断章-1 転生おじさんと愉快な仲間達の短編
ある日ふと、ハジメは気付いた。
「散財の為に集めた散財アイデア、途中までで止まっていた……!」
最近何かとやることが多くて完全に失念していた、とハジメは頭を抱える。今までこのようなド忘れは余りしたことがなかったのに、どうしてこんな大切なことを忘れていたのだろう。
ギャンブル、寄付募金、城を建てるの三つは既に没済みだが、城から発想を変えて新居を構えると決めて以降、ハジメの愉快な散財計画は趣旨を外れていた感が否めない。
「しかし、案の中には既に実行してなかなか悪くなかったものもあったな……」
ハジメが散財アイデアの中から取りだしたものの一つ、『投資』。
嘗てフェオがビスカ島にレヴィアタンの瞳というアイテムを取りに行った際、ハジメは商船まるまる一つを借り、そこに島宛ての物資をたんまり詰め込んで渡すことで相応の散財をすることに成功している。多少強引だが、あれも投資といえば投資であり、事実ビスカ島はあれで開拓が大分進んだらしい。
その他、聖職者イスラの個人的スポンサーになったのも一種の投資と言える。
このセンはいける、とハジメは手応えを感じていた。
幸いというか何というか、国によってスカウトを禁じられている上に依頼も若干減っているハジメはいま、自由時間が多い。投資と言ってもむやみやたらにやればトラブルの元なので相手は選ぶが、網は張りたいと思った。
しかし、他の案をいくつか吟味すると、思いのほかダメなものが多い。
何故、土地の購入と投資以外は個人の買い物などくらいしか手軽な散財がないのか――ハジメにはその理由を捉えきれない。こんなとき、ハジメは自分に様々な知識を与えてくれた存在――ホームレス賢者に聞いてみるのが通例となっている。
「と、いうわけでお久しぶりです、先生」
「おーう、相変わらずしみったれたツラしてんなハジメ。いや、ちょっと明るくなった気もするか?」
「顔ヨガの成果でしょう」
「顔ヨガて。まぁいいや」
ホームレス賢者ことセンゾーは知識だけため込んだ中年駄目人間である。
賭博に酒、タバコに風俗と手を出し、家も貯蓄もなく、浮浪者に混ざって自堕落な生活を送っている。曰く、頭が良すぎて世の中に嫌気がさしたからこそ今のような生活を送っているらしく、結構中身は普通の人である。
普通に世の中に嫌気がさし、普通に自堕落な道を選んだ、普通の人だ。
だからどんなに自堕落でも、世の中のことはよく見えている。
そんなホームレス賢者に手土産の酒とツマミを渡すと、自然な流れで飲み会になる。
「おめーもデカく有名になったもんだなあ。特にここ最近目立ってるようじゃねーか。女の噂もちょこちょこ聞くぞ」
「えぇ、まぁ。世間の噂とは若干乖離がありますが、少々身の回りが賑やかになりました」
「結構結構。どうせ人間いつかは死ぬんだから、どうせなら楽しいことして死ねばいいのさ」
(相変わらずだなこの人は。だからこそこちらも気兼ねしなくていいが)
センゾーはハジメを気味悪がらない。
彼は他人がどうなろうがどうでもよく、しかし自分が気になったことにはしれっと関わる人間だ。当時何番目かの親に捨てられふらふらしていたハジメに、彼は何か感じるものがあったらしい。世間の常識、文字、歴史、哲学、冒険の基本など、彼から教わったことは多いし、それについてはハジメも彼に感謝して『先生』と呼んでいる。
「で、散財が思うようにいかねぇって話だったな。まぁカンタンだ。この世界は封建主義であって、資本主義じゃねえからだ。ざっくり言っちまえば文化レベルの差だな」
「文化レベルの……確かにこの世界は中世風ですけど」
「ほれ、現実だとセレブは屋敷建てて、ボートだのセスナだのビルだのいろんなモン買うだろ? でもこの世界はそこまで物と貨幣に溢れ返ってねぇ。買える人間、使える物が少ねぇんだ。つまり現代で言う『便利』になってねぇから、贅沢ってモンの種類が少ねぇんだよ。個人が莫大な財を持つことを前提とした社会じゃねーんだから、そりゃ余るだろ」
「なるほど……しかし王侯貴族は莫大な財を持っているのでは?」
「王侯貴族とセレブじゃ社会的な責任の重さも自由度も違うだろ。貴族は貴族の責務を果たす為に金がいるんだ。ずっと続けてると手段と目的が逆転するけどな」
何となく、何故自分の理想通りにならなかったのかが理解できる。
昔の社会は国を統治する人間にばかり金が集中していたが、そんな中で商いが発展して商人が財を持つようになると、社会のあり方も変わっていった。その『変化』の部分が乏しいこの世界は、散財を行おうとする人間の存在を前提としていない。そりゃハジメの思いつく散財が通用しない筈である。
「勉強になります」
「お前は真面目すぎんだよ。責任を持てるかとかなんとかさ」
するめを火の魔法で炙りながら、センゾーはハジメを見る。
こんな時、センゾーの賢者たる所以が垣間見える。
「普通に真面目に生きてても、急病だの事故で責任取れなくなるこたぁある。それでもみんな、そこまで深刻に考えず世の中生きてる。何故ならそんな心配始めたらキリがねぇからだ。だから宗教で己を律したり正常性バイアスを働かせる。真実からちっとばかし目を逸らすのは悪いことじゃねえんだ。なにせ現実に対して人間なんて生き物はちっぽけ過ぎて、全て受け止められやしねぇんだからな」
――転生者は心のどこかに孤独を抱えている。
自分を成り立たせた世界と全く違う世界に、今までにない力を握らされて戦う孤独。それは時として人の心を壊すこともある。そんな彼らの前に、センゾーはホームレスという聞き馴染みのある肩書きで現れる。
あらゆる転生者の苦悩に、いい加減なようで当たり前の答えを出す。
それがハジメの知るホームレス賢者、センゾーという男だ。
「ちゅーわけでハジメ、風俗行こう風俗。遊びで付き合う女はいいぞォ!」
「行きませんよ。しかも代金俺に払わせる気でしょう」
そしてやっぱり堕落すべくして堕落した人物な気がした。
孤児院の院長からの頼みでセンゾーには現物以外支給しないハジメであった。
◆ ◇
異世界料理人――。
それは、食文化後進世界たる異世界にて、現代料理技術と伝統の融和という技術を持ち込む者。そして、技術の粋を尽くした料理を振る舞う者。
人々は料理人を敬い、崇め、料理の味に感涙する。
誰からも愛される、絶対的な胃袋の調伏者。
の、筈でしたが。
「駄目でした」
行き倒れている所を偶然にも拾ってもらったオークのガブリエルに、料理人ハマオはうなだれながら愚痴る。
「お、おう……何が駄目だったんだ?」
ガブリエルは顔は厳ついしオークなのにとても優しい人のようだ。
転生者の妄言にも付き合ってくれるらしい。
「まず、生食文化系が全く評価されませんでした」
「まぁ、生で食うと腹下すからな。寄生虫とかもいるし」
「ちゃんと生で食べられる食材をわざわざ用意してるしそれを説明するんですが、信じて貰えないんです……実際に自分で食べて見せても駄目。物好きがたまに食べて褒めてくれても、世間一般の皆さんは全く手をつけようとせず……」
「そりゃあんた、苦手意識は誰にだってあるさ。俺たちオークは虫料理は平気だが、ヒューマンとかには堪えるものらしいしな」
「そうなんです……リサーチ不足だったんです……」
魚を生で食べるという発想がない国は多い。
日本基準でメニューを考えたハマオの失策である。
転生特典として受け取った料理の実力は折り紙付きでも、周囲に評価されなければ客は当然来ない。こうして借金してまで建てた店は半月と持たず潰れたという。
「私は反省を活かして、今度は山菜が豊富な場所で山菜を中心とした料理店を作ってみました。借金は倍になりましたが、きっとヒットすると思って」
「すげえチャレンジ精神だな……で、反省を活かしたなら成功したんだろ?」
「半年持ちましたが、潰れました」
「おぅふ」
ガブリエルが自分の顔を覆って首を横に振る。
「悲しまないでガブリエル。全て僕が悪いのです。客足自体は前ほど悪くはありませんでした」
「じゃあ何が問題なんだ?」
「理由は主に二つ。利益率の低さと、目玉商品が全くウケなかったことです。前者は経営する人間としての見通しの甘さが原因なので授業料として受け入れましたが、後者がキツかった……」
「するってぇとなんだ? また生食チャレンジか?」
「いえ、キノコ料理をば。それもとびきり香りのいい高級キノコだったのです。ダシも申し分なく、素晴らしいものができかと我ながら歓喜しました」
「でも売れなかったんだな。何でだ? 価格設定が強気すぎたか?」
「実は、香りの善し悪しには地域によって感じ方の差があったのです。近隣住民の皆様は美味しく感じましたが、他所から来るお客様が皆して臭い、臭いと……おかげで私のモチベーションも店の評判も下がっていき、あえなく潰れました」
例として、松茸は日本では高級食材として知られているが、欧州ではその香りが「ぞうきん」「革靴の中身」「不潔なおっさんのスメル」などと揶揄されるほど嫌われている。自分にとってはごちそうでも、他人から見てゴミなら食べて喜んで貰うことは出来ない。
「魚、野菜と駄目出しを食らった私は肉料理に走りました。しかし原材料を仕入れやすい場所に店を構えてみると、競争相手だらけの都会になりました。味では勝てる自信がありましたが、差別化を図りたい。私は思いきって他の店には置いていない品で勝負しました」
「ほうほう。確かに名物は必要だものな。それで?」
「その際は私の料理と風土が合っていたのか、滑り出しは好調でした。しかしとあることをきっかけに周囲の店から嫌われることになりまして……」
「今度は競争相手にか。いったい何しでかしたんだ?」
「馬肉を出そうと」
「馬ッ!? そりゃ嫌われもするわッ!!」
日本出身のハマオからすれば馬肉は高級食材なのだが、ここでは違う。
古来より馬や牛などの家畜はそれ自体が大きな財産と考えられていた。特に馬は、動力つきの車も、まして舗装された道路さえなかった場所で速く移動できる唯一と言っていい移動手段であり、テレポート装置があるこの世界でもバリバリの現役だ。
それを食べるから売ってくれというのは、現地人からしたらクレイジーすぎる。その認識のずれにハマオが気付いた時にはもう遅かった。
「やつは野蛮人だ、何の肉を使ってるか得体が知れない、ミミズを固めて挽肉と言い張っているなど根も葉もない噂が蔓延し、それはもう散々でした。料理大会などで名誉挽回を図りましたが、その町の料理界は味より何より伝統を重んじる風土がありまして、最初から私を評価する気がゼロでした。大会はデキレースだったのです」
「それはなんというか……ご愁傷様だな」
「私も意地になって時間とお金を無駄に失い、気付けば借金は当初の5倍に……」
「もう聞いてられない」
「路銀は尽き、借金取りにも追われ、勇者に縋ってみるも「借金のある人はちょっと」と拒絶され、本日ここに流れ着いた次第……つきましては、しばし世俗から離れたく候……」
「……」
「……」
「……お前さえ良ければ、暫くウチに泊まってろ。一度落ち着いて、そんでもっかい店建てようや。そんときゃ俺も客になって金払うからよぉ」
「ガブリエルさん、貴方は天使だ……」
「オークだよッ!?」
こうしてガブリエルに攻略されたハマオは、しばしガブリエルと共同生活を送ることになる。彼がフェオの村で料理人を募集していることを知るのはしばし先の話……そして冒険者デビューしたハマオが料理技術を活かして魔物と戦い料理する様が「マッド・コック」の二つ名でフェオの村に知られるのもまた、しばし先の話である。
なお、実はこの時点でガブリエルはひょんなことからフェオの村に移り住んだユユとシオと共にトリオで活動していたりする。
「何で男は嫌なのにガブはオッケーなのよ、ユユ……」
「だってガブさん、なんか愛嬌があって可愛いから……あとぶっちゃけオークの人って顔じゃ性別の区別つかないし」
「えぇ……」




