16-4
ハジメを影から監視する人物は、名前をオルランドと言った。
シャイナ王国の中流階級に生まれ、様々な事情と変化を経て査察官になった。専門は政府の命令による査察。冒険者の仕事である戦闘に関しても訓練を受け、並の冒険者に後れを取らないレベル40の域に達している。冒険者でもないのにこのレベルは異常だ。
抜き打ち査察には特に強く、その辣腕は『嘘剥ぎのコトハ』と並んで権力者や金持ちを慄かせるほどだ。
そんなオルランドは今、絶大な権力を持つ十三円卓から仕事を任されている。
調査対象はハジメ・ナナジマ。
今まで様々な査察官が調べたが、一度も裏を取れたことがないが、国が最も警戒し続けている冒険者だ。魔物相手に殺戮を繰り返し、ついたあだ名は『死神』だ。
どれだけ洗っても、彼の経歴は余りにも白すぎる。
単独行動だらけでありながら死ぬこともなく莫大な財産を貯め込むこの冒険者が白い訳がない。絶対にどこかに黒い染みを隠してる筈だ。誰もがそう思ったが、誰も尻尾を掴めなかった。
今、オルランドは正式な依頼を受けて彼の事を探っている。
数え始めれば不審点は数知れず。
だが、ここ最近は特に慈善事業のような活動をしている。
(偽善で覆われてる。自分を賛美してるようだ)
夢見がちな少女に夢を提供。
犯罪者退治ついでに被害者支援。
開拓地に物資を提供。
その他諸々の金の使い方の多くが、自分に責任が及ばず、自分が苦労しないものばかりだ。相手を本当に思いやるならもっと精力的な活動の仕方が幾らでもあったのに、金だけ使って自分は何もしなかった。
直近のボランティア活動とて、山を越えたらその後の各村々の復興には金だけ出して自分たちは一切手伝わなかった。あれで勇者より評判を上げたとは、上手く立ち回ったものだと思う。
(お前は人助けして称賛を浴び、さぞ気持ちが良いことだろう。売名行為は楽しいか? たった一握りの人間だけを助けて他の大勢をないものとして扱う善行などただの自己満足だ。自己中心的で自分の都合の中でしか生きられない、それがお前だ……!)
しかし、そこまで確信していても結局証拠は掴めなかった。
彼の過去から何も出ないなら、彼の現在から探れば良い。
フェオの村――そこに秘密がある筈だ。
事前に場所は実質的な同僚であるコトハから聞いた。
彼女からは「探っても大したものは出ないと思う」と言われた。
しかし彼女はハジメを気に入るルシュリア姫の直属なので信頼性を欠く。
だからオルランドはハジメが別の依頼をしているのを確認し、村に踏み込んだ。調査員という肩書きは隠し、自然に囲われた村に興味がある若い男を装って。
しかし、開幕早々オルランドは躓いた。
「え? ハジメさんのこと? いや、詳しくは知らないからなんとも」
「右に同じくです」
「冒険者としての概要くらいは……お役に立てず申し訳ございません」
「興味なし」
よりにもよって、オルランドが話しかけたのはつい最近村に引っ越してきたばかりのアマリリスとその従者たちだったのだ。当然彼女たちはハジメの経歴も性格もあまり知らなければ、話した回数もまだ指で数える程度だ。
しかし、そうならば逆に客観的な視点での情報を得られるかもしれないと考えたオルランドは、アマリリスたちの話を聞きながら何とか一つだけ情報を聞き出した。
「よく理解出来ないのですが……ハジメさん、自殺願望があるとか?」
「……はぁ」
「又聞きなので当人から聞いた訳じゃないんですけどね。陰気と言えば陰気な人ですが、不思議ですわねぇ」
(情報の広まり方が都市伝説のそれなのですが……)
「死にたいからこそ、死ぬ前に貯め込んだ財産を使いたいのだとか。娘さんを可愛がったり村長さんと話し込んでるのを見るとそんな風には思えないんですけど……」
「……分かりませんね。地位も名声もお金もあるし、まさに人生の頂点じゃないですか。なんでそれで死にたいんでしょう?」
「さぁ? あ、そうだ。商人のヒヒさんはハジメさんとお付き合いが長そうだし、あの人なら……ダメか。ヒヒさん胡散臭いけど顧客の情報は売ったりしなさそう」
オルランドはその後、他愛もない話をいくつかしてアマリリスと従者達と別れる。一応ダメ元でヒヒという商人に話を聞いたが、アマリリスの予想通りの結果に終わった。そして彼は本当に印象が胡散臭かった。
次はどうするか悩んでいると、教会が目に入る。
聖職者は人の秘密を抱えている。
それを他者につまびらかにしないまでも、話術で情報の欠片くらいは引き出せるかもしれない。入ってみると、教会内には掃除をするシスターが一人だけいた。真っ赤な髪が目立つ美しい女性のシスターだった。
話しかけてみると、見習いシスターだったようだ。
洗礼名マルタ――本名は絶対に秘密だそうだ。
「暇と言えば暇ですね。相談受けるのはイスラくんとマトフェイちゃんで、私は実質居候のようなものです」
「居候って……?」
「神のお告げといいますか……他にやることないと言いますか……まぁ、そんな感じです」
聖職者に似合わぬ曖昧な物言いを見るに、彼女は世俗にも信仰にも余り興味がないらしい。故に、特別知っていることもなかった。
ただ、ハジメの自殺願望の話を振ると少し反応した。
「私と似たようなものじゃないですか?」
「え……貴方と? それはどういう……そもそも宗教的には自殺したらいけないのでは?」
「そーなんでしょーけど、私はもう十分生きたのでこれ以上は別にいいんですよ」
「まだ二十代でしょう? 恋して結婚して子供を産んで……」
「別に興味ないかな。だから、ハジメも多分興味ないんじゃない?」
言われて、確かにハジメ・ナナジマという男の経歴には特別親しい人間の存在は見当たらなかったことに気付く。
定期的に会う人間はいたが、用事があるから会うだけ。
自分自身の価値の中で世界が完結している。
「自分がどう見られてるかとか、料理が美味しいかどうかとか、女の子が綺麗か不細工かとか……それって価値ある人にはとっても大事なのは分かるよ? でも興味なくなるってことはね、選びたいという考えすらもなくなるの。ハジメは多分、死にたいとかじゃなくて、生きることそのものに興味ないんじゃない?」
「そんな人間……いるわけない。欲望のない人間なんて!」
「あるじゃないですか、欲望。死ぬ前に金使いたいんだって。フェオちゃんはまだ食い止めようとしてるみたいだけど、私が見た感じではそんなに効果出てないかな。思うところはあるけど、いざそのときが来たらあっさり死ぬと思うよ。あ、それも当人の欲望かな?」
何の迷いも淀みもなく言い切るマルタに、オルランドは何も言えなくなってしまった。教会を後にしても、オルランドの頭の中では思考が堂々巡りしていた。
(生きる事に執着がない? じゃあなんで強くなるの? どう見られているのか興味ない? じゃあどうして人に感謝されることをするの? マルタさんはきっと間違ってるに違いない。何か理由が。よこしまで自分勝手な理由がある筈。でないと、でないと――!!)
「――はじめまして!」
「えっ、は、はじめまして」
はっと顔を上げると、目の前にエルフの少女がいた。
資料で顔を見たことがある。
この村の表向きの代表、フェオだ。
「ここ、来るまで大変だったでしょう? ここは少し特殊な場所にある村ですから……わたしはフェオ。この村の村長をしています!」
「あの……オルランドと言います。ちょっと噂を聞いてどんな村か見たいなぁ、なんて思いまして。失礼ですが、とてもお若くて驚きました」
とても村を纏める立場とは思えない華奢で可憐な少女は、オルランドが咄嗟に動揺を誤魔化すために口にした言葉に対し、特に疑問は抱かなかったようだ。
「わたしも分不相応なかと思ってましたけど、皆さんが手伝ってくれるおかげで村長を続けられてます。それにしても、わざわざ村まで見に来てくれるだなんて嬉しいなー! よろしかったら村の隅から隅までご案内しますよ! なんたって村長ですから!」
「え、は、はい……では御言葉に甘えて」
思考がごちゃついて冷静さを欠いていたオルランドは、流れに身を任せることにした。かえって好都合かも知れないという思いと、この純朴な少女を騙すかもしれない罪悪感のアンビバレンスから目を逸らして。
フェオに手を引かれてオルランドは村を案内される。
新興住宅、木々の並び、自然と一体化した村作り……近くの町を利用すれば買い物もさほど困らず、最近は住民が増えてきたという。正式に国の地図に載る村にはまだなっていないが、将来的にはそうしたいそうだ。
将来のことを楽しそうに語るフェオは、オルランドには眩しいくらい純粋だった。
そして、この村の全ての始まりは彼女とハジメであることも、話してくれた。
彼女もまたハジメに騙されているのだと思い、急に思考が彼を疑う思いに引き戻される。気付けばオルランドは、これほど親切にしてくれた少女に嫌味のような言葉を放っていた。
「――そんなに立派ですかね、ハジメさんって人」
「いや別に、個人的に感謝はしてますけど立派だと思ったことはあんまりないですね?」
一石投じた筈が、投じた石が小首を傾げながら両断された。
知り合いの愚痴を思い出したように、フェオはまくしたてる。
「ハジメさんってばどこかしら行く度に女の子引っかけてきますし、常識を分かってるんだか分かってないんだか分からないときありますし、端から見れば誰でも分かるような事に斜め上や斜め下の行動をして勝手に自爆したりしますし。基本、自分基準自分勝手な人なんですよ」
「……ず、随分言いますね」
「そりゃもう! 言いたいことが沢山ありますし、伝えてないことも沢山ありますから!!」
そう言ってはにかむフェオの笑顔が余りにも純粋で、オルランドは目を逸らした。違う、そんな顔でそんなことを教えて欲しかった訳じゃない。もっと、彼は――邪悪で――人でなしで――そうでないと、到底納得出来ない。
「でも、いいところも沢山あるんですよ。子煩悩ですし、自分で決めたことは投げ出さないし、悪い事をしないと神様に誓っているくらい信心深いし、女の子を連れ帰るのだってなんだかんだハジメさんなりに心配してたりしてますし。ちょっと散財脳なだけで……あっ、これ誰も信じてくれないんですけどね! ハジメさんって散財に失敗すると子供みたいにしょげるんですよ! それがなんだか可愛くて、ついついからかいたくなっちゃうんです!」
「信じられません」
「やっぱり信じて貰えないですかー……はぁ……死神ハジメの悪評、どこまで広がるんでしょうね」
「ご本人に問題がある限りでしょう」
「言えてます! ほんっと変なところで周囲に無頓着なんだから、あの人は」
ふくれっ面で腕を組むフェオの姿は、だらしない身内に怒るようなそれだ。彼を嫌い疎む感情がそこにはない。彼は、フェオという少女に慕われている。
違う、違う、違う。
さっきからまったくオルランドとフェオの話が噛み合わない。
そんな風に誰かに好かれるような人格の人なら、なんで、なんで。
迸る激情は、とうとう口をついて吐き出される。
「認めない。認められない。あの男だけは……僕を見捨てたあいつだけは……ッ」
その言葉に、フェオは困惑して足を止める。
「見捨てるって……ハジメさんがそんなこと」
「嘘だッ!! だって、だってそれなら――!!」
オルランドは、何を思ってその言葉を吐き出したのだろう。
鬱屈した己の過去と激情を吐露したかったのか。
ハジメの評判を失墜させたかったのか。
それとも、ハジメを認めるフェオの信頼を歪ませたかったのか。
オルランドは、己の全てを吐き出した。
本当はオルランドは、ハジメの査察をする機会を待っていた。彼を個人的な私情で貶める機会を、ずっと、ずっと、待ち望んでいたのだ。その理由も、積み重ねた恨みも、全てオルランドは吐き出した。
フェオは――オルランドを、どこまでもまっすぐに見つめていた。
そこには同情も、気遣いも、不快感もない。
まだ重要なところが抜けている、と訴える目だった。
「ハジメさんは、そんな器用なことが出来る人じゃない。でも、あの人は普通の人には考えられないほどおかしな勘違いをすることがあります。きっとハジメさんも貴方もそれぞれ何かがすれ違ってるんですよ。話し合いましょう」
「話し合って、僕の言った通りにあの男が屑だったとしても構いませんかッ!? 僕は、あいつを貶めるためにここまで来たんだ!! 納得できるまで追求します!!」
「構いません」
フェオは、この少女は、オルランドの言葉を信じていない訳ではない。あらゆる可能性を想像した上で、それでもいい、誰も見捨てたり軽蔑したりしないと誓いを立てるように言い切った。




