13-6
レイザンは、マンティコラのことを誰にも言わなかった。
ユユのこともシオのこともナナジマのことも、一切知らないふりを決め込むと心に誓った。何故なら自分はベテランクラス冒険者で失敗のない天才魔法使いのレイザンなのだから。自分に失敗があったなどという醜聞を漏らすくらいなら、マンティコラにその辺の農民が食われた方がまだましだったからだ。
リリアンは自責の念でもあるのか、自分の家に帰っていた。
自分と褥を共にすればそんな感情は簡単に飛ばせるというのに、詰めを誤ったとレイザンは不機嫌になる。おまけに、おそらくマンティコラに殺害されたであろうシオとナナジマの死体漁りも出来ず、ユユがいなくなったことで便利な駒も減ってしまった。
前に手をつけた女を呼び戻すか、と憂鬱な気分になったレイザンは、いつもと違って一人でギルドに入った。
そうだ、アイビーに手をつけよう、と思う。
アイビーはいい加減なようで意外と面倒見がいい女なので、信じて送り出したナナジマ、そして彼と合流した筈のピノ及びリオルの心配をしていることだろう。ナナジマから身包みを剥がす作戦に邪魔だったピノとリオルにはちょっとした小細工をしておいた。二人は今頃宿屋で二日酔いに悩まされてまともに動けない筈だ。
こちらの存在に気付いたアイビーはいつもの愛想笑いでこちらに手を振る。
彼女に気がないことなどお見通しだが、それも今日まで。
レイザンに本気でかかってオとせない女はいない。
「おっす、レイザンさん。なぁ、昨日からクエストに向かったナナジマとピノとリオルが帰ってこねーんだけど、なんか知らないっすか?」
「いいや、生憎と昨日は実家に呼び出されてたものでね、存じ上げないな」
「そっかー……ま、信じて待つしかないよなぁ。あれ、ところで普段一緒の三人は?」
「まぁ、ちょっとな」
「行方不明とかじゃないよな……」
「はは、まさかぁ」
言われて心臓が跳ねるが、動揺は抑えた。
彼女は今、自分が担当した依頼に向かった冒険者たちに何かあったのではという不安感に苛まれている筈だ。そのような不安こそが、レイザンが女をオとす絶好の隙になる。さりげなく、レイザンは受付に乗るアイビーの手をそっと触れる。
「君の仕事は信頼しているよ。それでも駄目だったなら、彼らはそこまでということさ。君が気に病むことではない。我々は冒険者、不慮の死にも覚悟を持って仕事をしているのだから……」
レイザンはつらつらと言葉を並べながら、いつもそうしているようにごく自然に――アイビーに微量の魅了魔法を使った。
それが、レイザンが女をオとす秘密。
ほんの一瞬だけ不安を和らげるのに魅了を使ったり、こちらがときめいて欲しい瞬間に微量の魅了を使うことで、レイザンは女の印象操作を行い好感度を上げ続けた。魅了で誤魔化せば好感度の下がる言動も全て誤魔化せた。
しかも一瞬の発動という高度なテクニックによって、周囲に魅了魔法を使っていることを一切悟らせなかった。
魅了魔法はレイザンが人生で最も多く使った魔法だろう。
しかし、その飽くなき性欲が、己の命取りになることを彼は知らなかった。
次の瞬間、レイザンは背後から一瞬で腕を掴まれ、組み伏せられた。
「ぐあぁぁッ!? だ、誰だテメぇ!! 離れやがれ――」
「サイレント」
「――ッ!! ――ッ!?」
サイレント、それは一時的に対象が声を出せなくなる状態異常魔法だ。効果はせいぜい30秒程度だが、魔法使いが自慢の魔法を一切使えなくなるというのは実戦では洒落にならない。だからレイザンも金に物を言わせてサイレント無効の指輪を所持していた。
しかし、そんなレイザンの目の前に、装備していたはずの指輪が複数転がる。
レイザンは暫くそれを呆然と見つめ、遅れてやっと自分の指輪が全て抜き取られたのだと気付く。シーフが習得するという武装解除のスキルかもしれないが、知識に自信が持てない。混乱して目を白黒させるレイザンの目の前に、衛兵とギルド職員と聖職者らしき人物が並んだ。
全員が、断罪者のような面持ちでレイザンを見下ろす。
まず、仮面の聖職者が口を開いた。
「異端審問官のマトフェイです。教会に連なる者として、貴方の発言の真偽を確かめるために『ライアーファインド』という特殊な魔法道具を使用していました。結果、貴方はこの短時間に三つの虚偽を重ねています」
聖職者が手に持つ小さな天秤、ライアーファインドには真実と虚偽の二つの皿があり、その虚偽の側に幻影の錘が三つ重なっている。教会が罪人を裁く際に使う特別なアイテム、だと思う。
次にギルド職員が冷酷な目でレイザンを見下ろす。
「教会の方による真偽証明ではっきりとしたギルドへの虚偽報告の他、複数クエストでのすり替わり工作への関与、同じ冒険者への暴行容疑、そしてギルド職員への魅了魔法の使用。そのどれもが重大な違反行為です。貴方のベテランクラス昇格にも魅了ないし恐慌魔法による不正の疑惑が浮上しています。諸々の条件を以て、現時点で貴方の冒険者資格を完全に剥奪します」
最後に、衛兵が心底下劣な存在を見る目で重苦しく告げる。
「貴様を禁止魔法道具の所持及び使用の罪で逮捕する。今まで随分と罪を父君に誤魔化して貰ってきたようだが、今回ばかりは庇い立ては期待するなよ。まったく、愚かしいことこの上ない……貴様は自分で自分の首を絞めたのだ。いくつ余罪が芋づる式に出るか見物だな」
「――ぶはっ! き、禁止魔法道具だとぉ……?」
漸くサイレントが解けるが、自分を組み伏せた何者かが魔法封じの拘束を施したのか、抵抗しようにも魔力が定まらない。動揺によるものか思考がまとまらない彼の目の前に、見知らぬ男が近づいて指輪を見せつけた。
「どーも失礼、俺は冒険者のブンゴ! 特技は超鑑定能力。短い付き合いだけどよろしくな!」
「ああッ!? なんだテメぇ殺すぞッ!!」
場違いにも馴れ馴れしく近づく男に凄むが、拘束を解けないので口先だけだ。ブンゴはそんな彼に「おお怖っ」とわざとらしくのけぞるが、にやけ面が隠せていない。あまりの屈辱に歯ぎしりする。
「お前さんの持つこの指輪、調べさせて貰ったよー。こいつは500年前にさる高名な道具作成職人が作った品の一つだ。しかし彼の作った道具は強力ながら大きな問題点があったことから、国は彼の作ったアイテムの所持を法律で禁止し、もし自分の意思でそれを国に返納したならば免責ないし褒賞を与える法律を作ったんだ。お前がそのことを知ってたかどうかまでは知らんが、悪用するから見つかるんだぜ?」
ブンゴは改めて指輪を掲げる。
レイザンはそこに至ってやっと、それが自分の魔法の要である指輪だということを認識する。自分の要の割には何故いままで気付かなかったのか、と自分で自分を不思議に思いながら。
「それは俺の指輪だぞッ!! おい汚ぇ手で触んじゃねぇ殺すぞッ!!」
レイザンが凄んで見せるも、全てを見透かしたような薄ら笑いを浮かべたブンゴは鼻で笑う。
「俺はそれがないと何も出来ないんだ、の間違いじゃね? 今のお前……『双魔掌』なんて名乗れるほどの力が発揮できるのかねぇ?」
レイザンは、背筋に氷柱でも投げ込まれたような悪寒を覚えた。
それは、レイザンが誰にも知られたくない秘密だったからだ。
ブンゴはギルドの全員に見えるよう堂々と指輪を掲げ、レイザンの秘密を暴露した。
「こいつの名前は『インデックスリング』。効果は装備者が指輪に登録された多数の魔法を使えるようになること。この使えるようになるってのがミソで、習得もしてない魔法を使えるようにするために――この指輪は装備者の『賢さ』を無理矢理上昇させる効果が付随してる。ついでにインデックスに登録された魔法の中には『魅了』も入ってるみたいだな。てかお前……この指輪の魔法の使用履歴ドン引きだよ。9割魅了じゃねーか。自分の父親にまで使ってるしさー……」
「な……なんでそんなことまで知って……」
心底気色悪そうなブンゴの言葉に、レイザンは顔面蒼白になる。
それは、今の今まで必死に隠匿していた自らの強さ、魅力、立場の全ての源に相違なかった。
彼の言うことには理解出来ない部分もあったが、確かにレイザンが普段使う魔法で最も頻度が多いのは魅了なのだ。図星を突かれて思わず本音を漏らしたことに、レイザンは後になって気付く。
「お、俺を嵌めやがったのかぁ!? 自白を引き出すために!!」
「勝手に自爆しただけだろ? 人のせいにすんなよー」
周囲がやはり、と床に転がるレイザンに侮蔑の視線を浴びせる。
教会に不徳を暴かれ、ギルドに追放され、犯罪者の烙印を押され、更に天才的な魔法の技能がたったいま失われた。いや、正確には最初からそんなものは存在しなかった。
何故ならその知恵は、指輪が齎したものだったのだから。
拘束されたまま無理矢理立ち上がらされたレイザンの視界に、嘲笑や納得の表情を浮かべる冒険者たちの姿が映る。受付のアイビーに至ってはこっちを見るなとばかりにハエを追い払うようなジェスチャーをしていた。
「ンだよこれ……ありえねぇだろ……」
こんな扱い、受け入れられない。
一廉の理性がもう無理だと訴えるが、認められない。
何故このギルドで一番尊敬すべき自分を誰も助けないのかと、レイザンは感情のままに怒鳴り散らす。
「オイクソゴミ冒険者共ッ、さっさと俺様を助けろや!! 何笑ってやがる、何見てやがるッ!! だからテメぇらゴミなんだよッ!! 俺はベテランクラスの冒険者だぞ、今この町の近くには人食いマンティコラが出てるんだ!! 俺がいないとお前ら如き皆殺しになるぞッ!!」
「――マンティコラなら昨日のうちに全部討伐されたわよ」
「あぁッ!? あ……お前シオじゃねえか!!」
つかつかと人混みを分けてシオが姿を現す。
地獄に仏とばかりにレイザンは即座に彼女に命令した。
「シオ、魔法ぶちかましてこいつらを追っ払え!! 俺は無実の罪を着せられて、このままだと牢屋行きだ!! やってくれたらお前だけ愛してやるって!!」
「そう」
シオはその言葉を適当に聞き流している。
シオは少し特別扱いすればすぐに舞い上がって機嫌をよくする筈なのに、何だ、何故だ、こんなチョロい女が――レイザンは困惑した。
「レイザン……今確認されてる魔法の属性数はいくつ?」
「はぁッ!? そんなの、ええと、火、水、土、風、ええと……色々だ! 色々ある!! 6個、6個だろ!!」
「じゃあエーテルとマナの違いは?」
「どうでもいいだろ、知るかッ!!」
「魔法と錬金術はどうやって定義を分けてるの?」
「一緒だ一緒!! そんなくだらねぇことより俺を助けやがれッ!!」
下らないこと――その一言に、シオはゆっくりと目を伏せた。
「以前の貴方は私の質問に下らないとは言わなかったし、初めて会った時は今の質問にすらすらと答えたわ」
「は……?」
「ああ、指輪取られて記憶力も低下してるわけね。もう最悪……本当に、指輪がないとただの馬鹿じゃん! こんなバカに惚れてた過去の自分を絞め殺したい気分だわ……この……下半身野郎ぉぉぉーーーーーッ!!」
シオは拳を握りしめ、レイザンの顔面を全力で殴り抜いた。
細身の体からは想像もつかない強烈な痛みにレイザンは情けない悲鳴を上げる。
「いぎゃああッ!?」
「もう一発、ユユの分も食らっときなさいッ!!」
「バはぁッ!?」
更に返す拳でもう一発が叩き込まれ、レイザンは両頬の強烈な痛み、衝撃、腫れによってもう喋る気力さえなくなった。そんなレイザンを心底軽蔑する視線を送るシオは、最後にレイザンの背後に目配せした。
そういえば、さっきから自分を拘束しているのは誰なのだろうか。
背後の男がレイザンの身柄を衛兵に移すことで、彼はやっとその姿を認識し、そして絶句した。
「ふぁ……ふぁんへおあえおあ……」
「お前はずっと気付かなかったようだが、俺の名前はハジメ・ナナジマ。アデプトクラスの冒険者だ」
「ふぁっ!?」
こんな冴えない男が、と言う驚愕を余所に、彼は普段と変わらぬ態度で一方的に話す。
「俺からお前に言いたいことは二つある。一つはお前の父親のことだが……実は俺は領主だのといったお偉方御用達の冒険者の一人でな。お前の父親より上の位の人間にも顔が利く。そんな俺に息子がたかっていたと知ったお前の父親は床に頭を擦り付けて謝罪したよ。お前もお前だが、お前を放任し続けた父親も父親だ。二人で非を認めあって、魅了抜きで今後の身の振り方をきちんと話し合え」
それともう一つ、とハジメは人差し指を立てた。
「手から魔法を放つスタイルはやめとけ。杖と違って予備動作が大きい上に、腕の向く方に魔法が発射されるのがバレバレだから一部の魔物には魔法が全然当たらんぞ。ついでに言うと、どんなに他の装備で努力しても魔法の効率は最終的には杖主軸が最適解だ。まったく、指輪で知能を上げているのに何故そこに気付かないのやら……」
戦いを極めすぎた男のズレた忠告に、レイザンはもう何も言い返す気力がない。
全ての虚構を剥ぎ取られて恥の塊となったレイザンは、そのまま衛兵たちに連れられてその場を去ってゆく。恐らく彼が冒険者として再起する日は二度と来ないだろう。




