13-4
宿泊予定の小屋は、ギルド管理で魔物対策の結界も張ってある場所だ。
だからこそ魔物が生息するこの森のなかで休憩、宿泊場所として機能する。
しかし、小屋は見るも無惨に倒壊し、とても宿泊など不可能だ。
そんな中で冷静なハジメはゆっくり小屋を観察し、口を開く。
「見たところ結界を破壊されているな。結界の存在と意味を認識できるほど知能の高い魔物が破壊したと見るべきか」
「よ、予定が完全に狂っちゃった……」
「ああもう、めんどくさいわねッ」
リリアンががっくりと肩を落とし、シオは毒づく。
予想外のアクシデントがあったとしても、犯行が失敗したとなればレイザンは間違いなく不機嫌になる。機嫌が悪いから暴行してくるほど彼は女性に対して野蛮ではないが、態度は悪くなり周囲に当たるだろう。
どう伝えたものか気が重くなるシオの耳に、ふと聞き慣れない声が届く。
「……けて。たす……けて……苦しい……」
「これ、小屋の瓦礫の中から……?」
「たす、けて……足が、挟まって……」
「生存者がいるの!? 待ってて、今行くから!!」
瓦礫の隙間から人の手が出て揺れているのが見え、リリアンは慌てて瓦礫に近寄ろうとする。しかし、ハジメが即座にリリアンの肩を掴んで制止した。
「なっ、ナナジマさん!?」
「落ち着け、もう死んでる」
「でも声がしてるじゃないですか!! 腕もほら、必死に振って……」
「探知スキルに感一つ、索敵スキルにも感一つ、どちらも同じ場所からだ。助けを求める人間がこちらに敵意を持つ筈がない。動きも変だ」
「お願い……苦しい……たすけ、て……」
左右にゆらゆらと揺れる腕は、確かに助けを求めるというより、無理矢理誰かが腕を掴んで左右に振っているかのように手首に力がない。シオも当初は動揺して咄嗟に生存者だと思ったが、言われてみれば確かに索敵スキルにも反応がある。
リリアンは直に死体と相対するのは初めてなのか、口を押さえて顔を青くする。
「死……ん……」
「でも待って、それじゃこの声は何なの?」
「苦しい……痛い……」
「リリアンが言っていただろう、この森にマンティコラが出るという噂があると。マンティコラは残忍で狡猾、更に人の声を真似ることも出来る。今の状況にぴったりだ」
「そんな、でも、あれは噂で、ここにいるはずが……」
「魔王軍が配置した可能性はある。奴らは人間に恐怖心を抱かせる為に、散発的に強い魔物を放ったり不安を煽る噂を流したりするからな」
「ちょっと冗談でしょ……!」
シオの背中から冷や汗が吹き出る。
マンティコラは動きが俊敏で知能が高く魔法も操る為、多くの冒険者を殺してきたことで有名だ。特に冒険者として自信をつけてきたミディアム級が挑んで返り討ちに遭うケースが多く、『ミディアムキラー』の異名を持つ魔物の一種だ。
リリアンとナナジマはまだビギナー。シオはミディアムになりたてで、しかもこのチームは今日が初編成だ。しかも魔物狩りで疲弊している今の状態でマンティコラと戦うのは無謀過ぎる。
と、ナナジマが突然こちらを向く。
「二人とも、済まないがすぐにギルドに戻ってこのことを伝えてくれないか。マンティコラは人を積極的に襲う危険な魔物だし、出たのが一匹だけとは限らない。急ぎ調査する必要があるだろう」
「そっ、そうですよね急いだ方がいいですよね分かりました私先行して伝えに行きますね!!」
ナナジマの言葉に間髪入れず頷いたリリアンが一気にまくし立てたかと思えば、翼をはためかして飛び上がり、電光石火でその場を離れていく。
一瞬唖然とした二人は、すぐにその真意に気付く。
彼女は、自分だけ場を離れて二人を見捨てたのだ。
「俺は、『二人』に戻るよう伝えた筈なんだが……?」
「あいつ、あのクソ女……自分だけ逃げやがったわねこの○※△〆ッ!! 行くわよナナジマ、急いでこの場を離れ――」
『タスケテ……クルシイ……クルシィヨオオオオオオオオッ!!』
直後、瓦礫を吹き飛ばして雄牛さえ子供に見えるマンティコラの巨体が姿を現す。
獣と人間が混ざったような醜悪な顔面に、獅子の肉体。助けを求める声を出す顔面は異様に大きく、口から死体の腕だけがはみ出る様がこの魔物の残虐性を端的に示している。
まるで、この腕がお前らの辿る未来だと嘲笑しているかのようだった。
リリアンが囮になればまだ勝機はあったのに、とシオは歯がみする。いくらナナジマの援護が上手いとはいってもたった一人の前衛は心許ない。三人で立ち向かうか三人で逃げるかが最適だったのに、そのどちらもリリアンのせいで選べなくなってしまった。
(生きて帰ったら絶対許さないわよアイツッ!!)
一方、ナナジマの態度は冷めたものだった。
「ここまでか……」
「なっ、バカっ!! 諦めてないで抵抗の一つでもしなさい!!」
いきなり諦観の言葉を口にしているが、シオからすれば冗談ではない。逃走が間に合わない今、せめて自分の最大魔法の詠唱が終わるまでくらいは粘って貰わなければ、いくらシオでも殺されてしまう。
『クルシイ、ダカラ、イタダキマァァァス!!』
ナナジマの方が襲いやすいと思ったのか、マンティコラは巨大な顎をく。涎が糸を引く黄ばんだ犬歯を剥き出しにした死出の顎門がナナジマの背に迫る――その、刹那。
「トライピアッサー」
『バアグァッ!?』
ナナジマのレイピアがひゅん、と、風を貫く音。
ただそれだけの音が齎した結果は、劇的だった。
今まさにナナジマを胃袋に納めんとしたマンティコラの両方の顎の付け根と脳天に突撃槍でも貫通したような三つの風穴が空き、『ミディアムキラー』と恐れられる魔物は一瞬で絶命した。
だが死して尚も突進の勢いが止まらないマンティコラの体がナナジマに迫る。
あの巨体に衝突されたら押し潰される――!! 思わず目を逸らしそうになったシオに反し、彼の対応は冷めたものだった。
「ロックハインダー」
ナナジマから噴出した魔力が瞬時に地面に染みこみ、直後、見上げるほど巨大な岩石が突き上げるように地面から隆起し、マンティコラの死体をいとも容易く受け止めた。
「うそ……」
杖なし。
詠唱破棄。
それでいて、この規模。
魔術に精通するからこそ、シオはその異常性に戦慄する。
ロックハインドは地属性初級魔法であり、本来は巨大な岩を隆起させるような強力なものではない。それを杖と詠唱なしにあれほどの規模で発動させるには、高度な魔法の知識と魔力、そして何よりも経験が必要だ。
間違っても、ビギナーランクの冴えない冒険者に出来る真似ではない。
足をびくびくと痙攣させながら鮮血を垂れ流すマンティコラに対し、ナナジマはレイピアを納剣してマンティコラの口から零れた腕を丁寧に布でくるんで道具袋に仕舞った。
「残った遺体はこれだけか……後で供養してやるから、少しだけ待ってくれ」
「な……な……?」
シオは全く目の前の光景が理解できなかった。
もしかしたらナナジマは等級以上の実力なのかも知れないとは思ったが、マンティコラのような大型の魔物を一撃で仕留めるのはミディアムでも不可能に近い。なのにナナジマは相手の動きを完璧に見切った上で急所を正確に貫き、巨体を魔法で受け止めることまでやってのけた。
さっきからずっと冷静そのものなこの男は。
レイザンから物をたかられ、諾々と従っていたこの男は。
たった今マンティコラを仕留めたことを誇ろうともせずに、その足の裏と地面のへこみを見比べるこの男は。
「一体何者なのよ、あんた……!!」
ナナジマはシオに顔すら向けず、当然のように言い放つ
「ロムランのギルドにこっそり紛れ込んでいる、アデプトクラスの冒険者だ」
シオには、陰になってよく見えないナナジマの顔が別人のように精悍に見えた気がした。
「……もうちょっとバレないと思ったんだがな。なんでこんな時に限ってマンティコラなんているんだ……しかも足跡からして複数いるし……」
「勝手に落ち込んでる!? てか、なんでこんな時に限ってはこっちの台詞だしっ!!」
前言撤回、欠片も精悍ではなかった。
もしかして頭のネジがお抜けあそばされているのではないだろうか。
◆ ◇
シオは未だどこか信じられない気分だった。
「『死神』ハジメ……あんたがぁ? 鎌持ってないじゃん」
「普段使いするほど便利な武器じゃないだろう……」
ハジメは微かに呆れた口調で風評を否定し、マンティコラの足跡を追って歩き続ける。
当人曰く、他にもいると思われるマンティコラの足跡を辿って情報を得たいらしい。シオはそんなことよりも帰りたいと主張したが、彼は「マンティコラがいるかもしれない森を一人で帰らせることは出来ないし、送り届けて再度森に戻ったら日が暮れる」とあっさり意見を切り捨てた。
曰く、リリアンさえ残っていれば先に帰す算段が立ったのだそうだ。
それを言われると、仮にも同じパーティの人間であるシオは弱い。
ハジメは冒険者証のメダルを金に差し替え、見せる。
「別に信じなくともいいが、この金の証明メダルは本物だ」
「ま、まぁ実力を疑う気はないけど……いいよ、信じる」
レイピアを仕舞い身の丈ほどの大剣を平然と背負うハジメの姿を見て、少なくとも相応に格上であることを悟ったシオは、頷かざるを得ない。ハジメの細身であの大剣を使いこなすには高いレベルが必要だし、彼はここまでの間に数体の魔物をスキルも無しに切り伏せている。
しかも、普通なら大剣を扱うなら筋力に特化したステータス上げをしなければいけない筈なのに、彼は魔法能力まで高い。
ハジメはまだシオが察知していない魔物の気配に反応し、魔法を発動させる。
「スラップシーカー……行け」
ハジメの周囲に濁った光を放つ球体が七つ出現し、号令と共に何かを追跡するように飛ぶ。『スラップシーカー』は圧縮された魔力の球体を複数展開して敵に放つ魔法で、索敵に引っかかる相手を自動追跡する。
ただし、今のシオの技術では球体は同時二つ展開が限度にも拘わらず、ハジメは詠唱を破棄して一度に七つも解き放った。遠い場所で魔力が弾ける音と魔物の悲鳴が響く。
今の光景だけで、ハジメが只者ではないことがシオには十分すぎるほど理解出来る。
「索敵範囲鯖読みしてたでしょ、絶対。筋力も前衛並みだし、なにより魔法……数が多いのはスラップシーカーの熟練度を上げた上でいくつかのパッシブ魔法を編み込んだもの。魔法の速度も同じやり方で底上げしてるわよね。普通ならそんな多方面を求めたビルドは器用貧乏で終わる筈なのに、どんだけ自分を練り上げてきたのよ……」
「死に損なう数が増えれば自ずとこうなるものだ」
そう言いながら、ハジメは無言で大剣を切り上げる。数秒遅れて二人が通る道の左右にグレートモスという巨大な蛾の魔物が両断されて落ちてきた。
鱗粉による毒が厄介な筈だが、それもスキルなしの単なる一振りの風圧で綺麗に吹き飛んでいる。
「元の活動地域で少し目立ちすぎて、沈静化するまでここで身分を隠して冒険を続ける気だった。途中まで上手くいっていたんだがな」
「はぁ……正直、言われるまで疑いもしなかったわ。だって顔に凄みとか全くないし」
「俺の天才的な演技力が光ってしまったらしい」
「いや、今も凄み感じてないけど」
「そうか……」
心なしか気落ちするハジメに、マジでなんなんだろうこいつとシオは珍獣を見る目を向ける。これだけの魔法技術があるなら尊敬して然るべき先達なのだが、この男はどこかシオの気を抜かせてくる。
「てか、なんでそんなに強いならレイザンにあんなにやられっぱなしだったのよ? 武器までパクられてさ。レイザンってそんなに強いの?」
自分の想い人への評価をさりげなく聞いてみると、ハジメはあっさり首を横に振った。
「レイザンが年の割に強いのは否定しないが、抵抗しなかったのはする必要がなかったからだ。何せ奴にあげたのは全て処分し忘れていたドロップアイテムだからな」
「廃品回収業者扱いッ!? ああレイザン……このことを知ったら怒り狂うわね」
「そうなのか?」
「そうなのよ。私たちが貴方を騙すのを失敗した件でも苛立つし、今の話もきっと自分がコケにされたと感じて苛立つし、そもそもこのまま貴方と私が一緒にギルドに戻ったらそのことさえも苛立つ。あいつはそーいう男なのよ」
「よくそんな男を好きになったな。今はそういうのがモテるのか?」
「それは……」
言われてみて、シオははたと思う。
「なーんであんな傲慢ケチの男が好きなんだろ、私。魔法知識豊富で聞き上手だったことがきっかけで付き合ったけど、今になってみると……なんだろう、好きになるほどの男じゃない気がしてきた……」
思えば不思議だ。今までいつも不満や苛立ちはあったが、当人と一緒に過ごしていると段々とそれが消え失せていき、最後には不満より彼への好意が勝ってしまっていた。シオはそれが人を好きになることなんだと思っていたが、これから何を言っても理解を示してすらくれないであろうレイザンと会うと思うと、うんざりとした気分になる。
彼のどこが好きなのか、シオは言葉に出来なかった。
ハジメはそんな愚痴を暫く無言で聞くと、考えるそぶりを見せる。
「……もしかしたら、それには技術的カラクリがあるのかもしれない」
「へっ……?」
「恋に理由はないとは言うが、もし彼の装備品が俺の予想する品なら、人為的に恋心を作ることが出来るかもしれない」
ハジメは自分の考えを語る。彼に置いて行かれまいと追いかけるシオは、彼の言葉に、次第に自分の胸中で疑念が膨らんでいくのを感じた。
「そんなことが……でも、考えてみれば確かにそんな真似が出来ればレイザンくらい好き勝手に生きていられる……」
「疑念を晴らせる人間を既に何人か町に呼んでいる。明日には全てが明らかになることだろう」
自分の思い描く理想が音を立てて崩れていく。
なのに、シオはそれに対して動揺を覚えなかった。
きっと自分は、本能的に悟っていたのだろう――レイザンが自分を愛していないと。
「……ねぇ、ナナジマ。今確認されてる魔法の属性数はいくつ?」
「一般的には九つだ。学説によっては増減するが」
「じゃあエーテルとマナの違いは?」
「液体か気体かの違いで、根本的には同じものだ」
「魔法と錬金術はどうやって定義を分けてるか、分かる?」
「技術体系が異なる。同じ効果を発揮したとしても、発動までに至るプロセスが違う。錬金術の方が技術としては古く、未だ解明されていない部分が多いと聞く。俺も錬金術はあまり使えない……急にどうした?」
「私がレイザンと初めて会った時、同じ会話したわ。もう一回ぶつけてやれば、アンタの仮説が正しいかどうか確かめられると思ってね……」
シオは今の会話でハジメがアデプトランクを名乗るだけはある知識の持ち主であることを確信した。特に錬金術については殆どの一般人が同じものだと思っているのを、悩みもせずにすらすらと答えた。
彼は本物だろう。
そして、自分の近くには偽物がいるかもしれない。
シオは、もうハジメの語る「恋のカラクリ」に確信を抱きつつあった。




