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アマリリスは、本来この世界で生まれ、そして死ぬであろうアマリリスという女の足跡を全て把握した上でこの異世界に生まれた。それは神に特典を聞かれた際に「ゲームのキャラに生まれ変わった」みたいなシチュエーションで生きてみたいと要望したからだ。
だから厳密には二度目の人生ではなく、感覚的にそう思うだけだ。
ついでにアマリリスは保険として美貌、生まれつきの地位、人の潜在能力を見分ける魔眼も貰っている。これだけあれば人生を楽しむのに十分だろうと彼女は思った。
しかし、肝心の自分の足跡――『物語の記憶』と呼んでいる――を確認したアマリリスは、自分に待ち受ける惨い未来に戦慄した。だからここまで妹のベアトリスを領地から追い出す為の計画を積み上げてきた。
だというのに、だ。
「全く計画と違う……!!」
どこで間違えたのか、と、アマリリスは一人頭を抱える。
当初の計画、ローゼシア家を機能不全に追い込むことは上手くいった。父が病床に伏すのは防ぎようのない既定路線のため、敢えてそれを利用した。
あとは妹の悪評をこそこそ流すだけで民衆を扇動出来る筈だった。
このまま妹のベアトリスを追い詰め、事が終わり次第彼女に全ての責を押しつける形で自分が復帰し、事後処理を行う。これによって立場をを失ったベアトリスは失意のうちに家を出て行く。それが元の筋書きだ。
ただ、それはあくまで自分の身に迫る不幸を回避するためであり、別に妹を始末したい訳ではない。身内の温情として、出て行った後の彼女にある程度は手回しをするつもりだった。
それに、追い出す理由はそれだけではない。
『物語の記憶』ではベアトリスは父を相手に点数を稼いでアマリリスを出し抜こうとする節が多く見られ、実際に『物語の記憶』内では謀略によって立場逆転にまで上り詰めてる。そんな性悪な女は家にいない方が良いし、互いに互いのことを忘れて生きるのが楽な道だ。
しかし、現実はどうか。
ローゼシア家は当初こそ非難の矛先を向けられ、ベアトリスは姉を追い出したはいいが自分では舵を切れず自滅した、という下馬評になっていた。少なくとも貴族間ではそうだった。
ところが、ハジメ某という冒険者が難民キャンプを立ち上げた辺りから、予想と違う方向に路線が変わる。
彼らによる精力的な活動で避難民の不満は爆発寸前のところで抑えられ、王都の救援が届く前にパンクすると思っていた状況が山を乗り越えてしまった。
しかも、何故かその後、次第にベアトリスの領地内での評判が上向いていった。驚くべき事に、貴族間ではアマリリスの予想通りの下馬評なのに、民衆の間では二人の評価が逆転しているのだ。
ベアトリスは父も姉も頼れない中でよく頑張っている。
ベアトリスが難民のトラブルを解決した。
拙いながら手綱を握りだした彼女を応援したい。
肝心な時にいないアマリリスより、今を必死に支えるベアトリスがいい。
農地改革等の影響で得たアマリリスの岩盤支持層は揺らいでいないが、それ以外の人間が急速にベアトリスに流れている。特にベアトリスを糾弾する筈の避難民達がベアトリス派にどんどん偏っていくせいで、下手をすると立場が逆転してしまいそうだ。
「おのれベアトリス……まだ世間知らずで狡猾さが薄い今のうちにと思ってたけど、これが歴史の修正力なの……!!」
具体的にベアトリスが何をしたのかまでは把握しきれていないが、彼女の脳内の妹はあくどい高笑いを響かせていた。このままでは自分は本当に肝心なときに役立たずだっただけの女に終わってしまう。
「まずいなぁ、どうやってリカバリーしよう……!」
アマリリスは、『物語の記憶』でのベアトリスを知っている。
彼女は成長するにつれてどんどん高慢で自己中心的になっていき、民の苦しみを顧みずに頭ごなしの命令を飛ばすばかりの駄目領主になった。当然アマリリスの扱いも完全に見下したものになり、何度も屈辱を味合わされた。
「挙げ句の果てに『あんなヤツ』を屋敷に連れ込んで……!!」
思い出すだけで思わず吐き気がこみ上げそうになる。
『アレ』は、本当に最悪だった。
もし今世に来るなら暗殺するしかないと思っている。
アマリリス自身が屋敷から逃げる方向も考えたが、それだと結局ベアトリスは屋敷に留まり『アレ』と懇意になり、彼女を通して『アレ』は姉であるアマリリスの存在を知るだろう。
いっそベアトリスを殺そうかとも考えたが、そこまでしてしまっては自分が狂人となってしまい、その咎がいつまでも自分を追い詰めることになる。
だから、アマリリスはベアトリスを屋敷から追放しつつ、彼女が落ちぶれない程度に陰から面倒を見てやらなければならなかったのに。
アマリリスは散々悩んだ挙げ句、今回は失敗したと割り切って諦めることにした。一応ながら、巻き返しのための保険は用意してあった。
「父上の病気に効く特効薬はギリギリで見つかったし、これを探しに行っていたから家のトラブルに気付けなかった体には出来る。その上で……ハァ……ベアトリスに、頭を下げるしかないかぁ」
アマリリスは何もただ隠れるために部下を連れ出した訳ではない。
この山の奥に父の病気に効く貴重な薬草があるという情報を仕入れていたため、隠れるついでにそれを手に入れる算段を立てていたのだ。前世ではその薬草の情報を手に入れられないまま父は寝たきりになってしまったが、『物語の記憶』の情報を元に父の病状とそれに効く薬をひたすら調べ続けていたのがギリギリで実を結び、つい先日薬草を手に入れた。
唯一の懸念は、山に入り込んでいた謎の忍者だ。
まさか部下のなかで最も信用していたマイルの手を逃れるとは思っていなかった。
不気味ではあるが、もし暗殺目的ならとっくに自分は死んでいる筈。
忍者の目的はこれから探っていくしかない。
アマリリスは、部下と共に敢えて焦った風を装って屋敷に戻った。
屋敷の者たちの反応は、安心半分、今更何をという反応が半分だった。ただ、父の病気の特効薬を手に入れたことや町の異変に気付けなかったことへの謝罪を伝えると、皆は概ね納得してくれたらしい。
薬は部下に任せ、アマリリスはベアトリスの居場所を尋ねた。
「ずっとあの子が仕切っていたのでしょう? わたし、姉なのに何も出来なかったからすぐにでも会って謝罪しないと……執務室にいるかしら?」
「いえ、ベアトリス様は執務室におられません」
「え……じゃあ自室? 書斎? お父様の看病?」
すると、メイドがおかしなことを言い出した。
「ベアトリス様はこの時間、屋敷の外に出て難民キャンプのお手伝いをしているのです」
「……へ? あのベアトリスが……?」
曰く――領主としての執務を必死にこなしつつ、空いた時間で彼女は身分を隠しながら難民を支援しているらしい。屋敷の人間も心配になるほどの多忙ぶりで、今でこそ王女が送ってくれた応援に執務を手伝って貰っているから負担は減っているものの、それ以前はいつ倒れるかはらはらするほどだったという。
アマリリスは妹の成長に感涙するふりをしつつ、内心で混乱の極みに陥った。
何故こんな状況で、あのスプーンより重いものを持ったことがないような妹が、不潔で治安の悪いであろう難民キャンプにいるのか。敵だらけである筈の難民キャンプに足を運ぶだけでも理解不能なのに、そこでお手伝いとはどういうことか。
人には人の為すべき役割がある。
為政者は後方で現場には出来ない判断を下すものであり、現場で働いても改善できるのは目の前のことだけだ。時には現場を知る必要もあるが、それも現場を知る部下がいればわざわざ自分の労力を割く必要はない。
ベアトリスのそれは、貴族らしい行いではない。
そんなアマリリスの疑問を知らぬ屋敷の人間がほろりと涙を流した。
「きっとアマリリス様がいつも屋敷の外で民に寄り添っていたのを思い出したのでしょう。デモで責め立てられる中、身分を隠しひとりで援助に……頼れるアマリリス様がいない今、自らも姉の如く勇敢であらねばならないという覚悟の現れでしょうな。鬼人の避難民が暴徒と化そうとした際も、暴力に耐えて無血で場を収めたと……」
(ええー……誰それ。本当に私の知ってる妹ぉ……? 催眠術師が誤情報植え付けるか世界線一本ずれたりとかしてないの?)
百聞は一見にしかず。
実際にアマリリスは彼女の様子を見に行く。
しかし、やっぱり見たところで到底納得はできなかった。
「エルちゃんお洗濯上手くなったねぇ」
「おばさま方のおかげです!」
誰が使ったかもよく分からない汚れた洗濯物を絶妙な魔法加減と手作業で洗い上げていくベアトリス。
「エルちゃん、テント50番の子供が遊んで派手に怪我しちゃったって!」
「ポーションもう使い切っちゃったんですか!? よくない癖が付き始めてますよこれ!」
「子供もストレス溜ってるからな……こっちの作業は俺が引き継ぐから頼む!」
「はい!」
見知らぬ子供の為に駆け出すベアトリス。
「エルちゃーん。その作業は一旦切り上げて休憩に入ってくれってよ。鬼人共がキャンプ出立前の最後の食事だから飯係増員することになってさ」
「そうですか。ちょっと寂しくなりますね……そういえばナツハゼさんとベニザクラさんの試合は結局どうなったんですか?」
「ベニザクラちゃんの圧勝よ! ナツハゼのやつ落ち込んでるから、最後にとびきりのジャガイモ料理で励ましてやんな!」
「腕によりをかけちゃいましょうか。ふふっ!」
じゃがいも女と化したベアトリス。
(どういうことなの? 何で乱暴された鬼人のためにご奉仕精神見せようとしてるの? マゾなの? 私の知ってるベアトリスと違いすぎるんだけど。平行世界の同一人物とすり替わってない? それともここは異世界なの?)
これは日常的に生活している異世界はもはや異世界ではなく、今の転生者からすれば現実世界の方が異世界なのではないかというメッセージを暗に伝える問いかけではない。が、人間にとっては身近な何かの常識が通じないというだけで周囲が異世界に見えるのかもしれない。
と、いきなりアマリリスの尻がぺちーん! と叩かれた。
「いったぁ誰ぇ!? 何ぃ!?」
振り返るとそこにはダークエルフの子供が二人いた。
子供は首をかしげる。
「あれ、エルお姉ちゃんだと思ったのに違う人だ」
「……つまんない」
「だね。あーあ、勘違いして損した気分ー」
「損した気分ー……じゃないわよなんで人の尻叩いてんのよ悪ガキ共!!」
余りにも理不尽な子供のいたずらに思わず怒鳴り、そしてはっとする。
「……姉さま?」
(しまったーーーーー!!)
まだ近くにいたベアトリスが目を見開いてこちらを見ている。
あちらからすれば、アマリリスはこのクソ忙しいときに屋敷の選りすぐりの部下を連れて雲隠れした迷惑超人である。一応カバーストーリーを用意したとはいえ、ギスギスは必至だ。
まずい、悪辣な仕返しをされる――!
まさか今まで上手くやってきたのにこんなところで凡ミスを、と焦るアマリリスの真正面に立ったエルは、ふぅ、と小さくため息をする。
「色々と言いたいことはありますが、今は時間がありません。お手をお出しください」
「え? う、うん……」
ここは彼女に従うしかないと思ったアマリリスは妹に手を差し出す。
するとベアトリスは手のひらの上に何かを乗せた。
それは生ぬるく、湿り気を帯びたナニカ。
別名を『女神に洗礼を与える者』。
時に子供に残虐に処刑され、時に子供に泣くほど嫌われる。
生態系においては昆虫と小型動物や鳥の間を繋ぐ重要な存在。
地平と水平の狭間を生きる、その者の名を――。
「ゲコ」
人は、カエルと呼んだ。
「いぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」
転生者アマリリス――彼女が転生の際に唯一「女神に頼んで克服させて貰えば良かった」と未だに後悔し、農作業の際にばったり出くわすと神にも祈る気分で木の棒を振って追い払うそれ。
しかも拳大のサイズを誇るそれを手のひらに置かれ、アマリリスは全身から蕁麻疹のような発作を起こして断末魔の悲鳴を上げ、やがて倒れた。




