14-4
コトハと違い、ブリットは直球だった
「俺の能力は女神にワガママ言って作って貰った特別製だからな。その代わり、先に謝るぞ。こんなやりかたしか出来なくてすまんが、誓って罠ではない!」
瞬間、ブリットの周囲に魔力ともオーラとも違う濃密で得体の知れないエネルギーが渦巻く。それは瞬時にブリットを中心のハジメの家全体を超えて球状に拡大する。
エネルギー内にはルシュリアたちも収まっている。攻撃する為のものではないか、或いは選別出来るのか、意図が分からないまま待っていると、視界の全てが光に包まれた。
気がつけば、そこは四角いリングの上だった。
四つのポールに張られたロープ。
いつの間にか服装もスポーツ用のパンツとシューズだけになり、そして両手にはグローブを嵌めている。口の中には何かが入っており、反射的に外そうとしたところで待ったが入る。
「それはマウスピースだ。大事な物だから入れておいてくれ」
目の前に居たのは、自分と全く同じ由緒正しいボクサースタイルになったブリット。天高くライトから照らされたこの場所は――ボクシング用のリングだ。周囲には観客席もあり、そこにルシュリア、コトハ、そして何故かフェオ、ショージ、イスラ、カルパもいた。後者は意図せずしてその場にいるのか戸惑っているようだが、カルパは落ち着き払っていた。彼らの周囲には、人だとは分かるが個人は特定できない薄ぼんやりした存在感が観客として騒いでいる。
「試合開始前に説明しよう!! これは俺ことブリットが女神から貰った、俺専用の固有空間――その名も『フィグ・スアジアム』!! ここは一つの小世界であり、ボクシングの神の下に平等! よって異世界法則よりボクシングルールが何よりも最優先される!!」
両拳を突き合わせたブリットは、まるで神聖な儀式を行うように言葉を紡ぐ。
「この世界には『ステータス』や『レベル』、『スキル』といった概念は持ち込まれない!! 武器の使用はもちろん禁止だし、ボクシングにおける反則行為には規則に則った厳しい判断が下る! もちろんリングを自らの意思で出たら敗北扱いとする! リング外の観客は応援の言葉以外で試合に干渉することは出来ない! 審判とセコンドはボクシングの神が平等に架空の人物を用意する! この世界の展開は試合決行の宣言であり、解除方法はリング上で決着が着いたときのみ!! なお、対戦相手にはボクシングのルールが自動的に記憶の中に刻まれるため『そんなルールは知らなかった』は通じない!! この世界に居る俺たちは魂だけがこの世界にシフトした状態であり、ここで何ラウンドの試合をしようが現実では一瞬の出来事に圧縮される!!」
話を聞き、ハジメは改めて自分の肉体の感触を確かめる。
特に違和感はないが、確かに冒険者としての人外じみた動きが出来ないようだ。その辺りの違和感の調整などは、ボクシングの神とやらがしてくれているのだろう。
「……つまり、ボクシングをしろと。経験者であるお前が圧倒的に有利に思えるが」
「そうでもないさ。何故なら、俺が女神から賜ったのはこの能力唯一それのみだ。肉体の強化や成長性の増加等は一切貰っていない。だから分かる――俺を冒険者と仮定した場合、俺は弱い。生前も大した才能はなかったんだ」
「なるほどな」
「そうさ、だから拳で全部語ってくれよ」
ブリットはファイトポーズをとった。
ゲーム的な経験値はなくとも、実戦経験そのものは持ち込まれるらしい。
ボクシングの世界とは全く違う世界で戦ってきたハジメには、彼には持ち得ない経験がある。
別に、付き合う理由がないのでリタイアしてもハジメは構わない。
しかしその場合、彼のような不器用な男は何度でも仕掛けてくるかも知れない。発動前に逃げる算段がつかない訳ではないが、その場合もやはり、彼は納得できずに何度も来るだろう。
一時の楽を取るか、将来の楽を取るか。
合理的なのは、後者だ。
「分かった、受けて立つ」
「ありがとな……へへっ」
ブリットは嬉しそうに笑った。
リングの中心で互いの右拳を突き合わせる。
気付けば何故かアフロのレフェリーがリングにいた。
双方位置につき、やがて、ゴングが鳴り響く。
ボクシングの経験はないが、体は自然と動いていた。
◆ ◇
玄関とは反対側のハジメ家の窓からこっそり中の様子を伺っていた四人は、突如として異質な空間に放り込まれて困惑した。
まったく見たことのない建築物内の席に座らされ、気付けば小さな決闘場のような場所でハジメと護衛の男――ブリットが向かい合っている。ブリットの叫びによって事情の半分程度はなんとか理解できたが、残りの事は意外にもショージが理解していた。
フェオは戸惑いつつも事実確認をする。
「つまり、ここはボクシングというスポーツの為の決闘場で、私たちは観客で、ハジメさんとあのブリットって人が選手ってこと?」
「そうそう。しっかしまかさこんな能力貰ってる奴が居たとはなぁ……野郎、手強いぜ。俺みたいなお気軽能力じゃなくてガチで好きなものを追求した能力だ」
意味は分からないが、それだけボクシングという競技に情熱を注いでいるらしい。
しかし、拳のみを使った競技だとしても、圧倒的な強さを持つハジメの勝利は揺るがない筈――そう思っていたフェオの予想は、開始僅か一分で覆される。
「シッ! シャアッ!!」
「……!」
ジャブという軽い拳からの二連撃。
特別速くは見えないそれをハジメがもろに受ける。
表情に変わりはないが、間違いなく今のは効いていた。
「ど、どういうこと!? あれくらいハジメさんなら楽勝で凌げる筈なのに――!」
ハジメほど圧倒的な実力があれば弱い魔物は素手でも殺せる筈だ。
それに彼くらいになると防具抜きでも多少の攻撃は受け付けない。
なのに、拳を受けるハジメにその強者の動きがない。
彼女の疑問に答えたのは、カルパだった。
「なるほど、ステータス無効とはそういうことなのですね」
カルパは冷静に二人の様子を観察しながらフェオに説明する。
「魔物を倒し経験を積めば身体能力は向上する……人々は当たり前のようにそれを受け入れていますが、実際にはこれは『神の最低保証』と呼ばれるものだとマスターがおっしゃっていました」
「神の、最低保証……?」
「例えばヒューマンとゴブリンならまだしも、ヒューマンとドラゴンのような差異はもはや生物種として比較にならない差です。一対一で戦う場合、ドラゴンは人にとって努力や才能だけでは絶対に勝てない存在と言えるでしょう。しかし現実には、ドラゴンを倒せる人間が世界に存在する。それらはどういった人ですか?」
「それは……ドラゴンと戦えるだけの経験と実績を積んでレベルを上げた人でしょ?」
「そうです。つまり、種族的に絶対に勝てなくても、経験を積んで努力すればその差をある程度は縮められるよう神は人間に『拡張可能な成長性』を用意しました。どんなに才能がなくとも努力すればなんとか強くはなれる保証……それが『神の最低保証』です。筋肉なんかがいい例ですね。鍛え抜かれた野太い腕を持っていても、より多くの経験を積んだ人間の細腕が腕力で勝ることがあるでしょう? あれは細身の側が、本来の体格差を上回る最低保証を貯めているからこそ可能な勝利なのです」
何となく、フェオには分かってきた。
ハジメは身の丈ほどある大剣をよく使うようだが、その割にハジメの腕は野太くはない。しかし、一般人で細身の人と野太い腕の人なら、野太い腕の人の方が腕力は強い。最初にその体格差ありきで話が始まり、そこに最低保証が重ねられるという順番なのだ。
「待って、それじゃあつまり今のハジメさんは冒険者として得た経験値や熟練度、スキルやレベルなどの力を全て失った状態であそこに立っているってことですか!?」
そんなもの、冒険者殺しもいいところだ。
会話しているうちにもハジメとブリットは殴り合い、そしてハジメの方が多くの拳を受けている。こんな不利な勝負をいきなり仕掛けることが出来る、その理屈が一切理解出来ない。
と、ゴングが鳴り響いて二人が自分の場所らしきポールへ移動する。
二人はアフロのセコンドから助言を受けたり水を貰っているようだった。
「3分経ったんだ。1ラウンド目の後の小休止を挟み、次のラウンドが始まる!」
「何なのよあのブリットって人……こんな魔法聞いたことない! 異能者ってやつなの!?」
「あー、多分そっちだろうな。こっちの世界で固有結界とか体系化されねぇだろうし」
また病気が出ているショージだが、彼の解説に助けられているのは事実なので多少の意味不明な言葉は聞き流す。
何故ハジメがそんな不利な戦いをしなければいけないのか――それはリングを挟んで反対の場所で優雅に二人を見つめるルシュリア王女のせいに他ならない、とフェオは憤った。自分の道楽に人を付き合わせるあの傲慢な姫に我慢ならずに立ち上がるが、怒る彼女の肩を掴んでイスラが止めた。
「駄目だ、フェオさん。ここは神の下に平等な場所らしい。つまり、戦いの決着は決闘の結果のみ。場外乱闘は恐らく許されないし、意味がない」
「でもッ!!」
「信じよう、ハジメさんを。送っていいのは応援だけだ」
そう訴えるイスラの手にも、微かに汗が滲んでいる。
彼も沢山思うところがあるのをぐっと堪えているのだと感じた。
フェオは、一度大きく息を吐き、決める。
ハジメを信じて応援を続けると。
「いけー、ハジメさーん!! うちの村代表として負けるなー!!」
今の自分に出来るのはそれだけだ。
またゴングが鳴り、試合が始まる。
第二ラウンドもブリット優位で試合は進み、次第にハジメの体のあちこちに痛々しい痣が出来ていく。ラウンドをまたぐたび、ハジメの顔は別人のように腫れ上がり始めていた。あまりにも痛々しく、拳の命中する音が生々しく、フェオは彼の辛さを想像して涙が零れた。
◆ ◇
ハジメは、ここ数年縁遠くなっていた痛みと疲労感に肩を上げて息をしながら、不思議な充足感と懐かしさを覚えていた。
まだ冒険者として未熟だったとき。
より危険な任務を受けられるようになったばかりの頃。
或いは、転生前。
そうした、未熟だった時代に何度も感じたことのある苦しみだ。
しかし、あの頃とは何かが違うとも思う。
心臓がばくばくと鳴り、肺が足りないのではないかと思うほど激しく息をする。オーラを行う時の呼吸を応用すると少しだけ呼吸が楽になるが、オーラの力が漲りはしない。今のこれが本来のハジメのあるべき姿なのだと教えているかのようだ。
(当たり所が悪ければ一発敗北……しかも、相手はボクシング経験者。こんな不利な状況はいつ以来か……ここでは死ねそうにないのが残念だ)
今のハジメは精神だけの存在としてここに招き入れられている。
だから、ここでどんなに傷つこうと現実では精神以外に影響はない。
冒険者として培ったあらゆる効率的な行動が封じられ、素手という生物としての基本機能しか使うことが出来ない極限の環境。勝つためには、相手と同じ土俵で同じ努力をしなければならない。今までハジメがほぼ経験したことのない、対等な闘争だ。
ゴングが鳴り、コーナーに戻る。
また痛みが襲ってくると分かっているのに、次のゴングが待ち遠しい。
(こんなに疲労しているのに、こんなに痛いのに、死ねない。だけど、それを忘れるほど心地よい瞬間がある……? 世の中にはこんな気持ちにさせてくれるモノがあっただなんて……)
と、セコンドのアフロ男が近づいて声をかけてくる。
「ヘイ、ハジメ! どうやら落ち着いているようだから呼吸を整え、返事せずにただ聞け。ブリットの強みとお前の強みは違う。もうすぐお前の強みを出せるタイミングが来る! それまで堪えるんだ!」
ハジメは視線だけ送って了承の意を伝えると、アフロセコンドは白い歯を見せて無駄にいい笑顔をした。渡された水を口に含み、吐き出す。セコンドがたらいで受け止めると、そこに口の中を切ったことで出た血が混ざっていた。
(リアリティ……)
不意に、そんな言葉が脳裏をよぎる。
そうだ、ここには依頼も正義もない、剥き出しの自分がいる。
今まで誰かの為にとか、善悪とか、そんなことばかり考えていた。自分の事という感覚が薄く、二度目の人生ということもあって何処かリアリティに欠けた時間を送ってきた。
しかし、ハジメにとってこの戦いは人生でほんの短い時間しか味わったことのない、圧倒的な現実感を与えてくれている。
(俺はずっと夢を見ていたのかも知れない。これが本当に生きるということなのかも――)
ハジメの背中に浴びせられる言葉に、ふと我に返る。
「ハジメさーん!! 頑張れ、頑張れぇーー!!」
観客席の喧噪に負けじと張り上げられた大声に、ハジメは苦笑した。そこには、泣きそうな顔で叫ぶフェオの必死な姿があった。いろんな感情がない交ぜになりながらもハジメを応援してくれる彼女の真剣さが伝わってくる。
(俺がこれまでこの世界で出会ったひとたちは、ちゃんと現実だ。現実感が薄かったのは、俺がぼーっとしていただけか)
それを実感できて、何故かほっとした。
存外、自分はフェオを特別に思っているかもしれない。
やがて次のラウンドがやってくる。
ハジメは拳と拳の衝突する決闘場に、自らの意志で足を踏み出した。




