断章-1 NINJA旅団・ツナデ外伝
NINJA。
それが、少女のジョブにして生き方。
師匠のライカゲ曰く、NINJAとは忍者、つまり忍び耐える者という意味を持つ。その教えはライカゲが別の忍者から託された言葉であり、そして受け継ぐものであるそうだ。
忍び耐えると言っても、普通は我慢するともこそこそ潜伏するとも取れるため、少女はその言葉の真意を問うた。するとライカゲは、その意味は自ら見つけなければならないと語った。
今はまだライカゲの言葉の真意、忍びの道というものが見えていない。理屈では何となく分かるが、まだ自分の言葉に出来ていない。そうであるうちは己は半人前だと思っている。
思えば、少女は幼い頃からある意味で耐え忍ぶ者だった。
この世には人身売買をするブラックマーケットが存在し、その中で奴隷の子として生まれ育った。誰もが自分たちを蔑み、時折優しさがあったとしても、それは圧倒的優位からの見下しに由来するもの。
自由も満足な環境も与えられず、何のためにこの世に生まれたのかを神に問うても何も返事はなく、ただ商人と客たちが恐ろしい。そんな日々だった。
だがある日、その閉塞した虚しい世界をライカゲが粉々に打ち砕いた。
奴隷商は一人残らず姿を消し、奴隷たちは国の手厚い保護を受け、社会進出の為にきちんとした教育が施された。あれだけ恐ろしかった奴隷商と客が嘘のようにいなくなったマーケットを見たとき、心の中に感じた事のない綺麗な風が吹いたのを覚えてる。
「――枷は外した。他の道を征くかどうかは汝ら次第だ」
少女は、この風を齎したライカゲの背中が途方もなく大きく、そして美しく見えた。少女は気付けば立ち去ろうとするライカゲを追っていた。
生まれて初めて、人を格好いいと思った。
ライカゲは振り向きもせず去っていき、すぐに姿も見えなくなったが、少女はまるでそれに気付かないかのように夢中でライカゲを呼んで追いかけた。見えなくなっても匂いを頼りに追い続けた。やがて丸一日が経過して体が限界を迎えそうになった頃、ついに魔物に襲われた。
――ああ、短い自由だったと思う。
――しかし、憧れに夢中になって走った時間は、不思議と輝いて見えた。
直後、魔物の首が音もなく落ち、目の前にライカゲがいた。
「仲間の元に帰れ。そして人の生き方を知れ」
「人の生き方は知らなくてもいい。おじさまの生き方を知りたい。生まれて初めてそうしたいと願ったものを、願った通りに追いかけたい」
「光の差さぬ影の道。険しく苦しい道となる。自ら再び同じ道に堕ちることはあるまい」
「いや。わたしも風を吹かすの。貴方がつまらなくてくだらない世界を壊して風を運んだように……」
「それは忍者の考えではない。そうなりたいなら騎士なりなんなり道はある」
「忍者?」
「忍び耐える者のことだ」
「じゃあわたしも忍者よ。あのブラックマーケットで忍び、耐えてきた」
あそこには愛も希望も何もなかった。
自分の未来など考えたこともなかった。
それでも辛い仕打ちを耐えた。
棄てられぬよう忍んだ。
だから今、道がある。
ライカゲは暫く無言で少女を見つめ、そして口を開く。
「偽りの言葉はないか?」
「嘘はつかなくていい。そういう自由をおじさまに貰った」
「名はなんという」
「ないよ」
「ならば、おぬしは今日この時よりツナデと名乗るがよい」
ライカゲはツナデを背負い、そして駆け出した。
あのとき感じた風の触感と、背中の匂いは今も忘れない。
それが、ツナデという少女の忍道の始まりだった。
◇ ◆
「……にゃつかしい夢見たにゃ」
微睡みから覚めたツナデはそうぼやき、ぐしぐしと目を擦る。
朝の目覚めとは爽快であったり寝具に後ろ髪を引かれたりするものだが、生憎と忍者はベッドで寝ない。彼女が寝ていたのはベッドの下だ。常に敵の奇襲を考慮すべしという教えを忠実に守ったものだが、逆にベッドでの寝方が下手になりそうだとツナデは思う。
何故、自分がそんな夢を見たのか。
ツナデには心当たりがあった。
「前の仕事、ぜんっぜん役に立ってにゃかった……」
ライカゲに匹敵し、今代の最強冒険者と謳われる『死神』ハジメの依頼で後輩と共に賞金首捕縛のサポートに向かったツナデは、そこで世界の頂点クラスと自分との間に横たわる隔絶した実力差を思い知らされた。
人外としか言えない超再生力と戦闘力を持った賞金首ガルダ。
予め完全に格上の可能性が高いので直接戦闘はしないよう伝えられていたが、それでも忍者として活動してそれなりに実績を重ねたツナデは、相手を甘く見ていた。探知能力を上回られたのもそうだが、分身による伝達の際に殆ど反応できないまま引き裂かれたのは今も脳裏に鮮烈に刻まれている。
あれはあくまで分身だし、本気で戦う気はなかった。
それでも、ハジメの援護くらいなら出来ると思っていた。
仮にあの時分身が本体である自分だったとして、果たしてどこまで粘れただろうか。
そして、ラメトクとエペタム。
世にあれほど危険な妖剣が存在するとは知らなかった。あの時偵察に出たツナデの分身は反応も出来ず一瞬で屠られ、全力で妨害したもう一つの分身も一瞬で両断された。
後になって知ったのだが、ラメトクはその気になれば分身のツナデを斬らないようエペタムを妨害することも出来たらしい。しかし、エペタムが「あれは幻だから」と言ったが為に敢えてそのまま行かせたのだという。
ツナデの反応速度を完全に凌駕した剣を抑えるなど、ツナデであれば命が九つあっても足りない難題だろう。
忍者として経験を積んだ自分なら不意打ちにも対応できると驕っていた。事実としてツナデは一流冒険者と遜色ない能力を持っていると自負している。だが、その事実がツナデを悩ませる。
一流の実力者《《程度》》では、ガルダやエペタムには瞬殺される。
彼ら相手に一分の隙も見せなかったハジメと互角であるライカゲの弟子として、これは由々しき事態である。
「このままじゃ駄目にゃ……忍者の名折れ。何か対策を取らないといけにゃいにゃ……」
普通ならばライカゲに頼むのが筋だろうが、ライカゲはツナデの悩みに気付いているだろうに何も言わない。これは、ライカゲがツナデに問題の自発的解決を促しているのだと彼女は解釈している。
或いはハジメの依頼同行を許可した時点で既にこうなることを見越していたのかもしれない。であれば、その意を汲んで自力で何とかするのが弟子の成長の見せ所だ。
ツナデは暫く考え込み、一つのことを思い出す。
「転生者……」
転生者――それはこの世界の歴史に度々登場する英雄、名君、極悪人等々の非凡な者たちが時折自らをそう称したとされる言葉。根拠なき妄言として公の資料には殆ど残っていないが、その言葉を彼らが口にしたという噂は途切れていない。
そして、ライカゲやハジメ、そしてショージなど数名が時折その言葉を口にしているのをツナデは知っている。ガルダ――今はチヨコだが――もその転生者であるという。
転生者とは特別な能力を神に与えられ、二度目の人生を歩むことを許された存在……らしい。その辺りは記録が断片的にしか残っておらず曖昧で、ツナデ自身最近まではホラ話の類だと思っていた。教会もそのような存在を公に否定している。
しかし、もしかしたらそこに何か自分が強くなる、ないし転生者を打ち破る手掛かりがあるかもしれない。そう感じたツナデは、立ち上がって装備を整える。
「とりゃーず情報聞き出しやすそうなショージとブンゴを誘惑して情報引き摺り出すにゃ。アイツらドーテー丸出しだからちょっとお色気仕掛けるだけでパブロフの犬みたいに引っ掛かるにゃ」
彼女の判断は卑劣にして最適解だった。
◆ ◇
「いやねー、頭オカシイと思われることは分かってんだよ。分かってんだけどさ、俺たち視点ではそうとしか説明できない訳よ」
「そうそう。まぁ転生特典にコミュ力、友人、恋人が含まれていなかったのが俺たちの不幸の始まりとも言えるけど」
喋る喋る、ショージもブンゴもペラペラ喋る。
かなり荒唐無稽な話ではあるが、ことショージの自称する『ビルダー』の能力は確かに何者かに与えられでもしないと実現できなさそうな荒唐無稽さを誇っている。納得とはいかないまでも、どうやらそういう存在がいるらしいとは思うことが出来た。
「ん? でもショージは分かったとして、ブンゴってなんの能力得てるのにゃ?」
「え、俺? 鑑定スキルのやべーやつ」
曰く、ブンゴは物を見るとその売値や買値、性能、耐久値、隠し機能、果ては前の所持者、使用者、使用方法に至るまであらゆる情報を一瞬で読み取れるらしい。これは生物にもある程度有効らしく、レベルは基本としてパラメータとスキル辺りまでは読み取れるそうだ。
物品の鑑定が便利なのは言わずもがな、戦う相手の力まで読み取れるとは確かに相当有用な力だ。しかし、それだけ有用な能力があったのにブンゴは何故周囲と上手くいかなかったのか疑問を覚える。
「そんだけ有能なら、性格を多少大目に見てでもパーティに入れておきたいと思いそうにゃもんだけど……その辺どうにゃのにゃ?」
「い、痛い……痛いところを容赦なく突いてくる……やめてくれ、俺の闇を覗かないでくれ……」
「お願ぁ~い、お・し・え・て?」
「教えます」
胸元をちらつかせるとブンゴはすぐに素直になった。
ショージも鼻の下を伸ばす。ちょろい。
しかし、語る内容はコミュ障の悲しい物語だった。
「最初は上手く行ってたのよ? ほら、ラノベとかだとこういうスキルは地味で注目されない的な不遇設定無理矢理捻じ込まれることもあるけど、情報は力だからさ。鑑定能力が生かされない世界そのものに無理あるじゃん? やっぱ歓迎はされる訳よ」
若干意味の分からない言葉が混じっているが、確かに鑑定能力はいついかなる時代でも便利なものだし、情報は力だというのも正しいとツナデは思う。
では、何故ブンゴは今一人なのか。
その理由は、ある意味人として当然の理由だった。
「把握されすぎて気持ち悪い、らしい……装備品の性能、レベル、スキルまで逐一全て把握できてるのが嬉しくて、ついついことあるごとにパラメータ当てで独りよがりに楽しんでいた俺のせいですハイ。調子に乗ってました。ごめんなさい」
最初のパーティでのトラウマが蘇ったのかブンゴは何もない空間に謝っている。確かに気持ち悪い。
何の理由もなしにとんでもなく有能な力を持つアンバランスなパーティメンバー。しかも転生者は身体的に恵まれるらしく、どんなにブンゴが周囲と歩調を合わせようとしても最後にはブンゴだけが最高効率で成長していく状態。
当然、ブンゴのやりたい仕事と仲間の意識には差異が生まれる。
最初は最高戦力だからと多少場の空気を考慮しない言動に目を瞑ってきたパーティーメンバーだったが、次第にブンゴと共に行動することが精神的な負担になっていった。
そしてある日、とうとうその時がやってくる。
『ブンゴさぁ……そんなに上を目指したいなら、別のパーティ入ったらいんでね?』
『私たち正直貴方の理想についていけないんだけど……』
『別に嫌いになったとかじゃないですよ? ないですけど……ねぇ?』
『お、俺らのことは気にしなくともいいんだぜ? なっ!』
お前はクビだ、などと言われるでもなく、それらしい理由をつけてじわじわと自発的な脱退を促すメンバーを前にして、ブンゴは小物と化したらしい。
『そんなに俺を追い出したいのかよ……! 後悔するぞ絶対!! 俺と居ればもっと金持ちの有名冒険者になれるんだぞ!? 俺がいないと道具の鑑定もスキルのアドバイスも敵の分析も出来なくなるぞ!?』
『いや、装備品とか使って試せば大体の性能は分かるし』
『鑑定が必要なら素直に鑑定屋に行くわ。多少負担は増えるけど、正直そんなに頻繁に必要になる訳じゃないし』
『敵の戦力分析って言っても、そもそも私たち地元密着型冒険者だからほぼ決まった相手としか戦わないし?』
『俺たちはそこそこの安定した冒険で十分なんだって』
全く以て正論尽くしだった。
追放とはもっと傲慢な者たちによって行われると思っていたブンゴは、その『求められていない感』をひしひしと感じたという。何よりも悲しかったのは、誰もブンゴ脱退を止めようとしなかったことであり、彼はとうとうトドメの一言を自分で放った。
『俺は辞めねぇ! 辞めさせたいなら言って見ろよ、全員で、出ていけって!!』
『『『『……』』』』
パーティーメンバーは顔を見合わせ、異口同音に言った。
『『『『いや、マジで出ていけ』』』』
――これがブンゴ追放の経緯らしい。
「その後のパーティでも同じことやらかしたにゃ?」
「めっちゃ自分では反省したつもりなんだけどさ……駄目なんだよね。気付いたら言っちゃうの。嫌われたくなくて何言われても怒らないようにしたり、なるだけ仲間を優先したり、鑑定力を応用して的確なアドバイスを適度に送るように色々やったんだけど……突き詰めて言うと、あいつらからするとそこまで人のこと把握しまくってるのに態度だけ謙虚な俺が気味悪くてしょうがないらしい」
ああ、と何となく理解する。
ブンゴは何も間違った事はしなかったのだろう。だが、正論を振りかざすだけでは人の心は掴めない。彼は、不完全で不出来でありふれた人間という枠を、少しばかりはみ出過ぎたのだ。
早い話が空気が読めなさ過ぎたのである。
あと、ツナデの個人的意見だが。
「あれはこうした方がいいだの何だのいちいち近くで指摘されるのは正直うざいにゃ。人によってはいっそ圧迫感で嫌になるまであるにゃ。能力云々以前に女心全然わかってにゃいのが彼女出来ない原因じゃにゃいか?」
「ドバァァァーーーッフっ!?」
「ああっ、ブンゴに会心の一撃がぁぁぁーーーー!? 悪い子じゃないんです!! ちょっと人の気持ちの機微に疎いだけなんです!! 中高なら同級生と普通に喋れる程度の奴が冒険者デビューでイメチェンしようとして失敗しただけなんですグブゥッ!? しまった俺自身にもこの言葉刺さるぅッ!?」
「うん。おみゃーも方向性は違えど同じ穴の貉だにゃ」
男達は自滅の刃を振るい続ける。




