守の日は一緒に寝てくれた貴方がッ!! 苦しむ僕を一度たりとも助けにこなかったことが許せないんだッ!! 僕たちのことはどうでも良かったのか!? そのときだけ衣食住が確保出来れば良いからと適当に付き合っていたのか!! 母を騙して利用するだけ利用して、旗色が悪くて逃げたのかッ!! どうなんだ、ハジメ・ナナジマぁッ!!」

「そんな風に考えたことはない。そもそも俺は君を知らない。拾われては捨てられを繰り返したし、行き先で家や家族の事情は様々合ったが、俺に甘えた義理の弟がいたことは一度もなかった筈だ」

「貴様……ッ!! もう、いい!! もういい……僕の親は貴方を捨てた。貴方は僕たちを捨てた。それが答えだ。父から家の環境も聞いていた筈なのに、金で解決しようとして関わろうとしなかったんだ……」

「……」


 席を立ち、苛立ちのままに家の出口へ直行するオルランドの背中に、ふと、ハジメが口を開く。


「俺の記憶にある中で条件に近いのは、オルトリンド。女の子だった。弟じゃない」


 オルランドの足が止まった。


「君は、本当に男か?」

「……男だ」


 ライアーファインドの天秤の均衡が、崩れた。


「オルトリンドは……あひるのオモチャが好きだったな」

「知らない」


 天秤が更に傾く。


「あの家の父親は……ある日、養う余裕がなくなったから何も聞かずに黙って出て行けと俺に言った。俺は、これ以上ここにいてもこの家族の邪魔になるだけだと思い、言われるがままに家を出た。子供の養育費は安くない。存在するだけで家計を圧迫するのは確かだ。家族全員が同意したと言っていたし、疑うことはなかった」

「嘘だッ!! 嘘を……嘘を言うな!! そんなの方便だろう!! ああそうさ、僕はオルトリンドだ!! 女の査察官は甘く見られて相手にされないから男だと名乗ることを許可されてるんだよ!! でも、だからどうした!! 何で母と僕に確認を取らなかったッ!!」


 オルトリンドが上着を脱ぎ捨てて叫ぶ。

 その体は女性らしいラインが見てとれた。

 胸は恐らくサラシか何かで隠しているのだろう。


 ハジメは淡々と続ける。


「疑う理由が思い浮かばない」

「父が何度も金をせびりに来るのを何も可笑しいと思わなかったのかッ!! 自分が騙されたんじゃないかって!!」

「俺に金をせびりに来るのは君の父親だけじゃない。そもそも君の父親は恐らく俺が別れた時からかなり人相が変わっているから、多分あの人じゃないか程度しか予想できない」


 ハジメには育ての親だと主張する相手に心当たりが多すぎる。彼をほんの一週間程度だけ面倒を見て、飽きたように捨てた人間を含めると20人以上に及ぶ。

 ハジメは転生直後から転生前の自意識が残っていたとはいえ、下手をすると20年以上の時を経ての邂逅となれば本人かどうかさえ分からない。


「大体が家族が病気だとか、恩を返せとか、金をせびる理由は大体同じだ。騒がれると周囲の迷惑になるから金は払うが、何に使うかまで一つ一つ確認する気にはならない。俺にとってはもう他人だからな」

「僕が悲しむとは思わなかったのかッ!! あんな滅茶苦茶な家庭に置き去りにされた僕を!! 何度だって帰ってきて欲しい、何もしなくていいから一緒に居て欲しいって思った僕のことはどうでもよかったってのかぁぁぁッ!!」


 オルトリンドは激高してハジメの胸ぐらを掴んで揺さぶった。


「家族だと、大事だと思っていたのは僕だけなのかよぉぉぉッ!!」


 そう叫ぶと、オルトリンドは瞳から大粒の涙を流してテーブルにずるずるともたれかかる。天秤は、彼女が性別を偽ったとき以来一度たりとも動いていない。それはすなわち、ハジメがオルトリンドを赤の他人だと本当に思っているということで、オルトリンドの兄への思いが踏み躙られたことの証左。


 たった三ヶ月、それでも一人っ子であったオルトリンドにとっては本当に嬉しく、優しく、暖かかった兄。それが自分のことなど他人だと冷たく突き放された気がして、自分の気持ちが迷子になって、行き場を失った。


 嘘でも、心配したと言って欲しかった。

 知らなくてごめんと言って欲しかった。

 自分のことで苦しんで欲しかった。

 これなら、利用して捨てたと言われたほうがまだ良かった。


 ハジメの返答は、オルトリンドにとって何よりも残酷だった。


「ああ、そういうことか……」


 ハジメは何かに気付いた。

 そして、オルトリンドに深く、深く頭を下げた。


「すまない」

「今更謝っても苛立つだけだ……もう喋るな」

「俺と君で話が噛み合っていない理由が今、分かった」

「聞きたくもない。どうせ嘘だ」

「俺は、自分が誰かに必要とされる存在だと信じることが出来なかったんだ。言い訳にもなってない理由だが……俺がいなくなって寂しがる奴なんかいる筈もないと、あの頃は思っていた」


 天秤は揺れない。

 ハジメは嘘を言っていない。

 オルトリンドは訳が分からなくなった。


「僕のことなんか信じてなかったって言いたいのか……!? そこまで薄情な女だと思ってたのか!?」

「そうじゃない。俺は……俺は、自分を……人に愛されない存在だと思ってたから……」


 天秤は、揺れなかった。




 ◇ ◆




 世の中には、どうあっても人を不幸にする人間が存在する。


 間が悪いときに間が悪い場所にいる人間――或いは、勝手な理由で人を不幸にしないと自分が保てない人間。ハジメはその前者だ。全てに於いて間が悪い人生を送り、そして自分が世界中の誰にも望まれていない命なのだと思いながら死んだ。


 別に疑いは持たなかった。

 そういうものなんだと思っていたからだ。


「……俺には愛が分からない。義理の娘が出来てから必死に愛だと呼ばれるものを模倣してるが、それが正しいのかなんて分からない。自分は嫌われて当たり前、厄介に思われて当たり前……だから自分が人に愛されることも、人を愛することも今まで想像すらしないで生きてきた」

「なに、それ……」

「呪われた子供だって言われたのは別にオルトリンドの父親だけじゃない。今まで何度も言われてきた。俺を庇う人も、やがて思い直して俺を罵った。俺のことを悪く言わない人間も、利益関係があるからこそだった。無償の好意を受けるようになったのは、本当にここ最近のことで……俺は正直、今の環境に戸惑いがある」


 フェオは利益関係もあるが、明らかにそれ以上の感情がある。

 クオンはハジメを母親と慕う。

 ベニザクラはよく分からないが、もしかすればそうかもしれない。

 元娼婦の娘達、サンドラ、ガブリエル……向ける感情の種類は違えど、死神の二つ名などなかったように無視する連中が近くに集まってきたのは、本当に最近のことだ。


(ただしルシュリア、てめーは駄目だ)


 一人除外したが、それはさておく。


「オルトリンド……君が助けを求めるそのような事態が発生していたことに気付けなかったのは、俺のせいだ。俺はやはり存在する価値のない人間らしい。君に話しかけて人生に関わる資格すらない。そんな俺に出来る償いがあるというのなら……謹んで受ける」


 オルトリンドは無言で項垂れるが、やがて顔を持ち上げる。


「違う」


 彼女の表情は、いままでのそれとは違う悲しみを湛えていた。


「やっぱり違う。僕が求めていたのはこんなことじゃない。僕は悪い人を追い詰めたかったんじゃない、悪いお兄ちゃんを問い詰めて……納得したかったんだ……理由が何であれ、無関心に見捨てられた訳じゃないと思いたかった」


 オルトリンドは泣いていた。


「僕は貴方にお兄ちゃんとして接して欲しかった。赤の他人の冒険者として仰々しく謝罪と賠償をして欲しかったんじゃない……僕は、お兄ちゃんとしてきちんと悔いて、もう置いていかないって言って欲しかった」

「……」

「言って欲しかった!!」


 涙を零して我が儘っ子のように叫ぶ彼女は、大人に成長してもハジメの記憶にある寂しがりのオルトリンドのままだった。彼女はハジメに置いて行かれたと思ったあの日から、ずっと時間が止まっていたのだ。

 止まった時間を動かせるのは、止めた張本人しかいない。


「オルトリンド……いや、リン」


 恐らくハジメしか使ったことのない彼女の愛称を用いて、ハジメは彼女をそっと抱きしめる。子供の頃、確かこうやってあやしたはずだと思い出しながら。


「こんな駄目な男がお兄ちゃんでも、本当にいいのか?」

「他のお兄ちゃんなんて、世界中探しても何処にもいないよ……!!」


 時を超えた血の繋がらぬ兄妹の邂逅――それは、頑ななオルトリンドの心の氷を溶かしていった。




 が、ちょっと溶かしすぎた。

 主に理性とかタガとかも。


「お兄ちゃん、ぼく新しいガーガー欲しい!」

「あひるのオモチャのことか……え、待て。リン、お前もう25歳……」

「お兄ちゃんとお風呂に入るときはガーガーも一緒に入るのー!」

「待て、リン。その年で一緒に風呂に入る気か?」

「なんで? お兄ちゃん、よくお風呂入れてくれたじゃない! お兄ちゃんにまた髪の毛を泡でわしゃわしゃして欲しいもんっ! シャンプーハットだってあるよ?」


 ウルルに続く幼児退行シリーズ第二弾。

 しかも若干ガチめな奴である。

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