14-1 転生おじさんはあの子がすごくお嫌い
――時は遡り、ハジメがロムランに飛ぶ少し前。
シャイナ王国はこの地上において最も長く続く国家の一つである。
国土、国力は世界最大級。
更には代々、主要な神器の管理も行っている。
そんなシャイナ王国は今、魔王軍の活性化に頭を悩ませている。
魔王軍が率いる多数の軍団は人類の防衛網を嘲笑うかのように世界各地に出現し、あちこちで魔王軍と人の激突が繰り返されている。
炎熱軍団、氷河軍団、地鉄軍団、飛空軍団、呪毒軍団――魔王軍五大軍団とされるこの五つの軍団を壊滅させたうえで魔王を倒さなければ人類に未来はなく、そして軍団の長が座する城を覆う結界は神器にしか破れない。
故に、人類にとって神器を手にする勇者を見つけるのは急務だ。
世界の命運は、全て勇者の双肩にかかっているのだから。
――実際にはもう一つ『暗黒軍団』という裏工作を行う軍団がいるのだが、だいたい表で名を名乗る前に勇者に計画を潰されるので彼らの悪行は他の軍団の仕業にされ、毎度毎度後世に名を残さない悲しき軍団なので当然の如く認知されていない。
これは「実は隠された軍団がもう一つあるのだ」という展開を勇者に提供するために世界がそういうことになっている為であり、彼らは勇者からも忘れられたり「もう終わったことだ」ともったいぶって結局何も記録を残さなかったりして、次の魔王出現までの間に必ず忘れられる定めにある。
閑話休題。
ともかく、世界の命運は本来なら勇者に懸かっている。
しかし、シャイナ王国最高意思決定機関『十三円卓』は予想だにしない報告のせいで微妙な空気に包まれていた。
「では、飛空軍団が壊滅状態というのは間違いないのだな?」
「はい、幹部以下多数の主戦力を失った飛空軍団はもはや烏合の衆で、他の軍団と合流する気配もありません」
「神器使いの選定が行われ、勇者レンヤが選ばれる前にか?」
「前にです」
魔王軍幹部は高確率で結界のある城に居座る。
この結界を突破できるのは神器に選ばれた勇者のみ。
故に、魔王軍幹部は勇者にしか倒せない。
それが連綿と魔王との戦いを繰り返してきたこの世界の理だ。
しかし、知るかボケとばかりにその常識は覆された。
「なんなんだ、あやつは。いや本当になんなんだ」
「本人は魔王軍幹部を撃破したかどうかは知らないと全力でしらばっくれていますが、ビスカ島で符合する目撃証言も挙りました。状況からして飛空軍団の長は城の外を移動中に彼に始末されたと思われます。既に飛空軍団が壊滅したらしい情報は大陸中に知れ渡り、各国からは今代の勇者は仕事が早すぎると驚き交じりの確認の文が多数届いています」
「ぬぅ……せめて倒した者があの男でなければ堂々と返答できたものを……」
「忌々しい男だ。どこまでも我々の邪魔をする!」
老人の一人が苛立たしげに拳で机を叩く。
彼でなければその人物を勇者パーティにねじ込んで「勇者の功績」というこじつけが出来たのに――と、十三円卓に集った老人たちは揃って眉を顰めた。
「冒険者、ハジメ・ナナジマ……!!」
ハジメは世界最強と謳われるほどの実力を持つ冒険者だ。
来歴は一切不明。時折この世界に現れる異能者のような異常な力は確認されていないが、冒険者となった時から如何なる危険な依頼も断らず、依頼達成率はほぼ100%。
未だに生存して成長を続けているという事実が、彼のある種の異常性を物語っている。
彼の道は華々しさとは無縁であり、王国からの招待を断ってまで夥しい魔物の屍と財を築き、やがてその勇名は『死神』という異名に変貌。彼自らは目立ったトラブルは起こさないものの社交的な人物とは言えず、気味の悪さが勝っていた。
彼に関する噂は枚挙に暇がなく、その殆どが黒い噂。
されど、王国が幾ら調べても、彼は果てしないまでに潔白。
余りにも潔白すぎて逆にそれが王国の疑念を晴らさせてくれない。
何よりも決定的なのが、彼は一度不敬罪を犯している。
その時は何故かシャイナ王国の王女が即座に例外的恩赦を与えたため裁かれることはなかったが、それ以来国王はこの不敬者を二度と城に招き入れることも、英雄として扱うことも、勇者のパーティに入れることも禁じてしまった。
そんな存在が魔王軍の幹部を倒すという歴史的快挙を成し遂げたと、誰が大々的に発表できるだろうか。間違いなく国王はそれをお許しにならないだろう、と円卓の老人たちは苦い顔をする。
「こんなことなら魔王軍幹部など倒されなくてよかったわ!」
「しかも冒険者から追放しようにも、死亡率の高い任務を完璧にこなすからと地方領主やギルドは絶対にこいつを手放そうとはせん!!」
「やむを得ん。飛空軍団幹部は表向き勇者レンヤが倒した扱いにする方向で調整しよう。幸か不幸か、奴は自分の手柄を自慢する趣味を持たぬ。事情を話せば素直に言うことを聞くだろうよ……それはもう、不気味なまでに」
ハジメの忠実さが逆に信用ならぬと言わんばかりに十三円卓の老人達は鼻を鳴らす。彼らには、どうしてもハジメの態度に裏があっていつか最悪のタイミングで裏切るのではという疑念が拭えない。
自分たちならば、そうするから。
「奴には少し灸を据えねばならんな。とはいえ、この決定に王女殿下がなんと言うか……」
「ルシュリア様にも困った者だ。あれのどこがそんなにも良いと仰るのであろうな」
ハジメのことをやたらと慕う自国の王女を思い出し、老人たちはまた深いため息をつくのであった。
◇ ◆
シャイナ王国の王女は、その名をルシュリアと言う。
御年十五歳。絶世の美少女であり、彼女こそシャイナ王国の至宝、宝石姫だと世間は呼ぶ。
容姿端麗、才色兼備。また慈悲深いことでも有名で、何が起きても静かに木陰で微笑んでいるような儚さは多くの人を魅了してきた。彼女が茶会で漏らす吐息は今も城の外のどこかで誰かが苦しんでいることへの憂いである、などという噂が立つほどだ。
また、国王に溺愛された彼女は特殊技能を持つ私兵を持つことを許されており、彼女の下にはルシュリア自ら選別した老若男女貴賎を問わない忠誠心に溢れる部下が揃っている。
彼女はその部下たちに頼んで王国中の情報を集め、時に問題を誰よりも早く王に教えたり、苦しむ民に救援物資を送ったり、時に自分が動いたりと誠心誠意王国に尽くしている。その姿はまさにノブレス・オブリーシュの手本であった。
一方で、ルシュリア王女は不思議な面もある。
以前、心の底から娘の笑った顔を見たいと言い出した国王が国中から個性あふれる人間を城に集めて笑顔大会なるものを開いた。しかしルシュリアは彼らの武勇伝や芸を褒め讃えはしたが、閉会式まで『いつもの』笑顔だった。
ところが参加者の一人がいきなりルシュリア王女の悪口を堂々と言い出し、状況は一変。顔面蒼白になる周囲とは対照的に怒りで顔が紅潮した王を尻目に、その日ルシュリア王女は初めて誰も見たことのない大笑いを見せたのである。
何が彼女の琴線に触れたのかは今も謎でしかない。
ルシュリア自身もその事を周囲には語らない。
確かなのは、その不敬な男が王女によって赦されたことだけだ。
一説には、彼女はこの不敬な男を助ける為に敢えて大笑いをしたともされるが、彼女はその後も定期的にその不敬な男を気に入ったような態度が垣間見えるため、怒れる王と王女の間に挟まれた者は曖昧に微笑むしかない。
そんなルシュリア王女は、十三円卓会議の結果から彼らの会議の内容を想像し、ため息をついた。
「そんなのだから貴方方は脳みそ十三円なんですわよ」
誰にも聞こえない、ほんの小さな呟きだった。
控えていた使用人がそれに反応する。
「……? 如何なされましたか?」
「いえ……コトハとブリットをここへ」
「仰せのままに、姫様」
恭しく一礼して遠のいていく使用人の姿が見えなくなり、暫くして自室に二人の人物が入ってきた。
片方は部下のコトハ。地方貴族の三女だが、特殊な力を持つため引き入れた。
もう一人は平民のブリット。彼もまた特殊な能力者だ。
二人が礼をして自らの前に傅いたのを確認し、ルシュリアは用命を与える。
「ハジメ・ナナジマに伝達事項を直接伝えるため、フェオの村と呼ばれるハジメの私有地に向かいます。ついては、道中の護衛をそなたらに命じます」
「はっ!! ……は?」
条件反射的にうなづいたコトハが、一度冷静になって首を傾げる。同じように首を傾げたブリットは少し遅れて王女の言葉の意味に気づく。
「ん? あれ? ルシュリア様が自ら向かうの?」
「そうです。目立たぬよう護衛は貴方方二人だけです。出立は今から。無理を言いますが、二人なら成し遂げられると信じております」
シャイナ王国の至宝と呼ばれる美貌を最大限に活用し、ルシュリアは万人が魅了される美しい笑みで二人の護衛を頷かせた。
そして時は進み、彼女たちはロムラン支部での一件を終えたハジメの元へと向かうのであった。
◇ ◆
その日、ハジメは非常に珍しくオフだった。
ロムランでの潜伏が思いのほか早く終わり肩を落としていたハジメだが、いざ戻ってみると何故か自分宛の指定依頼や高難易度クエストが全く発注されていなかったのだ。原因は判然としないが、恐らくはロムランでの派手な一件が勘ぐられたのだろう。
(他人の領地にこっそり潜入して身内の醜聞を暴いたわけだからな。国内で『そういう動き』があると見て警戒したか)
権力を持った人間には後ろ暗い所の一つや二つはあるものだ。
まして身内の不祥事まで探られるとなると、下手な真似は出来ない。尤も、ロムランの一件は単なる偶然なのだが。
しかし今日のハジメはひと味違う。
金を稼げないということは散財日和ということだ。
ここ最近パッとしない散財ばかりでまた金が溜まってきたハジメは、セントエルモの篝火台(7000億G)や希少竜の卵(1000億G(時価))に並ぶ大きな買い物をしたいと思っていた。
「しかしあのレベルの品はそう簡単に見つからなくてな。しょうがないのでこれにした」
「これにした。じゃなくてですねぇ! もー怒る気も失せそうですよ……」
フェオが目頭を押さえてダメだこいつとばかりに首を振る。
ハジメが買ってきたのは、巨大な鐘楼であった。
明らかに大きな教会などで使われるような荘厳な細工が施された鐘楼は、値段にして5000万G。ハジメにとっては鼻くそのような値段だが、町ですぐに買えそうな品で最も高いのがこれなので仕方がなかった。
既に鐘の存在に気付いた住民が集まっており、主にはぐれ聖職者のイスラと転生者のショージが興味を示している。
「鐘ですか……いいですね。この村は時刻を知らせる鐘がなくて少し寂しいとは思ってたんですよ。それに鐘の音色には魂を鎮める効果もあります。見たところ本格的な品のようですし、教会の上を少々改築すれば置けると思います」
「いーじゃんいーじゃん、ついでに時刻を知らせる鐘にしようぜ! 俺も実は試したいのがあったんだよねー、時計と連動して自動でガラガラ鳴る絡繰り! ゴルドバッハのおっさんとシルヴァーンのおっさん、それにカルパちゃんにも色々習ったからな!」
ショージは件の病気――転生日本人オタク特有のアレ――をあまり発症しなくなってきた。が、まともになった訳では全然まったくなく、職人気質のかっこよさを醸し出す為に敢えてそう振る舞っているだけらしい。惜しむらくはその姿を見る人間が少ないという事実に気付いてないことだろうか。
それにしても、イスラとショージが仲良くなるとは思わなかった。基本的にはイスラがツッコミに回る姿が見られるが、やはり同年代ということもあって互いに話しかけやすかったのだろう。マトフェイは「悪い虫がついた」と呟いていたが。まるで過保護なお母さんだ。
「な、いいだろフェオちゃん! 鐘なんてあって困るモンでもないしさ! 責任持って俺らが加工するから!」
「僕からもお願いします!」
「まぁ、もう買ってきちゃってますし……今から返しに行くのも相手に迷惑かぁ。分かりました。村長として設置は許可します~……」
どこか不満げに口を尖らせて許可するフェオの許諾を受け、イスラとショージがハイタッチする。
今日のフェオは少々ご機嫌斜めなようだ。ハジメとしては教会の鐘はいいものだと思うが、何が不満なのだろう。少し気になったハジメは話を振ってみる。
「村にも物が増えてきたな。町並みも段々と洗練され、ツリーハウスも整然としてきた。住民もそろそろ当初の予定である30人に達する。次は何を目指すんだ?」
「とりあえず村の男女比の偏りをどーにかしたいですけど? 最近ハジメさんがかわいい女の子ばっかり連れてきますしー?」
じろりと睨まれ、どうも彼女が自分の連れてくる入村希望者に不満があるらしいことを察するハジメ。そうは言われても、見つかる希望者が女性ばかりになるのは偶然なので仕方がないと思う。
ただ、考えてみればハジメは能動的にスカウトをしたことがないので、それが一因になっている可能性があることに気付く。
「なら人材捜しにもう少し本腰を入れて取り組むか……宿以外の飲食店や服屋、本関連の店などを運営する人材がいるといいんじゃないか?」
「そりゃ、いれば嬉しいですけど……って、ハジメさん手伝ってくれるんですか?」
「今のところ人口が少ないからヒヒとショージが生産と物流を賄っているが、さっき挙げた施設に必要な物資はほぼ外の町に依存している。あって困ることはないだろ?」
「いやそうじゃなくて……私の借り、増やしちゃっていいんですか?」
心なしかいたずらっぽい顔で言われ、ああ、と思い出す。
借りを返したいから、返し終わるまで死なないでくれ――そんな意地悪を過去に言われたことがあった。素直に頷くのも躊躇われ、少しひねくれる。
「別に、俺にとってもあって困るものじゃない。共通の利益は借りでも何でもないだろう」
「ふーん? へー? じゃあ私たちは共通の目的の下に助け合う者同士ってことですね?」
「元々そういう関係でもあっただろ……」
先ほどの様子から一転してフェオの機嫌が良くなっていくが、自分をダシにしたものだと思うと素直に喜べないハジメである。まぁ、不機嫌なままでいられるよりは幾分かマシだろう。彼女の表情が暗いと村全体が盛り下がる感じがする。
「とにかく、村の邪魔になるようなものは買わないようにするし、暇があれば人材は探しておく。できるだけ男をな」
「次に女性を連れてきた場合は何をしてくれるんですか?」
「だから意地悪を言うな――」
完全にからかっているフェオに苦言を呈そうとした、そのとき。
「――あら、わたくしのハジメ様に意地悪をなさるお方がいるのですか? それは困りましたわね?」
この村に場違いなまでの、鈴が鳴るような可憐な声が響いた。




